【富士山と大山】北緯35度22分上の決戦【関ヶ原】
たまには学会にも顔を出してみるものである。
日本建築学会中国支部研究発表会というものに行ったのだが,小生の所属とは全く異なる分野で,面白い研究発表があったことを知った。
有限会社HAUS設計の川本博之という人が,「日本の歴史的重要建築物が霊峰や神社などを結ぶ直線状に位置していること」を発見し続けているのである。
例えば京都においては,相国寺(1382年創建)を中心に金閣寺(鹿苑寺舎利殿,1397年)と銀閣寺(慈照寺観音堂,1490年創建)が東西方向に一直線に並んでいること,さらに南北方向には上賀茂神社―相国寺法堂―建仁寺方丈―稲荷山三ノ峰という直線が存在していることを指摘している(川本博之「金閣寺舎利殿と銀閣寺観音殿の事実的背景」,日本建築学会中国支部研究報告集第34巻,757-760)。
近代でも,明治神宮と国会議事堂とが同緯度に位置すること,明治神宮,明治神宮聖徳記念外苑絵画館,旧赤阪離宮,江戸城富士見櫓が一線上に並ぶこと,旧赤坂離宮(迎賓館)と吹上御所を結ぶ線上には江戸城天守台があること,などを次々と指摘している(川本博之「明治神宮と国会議事堂の同緯度関係の事実的背景」,日本建築学会中国支部研究報告集第34巻,657-660)。
他にもいろいろあったが,詳細は省く。たぶん川本氏のホームページだと思われるものがあるので,紹介しておく:
富士山と大山の東西の西端の出雲を要とし飛鳥を国土中心とした 『大和朝廷の神々の日本設計図』
これらの指摘が建築史上においてどのような意義を持つのか,門外漢の小生には分からないが,川本氏が重視する「富士山と大山の同緯度関係」というのは面白い発見だと思った。
富士山頂の緯度は北緯35度21分38秒,大山(伯耆大山)の山頂の緯度は北緯35度22分16秒である。ほぼ同緯度とみなせそうである(とはいえ,緯度で38秒の差は1172mである。約1km,南北にずれていることになる)。
で,調子に乗って,北緯35度22分線上に重要な歴史的遺跡がないものかと探してみたところ・・・ありました。「関ヶ原古戦場」。
関ヶ原の戦いの「決戦場」(国史跡)の緯度は35度22分2秒である(参考)。
富士山と大山の2大霊峰と関ヶ原の関係やいかに? これを小生が霊的に解いてみることとする。
関ヶ原の戦いで戦った東軍・西軍の主力は徳川氏,毛利氏である。
徳川氏の領国は小田原の役前は東海5カ国,その後は関八州である。いずれにせよ霊峰富士を仰ぎ見る地域であり,徳川氏の霊的パワーの源泉は富士山にあると言える(笑)。
一方,毛利氏は中国地方10カ国を領有した(本当は九州の筑前・筑後も領有)。その領国伯耆には霊峰大山がある。毛利氏が厳島神社を篤く信仰していたことは知られているが,大山もまた毛利氏を霊的にバックアップする存在だった。
両霊峰のパワーを受けた徳川氏と毛利氏が近世日本の覇権をかけてぶつかり合うのは当然のことであり,その衝突が,富士山と大山を結ぶ北緯35度22分上の関ヶ原で起こるのもまた当然のことである・・・。
(実際には毛利両川体制を支える吉川・小早川両氏が徳川氏に抱き込まれ,また毛利秀元は合戦時に全く動かなかったため,徳川氏と毛利氏が激突したとは言い難い)
ということで,富士山と大山の2大霊峰と関ヶ原合戦の関係がこれで判明した(笑)。 QED.
◆ ◆ ◆
ちなみに関ヶ原合戦の謎に真面目に取り組みたい人はこの本を読むとよいと思う:
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コメント
私の研究とブログ(学界への愚痴)を紹介していただきありがとうございました。
私の研究は建築史上の最大の発見ですし日本史上の最大最重要の発見として実証的に提示しています、
(学界には見向きもされていませんが、)
富士山と大山に関して関ヶ原の戦いを感想的に書いておられ着眼力には敬服しますが、茶化して書かれているように感じました。少々残念です。
私は毛利家の城位置に関しても書いています。
私のブログは愚痴ですので同じ事を何度も書いています。嫌気を誘うブログですが全体を読んで見てください。
貴方を少し悪く書いています。お詫びしておきます。
歴史学の門外漢が本居宣長前後から現代歴史学までの歴史系学界を虚学と云っています。云えるのは推論でなく実在事実の提示だからです。
私は単に二回り年を喰っただけの非大学人です。前途有望な方のようですので、国費を糧の一部にする栄誉と責任を研究と教育に対して発揮して頂いて報いてください。
期待しております。 戒名:二十二日世生
投稿: 戒名:二十二日世生 | 2011.05.04 03:08