カンボジアに小学校建て過ぎ
カンボジアへの援助というと,よく聞くのが小学校の設立。
日本の某タレントがカンボジアに小学校を造ったとかいう話題をたびたび聞くが,現地では必ずしも評判が良いとは限らない。
◆ ◆ ◆
例えば,こんな話がある。
日本のX氏の善意でカンボジア某州の田舎に小学校ができた。
ところが,現地の教育予算は増えないまま。
現地の政府はX氏の善意に報いるべく,他の小学校の予算を削って,X氏の支援による小学校の予算に宛てたという。他の小学校では予算削減の影響で教員が減った。
◆ ◆ ◆
また,こんな話がある。
ある地域で日本をはじめ様々な国の支援で小学校が続々と設立された。小学校と教員の数は以前の倍になった。
これに対し,やはりというか,現地の教育予算は以前のまま据え置かれていた。
教員1人あたりに充当される給料は半分となり,各教員は半日だけ教育を行うこととなった。
小学生の数は増えたが,1人1人の学習レベルは以前の半分になった。
◆ ◆ ◆
ほかにもこんな話がある。
ある日本人A氏が資金を投じてある地域に小学校を設立し,同地の人々の協力を得ながら自ら運営を開始した。
A氏は自ら設立した小学校をモデルに,その地域の人々自身の力で更に小学校を設立することを求めた。
しかし,その地域の人々は小学校の設立に乗り気ではなかった。
A氏はその地域の人々のことを怠慢であると非難した。
その地域の人々は,A氏の設立した小学校の設立・運営に対してすでに多大な協力をしたはずだと反論した。
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貧困撲滅の一つの鍵は教育水準の向上であることは間違いない。
しかし,現地の人々の要望,現地政府の予算などを考えずに学校を設立するのはいかがなものか?
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コメント
見方を変えるとありがた迷惑な支援だったんですね。
自己満足と言われればそうかもしれないですね。
カンボジアに小学校を!!と躍起になっていた紳助もなんだかややこしい事になってますね。
投稿: おじゃまします | 2011.09.03 19:48
海外支援は現地の要望をよく知らないとダメということですね。
ドナー(援助国側)の価値観を押し付けてはいけません。結局は,現地を啓蒙してあげようという植民地主義と同じことになります。
紳助こと長谷川公彦氏のその後はどうなったんでしょうね。いろいろ報道がありますが。
投稿: fukunan | 2011.09.07 18:39