【愛欲・残虐・猾智こそ神の本質】木村純二『折口信夫―いきどほる心』を読む【生涯不婚の決意】
折口信夫(おりくち・しのぶ)は民俗学・国文学・国学に多大な業績を残した学者として、また、優れた詩人・歌人として知られる人物であるが、木村純二『折口信夫―いきどほる心』を読むと、こうした幅広い学芸活動を貫くのは「神の探求者」として立場であることがわかる。
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本書の説くところによれば、折口は神を、時として全てを破壊するような怒りを発する、人知を超えた非合理的な存在としてとらえている。善人を保護し、悪人を罰するような、道徳的な神は日本本来の神ではないということである。本書で引用されている折口の論文「万葉びとの生活」(1922年)にはこのような一節がある:
愛も欲も、猾智も残虐も、其後に働く大きな力の儘(まま)即(すなはち)「かむながら……」と言ふ一語に籠つて了ふのであつた。倭成す人※の行ひは、美醜善悪をのり越えて、優れたまことゝして、万葉人の心に印象せられた。
※大国主、神武天皇、崇神天皇らの尊称
つまり、「愛欲・残虐・猾智」という情念にかられた神々の行動は「かむながら」という言葉で修飾され、神々らしい行動として古代人に記憶されたというのである。
情念のままに生きる古代の神々、というのはまるで古代ギリシアの神々、あるいはこの間読んだ「カレワラ」の神々・英雄たちのようである。
なぜ、このように自由に情念のままに行動する神々を折口は探求するのか、ということについては、本書序章19ページに引用されている、折口の日記が答えになる。
「神の憎み」を抱く事が出来ない。だから、我々の感情はいつもをりを持つて居る。一挙にすべてを破壊する事の出来る怒りを、我々は欲する。(零時日記III、1922)
つまり、折口はある暗い情念(をり)を抱いており、それに苦しめられている。そして、怒りを発して全てを破壊し、暗い情念を払拭できる古代の神々にあこがれているのである。
では、その暗い情念とは何か?そのあたりを探っているのが本書の第4章である。
第4章では折口の家庭の問題、同性愛の問題が取り上げられている。家庭の問題というのは母の不義のことで、本書では折口は母の不義の罪を負って生涯不婚を通した可能性を指摘している。同性愛の問題はもともとは母の不義とは無関係だが、子を成さないという点で、生涯不婚の誓いを裏打ちすることになったのではないかとも指摘している。
母の不義、同性愛の問題というのは愛欲の問題である。折口にとってこれらの愛欲の問題は大きな負い目になったことだろうと考えられる。しかし、古代の神々はこれら愛欲の問題に関して自由であった。古代の神々を肯定することは折口の抱える愛欲の問題の肯定につながる。人生において負い目を感じ、社会に適合できずに生きていかざるを得なかった折口にとっては、上古の神々(とくにスサノオ)探求することが生きるよすがだったのだろう。
本書の述べることをまとめれば、このようになるだろう。
折口の学問的探求は単なる好奇心からではなく、自分自身の人生の裏づけを求めるために始まったものである。そして、「折口の思索は、まさに己れ自身が納得できる思想体系を、日本の思想伝統を素材に再構成しようという子試みだった」(本書、256ページ)と。
◆ ◆ ◆
折口の家庭の事情について補足。
折口家はもともとは商家であるが、祖父造酒ノ介(みきのすけ)の代から医者を兼ねるようになった。造酒ノ介の長女こうと結婚し、医業を継いだのが婿養子の秀太郎である。こうと秀太郎の間には6男1女がおり、折口信夫は4男であった。図1は公式の家系図である。
しかし、こうと秀太郎の子供たちの名前を見ると、あるところから命名法が変わっているのに気付く。上の3人の男子は一文字の名前であるのに対し、下の3人の男子は「○夫」である。何かあったと見てよい。
実は親夫・和夫は、こうの妹ゆうと秀太郎の間に生まれた双子なのである。このことは事実として知られている話である。
では、信夫はどうなのかというと、これも怪しい。木村純二『折口信夫―いきどほる心』では、ゆうと秀太郎の一件の前に、こうに不義があったらしいことを記している。信夫が秀太郎の子であるか、こうの不義の子であるかは不明である。しかし、名づけ方からすると、秀太郎が不義の子と見なしていた可能性がある。この可能性にもとづくと、家系図は図2のようになる。
信夫という名前は普通に読んだら「のぶお」になる。しかしながら、これを「しのぶ」と呼ぶあたり、折口信夫自身かこうか、誰かはわからないが、上の3人と同じく一文字の名前「忍」、すなわち秀太郎の子であって欲しいと思う気持ちがあったのかも知れない。
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