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2011.06.30

雑誌ばっかり買っています:"WIRED", 「東洋経済」,「ダイヤモンド」

最近はなんだか企画書の執筆だの,ラオス関係の短いレポートの作成だの,あれこれ忙しく,趣味の日本神話研究が進まない。

そんな中,短時間で情報を吸収するべく,雑誌ばっかり買っている。

まずは"WIRED"

WIRED (ワイアード) VOL.1 (GQ JAPAN2011年7月号増刊)WIRED (ワイアード) VOL.1 (GQ JAPAN2011年7月号増刊)

コンデナスト・ジャパン 2011-06-10
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本家"WIRED"もそうだが,進化するテクノロジーと社会の関係についてのルポや論考が集まっている雑誌というのはあまり見ないので,これは貴重である。

今回,この雑誌を買って感じたのは,電子書籍では得られない実体感である。書店で手に取ってみるとよい。表紙の表面加工には軽い衝撃を受ける。

電子書籍では視覚情報しか入ってこないが,雑誌体の"WIRED"を思い起こすときには,記事とともに表紙の手触りと紙媒体の重さもまた忘れられない記憶としてよみがえることだろう。

日本語版"WIRED"のサイトはここ:WIRED.jp


  ◆   ◆   ◆


つぎは「週刊 東洋経済: グローバルエリートを育成せよ:燃え上がる世界教育戦争」

週刊 東洋経済 2011年 7/2号 [雑誌]週刊 東洋経済 2011年 7/2号 [雑誌]

東洋経済新報社 2011-06-27
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「グローバルエリート」という言葉が出てきているが,要するに国境を越えて活動し,社会・経済・学術・芸術に強い影響を与える人材ということである。

その育成競争が世界的に激化しており,もっとも先んじているのが米国のハーバード大などである,ということらしい。

国内型エリートとグローバルエリートの間では,手にする富や影響力に格段の差がつき始めているのだ。/グローバルで活躍するには,世界レベルの教育と人的ネットワークが欠かせない。その両者を手にする近道として,「米国の一流大進学」の需要が爆発しているのだ。(40ページ)

韓国などはグローバルエリート育成に国運をかけており,米大学に留学生を送り出すだけでなく,済州島(チェジュド)の公用語を英語化し,グローバル教育拠点とするプロジェクトを進行させているという話である。意気込みはまあ凄い。

翻って日本の教育のグローバル化は遅れているというのが,本誌の論調。事実だがよくある論調である。


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最後に,「週刊 ダイヤモンド: 仏教・神道大解剖」

週刊 ダイヤモンド 2011年 7/2号 [雑誌]週刊 ダイヤモンド 2011年 7/2号 [雑誌]

ダイヤモンド社 2011-06-27
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震災を契機に従来の宗教が見直されていることが特集のきっかけらしい。仏教・神道に関する統計データ集,親鸞上人750年大遠忌,法然上人800年大遠忌,神社本庁と明治神宮・宇佐神宮の対立など,神仏の話が盛りだくさん。

信仰ではなく心の科学である仏教(アルボムッレ・スマナサーラ)とアミニズム的傾向の強い神道とでは立場・論点がほとんど重なり合わず,結局のところ同じ島国の中で共存してしまうのであろうと思う。

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2011.06.25

ラオスの電力に関する情報に一貫性が無い件

今,仕事でラオスの電力の統計データを集めているのだが,値がばらばらで困っている。

米国にEnergy Information Administration (EIA)という組織があって,ここでは世界のエネルギー統計情報を収集し公開している。ここで,ラオスの発電量・消費量などを調べてみたのだが,前に見た時と今回とでは1998年以降の値が全然違うので驚いた。

まず↓これが2010年1月に見たときの値をグラフ化したもの:

Eialao01

Figure 1 (EIA, January 2010)


つぎに↓これが今回見た値(2010年6月30日に更新したらしい)をグラフ化したもの:

Eialao02

Figure 2 (EIA, June 30, 2010)

EIAでは発電量(Production)から輸出量(Exports)と配電ロス(Distribution Losses)を引き,輸入量(Imports)を足したものを消費量(Consumption)としている。

