「アズールとアスマール」を見た後、イブン・ジュバイルと旅をする
先週の日曜日(2009年7月26日)は山口のYCAMで「アズールとアスマール」(ミッシェル・オスロ監督)というアニメーションを見てきた。
<あらすじ> ヨーロッパ人(南フランスか?)領主の子で金髪碧眼のアズールは、アラビア人の乳母ジェナヌの子、アスマールと共に子守唄を聞きながら育てられた。あるときジェナヌとアスマールは領主から追放され、イスラム世界(多分モロッコ)へと逃げ延びる。アズールは成長し、子守唄に歌われている「ジンの妖精」と結婚するため、故郷を離れ、海を渡る・・・。
ストーリーはアラビアンナイト的なおとぎばなしで、それほど複雑なものではないのだが、映像が素晴らしい。鮮やかな色彩と装飾性に富んだ映像は、まるで細密画(ミニアチュール:参照「写真でイスラーム : ペルシアのミニアチュール」)のような美しさである。
華麗なるイスラム世界に魅せられた小生は、同じ日曜日(2009年7月26日)の毎日新聞朝刊で読んだ「イブン・ジュバイルの旅行記」の書評を思い出し、その本を買いに宮脇書店に走った。
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これは12世紀、スペインのヴァレンシア(当時はイスラム世界)で生まれ、グラナダの太守に仕えている書記、アブー・アルフサイン・ムハンマド・イブン・アフマド・イブン・ジュバイルの2年3ヶ月にわたるメッカ巡礼の旅の記録である。
小生が読んだのはイブン・ジュバイルはスペインのグラナダから地中海を経てエジプトに至り、ナイル川沿いを南下し、紅海を渡って、メッカに到達したところまで。
当時はイスラムの英雄サラディン(サッラーフ・アッディーン)と十字軍勢力がエルサレムを巡って闘いを繰り広げている時代である。しかし、そんな時代にもかかわらず、イブン・ジュバイルはキリスト教徒であるジェノバ人の船でアレクサンドリアまで移動している。宗教戦争がありながらも民間レベルではイスラム教徒とキリスト教徒が共存しているというのが興味深い。
イブン・ジュバイルの記述は公平であり、イスラム教徒であろうとキリスト教徒であろうと、行いの悪いところは批判し、良いところは褒めている。アレクサンドリアやカイロにおけるサラディンの善政、例えば外国人用の宿泊施設や病院に関して褒め称える一方、役人たちの旅行者に対する侮辱的な取扱に関しては口を極めて非難している。
イブン・ジュバイルはカイロではピラミッドを見物している。当時、ピラミッドは古代アラブの部族長とその子孫の墓であるという説や異説が唱えられていたが、イブン・ジュバイルは「総じてこの問題は、栄光ある偉大な神のほかにはわからないことなのである」と正直に謎であることを述べている。
この「イブン・ジュバイルの旅行記」を読むにあたり、小生は旅のイメージをつかむため、一工夫することにした。ノートの一行を一日として、イブン・ジュバイルの足跡をたどることにしたのである:
見えにくいかもしれないが、左からヒジュラ暦の日付、イブン・ジュバイルのその日の行動、世界で起きたこと、西暦の日付、というように記録をとっている。こうすると、イブン・ジュバイルと巡礼の旅に出ているようで楽しいわけである。
イブン・ジュバイルのクース(エジプトの都市名)滞在中に日本では木曽義仲による倶利伽羅峠の戦いがあった、つまり、サラディンの時代は日本では源平合戦の時代だったというのが小生にとっての発見である。
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