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2009.07.28

【さよなら】国際宇宙ステーション【2016年廃棄】

宇宙から帰れない状態が続く若田光一さん。ようやく帰還の目処がついたわけだが、その若田光一さんが滞在している国際宇宙ステーションISSが2016年に廃棄されることがわかった:
国際宇宙ステーションは2016年第1四半期に廃棄処分、米計画責任者」(インフォバーン)

というか2016年廃棄は予定通りだという。しかし、完成するのが2011年で廃棄が2016年というのはあまりにも短い気がする。1000億ドル、つまり10兆円も投じられたプロジェクトなのにねぇ。

しかしインフォバーンの関連記事を見ていると、CO2除去装置が壊れたり、汚水が漏れたり、とトラブルが絶えない様子。ダラダラと運営を続けて大事故につながるよりは、きっぱり捨てた方が良いのかもしれない。

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庭の芝生にキノコが

宇部では連日の大雨。そのせいで、庭の芝生にキノコが生えてきた(T_T)

庭の芝生にキノコが

昨日は久々に晴れたので、意を決してつみとり作業を行った。大収穫。

庭の芝生にキノコが

調べてみると、このキノコ、シバフタケというらしい。

食べられるらしいが、ツマに反対されたことはいうまでもない。

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2009.07.27

【衆院選】今だからこそ『テレビの罠―コイズミ現象を読みとく』を読む

香山リカ『テレビの罠―コイズミ現象を読みとく』(ちくま新書、2006年)

2005年9月11日の衆院選における小泉自民党圧勝という衝撃的な事件を分析した新書である。4年ぶりに衆院選が始まり、政権交代もありえるこの状況下、読むべき本としてお薦めしたい。

テレビの罠―コイズミ現象を読みとく (ちくま新書)テレビの罠―コイズミ現象を読みとく (ちくま新書)

筑摩書房 2006-03-07
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この本の中で香山リカ氏が示しているのは、自民党の地すべり的大勝利は誰かが演出したものではないということである。香山氏の言うところをまとめると「テレビの罠」、大衆の「同一化幻想」、小泉自民党の「B層集中」戦術、そして「沈黙の螺旋」の4つが作用して地滑りがおきた、と解釈できる。

<テレビの罠>
まずマスメディアとしてのテレビの役割であるが、テレビは意図的に小泉首相を援護したわけではない。テレビ番組の司会者たちが自民圧勝に戸惑っている様子からもそれはわかる。テレビが意図せずに自民圧勝に貢献したメカニズムを香山リカ氏は「テレビの罠」と呼ぶ。

香山リカ氏が示した「テレビの罠」の構図はこうだ:


  1. テレビは昔から視聴者のものである
  2. テレビは視聴者の欲するものを報道する
  3. 視聴者の多くは大衆である(視聴者≒大衆)
  4. 大衆VS権力の構図がある場合、テレビによる政治報道は権力批判となり(大衆≒視聴者がそれを欲するから)、テレビは政治のバランサーとして機能する
  5. しかし大衆と権力が一体化する場合、テレビによる政治報道は権力側の魅力を伝え(大衆≒視聴者がそれを欲するから)、テレビは権力の補完装置として機能する

小泉政権以前は上記4にあるようにテレビは批判勢力、バランサーとして機能していたが、小泉政権以後は上記5にあるように、権力の補完装置となってしまった。

テレビが視聴者に対して果たしている役割、視聴者の欲するものを報道する役割は昔も今も変わりない。変わったのは大衆≒視聴者の方である。テレビ番組制作者たちは昔ながらの「大衆VS権力」の構図を想定して政治報道を行っていたつもりだったが、その構図はすでに崩れていた。結果としてテレビは政権党の片棒を担ぐことになってしまったのである。

テレビは「政治に関心を持ってほしい」という善意の気持ちで視聴者がより喜ぶような番組を作り、視聴者は「そうそう、刺客やくの一、小泉首相、それをもっと見せてくれ」と要求した。その繰り返しのうちに、いつの間にか小泉自民党だけがアピールされ、大量議席獲得という結果にたどり着いてしまったのだ。(香山リカ『テレビの罠―コイズミ現象を読みとく』81ページ)

<大衆の「同一化幻想」>
小生としては、大衆VS権力という構図が常に成立していたのかどうか疑問である。しかし、少なくともかつて消費税、政治腐敗に対する一般庶民からの批判によって自民党が選挙で敗北した事実などを振り返ってみると、いままでは大衆VS権力という構図が有効だったということはいえると思う。

しかし、小泉政権下ではこの構図は崩れていた。負け組、下流、ニート、と呼ばれる層が小泉自民党を熱烈に支持していたことからも明らかである。そのほかの若者、主婦など、いわゆる庶民や大衆と呼ばれる人々の多くが権力者たちを支持した。なぜ、大衆が権力者を支持したのか?

