臨時首都広島:「坂の上の雲 日清開戦」で思い出したこと
最近は毎週欠かさず「坂の上の雲」(司馬遼太郎原作)を見ている。近代日本の開花期を描いたドラマである。歴史に詳しい人にとっては突っ込みどころが多い(秋山真之はもっと小柄だったとか、まあ当時の平均身長を考えたら当たり前である)ようであるが、全体としてはよく作られていると思う(秋山好古はメッケルに欧米人と間違われるほど彫りの深い顔立ちだったというから、阿部ちゃんは適役である)。
今週日曜日の「坂の上の雲」では日清戦争が描かれていた。このドラマでは触れられていなかったが、日清戦争の間、広島は臨時首都であった。
清国に対する日本からの宣戦布告は1894(明治27)年8月1日に行われたが、戦闘はそれ以前から始まっている。同年7月25日の「豊島沖海戦・高陞号事件」と同月29日の「牙山の戦い」が日清戦争の実質的な始りだと言えるだろう。
宣戦布告からひと月半後の9月15日、戦争指揮のために明治天皇が広島に移り、それに伴い広島城内にに大本営が置かれる。また、10月18日にはこの地で臨時帝国議会が開催された。以下はその際の詔勅である(旧字体と新字体が混ざっているがご寛恕いただきたい):
詔勅朕惟フニ國家今日ノ急ハ軍旅ニ在リ
既ニ大纛(たいとう)ヲ進メ親ク其ノ事ヲ視ル
唯立法ノ要務早ヲ趁(お)ヒ議會ノ協賛ヲ
望ムモノアリ乃チ期ニ先チ帝國議
會ヲ召集スルノ必要ヲ認メ茲ニ来ル十
月十五日ヲ以テ臨時帝國議會ヲ廣嶋
ニ招集シ七日ヲ以テ会期ト為スヘキ
コトヲ命ス百僚臣庶其レ朕カ意ヲ体
セヨ御名御璽
明治二十七年九月二十二日於廣島大本営
内閣総理大臣伯爵 伊藤博文
逓信大臣伯爵 黒田清隆
海軍大臣伯爵 西郷従道
内務大臣伯爵 井上馨
陸軍大臣伯爵 大山巌
農商務大臣子爵 榎本武揚
外務大臣子爵 陸奥宗光
大蔵大臣 渡邉國武
司法大臣兼文部大臣 芳川顕正
(国立公文書館アジア歴史資料センター「御署名原本・明治二十七年・詔勅九月二十二日・臨時帝国議会召集」より)
実際には「御名」の部分には「睦仁」という明治天皇のご署名、「御璽」の部分には「天皇御璽」という印が押されている。言うまでもないが念のため。あと大纛(たいとう)というのは「天子の乗り物の左に立てる大きな旗」または「大本営」のことだそうだ。
日清戦争は翌1895年4月17日の下関条約締結を以って終結した。終戦に先立ち、同月1日に大本営は解散されていたが、明治天皇は4月27日まで広島に滞在していたと言う(Wikipedia(今現在)の記述では1896年のことと誤記されているが、それでは終戦後一年以上も大本営が続いたことになってしまう)。
政府・軍部の首脳が集まり、国会も開かれていた以上、1894年9月15日から1895年4月27日までの7ヶ月間、広島が実質的に首都であったことに異論はないだろう。
参考:
「首都の痕跡がある広島城趾」「清和ノート」(2005年11月02日)
「ひろしま通の集い…首都広島の遺跡~広島大本営跡 」「ひろしま通」(2008年8月31日)
「広島大本営」(Wikipedia)
「儀典と法律の総合ウェブページ 中野文庫」
「国立公文書館 アジア歴史資料センター」
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