渡辺京二『黒船前夜 ロシア・アイヌ・日本の三国志』読了
渡辺京二『黒船前夜 ロシア・アイヌ・日本の三国志』(洋泉社、2010年)を読み終わった。
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<目次>
第1章 はんべんごろうの警告
第2章 シベリアの謝肉祭
第3章 日本を尋ねて
第4章 蝦夷大王の虚実
第5章 アイヌの天地
第6章 アイヌ叛き露使来る
第7章 幕府蝦夷地を直轄す
第8章 レザーノフの長崎来航
第9章 レザーノフの報復
第10章 ゴローヴニンの幽囚
エピローグ
あとがき
日本は16世紀後半から17世紀前半にかけて西洋と交流した。これをファースト・コンタクトとすれば、1771(明和8)年のベニョフスキー(はんべんごろう)の阿波来航から1813(文化8)年のゴローヴニン解放に至る30年余りの、ロシアが日本に接触を試みた一連の事件は、北方におけるセカンド・コンタクトと呼ぶことができる。豊富な資料を基に、日本だけでなくロシアおよびアイヌの立場からもこのセカンド・コンタクトを捕らえようとしたのが本書である。
小生、この時代の「北方史」には全く明るくなかった。司馬遼太郎の随筆やら北海道の民話やらを少し齧っただけなので、ロシアについてはその南下政策の脅威を、アイヌについては和人に収奪され塗炭の苦しみに喘ぐ人々をイメージしていた程度である。そんな小生に対し、著者は数々のエピソードを挙げて日本、特に松前藩の状況、シベリア経営の様子、アイヌ社会の実態を詳しく教えてくれた。
蒙を啓かれるというか、本書によって初めて知ったことを以下に羅列してみる:
極東ロシアの状況
東シベリアやカムチャツカなどの極東植民地は風紀が乱れ、アナーキーな状態を呈していた。悪徳官吏の横行はシベリアの名物だった。また「どこのシベリアの町においても性病を訴えている。それは酒乱とともにこの地方の人口問題について恐怖すべき不幸となっている」(パラス、本書46ページ)というような惨状を呈していた。極東は常に食糧難や経済的な困難に悩まされており、日本との交易によって社会経済的基盤を強化することを熱望していた。19世紀にはロシアの植民地はアラスカまで拡大しており(露米会社の設立)、対日交易の必要性はますます増加していた。
商人国家松前藩
松前家は他大名から嘲笑の意味も込めて「蝦夷大王」と称されていた。しかし実際には、松前藩は土地を有せず、アイヌとの交易によって生計を立てる、商人国家だった(銀英伝におけるフェザーン)。アイヌを支配することは考えていたなかった。
独立不羈のアイヌ
アイヌは和人に一方的に収奪されていたわけではなく、その居住地においては自らのルールに則って生活していた。和人はアイヌの領域においてはその慣行を尊重せざるを得なかった。アイヌのルールに違反した和人はツグナイと称してタカラをとられた。
不利な交易、漁場での過酷な雇用労働、という俗説
アイヌは不利な交易を押し付けられていたとか、漁場で過酷な労働を強いられたというのは客観的根拠に乏しい神話。漁場の開設がアイヌから感謝された例、アイヌからの懇請によって交易所が設置された例がある。
幕府の北方観
幕府の役人たちはアイヌの素朴な生活を美風とみなし、またアイヌを日本に同化すべき存在と考えた。また、松前藩がアイヌを教化しないのは、その方がアイヌを収奪しやすいからであると考え松前藩に不信感を抱いていた。また、幕府の上層部は蝦夷地への度重なるロシア人の到来に危機感を覚え、松前藩ではなく幕府が蝦夷地を直接支配するべきであると考え始めた。ナショナリズムのはじまりである。
と、まあ、当時のロシア、アイヌ、日本の状況について新たな知見を提供してくれるのが本書の特徴であるけれど、本書で一番大事な軸は日露貿易の実現如何?ということである。
ロシアは極東ならびにアラスカの植民地の経済的基盤を強化するために対日交易を望んでいた。しかし、日本の国是はあくまでも「鎖国」であり、ロシアとの直接交易は慮外のことであった。ありうるとすれば、蝦夷地を介した間接的な貿易の可能性ぐらいである。
ロシア人の来航が重なるにつれ、幕府官僚や民衆の間には日露交易の可能性が醸成されていった。ロシアは日本人漂流民を届けてくれるなど礼を尽くしている、そろそろ交易を許してはどうか、というわけである。本書によれば、1808(文化5)年には松前奉行の河尻・荒尾と老中たちとの間で極東ロシアと蝦夷地という辺土同士の交易の可能性が検討されていた(第9章 レザーノフの報復)。これは注目すべきことであるけれど、結局、ゴローヴニン送還時の「此後交易を乞うの念を絶つべきなり」という幕府からロシア側に宛てた諭旨文書により日露交易の可能性は潰えた(第10章 ゴローヴニンの幽囚)。
失われた可能性についてあれこれ考えても仕方がないが、まだ帝国主義に染まっていないこの時代に日露交易が成立していたら、日本史はかなり違ったものになっていただろう。日露関係はより密接なものになっていて、司馬遼太郎が言うところの「防衛戦争」としての日露戦争は無かったかもしれない。そもそも明治維新もなかったかもしれない。あれこれ考えさせられる話である。
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