香山リカ氏はまず佐藤優氏の意見である「大衆のイメージ力」について触れる。それは「権力者が自分たちに何かしてくれるのではないか」(127ページ)というイメージ力である。弱者に広がる救世主待望論である。

しかし、香山リカ氏はより踏み込んで、「もっと原始的に『一票投じることで私もコイズミ気分』と、自分と対象を自他未分化なものと見なそうとする」(127ページ)幻想が、小泉自民党を支持した層にあったのではないかと見ている。

この見方によれば、なぜ弱者の味方にはとても見えないセレブ候補たちが熱烈に支持され当選したか、ということが理解できる。

また、そうした"セレブに一票投じて自分もセレブ気分"の裏返しとして、"勝ち馬に乗らなければ一生負け組"という焦燥感が有権者に巣くっていたのではないかと香山リカ氏は見ている。だからこそ小泉自民党の優勢が伝えるたびに正のフィードバックがかかって、加速的に小泉自民党の支持が伸びたというわけである。

このような大衆の「同一化幻想」を知っていたのかいないのか不明であるが、小泉自民党は大衆に訴えかける戦術を準備していた。それが「B層集中」戦術である。

<B層集中>
中村てつじ元衆議院議員のホームページに「郵政民営化・合意形成コミュニケーション戦略(案)」という竹中平蔵大臣とスリード社との間で交わされた極秘資料が掲載されていた。そこには「B層」に集中したプロモーション戦略が示されている。では「B層」とはどんな人々なのか?

B層: 小泉内閣支持基盤 主婦層&子供を中心/シルバー層 具体的なことはわからないが、小泉総理のキャラクターを支持する層。内閣閣僚を支持する層

従来の政治家は知識人やテレビ司会者の理解を得ようとする戦術を取っていたもののそれはあまりうまくいっていなかった。

小泉自民党は別の戦術を取った。「参議院で郵政民営化が否決されたのに対して衆議院を解散するのは筋違い」というような知識人や司会者の批判や軽蔑などは気にも留めず、テレビを通じてB層に愛想を振りまいたのである。これが結果として地すべり的勝利につながったと香山リカ氏は述べている。

<沈黙の螺旋>
「B層集中」戦術は地すべり的勝利に貢献しているが、さらに大衆の間で自発的に発生した「沈黙の螺旋」が地すべりを引き起こしたと香山リカ氏は見ている。

「沈黙の螺旋」と呼ばれる世論形成理論の骨子は次の通りである(119ページ):

  1. 人は自分の支持する意見を、社会で支配的な意見か否か、またそれが増大中の意見か否かを知覚する
  2. 自分の意見が社会で支配的であると感じている人は、それを声高に表明する
  3. 一方、そうでないと感じている人は、沈黙を保つようになる
  4. 雄弁は沈黙を生み、沈黙は雄弁を生む螺旋状の自己増殖プロセスの中で、一方の意見のみが公的場面で支配的となる

小泉自民党が意図的に世論を形成していたかどうかわからないが、選挙時に実際に起こった世論の形成プロセスは「沈黙の理論」を踏まえたかのようなものだった。


<読後感想>
香山リカ氏の分析結果がすべてではないと思うが、2005年9月衆院選の小泉自民党圧勝が簡潔にわかりやすく説明されていると思った。とくに「テレビの罠」、「大衆の同一化幻想」、「沈黙の螺旋」といった概念は今後の政治分析に役立つ道具であると思う。

今年の8月末に衆院選があるが、有権者は「同一化幻想」から覚めているか、テレビ報道は再び「テレビの罠」にかかっていないか、政党・テレビ・有権者たちは「沈黙の螺旋」的な世論形成過程に陥っていないか、などという点に注目すると結果が見えてくるのではないだろうか。


