人生の長さについて:人生はわりと長い
セネカの『人生の短さについて』という本がある:
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一般に人生は短いという印象がある: 「短い一生に生まれついているうえ、われわれに与えられたこの短い期間でさえも速やかに急いで走り去ってしまう」(9ページ)
セネカはこれに反論して:
われわれは短い時間をもっているのではなく、実はその多くを消費しているのである。人生は十分に長く、その全体が有効に費やされるならば、最も偉大なことをも完成できるほど豊富に与えられている」(9~10ページ)
と述べる。
セネカが非難するのは時間の浪費のことである。一般の人は「財産を守ることはケチであっても、時間を投げ捨てる段になると、貪欲であることが唯一の美徳である場合なのに、たちまちにして最大の浪費家と変わる」(13~14ページ)。
じゃあ、どうすればよいのかというと、煩わしい他人の頼みごとや自分の欲望や金儲けのためではなく、真善美の追求のような崇高なことに人生を使えとセネカは言うのである。そうすれば、人生は十分に長いと。ストア派らしい意見である。
もっとも、セネカは政治という泥臭い世界に身をおいており、後に教え子の「暴君」ネロに反逆の疑いで死を命ぜられ、人生を全うできないのであるが。
◆ ◆ ◆
さて、本題。セネカもまた客観的には「人生は短い」という前提に立って、それを主観的に長くする方法について述べたのであるが、ロジャー・ペンローズの『心は量子で語れるか』を読むと、その前提が崩れる。
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第1章の初め、「人間スケールの不思議」という節で出てくる話だが、人間というのは意外に寿命が長いということが記されている。
人間の大きさ(1.8mとしよう)は、プランク長(1.62×10の-35乗m)と宇宙の半径(1.30×10の25乗m)の中間点より、やや宇宙の半径寄りに位置する。
人間の寿命(80年=2.52×10の9乗秒としよう)は、プランク時間(5.39×10の-44乗秒)と宇宙の年齢(4.32×10の17乗)の中間点より、かなり宇宙の年齢寄りに位置する。
これらを図にするとこうなる(クリックして拡大):
横軸が時間スケール、縦軸が空間スケールである。
なお、参考までに
- 素粒子: 時間スケール=不安定な素粒子の寿命、空間スケール=電子の古典半径
- 細胞: 時間スケール=味蕾細胞の寿命(10日)、空間スケール=大き目の人体細胞(25ミクロン)
- 地球: 時間スケール=地球の年齢、空間スケール=地球の直径
とした。
ペンローズはこのように言っている:
私たち人間は、存在のはかなさをしばしば口にする。しかし図1-4(上図と同じ趣旨の図が本文中にある)に示された人間の寿命を見ればわかるように、決して私たちがはないということはないのである。そう、私たちはおおよそ宇宙自身と同じくらいに長生きなのだ! <中略> 私たち人間は、宇宙においては非常に安定した構造体なのである(34ページ)
セネカとペンローズから示唆された結論:
人生はわりと長い。短いような気がするのは浪費しているから。
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