« 2010年2月 | トップページ | 2010年4月 »

2010.03.31

【続報】ショック!、この世の終わり?!:陽子衝突による「ビッグバン」再現実験

一昨年の本ブログ記事「ショック!、この世の終わり?!:陽子衝突による「ビッグバン」再現実験の報道で自殺」(2008年9月11日)の続報ということになるだろうか?

7兆電子ボルトの陽子衝突成功、宇宙誕生の謎に迫る」(ロイター、2010年3月31日)

7兆電子ボルトと言うのはビッグバンから1兆分の1秒後の状態だそうだ。

次は、2013年までに14兆電子ボルトを目指すと言う話。

・・・まさか2012年12月21日のマヤ暦終了の時に何かやらかすんじゃなかろうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【科学史研究】アポロ計画の組織運営に関するメモ

「科学史研究」第49巻(2010年春号、日本科学史学会)が届いたので、ぱらぱらと読んでいるところ。

佐藤靖(政策研究大学院大学)「科学史入門:NASAとアポロ計画」(科学史研究、49巻(2010)、pp.22-25)がよくまとまっていて面白かった。以下は自分用メモ:

NASAの歴史

  • 1958年10月1日 設立
  • (1961年4月12日 ガガーリンによる世界初の有人宇宙飛行)
  • 1961年5月25日 ケネディ大統領、アポロ計画を発表
  • 1962年7月11日 「月軌道ランデヴー方式」を採用
  • (1963年11月22日 ケネディ大統領暗殺)
  • (1966年2月3日 ソ連の無人探査機、月面に軟着陸)
  • 1967年 アポロ宇宙船の火災事故により宇宙飛行士3名が死亡
  • 1968年12月24日 アポロ8号による世界初の有人月周回飛行
  • 1969年7月20日 アポロ11号、世界初の有人月面着陸
  • 1979年~1989年 ヴォイジャー計画
  • 1981年 スペースシャトル初飛行
  • 1990年 ハッブル宇宙望遠鏡
  • 1998年 国際宇宙ステーション建設開始

アポロ宇宙船とサターンV型ロケット

  • アポロ宇宙船
    • 重量50トン(燃料満載時)
    • 部品点数400万点
    • 電線総延長40マイル
    • 設計図面10万枚
  • サターンV型ロケット
    • 全長110メートル
    • 重量2700トン

アポロ計画を担った3大研究開発センター

  • テキサス州 有人宇宙船センター(後のジョンソン宇宙センター): アポロ宇宙船の開発
  • アラバマ州 マーシャル宇宙飛行センター: サターンV型ロケットの開発
  • フロリダ州 ケネディ宇宙センター: ロケット打ち上げ作業

有人宇宙船センターの技術開発の特徴

  • 航空分野と弾道ミサイル分野という2つの技術文化の衝突
  • 航空分野の文化
    • 人間中心主義(飛行士や管制官の視点を重視)
    • ボトムアップ(民主的合意形成)
    • 「私はシステムを信じていない。私は仕事をする能力があり意欲を持つ人たちを信じている」(ジョージ・ロウ副所長)
  • 弾道ミサイル分野の文化
    • システム主義(全体のシステム分析を重視)
    • トップダウン

マーシャル宇宙飛行センターの技術開発の特徴

  • ヴェルナー・フォン・ブラウン所長
  • 数千人の所員のコアの部分は、100名のドイツ出身の技術者
  • 「チーム内の信頼感と相互理解に基づく有機的な協力関係」
    • 「言葉では表現しきれない技術判断」
    • 「ハードウェア志向の実践的判断」
    • 「明示的な技術分析だけではロケット開発はうまくいかない」
  • 有機的組織運営の維持のための努力
    • 外部組織(民間企業)への外注->外注先企業との密接な連携
    • NASA本部への説明責任->専門の対応部署に一任

アポロ計画のインパクト

  • 技術的インパクト コンピュータ、新材料の開発成果が民生分野に波及
  • 政治的インパクト アメリカの優位性誇示
  • 文化的インパクト 地球の再発見

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010.03.30

【韓国軍哨戒船沈没】韓国三大紙の反応【一体何事?】

3月26日に韓国海軍の哨戒船「天安(チョンアン)」が沈没した。それから3日も経過した(もうすぐ4日目だ)ところだが、原因究明が進むどころか、むしろ謎が深まっているような有様だ。