目次


  • はじめに
    • 小泉自民党が圧勝した夜/なんだか、大変なことに/「暴走だけはせんといて」/誰が圧勝を望んだのか

  • 第一章 「軸」は混乱した
    • 声をそろえる"右""左"/"小泉派"の女流作家までが/私自身の読み違え/小泉自民党が見せつけるイメージ/リベラル派の嘆き/メディアも「むなしさを覚えた」

  • 第二章 考えられない出来事の数々
    • 大義はもはや必要ない/「刺客」候補の人気/「くの一」はセレヴほどモテる/ホリエモン善戦す/都市部では堀江候補が"勝利"/"瞬間的真剣さ"こそ大切?

  • 第三章 視聴率・テレビ・政治
    • テレビを真面目に見るのは7%/小泉首相はテレビについて知っていた/マスコミの責任は大きい/突っ込まない記者団/バラエティーのジレンマ/乗っ取られた「サンプロ」/マスコミを動かすのは誰か/主体はどこにもない/視聴者を思う善意があだに/マスコミも視聴者もハッピー

  • 第四章 "翼賛"化する日本
    • 迎合したのは大衆のほう/ポピュリズムとは何か/テレビ好きは自民に/人気をどう票に結び付けたのか/狙われた「B層」/日本のポピュリズム―三つの特徴/「文化の小児病」の進行

  • 第五章 三島由紀夫の予言
    • ワーグナーを愛するふたりの宰相/翼賛選挙との共通点/おそるべき「沈黙の螺旋」/ヒトラー時代、リベラル層はマヒに/日本は「ファシズム前夜」?/ニートも支持した小泉政権/「不安」が生んだ自他未分化幻想/小泉政権が足りないものは「優しさ」/政治は見た目が九割五分/小泉はニヒリストなのか

  • 第六章 新しい「大衆社会」の出現
    • 自民党圧勝は"想定内"と言う人たち/映像から「命がけ」がわかるのか/かつての「弱者」が野党を見限った/三十代の論者は楽観的/矛盾する「軽さ」と「ロマン主義」/「普通」に見せれば支持される

  • 第七章 ポストモダン社会の悪夢
    • ポストモダンが実現した/ポストモダンは楽園ではなかった/リベラリストはなぜ沈黙するのか/人々を黙らせる「テレ権力」/「現実」か「虚構」かは取るに足りない/想像界のゲームが人を動かす

  • おわりに
    • 「堀江貴文氏、逮捕!」/「自虐的に反省するマスコミ」/テレビ的な、あまりにテレビ的な/西条八十を攻撃した大学人たち/対立の崩壊、教養の終焉/「テレビ」の罠/「小泉劇場」から「スピリチュアル占い師」へ

  • あとがき

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2009.07.22

【日食】ブラインドの木漏れ日が

【日食】ブラインドの木漏れ日が
今日は日食の日。もちろん、宇部では皆既日食ではない。

ブラインドの木漏れ日でちゃんと日食が確認できたので写メを撮ってみた。

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2009.07.21

宇部は猛烈な雷雨に

世の中は衆議院解散、総選挙の話で盛り上がっている(盛り下がっている)が、小生の住む宇部は猛烈な雷雨に襲われ、それどころではない。

今朝方5時ぐらいからガラガラドッシャーンの雷雨に見舞われた。近所の鉄塔に落雷したかもしれない。8時だというのに真っ暗な中で朝食をとった。

宇部日報に取り上げられていたが、琴芝(ことしば)1丁目のあたりや沼(ぬま)交差点などは冠水したようである。

小生も通勤時に開(ひらき)というか山門(やまかど)というか、そのあたりの道路が、土砂崩れによって片側一車線が埋まっているのに出くわした。

気象庁によると:

宇部・山陽小野田 [継続]大雨,洪水警報 雷注意報  特記事項 土砂災害警戒  土砂災害 21日夕方まで  洪水 21日夜遅くまで  付加事項 はん濫 竜巻

ということで本当に土砂災害が発生しているわけである。

とりあえず、今日の帰り道は要警戒。

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2009.07.16

徳が無いのは武部勤氏なのでは?

