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2010.06.24

【Mother】母性・父性ならぬ小母(おば)性・小父(おじ)性【八日目の蝉】

昨晩で"Mother"は終わり。

感動の最終回、と言いたいのだが、最後の親子再会のシーンは余分な気が・・・。

ドラマ全体の質を高めているのは、田中裕子(望月葉菜役)、松雪泰子(鈴原奈緒役)の抑えた語り口であり、玲南/継美役の芦田愛菜ちゃんの愛らしさである。うちのツマなんか継美ちゃんが語る度、滂沱の涙である。

あと、観てない人にはネタばれになるのだが、幼かった奈緒が放火の真犯人で、それが奈緒が葉菜の顔を覚えていない原因だったということが最終回でようやく判明した。

まあ、細かいことはさておき、「生月さん、医事監修お疲れ様」ということで(なんでそういうことを言うかというと、以前書いた「【八日目の蝉】子連れ逃亡劇【Mother】」の「2010年4月29日加筆分」をご参照のこと)。


 ◆   ◆   ◆


さて、ようやく本題。というかちゃんと深く考察していないのだが、ほぼ同時期に放映された"Mother"と「八日目の蝉」の比較から、さらに発展して「母性・父性ならぬ小母(おば)性・小父(おじ)性」ということを考えた。

"Mother"と「八日目の蝉」がディテールの違いはもちろんあるものの、「母性は女性を狂わせる」という点で一致しているということについてはすでに「【八日目の蝉】子連れ逃亡劇【Mother】」で述べた。

あと、そこで述べていなかったものの、後で気づいたのが、「同性の疑似親子の旅」ということである。

それに気づいたのは、最近、日本映画専門チャンネルで北野武の映画「菊次郎の夏」を観たときのこと。この映画では、家を飛び出た小学三年生の正男を心配してチンピラ中年、菊次郎(ビートたけし)が同行するわけである。これもまた「同性の疑似親子の旅」。

「同性の疑似親子」すなわち、疑似母・娘、疑似父・息子の組み合わせでなく、「異性の疑似親子」すなわち、疑似母・息子、疑似父・娘でドラマを作るとどうなるか。その場合には純粋な母性、父性の発露ではなく、疑似恋愛的な要素が絡み、観ていて気持ちのいいものにはならないだろう。

ドラマを成立させる上での「同性の疑似親子」の持つ重要性はそれだけではない。同性でないと共有し得ない価値観というものがあり、それを共有することによって血に頼らず絆を強くすることができる。"Mother"において奈緒が男性だったら、継美の「好きなものノート」の重要性を理解しえただろうか? 映画「菊次郎の夏」において正男が女の子だったら、菊次郎のくだらない悪戯などに一緒になって興じただろうか?

ここで思い出すのが(「旅」の要素が無いのだが)、ジャック・タチの「ぼくの伯父さん」。伯父さんは間抜けなことばかりやっているのだが、それを観る「ぼく」の目には伯父さんへの共感が含まれている。「ぼくの伯母さん」や「わたしの伯父さん」ではだめなのである。

血がつながっていないのに、母性や父性が発露する。そして、同性の子供と価値観を共有する。これを小生は小母(おば)性・小父(おじ)性と名づけてみた次第である。ひょっとしたらそういう研究がすでにあるかもしれんが。

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