韓国三大紙(東亜日報、中央日報、朝鮮日報)ではもちろん、この事件が最重要ニュースであり、紙面の多くが割かれている。

朝鮮日報では

  • 機雷接触
  • 魚雷攻撃
  • 艦内爆発

という3つの原因を想定した記事を掲載している:「哨戒艦沈没:考え得る三つのシナリオ」。

この記事によれば、艦内での爆発の可能性、例えば弾薬庫の爆発の可能性は低いとのことである。

魚雷攻撃の可能性に関しては、「天安」が沈没した水域は水深が浅く、一般的な潜水艦が魚雷攻撃のため行動していた可能性は低いとのこと。しかしながら、北朝鮮がかつて使用したことがあるユーゴ級潜水艇や、同国がイランに輸出した半潜水艇ならば可能性あり、という。

機雷に関しては、朝鮮戦争時のものや北朝鮮から流れてきたものなど、いろいろな可能性が考えられるということである。小生が読んだ限りでは、機雷接触の可能性が一番ありそうである。

東亜日報の社説「天安艦沈没 将兵の救助と原因究明、後続対策に万全を」の中では、朝鮮日報で取り上げられた機雷接触、魚雷攻撃、艦内爆発に加え、暗礁との衝突も専門家の意見として取り上げている。

しかし、艦内爆発説は安全システムがあるため、暗礁との衝突は韓国海軍が慣れた海域であるため、どちらも可能性が低いとしている。機雷接触については特に述べていない。魚雷攻撃については、北朝鮮の潜水艇や潜水艦が限界線から10キロ以上も韓国側海域に入りこんで攻撃を行うことは困難だとしつつも、レーダ探知を欺けば魚雷攻撃が可能だという意見を取り上げている。

そして、もし北朝鮮の攻撃ならば断固たる報復を、もし艦内爆発か暗礁との衝突が沈没の原因であれば海軍は責任をとれ、と東亜日報の社説は主張している。

中央日報の社説「海軍哨戒艦の沈没、詳細に説明すべき」では原因についてあれこれ詮索をしていないが、「最も知りたい点は北朝鮮の挑発かどうかだ」と、おそらくは日本人も同じように思っている点の説明を政府に求めている。

 ◆   ◆   ◆

【2010年4月2日追記】
哨戒艦沈没について、あらたに「金属疲労説」も出た:
【海軍哨戒艦沈没】「天安」沈没の原因は疲労破壊?」(中央日報、2010年4月1日)
しかし、そうすると、乗組員の「身体が浮き上がった」という証言を説明できないので、多分これは×。

なぜか中国経由で「機雷説有力」との情報が流れている:
韓国艦沈没:爆発は外部要因、「北」関与? 機雷説強まる」(サーチナ、2010年4月2日)

行方不明者の救助も難航、原因も不明という状況はまだまだ続いている。

 ◆   ◆   ◆

【2010年4月17日追記】
4月15日、ついに哨戒艦「天安」の艦尾が引き上げられたのだが、その破断面から推定すると、外部爆発の可能性が高くなってきたようだ。中央日報は「社説:残るは厳正な調査と断固たる対応だ」(中央日報、2010年4月16日)でこのように述べている:

部分的に見えた切断面から考えると、外部衝撃による爆発の可能性が高い。内部爆発や暗礁衝突では艦体の鉄板が外側に裂けたようにつぶれることは考えにくい。したがって魚雷の直撃やバブルジェット現象を起こす魚雷の水中爆発に事故の原因が圧縮される

(朝鮮戦争時代のものも含めて)機雷の可能性は?と思うのだが、韓国マスコミが推定する原因は魚雷攻撃に収束しつつある。そして、もしも魚雷攻撃だった場合には北朝鮮の仕業としか考えられず、北朝鮮に対して断固たる対応をするべきだ、というのが各有力紙の主張である。

 ◆   ◆   ◆

【2010年5月7日追記】
この事件、北朝鮮の仕業という結論になりつつある。
哨戒艦沈没:『北の偵察総局の仕業と確認』」(2010年5月7日、朝鮮日報)