しかし,上の図で1998年から2003年にかけて消費量が負の値になるのはおかしい。

EIAはラオスの国営電力企業Electricite du Laos (EdL)の値を出典としているので,EdLのサイトで調べようとしたら,こういう「残念でした」的なものが出てきた:

Edlweb

EdLに知り合いがいないわけでもないから,今度問い合わせようかと思う。


EdLがダメでもラオスの統計局(Lao Statistics Bureau)があるので,そちらを調べてみた。ここのYear BookのCommerceやIndustryのデータをもとにグラフを作ると,こんな感じになる:

Sblao

Figure 3 (Statistics Bureau, Lao PDR: Year Book)

ラオスの統計局は輸出・輸入量に関しては,EIAと同じくEdLのデータを使っているらしい。そして発電量に関してはMinistry of Industrial and Handicraftの値を使っているらしい。

Figure 3のデータはとびとびになっているが,照合できるところだけ比較すると,発電量・輸入量に関しては図2,すなわちEIA2010年6月の値とほぼ同じである。

輸出量は全然違う。輸出量が発電量とほぼ同じになってしまうことはないと考えると,EIAがEdLから得たデータ(輸出量)に間違いがあったのではないかと思う。


他に公開されているデータはないかと調べたら,ラオスのMinistry of Energy and MinesのDepartment of Energy Promotion and Development (EPD)が作っているサイト,Powering Progressの"Power Exports and Imports 1990-2008"というページにデータが出ていた。それを書きなおしたのが下のグラフである:

Poweringprogress

Figure 4 (Powering Progress)

Powering ProgressのデータはMinistry of Energy and Minesのデータであり,Ministry of Energy and MinesはEdLからデータを得たのだろうと思う。Figure 4のGenerationとFigure 1のProductionは一致している。


  ◆   ◆   ◆


比較しながら考えたのだが,いずれの公開データもデータ源はEdLなのだろうと思う。そして,データ源が同じであるにもかかわらず,結果の一部が一致し,一部が異なっているというのは,結局は集計時のエラーなのだろうと考えられる。

とりあえず,各関係機関に照会でもしようと思う。

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2011.06.16

BSでミュージカル"FELA!"を見た件

昨晩,BSプレミアムで,2010年トニー賞11部門ノミネート3部門受賞のミュージカル"FELA!"を見た。

アフロ・ビートの創始者,そしてナイジェリアの軍事政権に反旗を翻した闘士として知られるフェラ・クティ(Fela Kuti)の半生を描いた作品である。振り付けはビル・T・ジョーンズ。

ミュージカルというのは基本的に苦手なのだが,これは面白かった。

時代は1960年代後半~1970年代。フェラの愛したナイトクラブ「シュライン」を舞台としている。

フェラを演じるのはサー・ンガウジャー。フェラの母,フンミラヨを演じるのはメラニー・マーシャルである。

第1部はフェラが影響を受けた音楽や,フェラの音楽の重要な要素である「ニャッシュ」(ファンク,もしくは尻)をフェラ自身が解説したり,フェラが渡米してサンドラ・イシドア・スミス(ポーレット・アイボリ)と出会い,黒人解放運動の影響を受け,自分の音楽に反映させていったり,という内容。

第2部はフェラが音楽などを通してナイジェリアの軍事政権と対立していく姿を描いている。その過程で政府の弾圧により,母,フンミラヨは命を落とす。


強烈なビート,ダイナミックなダンス。とくに女性ダンサーたちの「ニャッシュ」が良く動くこと。感嘆の声を上げるよりほか何もない。


そういえば,以前,チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ『半分のぼった黄色い太陽』を紹介したが,その舞台もナイジェリアだった。

半分のぼった黄色い太陽半分のぼった黄色い太陽
チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ くぼた のぞみ

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『半分のぼった黄色い太陽』で描かれたビアフラ紛争は1960年代の話。そして本記事で取り上げたフェラの舞台はその後の時代。

