筑紫申真『アマテラスの誕生』を読む
この本,筑紫申真『アマテラスの誕生』は以前紹介した松前健『日本の神々』でも西郷信綱『古事記の世界』でも触れられている重要な文献である。
同書の初版は1962年(角川書店)。
「アマテラスはもともと男神(蛇神)だったのであり,太陽神そのもの(アマテル)→太陽神をまつる女(オオヒルメノムチ)→天皇家の祖先神(アマテラス)と変転していったのだ」という「アマテラスの神格三転説」は,出版当時,賛否両論,かなりのセンセーションを巻き起こし,脅迫を受けることもあったようである。
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現在入手できる講談社学術文庫版巻末の青木周平による解説によると,著者は国学院大学で折口信夫に師事していたことになっているが,「Google books 発掘街道の文学」によると,師事していたのは実証科学的な歴史研究で知られる高柳光寿であって,折口信夫から影響を受けるのは三重県で高校教師をしている頃に折口の著書『古代研究』に出会ったことがきっかけのようである。
著者は,記紀だけでなく,『万葉集』,『続日本紀』,『延喜式』等のメジャーな資料,さらに『通海参詣記』,『皇太神宮儀式帳』,『伊勢国風土記』逸文,『倭姫命世記』,『坂十仏参詣記』,『神宮典略』などの伊勢地方に関する古資料,神島のゲーター祭り,二見浦の輪じめなわ,伊雑宮の田植えまつりのサシバなどの伊勢・志摩地方の民俗資料を総動員して,天皇家の祖先神としてのアマテラスの誕生プロセスを,推理していく。
著者の推理によれば,アマテラス誕生に貢献したのは天武・持統両帝である。
著者の説を簡略化すると次のようになる。
◆ ◆ ◆
(1) 古来,太陽をトーテムとする部族はあちこちにおり,それらの部族では太陽は「アマテル」と称され,気象全般や生命をつかさどる神とされていた。
(2) 伊勢にも大和朝廷に服属する,太陽信仰の部族がおり,祭祀に関与する猿女(サルメ),天語部(あまがたりべ)という人々を朝廷に差し出していた。
「大和の天皇家は太陽をトーテムとしてまつっていましたが,おなじように伊勢でも太陽をトーテムとする信仰集団があって,<中略> その太陽信仰を熱烈に天皇家にもちこんでいたのです」(174頁)
太陽信仰が部族的なものから国家的なものに発達するきっかけは壬申の乱である。
(3) 壬申の乱において挙兵した大海人皇子(おおあまのみこ。後の天武天皇)・鸕野讚良皇女(うののさらら/うののささらのひめみこ。大海人皇子の妻。後の持統天皇)は北伊勢を行軍中に雷雨に遭う。
(4) ここで大海人皇子が伊勢の太陽神(気象全般をつかさどり,雷神としての側面もある男神アマテル)に祈ったところ,雷雨は止み,尾張方面への進軍を続けることができた。
(5) 大海人皇子は壬申の乱に勝利し,翌年,天皇として即位した。
(6) この勝利は伊勢の太陽神の加護によるものと考えた天武天皇は,娘の大来皇女(おおくのひめみこ・大伯皇女とも)を伊勢に派遣し,斎王すなわち太陽神の妻として仕えさせることした。
伊勢の太陽神を祖先神アマテラスとして完成させたのは持統皇后(のちに天皇)である。
(7) 天武天皇崩御後,持統皇后は自らの子である草壁皇子(くさかべのみこ)を即位させるべく,そのライバルである大津皇子(おおつのみこ)を謀反の罪で死に追い込んだ。
(8) しかしながら草壁皇子は病弱で,皇位につくことなく薨去。
(9) 持統皇后は草壁皇子の子,自分にとっては孫にあたる軽皇子(かるのみこ。後の文武天皇)をいずれは皇位につけることを考え,それまでの間,自らが君主として国を率いることとした。
(10) 持統天皇は,自らの子孫が皇位を継承する正統性を保証するものとして伊勢の太陽神を持ち出すこととした。
(11) 伊勢の太陽神アマテルを女神アマテラスとし,持統天皇から孫の軽皇子への皇位継承を,神話において,アマテラスから孫のホノニニギへの王権授与という形で描き出すこととした。
(12) 文武二(698)年,アマテラスをまつる皇大神宮(内宮)が現在の位置に成立し,アマテラスの祖先神としての地位が確立する。
◆ ◆ ◆
上述の(3)~(6)のあたりは,手塚治虫『火の鳥 太陽編』でも出てくる話である。手塚治虫もこのあたりは読んだのかもしれない。
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著者・筑紫申真の推理は非常に面白いが,牽強付会気味なところもある。
たとえば,第8章「太陽の妻」において,「大来皇女(おおくのひめみこ)が伊勢に下ってアマテラスをまつった最初の斎王であり,それ以前の稚足姫皇女(わかたらしひめのひめみこ)ほか5,6世紀の斎王は伊勢の大神をまつる斎王ではなく,大和の日祀(ひまつり)の巫女である」とする推理を展開しているが,このあたりはやや強引な感じである。
とはいえ,上述したような数々の資料,そして伊勢の地理情報を駆使して,実証的に推論を進めていく姿勢には圧倒される。このようなアプローチの姿勢は師である高柳光寿の影響が大きかったのだろうと思う。