記事によれば、哨戒艦「天安」の煙突で確認された火薬痕や、艦内で発見されたアルミニウムの破片が魚雷攻撃の可能性を示唆しているとのこと。

また、韓国の対スパイ機関は、北朝鮮の偵察総局の仕業であると結論付けたとのことである。

現在、将軍様が訪中中である。中国が南北両国に対してどのように対応するのか、というのが注目点である。上海万博中なので、無用なトラブルは避けたいはずであるし。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010.03.26

「ジャパネットたかた」の情報システムはCOBOLで構築されている件

FORTRANが依然として科学技術計算で利用されているように、COBOLもまだまだ元気なようだ:

「ジャパネットたかた」のCIOである星井龍也専務執行役員へのインタビュー記事:「COBOLこそスピード経営に必要」(IT pro、2010年3月23日)

もちろん、インターフェース部分はC#などで構築しているようだが、基本的なビジネスロジックはCOBOLのままでいくということ。

まあ、COBOLにせよ、FORTRANにせよ、過去に作られたプログラムは遺産としてそのまま生かしたほうが良い。大事なのはそういう遺産を活用できるようなグルー言語があることだと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010.03.23

【NHKスペシャル】「激震 マスメディア テレビ・新聞の未来」【見ました?】

NHKスペシャル「放送記念日特集 激震 マスメディア テレビ・新聞の未来」というのを見た。

インターネットの普及(長期的要因)、景気の後退(短期的要因)によりテレビ・新聞といったマスメディアがかつてない危機に直面している。マスメディアは今後、どう対応していくべきなのか、というのが、この番組のテーマ。

6人の「識者」がこのテーマに沿って討論していたのだが、予想通り、「かくあるべき」というような結論には至らなかった。以下は6人の発言を小生が適当にまとめたもの。内容が間違っていたらスマソ。敬称略。

  • 内山斉(日本新聞協会会長・読売新聞グループ本社代表取締役社長) 大臣記者会見などの情報が編集なしで流され、ネット上で議論が活発化するのは大いに結構。マスメディアとネットの融合がこれからの姿。
  • 広瀬道貞(日本民間放送連盟会長・テレビ朝日顧問) マスメディアには情報を全ての人に平等に伝えるという責務がある。また正しい情報を伝えること、さらにそれを担うプロの記者を育てるのはマスメディアにしかできないこと。
  • 川上量生(ドワンゴ会長) マスメディアに頼らない人は増大している。ネットとマスメディアは別の国であるという認識が必要。マスメディアに載った情報でも、ネット上に伝えられなければ、ネットのみを情報源とする人々にとっては存在しないことと同じ。
  • 佐々木俊尚(ジャーナリスト) マスメディアは民主主義の担い手のような顔をしているが、それは傲慢。報道にコストがかかるのは当然だが、既存のマスメディアでコストがかかっているのは報道のためではなく、組織の維持のためである。ネットで議論が行われているのは、17世紀イギリスのコーヒーハウスの再現であり、民主主義の本来の姿。
  • 遠藤薫(学習院大学教授) <テレビに慣れていないのか、混乱遊ばした様子。主張読みとれず>
  • 今井義典(NHK副会長) <NHKのコンテンツビジネスとかについて語っていたものの、印象薄し>

議論は終始、佐々木俊尚がリードしていたと思う。短い発言時間の中で事実に基づき、明快に主張していた。

佐々木俊尚の矛先は主としてテレ朝顧問の広瀬道貞に向けられていたのだが、広瀬道貞の発言は基本的に(佐々木俊尚の主張する如く)、新聞・テレビは民主社会の担い手であるという大前提に立ったものであり、マスメディアの高コスト体質や誤報道といった問題に十分にこたえるものとなっていなかったと思う。

川上量生の「ネットとマスメディアは別の国」という発言は重要であり、これを現マスメディアたる新聞・テレビが深刻に受け止めることができなかったら、新聞・テレビの凋落は必定。

内山斉はネットとマスメディアの融合をしきりに述べていたが、単にそれだけだとマスメディア側の衰亡はまぬかれないだろう。というのも、ネット利用者はネット上に無料で流れるヘッドラインと百字程度の記事だけで十分なのである(というか記事を詳しく読む暇が無い)。

じゃあ、新聞・テレビはどうすりゃいいの?ということになるが、小生の案としては「ネットとマスメディアは別の国」というのを逆手に取るのが一つの戦略になるのではないかと思う。つまり情報を全部はネット上に流さない、というのが大事なんじゃないかと。

小生、現在、毎日新聞をとっているのだが、せっかく記事の切り抜きをしたのに、同じ記事がネット上に流れていると、何のために切り抜きをしたのかむなしくなることがあるのである。情報の価値をわかっていないのはマスメディアの方なのではなかろうか?

