【衆院選】今だからこそ『テレビの罠―コイズミ現象を読みとく』を読む
香山リカ『テレビの罠―コイズミ現象を読みとく』(ちくま新書、2006年)
2005年9月11日の衆院選における小泉自民党圧勝という衝撃的な事件を分析した新書である。4年ぶりに衆院選が始まり、政権交代もありえるこの状況下、読むべき本としてお薦めしたい。
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この本の中で香山リカ氏が示しているのは、自民党の地すべり的大勝利は誰かが演出したものではないということである。香山氏の言うところをまとめると「テレビの罠」、大衆の「同一化幻想」、小泉自民党の「B層集中」戦術、そして「沈黙の螺旋」の4つが作用して地滑りがおきた、と解釈できる。
<テレビの罠>
まずマスメディアとしてのテレビの役割であるが、テレビは意図的に小泉首相を援護したわけではない。テレビ番組の司会者たちが自民圧勝に戸惑っている様子からもそれはわかる。テレビが意図せずに自民圧勝に貢献したメカニズムを香山リカ氏は「テレビの罠」と呼ぶ。
香山リカ氏が示した「テレビの罠」の構図はこうだ:
- テレビは昔から視聴者のものである
- テレビは視聴者の欲するものを報道する
- 視聴者の多くは大衆である(視聴者≒大衆)
- 大衆VS権力の構図がある場合、テレビによる政治報道は権力批判となり(大衆≒視聴者がそれを欲するから)、テレビは政治のバランサーとして機能する
- しかし大衆と権力が一体化する場合、テレビによる政治報道は権力側の魅力を伝え(大衆≒視聴者がそれを欲するから)、テレビは権力の補完装置として機能する
小泉政権以前は上記4にあるようにテレビは批判勢力、バランサーとして機能していたが、小泉政権以後は上記5にあるように、権力の補完装置となってしまった。
テレビが視聴者に対して果たしている役割、視聴者の欲するものを報道する役割は昔も今も変わりない。変わったのは大衆≒視聴者の方である。テレビ番組制作者たちは昔ながらの「大衆VS権力」の構図を想定して政治報道を行っていたつもりだったが、その構図はすでに崩れていた。結果としてテレビは政権党の片棒を担ぐことになってしまったのである。
テレビは「政治に関心を持ってほしい」という善意の気持ちで視聴者がより喜ぶような番組を作り、視聴者は「そうそう、刺客やくの一、小泉首相、それをもっと見せてくれ」と要求した。その繰り返しのうちに、いつの間にか小泉自民党だけがアピールされ、大量議席獲得という結果にたどり着いてしまったのだ。(香山リカ『テレビの罠―コイズミ現象を読みとく』81ページ)
<大衆の「同一化幻想」>
小生としては、大衆VS権力という構図が常に成立していたのかどうか疑問である。しかし、少なくともかつて消費税、政治腐敗に対する一般庶民からの批判によって自民党が選挙で敗北した事実などを振り返ってみると、いままでは大衆VS権力という構図が有効だったということはいえると思う。
しかし、小泉政権下ではこの構図は崩れていた。負け組、下流、ニート、と呼ばれる層が小泉自民党を熱烈に支持していたことからも明らかである。そのほかの若者、主婦など、いわゆる庶民や大衆と呼ばれる人々の多くが権力者たちを支持した。なぜ、大衆が権力者を支持したのか?
香山リカ氏はまず佐藤優氏の意見である「大衆のイメージ力」について触れる。それは「権力者が自分たちに何かしてくれるのではないか」(127ページ)というイメージ力である。弱者に広がる救世主待望論である。
しかし、香山リカ氏はより踏み込んで、「もっと原始的に『一票投じることで私もコイズミ気分』と、自分と対象を自他未分化なものと見なそうとする」(127ページ)幻想が、小泉自民党を支持した層にあったのではないかと見ている。
この見方によれば、なぜ弱者の味方にはとても見えないセレブ候補たちが熱烈に支持され当選したか、ということが理解できる。
また、そうした"セレブに一票投じて自分もセレブ気分"の裏返しとして、"勝ち馬に乗らなければ一生負け組"という焦燥感が有権者に巣くっていたのではないかと香山リカ氏は見ている。だからこそ小泉自民党の優勢が伝えるたびに正のフィードバックがかかって、加速的に小泉自民党の支持が伸びたというわけである。
このような大衆の「同一化幻想」を知っていたのかいないのか不明であるが、小泉自民党は大衆に訴えかける戦術を準備していた。それが「B層集中」戦術である。
<B層集中>
中村てつじ元衆議院議員のホームページに「郵政民営化・合意形成コミュニケーション戦略(案)」という竹中平蔵大臣とスリード社との間で交わされた極秘資料が掲載されていた。そこには「B層」に集中したプロモーション戦略が示されている。では「B層」とはどんな人々なのか?