政局談議は好きだが、ブログではあまり書かないことにしている。しかしながら、武部勤の麻生首相批判はいかがなものか?

「麻生首相が一番問われているのは徳がないということだ」(武部勤)

ホリエモンを「わが弟です」とか持ち上げ、タイゾーを「国民的な人気だ。期待しています」と評した人の言うことかね?

不信任案を否決しながら、首相批判を繰り広げる自民党議員たちの見苦しさに関しては植草先生も呆れ顔である。民主党に疑問が無いわけではない。しかし、政治ではbestではなくbetterを選択するしかないこと、逆に言えば、worseを選ばないようにするということを考えれば、現在の自民党、とくに「なんとかチルドレン」を応援することはありえない選択肢である。

運も政治家の能力の一つであるというが、麻生太郎氏は悪い時に首相になったものである。歴史にifは禁物であるが、お坊ちゃんでありながら、漫画好き、「株屋発言」に見られるような庶民感覚の持ち主でもある麻生氏は、別のタイミングで首相になれば、能力を発揮し、人気者首相となったことだろう。

麻生内閣の支持率は時事ドットコムによると、16.3%だというが、麻生氏個人の持分が50%で、「なんとかチルドレン」ほかの持分がマイナス33.7%で、足して16.3%というのが真相ではなかろうかと勝手に思っている。

「スパモニ」によると麻生氏は次の5か条を自らに課しているという:


  • 健康を維持する
  • 孤独に耐える
  • 他人の忠告に耳を傾ける
  • 感性を磨く
  • 陽気でいる

麻生氏に関して報道されている内容を見る限り、麻生氏はこれらのいずれをも欠かしていない。忠告に耳を傾けすぎて舵取りがふらついている点は否めないが。

武部勤なんぞに徳を云々されるまでも無く、立派な人物であると思うのだが、いかがなものだろう?

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2009.07.15

『海の帝国』第8章「アジアをどう考えるか」

さて、最終章。

ここではこれまでの章の総括と今後の展望が述べられている。今後の展望は「これからどこに行くのか」という一説にまとめられている。

著者はアジア(東南アジアだけでなく東アジアも含む)は今後どうなるのか、という問題を考えるために、つぎの三つの視点を提示している:


  • アメリカのヘゲモニー(覇権)
  • 地域秩序の統合能力
  • 中国の将来

まず、アメリカのヘゲモニーであるが、(1)アメリカがアジアにおけるヘゲモニーを放棄することは当分ない、(2)中国がアジアにおいてヘゲモニーを掌握することも当分ない、というのが著者の判断である。

つぎに、地域秩序の統合能力であるが、これはアジアを一つの単位とした地域秩序を構成できるかという問題である。結論としては、アジアという単位では地域秩序は無理、ということである。日本、韓国、タイのように「国民」が形成され、意識がまとまっている国家もあれば、華僑と現地人が別々の方向を向いているインドネシアやマレーシアのような国家もある。近代国家といっても性格がバラバラなので、アジアという単位では地域秩序の形成は難しい。

最後に中国の将来であるが、これは中国のヘゲモニーの話ではなく、中国が国家としてやっていけるかという問題である。現在、中国内外で華僑ネットワークが大繁盛している(経済的に繁栄している)。しかし、中国は伝統的に農本主義社会である。市場の反映は国家の基盤である農村を脅かす。都市と農村の対立という図式を中国が克服できるか?という問題がここにある。

このような三つの視点(というかサブテーマ)を示した後、著者は日本の目指す道について次のようなことを述べている:

――東南アジア各国が開発主義を掲げていた時代、日本はアメリカ非公式帝国の下でアジアのハブとしてプレーしていれば良かった。

しかし、開発主義の時代は終わり、一部の東南アジアの国では混乱が生じている。また、中国は国内に爆弾を抱えながらも次第に影響力を及ぼしつつある。

この状況下で日本が成すべきことは、「現にあるこのアジアの地域秩序のシステム的安定をはかり、かつその下で日本の行動の自由(多分アメリカからの自由ということだろう)を拡大していくこと」である。

日本は地域主義としてのアジア主義に未来を託すことはできない。近代国家成立の経緯、また近代国家としての性格があまりにも違いすぎるから。目指すべきは国際主義とアジア主義の調和、アジア地域秩序の安定である。

経済協力、技術協力などを通じて日本・アジア関係をゆっくり変えていき、長期的に日本の行動の自由がアジア各国の利益にもなるという仕組みを作っていくことを目指すべきである――。


さて、この章を読んで小生が思うことを述べる:

2000年の時点では、著者の意見は妥当だったと考えられる。では、9年後の今はどうか?

