フォークナー『サンクチュアリ』読了 ( ̄Д ̄;;
松岡正剛セレクト「天界物語八冊組」(松丸本舗ブックギフト・プロジェクト)の本を読み続けているが(この間の『半分のぼった黄色い太陽』は脇に置いといて),今度はフォークナー『サンクチュアリ』(加島祥造訳・新潮文庫)を読み終わった。書評というか感想文を書こうと思ったのだが,これはちょっと取扱いに困る作品である ( ̄Д ̄;;
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あらすじおよびフォークナーについては松岡正剛が詳しく記述している(千夜千冊・第九百四十夜)ので,そちらを読んでもらう方が良いと思うのだが,訳者解説に記載されたあらすじが簡潔なので,それを引用しておく:
性的不能者のギャング(ポパイ)は17歳の女子学生(テンプル)をとうもろこしの穂軸で強姦し,素朴な人間(トミー)を野良犬であるかのように射殺し,テンプルをメンフィス市の売春宿に隠してから彼女を別の青年(レッド)と同衾させてその光景を見つつ興奮し,やがてレッドをも射ち殺し,その葬儀場では会葬者たちが酔って騒いで死体が棺から転がりでる。最後にポパイは自分の犯さぬ別の殺人容疑から死刑になるが,死刑の夜も,ともに祈ろうという牧師のすすめを無視して,ベッドに寝ころんで煙草をふかしている。また,トミー殺害とテンプル強姦の容疑をかぶった酒密売人(グッドウィン)は「町」の偏狭な道徳観,検事の策謀やテンプルの偽証によって有罪になり,さらに町の男たちによって夜中に留置場から引きだされ,私刑にあう――ガソリン缶を負わされ,生きたまま焼き殺されるのである。
このあらすじだけだとバイオレンス作品になってしまうが,この本筋に,無実の罪を着せられたグッドウィンとその「妻」ルービーを救おうと奮闘する弁護士ホレス・ベンボウが絡むことにより,全体として複雑な構成となっている。
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読了した今は,この作品を面白いと思ったのだが,初めは大変だった。この書評(「OK's Book Case」「Book Review 2001.3」)に書かれている感想と全く同じで,「人称代名詞が誰を指しているのか追えなくなってしまうことがたびたびあった」。
他にも読んでいて混乱したことがいくつもある。何十ページも前にグッドウィンのフルネーム「リー・グッドウィン」が出てきたことを忘れて,「リー」と「グッドウィン」とが別の人だと思ったり。ルービーがドアの内側に立っているシーンが度々あるのだが,そのドアの内側というのは部屋の中なのか外なのか良く分からなかったり。テンプルが差し込んだり滑らせたりしている「錠の鉄棒」というのが,要するに部屋のロックであることを後になって理解したり・・・。
また,訳者注についても「ちょっとこれは」と思うことがしばしばあった。例えば,「ハーバード大学」について(米国で最古の高級な大学)と記したり,「陪審員」について(米国では一般市民が陪審員になって有罪・無罪を決める)と説明したりしている訳者注には,米国のドラマや小説に触れる機会の多い現在となっては,「何をいまさら」と感じざるを得ない。むしろ,『サンクチュアリ』が書かれたのが禁酒法の時代であるということをどこかで述べる方が,新たな読者を得るためには必要だろうと思った。
物語の構成についても「?」と思わざるを得ない部分があった。最終章31章になって,ポパイの生い立ちとその終焉が一気にまとめて描かれるのだが,それだけで独立した小説のようになって,全体の流れから遊離しているように思われる。ただ,映画『砂の器』の終盤で,今西栄太郎(丹波哲郎)が捜査本部で和賀英良(加藤剛)の生い立ちから犯行に至るまでを過去の回想シーンとともに一気に語るという優れた演出を思い出すと,この31章の構成も「アリ」かもしれない。
本書の解説で訳者の加島祥造はこのようなことを言っている: 従来はポパイとテンプルを主軸とした読解(つまり不条理&バイオレンス主体の読解)が中心だったが,この作品は実はホレス・ベンボウの人道主義とルービーの生命力の筋によって作品の価値を保っていると。
小生もその意見には賛成であるが,最も力点を置くべきはホレス・ベンボウの行為だと思う。より詳しく言えば,冷え切った家庭に疲れた中年弁護士ホレスが,自分自身の再起を賭けて,不幸な夫婦の救済に全力を尽くし,そして敗れるという筋にこそ価値があると思う。
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ホレスがグッドウィンの弁護に全力を尽くす姿を見て思い出すのが,田中芳樹『銀河英雄伝説5 風雲篇』における自由惑星同盟国防委員長ウォルター・アイランズのこと。
アイランズは「妖怪」ヨブ・トリューニヒト議長の子分で,「伴食」という言葉がふさわしい三流政治家に過ぎなかったのだが,銀河帝国の進攻による自由惑星同盟滅亡の危機に際し,沈着冷静かつ熱意に満ちた指導者に変貌,同僚および軍部をリードし,同盟政府の自壊を防いだ。
平和な時代におけるアイランズの存在は,権力機構の薄よごれた底部にひそむ寄生虫でしかなかった。それが危機にのぞんたとき,彼の内部で死滅していたはずの民主主義政治家としての精神が,利権政治業者の灰の中から力強くはばたいて立ちあがったのである。そして彼の名は,半世紀の惰眠よりも半年間の覚醒によって後世に記憶されることになる。(『銀河英雄伝説5 風雲篇』(創元SF文庫),27ページ)
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ホレスはグッドウィンを救うことができず(ホレスはグッドウィンがガソリンの火によって生きたまま焼かれるのを目にする),失意のまま冷たい妻ベルの待つ家庭に戻る。だが,短期間だったにせよ,弱者を救おうと努力したその行為によって,救いようのないこの物語に一点の光をもたらすのである。
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