新聞に限って言うと、読者は記事情報の価値に対価を払っているのである。新聞拡張員や新聞社の管理職のために対価を払っているんじゃないのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010.03.22

【この日本語がすごい】吉野せいアンソロジー『土に書いた言葉』

去年であったか、週刊ブックレビューで紹介されていたのがこの本である:
吉野せいアンソロジー『土に書いた言葉』(未知谷)

Wordswrittenontheearth

吉野せいは1899年、つまり前々世紀に福島県の小名浜に生まれた女性である。教員をしつつ小説を書いていたのだが、農民詩人の三野混沌(本名:吉野義也)と出会ったことにより人生が変わった。

混沌との結婚以来、約半世紀、せいは開拓民としての生活にどっぷりつかっていた。混沌が農地解放運動にのめりこんで以降は、せいの負担は増加し、せいは文筆活動から離れざるを得なくなった。

しかし、1970年に夫が死去して後、草野心平からの励ましもあり、せいは文筆活動を再開する。1975年には『洟をたらした神』で第6回大宅壮一ノンフィクション賞、第15回田村俊子賞を受賞した。同年、大宅壮一賞の副賞としてヨーロッパ旅行に出るが、帰国後、体調を崩した。1977年、子宮癌により死去した。

この人の文章を読んで驚いた。こんな味わい深い文章、読んだことない!

例えば、作者が家族とともに水石山に登った時のあるシーン。

水石山の標高の岐点、三十センチ立方角の台石の上に私はたった。いわきを取り巻く山なみで一番高所のここに今ぽつりと小さい杭のように。霧がはれて淡い青空と白雲が組み合うように高い頭上にただようている。見上げて目に入るものがない。まさに私は今王者だ。無一文の清々しい貧乏王者だ。思わず胸を張ってくすりと笑ったら、息子がぱちりとやった。(「水石山」より。『土に書いた言葉』27ページ)

また、例えば、「信といえるなら」の冒頭部分と次のページの一文。

風が東北に廻って降り出すと三日の雨は続く。昔の人の誰からともなく言い伝えられた。(『土に書いた言葉』31ページ)
凛然と切りこんでくる北風と氷雨が、総毛立てて体を固くしてこらえるのが精一ぱいの日となった。(『土に書いた言葉』32ページ)

特に「昔の人の誰からともなく言い伝えられた」とか「北風と氷雨が、総毛立てて体を固くしてこらえるのが精一ぱいの日」とか、文法的にはおかしいと思われるものの、記述している内容が明確である文章は、他の人には書けない不思議な味わいを持っている。

例えば、「昔の人の誰からともなく言い伝えられた」を「誰が言ったのか知らないが、昔からそう言い伝えられている」と直すと、平凡だが、元の文の味わいが消えてしまう。

小説というのは内容だけでなく、語り口も重要な要素なのだということを再認識できるアンソロジーである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010.03.18

【岸壁の母】二葉百合子さん引退【歌えます】

NHKでも報道されていたが、演歌歌手の二葉百合子さんが引退を宣言したとのこと。
『元気な今だからこそ』二葉百合子、夫に見守られ引退会見」(Yahoo! Japanニュース、3月17日)

78歳ということだが、非常にしっかりしておられる。

ちなみに、この人の代表曲「岸壁の母」を小生は歌える。なんでかというと、小学生のころ、はしかか何かにかかってしばらく家で寝起きしていたところ、ドラマ「岸壁の母」(1977年、主演:市原悦子)が放映されていて、毎日のようにオープニングの主題歌であるこの曲を聴いていたからである。

オープニングはこんな感じ。

舞鶴港の岸壁に復員船が到着。復員兵たちに対して声をかけ続ける1人の女性がいた。復員兵の中に息子がいるのではないかと微かな望みを抱き続ける母親、端野いせであった。
「端野新二、知りませんか、端野新二、知りませんか、端野・・・しんじーーーーッ」
母の叫びにかぶさるように流れる二葉百合子の歌。
JASRACに怒られるので、歌詞は書かない。