B層: 小泉内閣支持基盤 主婦層&子供を中心/シルバー層 具体的なことはわからないが、小泉総理のキャラクターを支持する層。内閣閣僚を支持する層
従来の政治家は知識人やテレビ司会者の理解を得ようとする戦術を取っていたもののそれはあまりうまくいっていなかった。
小泉自民党は別の戦術を取った。「参議院で郵政民営化が否決されたのに対して衆議院を解散するのは筋違い」というような知識人や司会者の批判や軽蔑などは気にも留めず、テレビを通じてB層に愛想を振りまいたのである。これが結果として地すべり的勝利につながったと香山リカ氏は述べている。
<沈黙の螺旋>
「B層集中」戦術は地すべり的勝利に貢献しているが、さらに大衆の間で自発的に発生した「沈黙の螺旋」が地すべりを引き起こしたと香山リカ氏は見ている。
「沈黙の螺旋」と呼ばれる世論形成理論の骨子は次の通りである(119ページ):
- 人は自分の支持する意見を、社会で支配的な意見か否か、またそれが増大中の意見か否かを知覚する
- 自分の意見が社会で支配的であると感じている人は、それを声高に表明する
- 一方、そうでないと感じている人は、沈黙を保つようになる
- 雄弁は沈黙を生み、沈黙は雄弁を生む螺旋状の自己増殖プロセスの中で、一方の意見のみが公的場面で支配的となる
小泉自民党が意図的に世論を形成していたかどうかわからないが、選挙時に実際に起こった世論の形成プロセスは「沈黙の理論」を踏まえたかのようなものだった。
<読後感想>
香山リカ氏の分析結果がすべてではないと思うが、2005年9月衆院選の小泉自民党圧勝が簡潔にわかりやすく説明されていると思った。とくに「テレビの罠」、「大衆の同一化幻想」、「沈黙の螺旋」といった概念は今後の政治分析に役立つ道具であると思う。
今年の8月末に衆院選があるが、有権者は「同一化幻想」から覚めているか、テレビ報道は再び「テレビの罠」にかかっていないか、政党・テレビ・有権者たちは「沈黙の螺旋」的な世論形成過程に陥っていないか、などという点に注目すると結果が見えてくるのではないだろうか。
目次
- はじめに
- 小泉自民党が圧勝した夜/なんだか、大変なことに/「暴走だけはせんといて」/誰が圧勝を望んだのか
- 第一章 「軸」は混乱した
- 声をそろえる"右""左"/"小泉派"の女流作家までが/私自身の読み違え/小泉自民党が見せつけるイメージ/リベラル派の嘆き/メディアも「むなしさを覚えた」
- 第二章 考えられない出来事の数々
- 大義はもはや必要ない/「刺客」候補の人気/「くの一」はセレヴほどモテる/ホリエモン善戦す/都市部では堀江候補が"勝利"/"瞬間的真剣さ"こそ大切?
- 第三章 視聴率・テレビ・政治
- テレビを真面目に見るのは7%/小泉首相はテレビについて知っていた/マスコミの責任は大きい/突っ込まない記者団/バラエティーのジレンマ/乗っ取られた「サンプロ」/マスコミを動かすのは誰か/主体はどこにもない/視聴者を思う善意があだに/マスコミも視聴者もハッピー
- 第四章 "翼賛"化する日本
- 迎合したのは大衆のほう/ポピュリズムとは何か/テレビ好きは自民に/人気をどう票に結び付けたのか/狙われた「B層」/日本のポピュリズム―三つの特徴/「文化の小児病」の進行
- 第五章 三島由紀夫の予言
- ワーグナーを愛するふたりの宰相/翼賛選挙との共通点/おそるべき「沈黙の螺旋」/ヒトラー時代、リベラル層はマヒに/日本は「ファシズム前夜」?/ニートも支持した小泉政権/「不安」が生んだ自他未分化幻想/小泉政権が足りないものは「優しさ」/政治は見た目が九割五分/小泉はニヒリストなのか
- 第六章 新しい「大衆社会」の出現
- 自民党圧勝は"想定内"と言う人たち/映像から「命がけ」がわかるのか/かつての「弱者」が野党を見限った/三十代の論者は楽観的/矛盾する「軽さ」と「ロマン主義」/「普通」に見せれば支持される
- 第七章 ポストモダン社会の悪夢
- ポストモダンが実現した/ポストモダンは楽園ではなかった/リベラリストはなぜ沈黙するのか/人々を黙らせる「テレ権力」/「現実」か「虚構」かは取るに足りない/想像界のゲームが人を動かす
- おわりに
- 「堀江貴文氏、逮捕!」/「自虐的に反省するマスコミ」/テレビ的な、あまりにテレビ的な/西条八十を攻撃した大学人たち/対立の崩壊、教養の終焉/「テレビ」の罠/「小泉劇場」から「スピリチュアル占い師」へ
- あとがき
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