例えば、中国のヘゲモニー。中国の軍事力に関する年次報告書が示すように、確かに中国の軍事力増強は脅威である。Quadrennial Defense Review Report(2006年発行)には「中国は将来的には合衆国に軍事的に拮抗し、また長期的には合衆国の伝統的な軍事的優位性を相殺しうる破壊的な軍事技術を打ち立てる可能性がある」と記述されている。

ところで、ここに述べられた「将来」や「長期的」はどのくらいのスケールだろうか?小生は「あと50年でアメリカに拮抗、100年で優位に」と見ているのだがどうだろうか?そうだとしたら、著者の意見はまだ有効。

中国の対外的な影響力よりも重要だと思うのが中国国内の格差問題。著者の指摘はますます当たってきていると思う。格差問題に加えて民族問題も発生しており、中国のヘゲモニーが問題化するよりも前に、中国がずっこけるおそれがある。上海万博後が分水嶺か?

アジアに安定的な地域秩序をもたらすことができるか、という問題が難しいというのは今でも同じ。例えばASEAN各国が互いに争うという図式は無いと思うが、一部の国の中では混乱が広がっている。東南アジア各国では無理して近代化したツケが回ってきたような感じがする。優等生だったタイでは都市VS農村というどこかで見たような図式の対立が続いている。また、華僑ネットワークに経済の主導権を握られている国が多すぎる。

アジア主義に身を投じることは出来ないという著者の意見はそのとおりだと思う。ASEANを経済のパートナーとして迎えることは問題ないが、ミャンマーのような軍事独裁政権をメンバーの一員としているASEANと価値観を共有することはできない。日本の近代国家としての性格は、どちらかというとまだ欧米の方に近い。国際主義とアジア主義の調和を目指すべきだという著者の意見は現在でも生きていると思う。

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『海の帝国』第7章「上からの国民国家建設」

植民地支配体制が崩壊した後、東南アジア各国は次々に独立した。独立後の国家モデルとしてまず挙げられるのが社会主義モデルであり、ビルマ、ベトナムはこれを選んだ。アメリカ非公式帝国の藩屏たるタイ、インドネシア、フィリピンは「豊かな社会」を目指し、「上からの国民国家」建設を試みた。

<タイ: 「権力集中」から「権力共有」、「権力共有」から「権力拡大」>
植民地ではなく独立国だったタイは、まず19世紀に絶対王政による近代国家建設を行い、人々に、タイ系、中国系などの出自にかかわらない「タイ人」という国民意識を植えつけた。

1930年代には平民出身の官僚・軍人によるクーデターによって、王族による権力集中状態から王族、エリート官僚、軍人による権力共有が図られた。エリート層主導による経済開発が進展すると、実業家、財閥などのビジネスエリートも権力を共有するようになった。

さらに経済が発展するに従い、中産階級が成長し、民主化を求めるようになった。中産階級にも政治権力が行き渡るようになることを本書では「権力の拡大」と言っている。何度かのクーデターを経て、タイの政治権力は全国民に拡大した。権力集中との対比を考えると、権力が拡散したといった方が良いかもしれない。

<インドネシア: スハルトへの「権力集中」から地方への「権力分散」>
1960年代後半、左派軍人によるクーデター、その反動としての共産党員虐殺(50万人?)などの政治的混乱の中、親共路線のスカルノ大統領は失脚し、国軍主流派のスハルトが政権を掌握した。

スハルト軍事独裁政権は安定と開発を柱とする政治を行った。これは国民の支持を受け、長期安定していた。しかし、軍事独裁政権はやがて腐敗、国家はスハルト一族によって私物化された。

1997年のアジア通貨危機はインドネシア国民の生活に打撃を与えた。事態を打開できないスハルト政権に対し不満が噴出し、1998年、反政府デモが全土に波及。スハルトは失脚した。