端野いせは、実在の人物。息子の生存を信じながらも再会を果たせぬまま、1981年に亡くなった。事実をもとにした名曲「岸壁の母」は人々の心を揺さぶり、トータルで360万枚売れたそうである。

小生も「戦争っていうのはいろいろな悲劇を生んだのだなぁ」と子供のころから今日のこのニュースを聞くまで思い続けていたのだが、なんと、端野新二氏は中国でまだご存命であるという。このWikipediaの記事を読んで驚いたことであるよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010.03.15

【ショーン・ペン】イントゥ・ザ・ワイルド【西京シネクラブ】

土曜日(3月13日)にツマとともに"イントゥ・ザ・ワイルド"(ショーン・ペン監督)という映画を観に行ったわけである。うちのツマはショーン・ペンのファンである。

主催は西京シネクラブ。会場は山口県教育会館。

Intothewild

ストーリーを思い切り要約すると

裕福な家庭に育った優等生のクリスが、大学卒業を機に一切を捨てて、アラスカを目指して放浪の旅に出る

という話。

これだけでは何のことかわからないと思うので、もう少し説明すると以下のようなあらすじだった。

クリスの家庭、マッカンドレス家は裕福なのは確かだが、両親は常に揉めていた。クリスは両親に対して心を閉ざし、さらに社会に対する不信を抱いて育った。クリスはソロージャック・ロンドントルストイを読みふけり、真理の追求を志す。

大学卒業とともに、クリスは貯金、カード類を全て処分し、アメリカ大陸放浪の旅に出る。ヒッピーのカップルと交流したり、トウモロコシ畑で働いたり、カヌーでメキシコまで行ったり、ヒッピーのカップルに再会したり、皮細工職人(元軍人)の老人の下で皮細工を学んだり、あれこれしながら、約2年後、アラスカの荒野に到達する。

アラスカの荒野で廃棄されたバス(Magic Bus)で過酷な生活を続けるうちに、クリスは彼なりの真理、"Happiness only real when shared"(幸福は分かち合われてのみ実現する)を見出し、社会へ戻ることを決意する。しかし、雪解け水による川の増水のため、クリスは帰路を失い、飢餓により死亡する。

トウモロコシ畑で働いているとき、クリスは雇い主に「頭でっかち」と評されたが、社会を嫌い、すぐ観念に走るのは頭の良い若者にありがちなこと。若いにもかかわらずやけに世の中になじみ、如才なくふるまうよりは良かろうと思う。

彼なりの真理に到達したにもかかわらず、飢えてワイルド・スイトピーなんぞ食べて死を迎えざるを得なかったのは大変残念なことであるが、2年に渡る放浪生活は平均的な人の数十年の人生に匹敵する価値があったのではないかと思う( 「朝に道を聞きては、夕べに死すとも可なり」(孔子))。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【人類の進歩と調和】「日本万国博」公式映画を観た

昨日(3月13日)の晩、ヒストリーチャンネルで「日本万国博」なる記録映画を観た。総監督は谷口千吉、ナレーションは石坂浩二と竹下典子である。

いわゆる大阪万博からもう40年になるのだそうだ。ちなみに小生は万博の年に生まれた。うちのオカン曰く、「あんたはお腹の中で万博を見たんやで」。

以前は「東京オリンピック」の公式映画をやはりヒストリーチャンネルで見たことがあるのだが、どちらも日本史に残る大イベントである。ただし、万博は、一般市民が参加できるというところがオリンピックと異なるところである。のべ6400万人もの人々が共有する思い出、というのはすごいと思う。

今、6400万人と述べたが、正確には6421万8770人だそうである。予想の2倍も人が入ったとか。迷子の数も凄く、記録映画のナレーションによると、大人の「迷子」は期間全体で13万人、子供の迷子は最大1日1000人を超えたという。ピーク時には83万人を超える入場者があったという。会場全体が熱気にあふれていた。

