ソポクレス(福田恒存訳)『オイディプス王・アンティゴネ』読了
松岡正剛セレクト「天界物語八冊組」(松丸本舗ブックギフト・プロジェクト)の本を読み続けているというのは前の記事にも書いた。
↑セイゴオのサイン入り『オイディプス王・アンティゴネ』(再掲)
今回はソポクレス『オイディプス王・アンティゴネ』(福田恒存訳,新潮文庫)を読み終わったので,これらの作品についてあれこれ書いてみたい。
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まず,『オイディプス王』について書くことにするが,作者ソポクレスのこと,そして『オイディプス王』のあらすじ,また,このギリシャ悲劇をフロイトから引き離して読むべきだということ,等については松岡正剛の『千夜千冊・第六百五十七夜』(2002年11月12日)に詳しく書かれているので,本記事では触れないことにする。ただ,ソポクレスがアテナイの黄金期の人気作家であったこと,オイディプス王はテーバイの王で,意図せずに父殺しと母子相姦という悲劇に見舞われた,ということだけ述べておく。
ここで触れたいのは訳者・福田恒存の『オイディプス王』評である。巻末の解説で福田はこのように述べている:
筋があたかも推理小説風に展開し,次はどうなるかというサスペンスに,専ら読者の興味が集中する
そしてまた,このように付け加えている:
良質の戯曲は多少の例外を除いて優れた推理劇の要素をふんだんに持ち,良質の推理小説は殆どすべて優れた戯曲になり得る
小生が読んで思っていたことをずばりと言ってくれているのでありがたい。『オイディプス王』というのは2400年以上前に書かれた推理小説なのである。しかもその出来が素晴らしいので,現在まで生き残ったのだろう。
あと,神意を離れることができなかったオイディプス王の悲劇について福田は自分の著書を引いてこのように述べている:
『人間・この劇的なるもの』のうちで私はこう書いた。人間が心の底で本当に欲しているものは何か,それは自由ではない,必然の運命であると
オイディプス王の如き猛き者も運命には逆らえない,いわんや我々弱きものにおいてをや,というわけである。
◆ ◆ ◆
つぎに,『アンティゴネ』の話である。これは,オイディプス王とその母イオカステの間に生まれた兄弟姉妹の悲劇の話である。
<あらすじ>
エテオクレス,ポリュネイケス,アンティゴネ,イスメネの4人はオイディプス王とその母イオカステの間に生まれた兄弟姉妹である。イオカステの弟,すなわち4人には叔父にあたるクレオンが後見人となって面倒をみている。
オイディプス王が去った後,エテオクレスとポリュネイケスが一年交代でテーバイの王位に就くことになった。しかし,エテオクレスが王位を独占し,ポリュネイケスを追放した。ポリュネイケスはアルゴスの兵を率いてテーバイを攻略。その攻防戦の最中,エテオクレスとポリュネイケスは相討ちとなり共に戦死した。
アルゴス勢が引き揚げた後,テーバイの王位には叔父クレオンが就く。クレオンはエテオクレスを手厚く葬る一方で,祖国に弓を引いたポリュネイケスの遺体は城外に放置するよう命ずる。しかし,王女アンティゴネは命に逆らってポリュネイケスを埋葬しようとする・・・。
国の法(人間の法)に従ってポリュネイケスの遺体を放置するべきか,神の法に従って埋葬するべきか,という対立が生み出す悲劇を描いている作品である。だが,ここではそのことを離れて,福田恒存の訳について少し触れたい。
実は,『アンティゴネ』については今回の福田恒存訳の前に呉茂一訳で読んだことがある。
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呉茂一のは原典訳,福田恒存のはジェブ(Sir Richard Claverhouse Jebb)の英訳本からの重訳である。呉茂一訳は長らく名訳として知られているのだそうだが,現在から見ると文章が硬く,古さを感じさせる。これに対して福田訳は非常に読みやすい。
冒頭のアンティゴネのセリフを比較してみると,両訳の違いが分かるだろう:
<呉茂一訳>
アンティゴネー イスメーネー,大切<だいじ>な,血をわけた本当の妹の,あなたは,むろん知っているわね,お父さまオイディプスから伝わったいろんな災難,そのどんなのをまだ,生き残っている私たちに,ゼウスがおかけになっていないか。
何一つ,苦しいこと,破滅のたね,蔑みや辱しめで,あなたや私の身の上に現在見られないもの,一つもないのに。今も今,人の話では,この国じゅうに,王様が,つい今しがた,お布令<ふれ>をお出しだったというけど,いったい何のことなのかしら。あなたは何か聞き込んでいる。それとも,敵への禍が,親しい身内へまでかかるのを,あなたは知らずにいるんですの。
<福田恒存訳>
アンティゴネ イスメーネ,いとしい私の妹,あなたには分かっているのかしら,私たちがお父様のオイディプスのお蔭でどんなに苦しんでいるかが,そう,私たちが生きている限り,ゼウスが二人の上に下そうとしている罰が,あなたにはどこまで見えているのかしら? 今までもそう,悲惨と苦悩,恥辱と汚名,どれ一つとして私たちの知らないものはありはしなかった。
それに今も今,なんでもクレオンがこのテバイ全土にお触れを出したとか,それが,一体,何なのか,あなたには分かっていて? 何か聞いているでしょう? ああ,まだ何も知らないのね,愛する身内の誰かを敵として扱えという無法なことなのだもの,それを知るわけがない。
原典がそうなっているのだろうが,呉茂一訳のアンティゴネのセリフは思わせぶりな話し方である。これに対して福田恒存訳のアンティゴネはわりと直接的な話し方である。
気になったので,ジェブによる英訳"Tragedies of Sophocles. Translated into English prose by Sir Richard C. Jebb (1904)"を調べてみた:
ANTIGONE: Ismene, sister, mine own dear sister, knowest thou what ill there is, of all bequeathed by Oedipus, that Zeus fulfils not for us twain while we live? Nothing painful is there, nothing fraught with ruin, no shame, no dishonour, that I have not seen in thy woes and mine. And now what new edict is this of which they tell, that our Captain hath just published to all Thebes? Knowest thou aught? Hast thou heard ? Or is it hidden from thee that our friends are threatened with the doom of our foes?
・・・福田恒存はジェブを底本としたというけれど,呉茂一訳の方がジェブ訳に近いと思う。福田恒存訳はだいぶこなれたセリフになっている。福田恒存の劇作家としての本領が出たと言った方がいいかもしれない。
訳の正確さを求めるなら,おそらく呉茂一訳なのだが,文章の複雑さに惑わされずに劇の進展を楽しもうと思えば,福田恒存訳なのだろうと思う。じつは小生は呉茂一訳で読んでいたにもかかわらず,内容をかなり忘れていた,今回読んだ福田恒存訳では内容が生き生きと伝わってきた。
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