他方で,推論のきっかけとなる数々のアイディアは折口信夫によるところが大きいようである。例えば「アマテラスは織姫,すなわち神の妻・巫女だった」という説は折口の論文にもとづくである。
結局,『アマテラスの誕生』は,折口信夫の直観と高柳光寿の実証主義が筑紫申真という在野の学者の内部で結合した傑作であると言ってよい。
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コメント
はじめまして。
私、三重県に住む谷口と申しまして「アマテラスの誕生」の著者の次女でございます。突然しゃしゃり出て申し訳ありません!「筑紫申真」で検索をかけていて、こちらのブログに辿り着きました。
広島でスサノオとクシナダヒメを祀る神社の59代目として神職をしていたのも束の間。
戦前・戦中派の彼にとっては、日本神話は生きること・戦うことの原動力の一つでした。だから自分の心を内省するためには、神話の客観的・実証的な探求は是非一度はしておかなければならない。それをしなければ身も心ももたない...そんな理由で郷里を去って三重に移り住んだ彼の一生は心休まることの少ない棘の道であったようです。
自分がこの目この耳で確かめたことでなければ信じられない。自分の見つけた一片の真実を、積み上げ積み上げして、自分なりに知識を体系化したい...そんな思いで、伊勢・志摩の地をフィールドワークした彼の足跡に触れてくださり大変嬉しく思います。
興味深い内容満載のこちらのブログ...
これからも拝見させていただきたいと思います。
ありがとうございます。
投稿: 谷口芳子 | 2011.05.21 23:05
筑紫先生のご家族の方から直接,しかも丁寧なお言葉を賜りまして,大変感激しております。
その一方でお返事が遅れてしまい,申し訳なく思っております。
小生の母方の祖先は熊本の神職だったということです。そのためか,今は亡き(母方の)祖父はアマチュアながら古代史や日本神話に凝っていたようです。
小生はその祖父の影響を受けているのでしょう,祖父の残した研究書の他,入手の難しくない古代史・日本神話関連の本を読んで思いを巡らすことを趣味としております(他の分野にも手を出しますが)。
『アマテラスの誕生』は提唱している説そのものだけでなく,筑紫先生の研究姿勢まで彷彿とさせるような優れた著書だと思います。
今後も入手しやすい日本神話関連の本を紹介しようと思っておりますので,お読みいただければ幸いに存じます。
投稿: fukunan | 2011.05.22 00:56
福代様
さっそくにコメントをいただけるとは!
大変恐縮でございます。
専門分野でご活躍の上、さらに古代史・日本神話の探求をされているのは、やはりDNAがそうさせるのでしょうか?
私は、大学では工業デザインを専攻し、卒業後は、自動車会社のデザイン室や建築設計事務所などで働いておりました。その頃は、古典や歴史にはまったく興味を持たずにおりましたが、生まれ故郷に戻り、結婚・出産・育児をするなかで、なぜか年を追うごとに神道・古代史への興味が増し、一昨年は趣味が高じて神職の資格を取ってしまいました(笑)
「アマテラスの誕生」が刊行された時代とは違って、さまざまな説のたくさんの本が書店に並んでいますが、何しろ自分の乏しい知性では広く深く探求することは至極困難!
まぁ、研究者ではないので論理を組み立て体系化する必要はない...ということで、地域の神社のご奉仕をさせていただきながら一生活者の視点で、自分なりの真実を見つけていきたいなぁ...と考えております。
アカデミックな学術書を噛み砕いてご教示いただいたり、宗像教授シリーズ等面白いサブカルチャーをご紹介いただけたら嬉しいな...と思います。
本業・ライフワークともに今後益々のご活躍お祈り申し上げます。
投稿: 谷口芳子 | 2011.05.22 11:48
はじめまして!
私は過去に沼田国造筑紫家が社主/神職されていた沼田神社(旧渟田宮)のすぐ近所に在住の高橋と言います。
昨年の始め頃、三重県へおられる筑紫申真さんの奥様と電話で2度程、お話をさせて頂きました。
私は今、郷土の歴史を勉強する中で、沼田神社並びに祇園祭他を文化財登録したい思い立ち、筑紫家の古文書を探せば、神社歴史が証明出来ると思い、探しています。
実は沼田神社がある本市は中世の時代は安直郷本市/新市と呼ばれていた市場集落の商人達で大変賑わっていた街で、当時は小早川家の経済の中心地だった様です。
以上、取敢えずご紹介させて頂きました。
投稿: 高橋光浩 | 2012.01.28 21:46
高橋光浩様
コメントありがとうございます。
本ブログ記事を通じて,筑紫申真さんにゆかりのある方々とお話しできることを大変うれしく思います。
近年,経済や社会への不安からか,日本人のアイデンティティを問い直す動きが出ております。その中で地方史・郷土史の充実,というのは大変重要な意義を持つ活動だと思います。
ぜひ,沼田神社ならびにその周辺の歴史の研究を充実させて下さい。
投稿: fukunan | 2012.02.01 15:24