夢中対面(ゆめであえたら)
先日早朝、夢を見た。
先年死んだ筈の飼い犬が居て、小生に「『新聞』と『お新聞』の違いは何? 『仕事』と『お仕事』の違いは何?」等と質問したのである。
死んだ筈の犬が居て、しかも人語を解するあたり、今振り返れば、夢ならではの不条理さを感じる。しかし、夢を見ている最中あるいは夢から覚めた直後は、犬の子供っぽい質問に微笑ましさを感じ、また、もはや会えない筈の犬に会えて懐かしさを覚えたことは紛れも無い事実である。
さて、その前夜、小生は吉田真樹著『再発見 日本の哲学 平田篤胤―霊魂のゆくえ』(講談社)の「夢中対面」の件(くだり)を読んでいた。
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平田篤胤は本居宣長の死後の弟子である。篤胤は宣長の著作を読むことを通じて宣長を敬慕していたものの、既に宣長はこの世には居なかった。ところが、篤胤は28歳のとき、夢の中で宣長に対面し、弟子入りを許された。これを「夢中対面」と言う。
「夢中対面」に関しては宣長の弟子たちから批判が寄せられたようである。『平田篤胤―霊魂のゆくえ』によると、弟子の一人、城戸千楯は「私の夢の中に本居宣長先生がお出でになり、平田篤胤氏を弟子にしたことをおっしゃるまでは、私は平田氏を先生の弟子とは思わない」と痛烈に批判している。近代合理性の視点から見れば千楯の批判は御もっともである。
しかし、篤胤にとっては夢は真実である。夢を信じる心は古代人の心性であり、篤胤はこの古代の心性を備えていた。近代合理性を備えた知識人である、宣長の弟子たちから見れば篤胤は時代錯誤的である。
しかし『平田篤胤―霊魂のゆくえ』は篤胤の「夢を信じる心性」をこのように擁護する:
それがいかに時代錯誤的に見えようとも、死者への思いを馳せたり、恋において狂おしいほど相手を思うということは、ごくありふれたことのようにも思える。<中略>(その)思いが叶えられる場所は夢であるほかない。夢はおのれの場所であるだけでなく、神・仏・思い人の場所でもある。だからこそ、夢を見る者・見させる者が相互に乗り入れ、両者が出会うことを可能にする「あやしき」辺境世界として夢はある。篤胤はそのような夢を信じた。篤胤は近世庶民と同じ、夢を信じる心性をもっていたのである。(同書55ページ)
夢と言うのは「睡眠時に脳が情報を保存するか否か取捨選択している際に知覚される現象」である、というのが有力な説のようである。近代合理性を備えたつもりの小生にとってはこの説は正しいものであると思われる。しかし、飼い犬との夢中対面を果たした小生としては、夢を信じる古代の心性を捨てがたくも思うのである。
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コメント
fukunanさんの夢はカラーですか?
私はカラー以外の夢を見た事がありません。
この記事を読んで、高校生の頃白黒の夢を見る友達がいるのを知ってかなり驚いた事を思い出しました。
脳は睡眠を摂っている時こそ活発に働いているそうです。
投稿: おじゃまします | 2009.11.14 22:09
夢がカラーか白黒か、ということは考えたことがありませんでした。色が問題になるような内容の夢を見ていないせいでしょうか?
ちなみ愛犬に遭った夢ですが、愛犬は黒犬だったので、やはりカラーだったかどうか印象が残っていません。
投稿: fukunan | 2009.11.20 13:38