【この日本語がすごい】吉野せいアンソロジー『土に書いた言葉』
去年であったか、週刊ブックレビューで紹介されていたのがこの本である:
吉野せいアンソロジー『土に書いた言葉』(未知谷)
吉野せいは1899年、つまり前々世紀に福島県の小名浜に生まれた女性である。教員をしつつ小説を書いていたのだが、農民詩人の三野混沌(本名:吉野義也)と出会ったことにより人生が変わった。
混沌との結婚以来、約半世紀、せいは開拓民としての生活にどっぷりつかっていた。混沌が農地解放運動にのめりこんで以降は、せいの負担は増加し、せいは文筆活動から離れざるを得なくなった。
しかし、1970年に夫が死去して後、草野心平からの励ましもあり、せいは文筆活動を再開する。1975年には『洟をたらした神』で第6回大宅壮一ノンフィクション賞、第15回田村俊子賞を受賞した。同年、大宅壮一賞の副賞としてヨーロッパ旅行に出るが、帰国後、体調を崩した。1977年、子宮癌により死去した。
この人の文章を読んで驚いた。こんな味わい深い文章、読んだことない!
例えば、作者が家族とともに水石山に登った時のあるシーン。
水石山の標高の岐点、三十センチ立方角の台石の上に私はたった。いわきを取り巻く山なみで一番高所のここに今ぽつりと小さい杭のように。霧がはれて淡い青空と白雲が組み合うように高い頭上にただようている。見上げて目に入るものがない。まさに私は今王者だ。無一文の清々しい貧乏王者だ。思わず胸を張ってくすりと笑ったら、息子がぱちりとやった。(「水石山」より。『土に書いた言葉』27ページ)
また、例えば、「信といえるなら」の冒頭部分と次のページの一文。
風が東北に廻って降り出すと三日の雨は続く。昔の人の誰からともなく言い伝えられた。(『土に書いた言葉』31ページ)
凛然と切りこんでくる北風と氷雨が、総毛立てて体を固くしてこらえるのが精一ぱいの日となった。(『土に書いた言葉』32ページ)
特に「昔の人の誰からともなく言い伝えられた」とか「北風と氷雨が、総毛立てて体を固くしてこらえるのが精一ぱいの日」とか、文法的にはおかしいと思われるものの、記述している内容が明確である文章は、他の人には書けない不思議な味わいを持っている。
例えば、「昔の人の誰からともなく言い伝えられた」を「誰が言ったのか知らないが、昔からそう言い伝えられている」と直すと、平凡だが、元の文の味わいが消えてしまう。
小説というのは内容だけでなく、語り口も重要な要素なのだということを再認識できるアンソロジーである。
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