以下、いろいろとメモ的なものを書いてみる。

  • ゴミは一日あたりトラック90台分発生
  • 供給された牛肉は一日あたり180頭分
  • 中国は国交が無かったので不参加。台湾が「中華民国」として参加
  • トルコ・イラン・パキスタンはRCD連合という一つの組織(ようするにCENTO加盟国の連合)として参加
  • エチオピア皇帝ハイレ・セラシエ、中央アフリカ共和国で後に皇帝となるボカサなど、今は亡き独裁者たちが来場
  • ソ連はレーニン誕生100年、そしてアメリカへの対抗意識から気合の入った展示を行い、アメリカ館と人気を二分
  • 各館で案内を務めたお姉さん方(小生の母親世代なのだが)は、当時は「コンパニオン」ではなく「ホステス」と呼ばれた

映画全体を観て思ったのは、当時の人々の顔立ち。全体的に老けているなあという感じ。当時の20代って、今の30~40代に相当するのでは? しかし老け顔でありながら、目に輝きを、顔全体に熱気を感じた。昔の日本人はエネルギッシュに活動する一方で老い易く、一方現在の日本人は元気が無いのと引き換えに老い難いということだろうか?

追加情報:
公式記録映画・日本万国博≪40周年記念≫DVDが3月25日から発売されるそうである。詳しくはこのPDFを

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010.03.10

続・ヴィエンチャン食べある記:日本食レストランの「菊」

日本人がラオスで胃にやさしい食事を求めるとすると、やはり日本食だろうか。

他の人なら「キッチン東京」を選ぶところだろうが、小生の場合、仕事が終わるのがいつも午後9時で、その時間だと、あいている店が限られてしまう。で、結局、宿泊先のラオプラザホテル地下一階の日本食レストラン「菊」を選んでしまうわけである。

マスター・シェフは日本人のHongu(本宮?)氏。味はやや薄めだが、ちゃんとした日本食が出る。酒類を注文すると、お通しが出る。店内は非常にきれい。真ん中には日本酒の樽のディスプレイ(「白鶴」)がある。

Kiku01

だが、「菊」はいつも空いている。たぶん、値段が他よりも高いからだろう。天ざるそばセットが80,000kip(900円ぐらい)。

Kiku02

でもまあ、この国だから高く感じるのであって、日本国首都東京だったら同じぐらいするだろうと考え直してみる。日本食らしい日本食を食べられるのだから、いいじゃないか、とビア・ラオ(Beer Lao)で晩酌をしながらそばをすすった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010.03.08

続・ヴィエンチャン食べある記:Xayoh Coffee & Restaurant、プリンと西瓜シェーク

日本に戻ってきて2日目である。

小生も歳をとったらしく、日本食を上手く感じる。

すこしばかり時間に余裕も出てきたので、ラオスで飲み食いした記録を書き足してみることにする。今回はXayoh(サヨー)という喫茶店兼レストラン。Xayohというのはラオスの飲食店グループのようである。

店はラオスの国立博物館から見て角向い、中国が立てた文化会館から見て道路を経た隣に位置している。外観はこんな感じである:

Sayoh00

ある日、モニュメントブックスまで立ち読みに行き、その帰りに木陰を求めて立ち寄った。注文したのはプリン(25,000kip)とウォーターメロン・シェーク(8,000kip)である。プリンは結構巨大だった:

Sayoh01

ウォーターメロン・シェーク、すなわち西瓜シェークは小生のお気に入りの飲み物で、あちこちの店でこれを頼んだ:

Sayoh02

良く分からないが、ラオスでは西瓜がよく取れるようだ。ヴィエンチャン・タイムスによると、ラオス産の西瓜がベトナムで評判になっているとか。

甘い物ばかり飲食しながら、1時間ほどボーっと過ごしたものである。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2010.03.06

さよなら、ラオス

ようやくラオスでの仕事が終了した。

明日から帰路に着くわけであるが、
心配なのはスワンナプ-ム(スワンナプミ)空港での乗り継ぎ。
最近はタイ航空のバンコク―ヴィエンチャン便の運航がたるんでいて、
定刻に出発してくれない。
下手すると、乗り継ぎに失敗する可能性がある。

じゃあ、一本早い便でスワンナプ-ム空港に移動したらどうか、
という話もあるが、そうするとスワンナプ-ム空港で7時間待つことになる。

長時間待機か綱渡りか。二者択一なのである。

明日は日本人スタッフと昼食。
そして晩にワッタイ空港に移動する。

さよなら、ラオス。
さよなら、全然働いてくれない人々の国よ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年2月 | トップページ | 2010年4月 »