その後、インドネシアの指導者たちは、スハルトへの権力集中を問題視し、地方分権を拡大、権力分散を図るようになった。

<フィリピン: 根強い権力分散システム>
フィリピンには権力集中のシステムがそもそも存在しなかった。フィリピンでは中国人商人の活動に圧迫されて、商人から高利貸しや地主に転じたメスティーソ(中国人と現地人の混血)たちが、やがて地方ボスとなり、議員としてマニラの議会に乗り込み、利権を分け合った。フィリピンでは議会という権力分散のシステムが機能した。

これに対して権力集中を図ったのがマルコスであるが、マルコスは国民国家を建設せず、自らの王朝を築いてしまった。これに対して地方ボス、キリスト教勢力、軍人、マニラの中産階級の連合による民主革命が起こり、王朝は崩壊、再び地方ボスが権力を分け合う体制が復活して現在に至る。


ということで、各人各様の国家建設が行われたが、要約すると、タイでは順調に権力が民衆に拡大、インドネシアでは権力集中の反省から地方への権力分散へ、フィリピンでは昔も今も地方ボスたちによる権力分散、ということになる。

2000年時点での結論だが、タイ以外は現在でもあまり変わっていないような気がする。タイでは旧エリート層(旧支配層)+バンコク中産階級VS新興財閥+タイ農村部という新たな対立の構図が生まれたように感じる。

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2009.07.14

『海の帝国』第6章「新しい帝国秩序」

日本による東南アジア侵攻によって、植民地支配体制は崩壊した。イギリスによる非公式帝国の後に築かれたものは・・・。

アメリカによる非公式帝国だった。第2次世界大戦前後の東南アジア秩序は次の図のように変わった:

Photo

アメリカによる非公式帝国は、旧帝国とは異なり、植民地を支配して収益を上げることを目的とはしていない。共産主義の脅威に対して、東南アジア諸国をアメリカの藩屏とすることが目的である。

旧帝国は植民地において「文明化」を進めたが、新帝国は新独立国において「アメリカ化(小生の用語だとアメリ化)」を推進した。東南アジア諸国においてアメリカのライフスタイル「豊かな社会」をモデルとした経済開発を行うことによって、共産主義化を防ごうとしたのである。そしてこの一大事業のためのアジアのハブ、アジアにおけるアメリカの代理(No.2)として日本が東南アジア諸国のちのASEANに対する支援を行うことになった。

この本が書かれたのは2000年で、1997年のアジア通貨危機の後である。東南アジア各国の経済が危機に瀕し、「豊かな社会」のモデルが崩れ始めた。さて、新しい社会モデルの提示、国際秩序の構築ができるだろうか?という課題を著者は示して本章を閉じている。

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2009.07.11

『海の帝国』第5章「文明化の論理」

さて、第5章。この章は「インドネシアの近代における『わたし』、カルティニのikとスワルディのsaya」(東南アジア研究34巻第1号、1996年)に加筆修正したものだという。

本章では、西欧によって、東インドというか東南アジアの住民の間に近代的自我意識が植え付けられたプロセスが語られている。

この地域の支配層である白人にとって、現地人たちは何を考えているのかわからない不気味な存在である。それならわかるようにしよう、ということで始まったのが「文明化」、ようするに西欧文明の強制である。

本章ではジャワ人の上流階級に属する、カルティニという若い女性が取り上げられている。彼女はオランダ語教育を受け、西欧的なものの考え方を身につけ、自己の中に「わたし」という自我意識を醸成した。

この自我意識の登場は画期的なものである。なぜかというと、内省したり想像したりすることが可能になり、さらに他人に伝えることが出来るようになったからである。

西欧化以前に内省や想像がなかったかというと、そうではないと思うが、明文化することができるようになったのは19世紀の西欧化によってだろうと思われる。

オランダ語教育を通して、多くのジャワ人は単に現状を追認するのではなく、あるべき理想像を求めるようになる。それが、インドネシア人意識、インドネシア国家意識を醸成し、後のインドネシア独立の基盤となる。

この章で19世紀の話は終わりを告げ、次は風雲急を告げる20世紀に移る。

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2009.07.10

『海の帝国』第4章「複合社会の形成」

「○○人」という民族意識が生まれたのは近代国家=リヴァイアサンのせいであるというのがこの章の内容である。

この章では、ラッフルズの書記として働いていたアブドゥッラー・ビン・アブドゥル・カディール(1794年マラッカ生まれ。1854年メッカ巡礼途中、客死)という人物が紹介される。

