【Victoria Revolutions AAR】スウェーデンの歴史その4: The golden age
安定と充実の15年:黄金期の始まり(1910年10月~1926年2月)
政権:自由会衆党(~1911年11月)、アルマナ・バルマンズ組合(1911年11月~1916年8月)、自由会衆党(1916年8月~1921年5月)、ボンデ組合(1921年5月~1926年2月)、自由会衆党(1926年2月~)
1910年の終わりから1926年の初めまでの15年間余りを、スウェーデン国民は「安定と充実の15年」として記憶している。
長期にわたり我が国と対立していたロシアは日本との戦争に明け暮れ、軍事的にも経済的には我が国に遠く及ばない国となっていた。
イタリアはスイス併合の結果、ドイツと国境を接することとなり、ようやくその領土拡張政策が過ちであったことに気付いた。我が国の領土であるヴィテルボを奪おうとすれば、それはドイツの怒りを招き、イタリアに破滅的な結果をもたらすであろう。
外国からの脅威を受けずに済んでいる間、政府は海外植民地における第一次産業の発展、交通網の拡充に励んだ。新領土デンマークでは旧デンマーク軍兵士の除隊と工員への職種転換を進め、工業の発展を促した。
1920年8月20日現在のスウェーデンの状況
国威: 505
工業力: 1443
軍事力: 70 (常備軍32師団、予備34師団、艦隊27隻)
ランキング第7位(列強)
人口: 35,749,000
現有資金: 162,907
列強の順位
1位 イギリス
2位 ドイツ
3位 アメリカ
4位 日本
5位 イタリア
6位 フランス
7位 スウェーデン
8位 スペイン
この平和な時代、軍部ではある計画が立案されていた。ヴィテルボを足掛かりに中部イタリアに領土を広げようとする計画である。財政を脅かさない程度に常備軍・予備役兵の拡充、軍艦の建造が安定したペースで進められた。1925年9月、「国防演習」との名目で動員令が発令され、大量の兵士がヴィテルボに輸送された。
1925年7月8日現在のスウェーデンの状況
国威: 519
工業力: 1689
軍事力: 83
ランキング第7位(列強)
人口: 39,468,000
現有資金: 509,338

アフリカ、アラビア、インドのスウェーデン領(1925年7月8日)
イタリア分割戦争(1926年2月~1927年8月)
政権:自由会衆党
秩序を国是とする我が国では、軍部がクーデターを起こして、自分たちに都合が良い政権を樹立するようなことはない。逆にいえば、非戦主義を標榜する政党が政権に就いた場合、防衛予算が制限され、軍は自由に行動をとれなくなる。予備役兵をヴィテルボに待機させつつ、軍部は選挙結果に注目していた。
1926年2月1日、自由会衆党が選挙に勝利した。戦争継続に必要な予算が確保されたことを確認した軍部首脳は政府に戦争開始を進言した。
同月25日、ついに我が国はイタリアに対して宣戦を布告した。「安定と充実の15年」の間に強化された我が海軍はボニファシオ海峡とティレニア海とでイタリア海軍に対し勝利を収めた。これによって、イタリア海軍はナポリ港に閉じ込められることとなった。陸上では13月4日、我が軍がローマに侵攻、翌4月17日、ローマを陥落させた。 この後、我が軍はイタリア各地で快進撃を続ける:6月8日グロッセート、8月16日カリアリ、8月19日ルッカ、9月26日メッシナ、10月27日カタニア、11月19日パレルモ、12月20日ジェノヴァ、1927年1月21日マッサ、と各地をイタリアから解放した。
イタリアは敗北を認め、1927年8月2日、和平が成立した。我が国はフィレンツェ、リミニ、ルッカ、ラクイラ、アンコーナ、シエナ、リヴォルノ、ペルージア、グロッセートを得た。中部イタリア(トスカーナ、ウンブリア等)が我が国の領土となったことで、イタリアは南北に分断された。またそれだけでなくトスカーナやウンブリアの工業力を失ったことにより、国威を大いに下げることとなった。
