【YCAM】Political Mother【日本初公演】
日曜日、ツマとYCAM(山口情報芸術センター)に行って、ホフェッシュ・シェクターが創作したダンス"Political Mother"を観てきた。これは日本初公演なのだそうだ。
身体的で多義的なダンスの内容を言葉で説明するほど困難なことはないが、敢えて内容を書いてみるとこんな感じである:
- 鎧をまとったサムライの切腹で始まる
- 痙攣するかのように踊る二人の男性
- 重厚なギターとパーカッションのサウンド
- 軍服をまとったパーカッショニストたち
- 演題の上で演説をする指導者らしき人物
- 痙攣するかのように踊る人々
- 囚人服をまとった人々の群舞
- 抱き合い、絡み合う男女たち
- "Where there is pressure there is folkdance"のイルミネーション
- 甘く美しいメロディーにあわせて踊る人々
- 剣を振りかざして叫ぶサムライで幕を閉じる
"Political Mother"の"Political"について
軍服姿のパーカッショニストや演説する指導者の姿が"Political"という言葉を象徴しているかと思ったのだが、講演後のアフタートークでホフェッシュ・シェクター自身のコメントによると、Politicalというのは単に独裁政治のようなものを象徴しているのではなく、生活に溶け込んでいる制度、システムをも意味しているのだそうだ。それを表しているのが、"Where there is pressure there is folkdance"という言葉である。
踊りについて
特徴的な体の動かし方が3つあった。
- 痙攣のような激しい手足の振り方
- 阿波踊りのような手の動作
- 両手を上に挙げてややうつむいたまま立ち続ける姿勢
アフタートークによれば、阿波踊りのような手の動作は実はいくつもの民族の踊りに共通して見られる動きで、folkdanceを意味しているそうである。また、パンフレットによれば、両手を上に挙げたまま立っている姿勢は、「降伏」、「服従」を表しているとか。
謎なのは痙攣のような動き。システムに抑制された身体の抵抗を表しているのか、拒絶反応を表しているのか?ダンスと言うのは多義的なので、そうかもしれないし、また別の意味もあるかもしれない。
◆ ◆ ◆
で、講演後、ダンサーの一人、ブルーノ(Bruno Karim Guillore)にサインもらった。
After the performance of the "Political Mother", I got an autograph from one of the dancers, Bruno Karim Guillore:
"With all my heart, Bruno"
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