「日本はいつだって私が行き着く最後の港なのだ」(ドナルド・キーン)
日本はいつだって私が行き着く最後の港なのだ。(『ドナルド・キーン自伝』325頁)
ドナルド・キーンが日本に永住することになったという話題は,大震災で打ちのめされた日本人にとって,明るい話題となっている。
タイミングを合わせていたかのように,2011年2月には『ドナルド・キーン自伝』が中央公論新社から文庫として出版された。
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木曜日の晩に宇部の宮脇書店で購入して,土曜日の夕方に読み終わった。
帯に「私の人生は,信じられないほどの幸運に満ちていた」と書かれているが,若い日,日本文化に出会い,それを半世紀以上にわたって世界に対して紹介し続けていることを無上の喜びとしていることが,過剰なほどに伝わってくる好著である。
三島由紀夫や安部公房との交流など興味深いエピソードばかりなのだが,小生がとくに好きなのは,角田柳作,アーサー・ウェイリー(Arthur Waley)といった師や先達への敬愛の念が伝わってくる部分である。若い日にこの2人を知ったことが,ドナルド・キーンの人生を決定づけた。
◆ ◆ ◆
Wikipediaでも書かれているように,ドナルド・キーンは1922年ニューヨーク生まれである。スポーツが苦手だったり,15歳のときに両親が離婚するという事件があったり,少年時代にはあまりいい思い出は無かったようである。唯一,9歳の時に父親のヨーロッパ出張について行ったことが楽しい思い出だったようである。学業は優秀で,飛び級を重ねて16歳の時にコロンビア大に入学した。
日本文化にハマるきっかけは,アーサー・ウェイリー訳の『源氏物語』を読んだことだった。ナチによるヨーロッパ侵攻の恐怖の中,キーンは『源氏物語』の世界に救いを見出していた。
コロンビア大4年生の時,キーンは角田柳作の「日本思想史」を受講する。しばらくはキーンだけが受講生だけだったり,キーンの日本語力では講義内容を完全には理解できなかったりという問題があったが,キーンは角田柳作のもとで熱心に学んだ。
1941年に太平洋戦争が勃発。海軍が日本語ができる士官を育成しようとしていると知り,キーンは海軍語学校に入学する。卒業後は語学将校としてアッツ島や沖縄などの作戦に参加した。
終戦後,キーンはコロンビア大に戻り,角田柳作の下で平安文学・仏教文学・元禄文学といった広い範囲の日本の古典文学を学んだ。本田利明を題材とした修士論文を書き,1947年に修士号を取得した。
1947年,日本文化研究をさらに深化させるべく,ハーヴァード大に転じた。このとき,角田柳作は「遍参(へんざん)」という言葉を用いてキーンの転学を快諾した。
キーンはハーヴァード大で,当時の伝説的な日本学者セルゲイ・エリセーエフの講義を受けた。しかし,文学の価値に触れず,表面的・書誌的な情報の伝授に終始する講義内容には大いに失望した。
エリセーエフが角田柳作を蔑む発言をしたこともあった。これに対し,キーンは
「角田先生は日本文学について,あなたの十倍もよく知っている」(120頁)
と言い返したかったという。
この時の経験から,キーンは終生,エリセーエフを反面教師とし,その反対のスタイルで講義を行うこととした。
1年にも満たないハーヴァードでの勉学の後,キーンは英国のケンブリッジ大に移る。
同大学在学中,キーンを日本文化に誘(いざな)うこととなった『源氏物語』の訳者であるアーサー・ウェイリーと交際を始めた。キーンのウェイリーに対する敬意は大変なもので,「『源氏物語』を信じられないような美しい英語に書き直した偉大な翻訳家」(134頁),「私の霊感の源泉」(同),「天才」(135頁)と讃えている。
このケンブリッジ大留学を終えた後,キーンはついに憧れの日本に留学し,日本文化,とくに日本文学との長い付き合いが始まるわけである。
◆ ◆ ◆
とまあ,キーンの修業時代(1940年代~1950年代)のことをだらだらと述べてきたわけだが,こうやって記述してみると,角田柳作とアーサー・ウェイリーとがキーンの人生を決定づけたことがわかる。
1960年代には,この二人の恩人との別れがやってくる。
ウェイリーは晩年(1961~62年頃),右腕の骨折で執筆ができなくなり,かつ伴侶を失うという不幸に見舞われ,キーンとの交際を絶ってしまった(232~234頁)。角田柳作は晩年,癌になり,最後を日本で迎えようとする旅の途上,ホノルルで逝去した(1964年,271頁)。これらの出来事に対してキーンは深い悲しみを吐露している。
角田柳作とアーサー・ウェイリーへの恩返しの一つともいうべきものが次のアンソロジーである。
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1955年に出版され,米大学の日本文学の講義では必ず使用される一冊となっている。これまでに50万部は出版されているという。
この本には『源氏物語』「夕顔」の巻,『枕草子』の一節,和歌,謡曲などのアーサー・ウェイリー訳が載っているほか,世阿弥の書のキーンと角田柳作の共訳書が掲載されている。このアンソロジーはキーンの恩人たちの,世に知られていない業績を広めるために一役買っている。
◆ ◆ ◆
アーサー・ウェイリー訳の『源氏物語』がさらに日本語に訳されて出版されている。小生は読んでいないが,興味ある人はご一読を。
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表紙は近藤ようこか?
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