1927年8月5日現在のスウェーデンの状況
国威: 553
工業力: 2132
軍事力: 84 (常備軍33師団、予備38師団、艦隊55隻)
ランキング第6位(列強)
人口: 50,656,000
現有資金: 500,469
列強の順位
1位 イギリス
2位 ドイツ
3位 アメリカ
4位 フランス
5位 日本
6位 スウェーデン
7位 イタリア
8位 オスマントルコ
The golden age(1927年8月~1935年12月)
政権:自由会衆党
1929年5月25日、我が国とドイツとの軍事同盟が失効した。だが、我が国はドイツの後ろ盾がなくてもイタリア、あるいはロシアと渡り合える国力を蓄えていたので、とくに問題は覚えなかった。しかし、念には念をということがあるので、ドイツとの友好関係を保つようにしていたところ、同年12月21日にはドイツから独立保証を獲得することができた。
中部イタリアを失ったイタリアが近いうちに復讐戦に打って出ることは確実だったので、我が国はイタリアと国境を接するプロビンスにおいて要塞建設を進め、デンマークやイタリア出身の正規兵を配備した。
1934年5月15日、イタリアが我が国に宣戦を布告した。と、同時にドイツは我が国の側に立ってイタリア領旧スイスに侵攻を開始した。
我が国の海軍は6月10日リグリア海で、6月17日ボニファシオ海峡で戦い、圧倒的な勝利を収めた。制海権を掌握したのち、我が軍は敵首都ローマへの上陸を敢行、1か月の戦闘の後、10月11日、ローマを陥落させた。我が国としてはこれ以上の領土拡張の意志はない。そこで、イタリアに対し、賠償金を条件とする和平を提案した。ドイツとの戦いに苦しむイタリアは、10月14日、我が国の寛大なる和平提案を受諾した。
ドイツとイタリアの戦いは1935年6月28日に終結した。イタリアはドイツにルツェルン、チューリヒを譲ることとなった。
1935年10月6日現在のスウェーデンの状況
国威: 603
工業力: 2702
軍事力: 156
ランキング第4位(列強)
人口: 57,180,000
現有資金: 390,118
列強の順位
1位 イギリス
2位 アメリカ
3位 ドイツ
4位 スウェーデン
5位 フランス
6位 日本
7位 イタリア
8位 スペイン
工場(1935年10月6日)
イェータランド
缶詰工場 5/5
製紙工場 5/5
小火器工場 5/5
爆薬工場 5/5
大砲工場 5/5
汽船建造所 10/10
高級服工場 5/5
家具工場 5/5
スヴェアランド
製鉄所 5/5
弾薬工場 5/5
小火器工場 5/5
セメント工場 5/5
高級家具工場 5/5
自動車工場 10/10
燃料精製所 5/5
トスカーナ
ガラス工場 5/5
機械部品工場 5/5
織物工場 5/5
衣料工場 5/5
汽船建造所 5/5
ウンブリア
ワイナリー 5/5
製鉄所 5/5
製材所 5/5
織物工場 5/5
機械部品工場 5/5
衣料品工場 5/5
ノルランド
製材所 5/5
製紙工場 5/5
家具工場 5/5
高級家具工場 2/5
シュラン・フェーン
弾薬工場 5/5
肥料工場 5/5
織物工場 5/5
蒸留酒製造所 5/5
アケルフス
製材所 10/10
高級家具工場 5/5
家具工場 5/5
ベルゲン
肥料工場 5/5
織物工場 5/5
ユトランド
缶詰工場 5/5
衣料品工場 5/5
フィンランド
汽船建造所 5/5
エピローグ
1935年12月31日。
ゲームは終了し、わがスウェーデンは世界で4番目の地位を占めることとなった。
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