ナイジェリアの人々は独立以後もかくも長く苦難の時代を生きてきたのである。今も続いているといえるのかもしれないが。

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2011.06.15

『東南アジア史』(文庫クセジュ):良書だが誤記多く残念

日本神話に関する読書をさぼって,今回はレイ・タン・コイ著,石澤良昭訳『東南アジア史』(文庫クセジュ)を読んだ。

小生の出張先が東南アジア全域に拡大しそうなので教養をつけようと思って。

東南アジア史 (文庫クセジュ)東南アジア史 (文庫クセジュ)
レイ・タン コイ L^e Th`anh Kh^oi

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著者はベトナム人。訳者はアンコール遺跡の研究で高名な上智大の先生。

この本では古代から現代にいたるまでの東南アジア全域の歴史を概説している。

第1章では古代の東南アジア全域の様子が記述され,第2章から第6章までが,インドネシア,クメール(カンボジア),ベトナム,ミャンマー,タイ(+ラオス)の各地域の中世~近代の歴史が描かれている。

第7章では,西洋人が到来して旧来の秩序が破壊される過程,第8章では帝国主義への抵抗,そして第9章では第二次世界大戦後の各国の姿が描かれている。


小生が高校生だった頃は世界史の内容と言えば西洋史と中国史がメインで,東南アジアにはほとんど触れないというありさまだった。「シュリーヴィジャヤ」とか「ボロブドゥール」とか「アンコールワット」とか,たんに遺跡や国名だけが宙にさまよっているような状態だった。

本書を読むことによって,そういう単語だけが浮遊する混沌とした状態に骨組みが与えられたような気がする。

本書を読んで思ったのは,東南アジアは西洋や中国に負けないぐらい多様で豊潤な歴史を持っているということである(よくよく考えてみれば,南米もアフリカも同様に豊かな内容の歴史を持っているはずであるが・・・)。

インドネシア語に"Bhinneka Tunggal Ika"(多様性の中の統一)という言葉があり,多民族国家インドネシアのスローガンでもあるが,東南アジア全体を描写する言葉でもあると思う。


東南アジア各国・各民族の歴史を並べてみることによっていろいろな発見があった。

特筆するべきなのは,最も遅く東南アジアに展開したにも関わらず,帝国主義の時代を生き延び,現在に至るまで繁栄を謳歌しているシャム(タイ)のことである。

チャクリー朝はバンコクを首都に定めた。諸外国に開かれたこの港市を首都として持つことによって,タイは国際的な情勢に対する順応性を持つことができ,他の国のような植民地化の運命を逃れることができたと著者は述べている(115ページ)が,その指摘はおそらく正しい。


  ◆   ◆   ◆


しかし,本書で残念なのは誤記の類が頻出することである。例えば:

  • 間違いとは言えないが,「紅河」の振り仮名が「ホンハー」(69ページ他)になったり「ソンコイ」(73ページ)になったりする一貫性のなさ
  • 「リタイ王の王国は在位していたけれども」(107ページ)という日本語としては間違った記述
  • 「サカット・イスラーム」(145ページ)が2行後には「サカット・イスラーム」になってしまう一貫性のなさ

ほかにも気になる表現が散見されるが,とくにまずいと思うのは巻末の参考文献リストである:

Seasia01

白石 隆『海の帝国 アジアをどう考えるか』(中公新書1551、2000年)は小生も以前取り上げた名著。

「堂」はまずいだろう。


石澤良昭先生は忙しくて,推敲する暇がなかったのか? また,出版元の白水社の編集者は気づかなかったのか?

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2011.06.14

【イタリア人94.6%が原発に反対?!】イタリアの国民投票は原発再開の是非だけが争点だったのではないという話

「イタリアで行われた原子力発電所再開の是非を問う国民投票で,原発反対票が9割を超え,ベルルスコーニ首相は、再開を断念する意向を表明した。」(FNNニュース,2011年6月14日)

というような報道がある。

しかし,実はこの国民投票,原発再開のみを質問した投票なのではなく,次の4つの案件を束にした投票なのである(参考)。

  1. 水道事業の強制的民営化
  2. 投資家の利益を確保するため,必要なだけ水道料金を高く設定することを認める法律
  3. イタリアでの原発建設を認める法律
  4. 首相をはじめとする政府高官が政治活動を理由として法廷を欠席することを認める法律

