【Victoria AAR 中国編】中華雄立宇宙間
"Victoria Revolutions"を久々にプレーした。19世紀から20世紀にかけての世界を舞台とした、国家間競争がテーマのゲームである。
小生が選択したのは中国(大清帝国->中華帝国)。いきなりアヘン戦争(小生は第1次中英戦争と名付けている)という苦難に見舞われるが、あらかじめ大軍を準備しておいたので、その難局を乗り越え、史実のような半植民地化を防ぐことができた。
そのあとはイギリス・フランスを相手に戦い続け、領土を拡大した。その一方で、文明国になって以降は工業化を推し進め、史実よりも半世紀以上早く、「世界の工場」となり、勝利を収めたのであった。
以下は年表風に書いたゲームの推移。
大清帝国時代(清朝末期)
- 1840年3月27日~1858年1月8日 第1次中英戦争 大清帝国 vs イギリス & 藩王国 引き分け
- 1866年9月1日~1868年5月22日 第1次中仏戦争 大清帝国 & アンナンvs フランス 大清帝国勝利、ハーティエン・カンボジア・ドンナイ・ランチャンがアンナン領に
- 1867年8月3日 “文明国への仲間入り!” が発生
これ以降、軍事力を増強するのみならず、可能な限り工場を建設・増設し、鉄道を敷き、RGOを拡大し、生産力の向上に努めることとなった
- 1869年12月13日~1871年3月19日 第2次中英戦争 ロシア & 大清帝国 & パンジャーブ vs イギリス & 藩王国 大清帝国勝利 ディブルガール・葉城・シャンが大清領に
- 1875年9月21日~1881年6月13日 第2次中仏戦争 大清帝国 & アンナン vs フランス 大清帝国勝利、ルックタウン・オラン・リーブルヴィル・アルジャゼールが大清領に
- 1878年11月29日~1891年2月16日 第3次中英戦争 ロシア & 大清帝国 & パンジャーブ vs イギリス & 藩王国 大清帝国勝利、ジャイサルメル・オリッサ・バスタール・インドール各藩王国はイギリス支配下から脱し、宗主国を大清帝国に変更、ビカネール藩王国は大清帝国に併合。バートパーラ・カルカッタ・ パーニーパットが大清領に、セムラがパンジャーブ領に
- 1900年1月11日~1903年7月24日 第4次中英戦争 大清帝国 vs イギリス & 藩王国 大清帝国勝利、ラージシャーヒ・デリー・アグラ・ジャムシェドプル・カタックが大清領に
中華帝国時代(袁世凱による独裁体制)
- 1907年2月1日 上からの民主化。改革に伴う憲法改訂
- 1907年2月10日 孫文、袁世凱に地位を譲る
- 1908年12月1日 袁世凱ら保守派による新政権。“改革に伴う憲法改訂”が発生。国号を「中華帝国」に
- 1917年12月29日~1921年12月24日 第5次中英戦争 大清帝国 vs イギリス & 藩王国 中華帝国勝利 メワール・ベロダ・トラヴァンコール各藩王国はイギリス支配下から脱し、宗主国を中華帝国に変更。パトナー・マチリパトナム・ジャバルプール・パマ・イエンディ・アクラ・ラゴス・カチン・チン・シャン・シットウェ・カーンプル・バガルプール・ビハール・イシャカパトナムが大清領に
- 1924年5月5日~1925年6月20日 第6次中英戦争 大清帝国 vs イギリス & エジプト & 藩王国 中華帝国勝利 エジプトはギルドアブムハリク・アルカサイル・アスワン・ダンガルを中華帝国に割譲、イギリスはアラハバード・ヴァーラーナシー・ゴーラクプル・ネロールを中華帝国に割譲
- 1930年8月17日~1931年9月7日 第7次中英戦争 大清帝国 vs イギリス & エジプト & 藩王国 中華帝国勝利 エジプトはマトゥルー・オーラッドアライ・アクミーム・アルファイユームを中華帝国に割譲、イギリスはコラープル・マンガロール・ニアメー・スィンダー・キンタンポ・クマシ・マヒン・モネイト・アヴァ・マンダレイ・ペグー・セコンディ・ギャオン・マドラス・ナーシク・ショラープル・ベルゴームを中華帝国に割譲
最終結果
国威や軍事力はイギリスに及ばないが、工業力は世界一。わが中華帝国は世界一の国となった。
なお、本記事のタイトル「中華雄立宇宙間」は史実の中華帝国の国家である。
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