この人の曽祖父はイエメン出身のアラブ人でインドで結婚し、その子(祖父)はインドを出てマラッカで結婚した。そしてその子(父)がマラッカでインド人の娘(母)と結婚してアブドゥッラーが生まれたわけである。アブドゥッラーはタミル語とマレー語、そしてコーランに通じ、アラビア文字でマレー語を書くこと(代書)ができた。当時としては知識階級に属する。

本書ではこの人物に欠けているのは国家や民族の概念であるという。アブドゥッラーにとって重要なのは出自のような社会関係であって、自分が何人であるとか、何国に住んでいるかということは重要ではなかった。しかし、その後、この地域において近代国家が整備されていくとともに状況は急変した。アブドゥッラーの3人の息子たちは「マレー人」として生きていった。

「○○人」というのは、近代国家が住民・土地台帳をまとめたり、統計を取ったりするために恣意的に作った分類である。しかし、いったん成立するとそれが思考の枠組みとなり、分類された人々の間に「○○人」意識が芽生える。本書では、オランダ人男性と現地女性との間に生まれ、オランダ語ができないにもかかわらず「オランダ人」に分類されたメスティーソの女性が子供たちにはオランダ語教育を受けさせ、本国のオランダ人に同化していくという例を挙げている。

西洋から持ち込まれた近代国家は、19から20世紀にかけて、この地域の住民に民族意識を植え付けた。そしてそれがこの地域の現在の国家や民族に関する考え方の基盤となっていったのである。

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『海の帝国』第3章「よちよち歩きのリヴァイアサン」

リヴァイアサンというのは近代国家のことである。リンク先のWikipediaの記事にあるように、ホッブズ以来、政治学の世界では国家の意味としてこの用語が使われるようになった。

「国家」という概念を定義するのは難しいが、本書では東南アジア各国の指導者が国家を乗り物に例えた事例を示している。ビルマ初代首相のウ・ヌーは英国から継承したビルマ国家を乗り物に例え、シンガポールの元外相ラジャラットナムはシンガポール国家を超音速のジェット戦闘機に例えた(小生もよくよく考えてみたが、日本だって「日本丸」という船に例えられることがある)。

こういう「乗り物」全般を一括して定義するとすれば、「足によらない移動手段」という抽象的な定義しかできない。「国家」も同じくらい抽象的に「支配の機構、装置」と定義してかまわないだろう、と本書では述べられている。

この「支配の機構、装置」は明らかに、それまでのマンダラシステムとは異質なものである。マンダラは王と王の主従関係、住民の親族関係、社会関係を存立基盤としていたのに対し、国家は法律、地図、住民・土地台帳などの統治技術を存立基盤としている。マンダラから国家への移行は連続したものではなく、国家は西洋によって、この地域にもたらされたものだと本書では述べられている。

1826年にシンガポール、マラッカ、ペナンで構成される「海峡植民地」が編成され、イギリス東インド会社による(非公式)海上帝国が運営されるようになると、その周辺のオランダ領東インドやスペイン領フィリピンも、これに対抗して新たな政治経済体制を構築し始めた。おぼつかない足取りだが、近代国家の歩みの始まりである。

本書で取り上げられている三つの植民地の現在の姿は次の通りである:


  • 海峡植民地: シンガポール、マレーシア
  • オランダ(領)東インド: インドネシア
  • フィリピン: そのままフィリピン

<海峡植民地>
海峡植民地国家は自由貿易が国是なので関税収入はほとんどない。そこで、国家の運転資金を中国人の経済活動から得た。すなわち、植民地政府がアヘンの独占販売権の入札を実施、これを落札した中国人が胡椒・ガンビル農園やスズ鉱山の中国人労働者に販売して利益を得る、という枠組みによって資金を得ていた。

<オランダ東インド>
オランダ東インド国家の場合、自由貿易ではイギリスに抗しきれないので、保護貿易主義に走った。ジャワ島において現地の農民に砂糖・インディゴ・タバコを強制栽培させ、ヨーロッパで販売し、収入を得た。このシステムを上手く運用するため、ごく少数のオランダ人指導層とジャワ人貴族出身の官僚による行政機構を構築した。