イタリアの国民投票というのは,「法律を廃止する国民投票の制度」である(参考:「イタリア憲法制定議会における国民投票制度に関する議論」)

そして今回の結果は上の4つの案件を束にして否決したということであるから,純粋に投票者の94.6%が「原発放棄」を支持しているわけではないということに注意する必要がある。

イタリアの新聞を読んでいるわけではないので細かいことがわからないが,ひょっとすると,「水道事業の民営化」か「ベルルスコーニの法廷回避のための法律」が最重要案件であって,「原発」はそのついでに否決されただけかもしれない。

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2011.06.10

われわれはシミュレーションの中に生きている/われわれはオメガポイントに達し得ない

ニック・ボストロムによる有名な論文がある:
Nick Bostrom, Are You Living In a Computer Simulation? Philosophical Quarterly, 2003, Vol. 53, No. 211, pp. 243-255.
参考

この論文の中でニック・ボストロムは次の3つの命題のうち,少なくとも一つは正しいと主張している。

  1. 現代文明は「ポストヒューマン」の段階に達する前に滅ぶ可能性が非常に高い
  2. 自らの進化過程のシミュレーションを莫大な回数、実行するようなポストヒューマン文明は存在しないだろう
  3. われわれはほぼ確実にコンピュータ・シミュレーションの中で生きている

ここで言う「ポストヒューマン」とは現実と区別がつかないほど高度なシミュレーションを実施できる知的種族のことである。そのような文明レベルはいわゆる「オメガポイント」に近いと言えるだろう。

そして彼らのシミュレーションの中では,知性を持った仮想現実の人類が再現され,その進化過程がシミュレートされる。論文の中ではこのシミュレーションのことを"ancestor-simulation"すなわち「祖先シミュレーション」と呼んでいる。

さらにその「祖先シミュレーション」は試行錯誤的に莫大な数繰り返され,いくつかのシミュレーションの中には仮想現実の人類がポストヒューマンの段階に達するものがあるという。

ニック・ボストロムの主張をさらに要約すると,いつの日かわれわれが「祖先シミュレーション」を実行できるようなポストヒューマンになるチャンスはない,そうでなければ,われわれはシミュレーションの中で生きている,ということになる。

このあたりの話はWikipediaの「シミュレーション仮説」の中で解説されている(参照)。

本記事ではニック・ボストロムがどうやってこのような命題を導き出したのかについて解説したいと思う。


   ◆   ◆   ◆


Substrate-indepenence(基盤独立性)の仮説

この仮説がないと議論が進まない。"Substrate-indepenence(基盤独立性)の仮説"とは,精神というものはどのような物理的基盤の上にも宿るという考えのことである。

意識は頭蓋骨の中にある炭素由来の生物学的神経ネットワークだけでなく,シリコン製のCPUの中にも宿る可能性があるということである。ニック・ボストロムは,神経線維のレベルまでよく再現されたコンピュータ・シミュレーションがあるものとして議論を進める。


   ◆   ◆   ◆


計算能力の技術的限界

現実と区別がつかないほど高度なシミュレーションを実施するためにはコンピュータの計算能力が要求される。

ニック・ボストロムは,現在われわれが持っている知識によって,ポストヒューマンが成しうる情報処理能力の下限を示している。

まず,コンピュータの能力についてだが,ドレクスラーは一秒間に10^21命令を実行しうる角砂糖大のシステム(冷却や電力供給のことは抜きにして)の概念設計を示している。ブラッドベリーは惑星大のコンピュータなら一秒間に10^42命令を成しうると見積もっている。

つぎに必要なのは人間の精神を模倣するために必要な計算能力の見積もりである。すでに実現している「網膜内のコントラスト強調の際の神経組織の働きのシミュレーション」をベースに考えると,一人の人間の脳全体では1秒間に10^14命令程度の情報処理が行われていると見積もられる。また,脳のシナプスの数とそれらの発火頻度(電位の発生頻度)を基にすると,1秒間に10^16~10^17命令程度の情報処理が脳内で行われていると見積もられる。

ここで検討の余地があるのは人間の周囲の環境をどれだけ再現するか,という問題である。宇宙全体を量子レベルまでシミュレートすると言うのは物理的に無理である。しかし,通常の人間が体験する範囲に絞れば計算負荷は減る。顕微鏡レベルの現象は問題なく除外できる。天文学上の現象も真実味を失わない程度に省略できる。

すると,人間の歴史を真実味のあるレベルで再現(祖先シミュレーションを実施)することにすれば:

(現代文明からポストヒューマン文明に進化するまでに生存する人間の延べ人数:1000億人と仮定)×(一人あたり50年の寿命)×(3000万秒(=1年))×(脳内の情報処理=10^14~10^17命令毎秒)=10^33~10^36命令

の情報処理量が必要であると見積もられる。

この数字はブラッドベリーが提唱する惑星大のコンピュータの一秒間の処理能力10^42命令よりは小さい。しかもこれは現人類が想像するコンピュータの能力であって,ポストヒューマンたちはもっと優れたコンピューターを持つことができるだろう。

ポストヒューマン文明はその資源のほんの一部を振り向けるだけで、極めて多くの祖先シミュレーションを実施するに足る計算能力を持つことだろう。


   ◆   ◆   ◆


数学的議論:「極限」の利用

ニック・ボストロムの議論の中核部分である。彼は数式を用いて議論しているが,本記事では本質を損なわない程度に彼の議論を書き直してみる。

まず,つぎのようないくつかの変数を導入する:

 fp:現実か仮想現実かを問わず,ある文明が現代文明レベルからポストヒューマン文明レベルに達する確率
 N:あるポストヒューマン文明が実施する祖先シミュレーションの回数(期待値)
 H:現実か仮想現実かを問わず,ある文明が現代文明レベルからポストヒューマン文明レベルに進化するまでに生存する人間(知性)の延べ人数

さて,あるポストヒューマン文明の進化過程で生存していた人間(知性)の延べ人数は

H

である。

また,そのポストヒューマン文明が実施する祖先シミュレーションの中で,ポストヒューマン文明レベルに達した仮想現実文明の数は

fp N

である。また,ポストヒューマン文明レベルに達した仮想現実文明の進化過程で生存していた仮想現実人間(知性)の延べ人数は

fp N H

である。

そうすると,ポストヒューマン文明レベルに達した現実の文明と仮想現実の文明の進化過程で生存していた人間(知性)のうち,仮想現実に属する人間(知性)の割合:fsimは

fsim = fp N H / ((fp N H) + H) = fp N / (fp N + 1) …(1)

となる。

ところで,あるポストヒューマン文明が祖先シミュレーションを実施する意志を見せる確率をfI,実際にポストヒューマン文明が実施する祖先シミュレーションの回数をNIとすると、

N = fI NI

となる。これを上の式に代入すると,

fsim = fp fI NI / (fp fI NI + 1) …(2)

となる。

もしポストヒューマン文明が祖先シミュレーションを行うとすれば、NIは莫大な数となる。

NI -> ∞ならば,fsim -> 1

となり,仮想現実に属する人間(知性)の割合は1に近づく。ここから「われわれはほぼ確実にコンピュータ・シミュレーションの中で生きている」という命題が生じる。

また,式(2)を変形すると,

fp = fsim / ((fsim - 1) fI NI) …(3)

fI = fsim / ((fsim - 1) fp NI) …(4)

となる。

NI -> ∞ならば,fp -> 0, fI -> 0

となる。つまり,"fp -> 0"から「現代文明はポストヒューマンの段階に達する前に滅ぶ可能性が非常に高い」という命題が,"fI -> 0"から「自らの進化過程のシミュレーションを莫大な回数、実行するようなポストヒューマン文明は存在しないだろう」という命題が生じるというわけである。


   ◆   ◆   ◆


われわれが高度な仮想現実の技術を獲得するにしたがって,われわれ自身が仮想現実の中に生きているという可能性が高くなる,ということだろう。

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