その一方で、海峡植民地の真似をしてアヘン請負販売制度を導入し、中国人がジャワ島農民にアヘンを販売した収益からも国家の運転資金を得た。

<フィリピン>
海峡植民地国家は胡椒・ガンビル農園・スズ鉱山の中国人労働者から収奪し、オランダ東インド国家はジャワ農民から収奪していたのに対し、フィリピンではそのような支配は行われなかった。

フィリピンは自由貿易を行い、活発な交易から関税収入(税率は低いだろうが)を得ることにした。そして、貿易の担い手としてイギリス人商人とともに中国人商人を歓迎した。その結果、フィリピンはイギリス非公式帝国の一翼を担うこととなった。と同時に中国人商人の活動に圧迫される形で、メスティーソ(中国人と現地人の混血)商人は高利貸しや地主に転出した。


さて、ここからはヨーロッパ・ユニバーサリスの話。

EU3は毎日のようにプレーしていて、小生のポルトガル領東インド海上帝国はこのようになっている:
ポルトガル海上帝国1770


フィリピン・ルソン島の植民が進み、あと、スンバワ、チモールなどにも植民地ができた。小生の海上帝国は、イギリス非公式帝国のラインとラッフルズのラインとの間に挟まれた領域に広がりつつあるが、とくに意味はない。現地人がおとなしくて暴動が起きにくい所に植民した結果である。

小生のEU3の世界は1770年代に至っているが、東アジアには明朝がでーんと構えており、東南アジアにはヴィジャヤナガル朝の領土が広がっている。また、西アジアではペルシア(何朝?)が勢力を増し、オスマントルコを押しつぶし、ヨーロッパに入り込もうとしている。防波堤はリトアニア大公国。

ヨーロッパではオーストリア、ブルゴーニュ、イングランド、カスティリア、アラゴン(そしてポルトガル)が覇を競い合っており、フランスが解体されつつある。

新大陸のうち、北米はブルゴーニュ、アラゴン、ポルトガルが三分しているものの、ポルトガル領内では「アメリカ合衆国」独立の気運が高まっており、早く「属国」として独立させてやった方が安全なのかどうか検討しているところである。中米は完全にポルトガル領であるが、「メキシコ」独立運動がはじまりつつあるので要注意。南米は北部+北西部をポルトガルが、東部をカスティリアが、南部をイングランドが支配しているが、ここでも「コロンビア」や「ブラジル」独立運動が起きつつあって油断できない。

アフリカは今のところ、ソンガイ、マリ、スワヒリなど各王国が健在。南アフリカにポルトガルが植民地を広げているぐらいでわりと平和である。というか「永久未知の領域」が広がっていて奥に進めない。まあ、20世紀に入るまで「暗黒大陸」(偏見)と呼ばれていただけある。

さて、今後のポルトガルの展開は?

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2009.07.09

『海の帝国』第2章「ブギス人の海」

『海の帝国』第2章「ブギス人の海」で語られるのは、東南アジアにおける政治経済システム:マンダラシステムの破壊である。この章では東南アジア史研究者であるオリバー・ウォルタース(Oliver W. Wolters, 1915-2000)の説に基づいてマンダラシステムが説明されている。

マンダラシステムというのは仏教画の曼荼羅にたとえた東南アジア独特の支配のシステムである。東南アジアにはムアンとかヌガラとか呼ばれる無数の小王国(といっても村ぐらい)が存在する。この小王国はいわば小マンダラと呼ばれる。小王国の王様たちが、自分たちの間で実力のある王をリーダーとして担ぎ上げる。この王様(地域リーダー)と小国王たちとの間で成立する主従関係が中マンダラ。地域リーダーの中でも実力のあるものが登場すると、それが大王になり、中マンダラと主従関係を結ぶ。これが大マンダラ。

マンダラシステムの特徴は、王様たちの力関係が変化して各王国の地位が浮沈することがあっても、基本的には滅亡しないことである。「併合」という考えが無い。

マンダラにはさらに海のマンダラと陸のマンダラがある。海のマンダラは港町を中心とする貿易主体のマンダラであり、陸のマンダラは農村を中心とする農耕主体のマンダラである。海のマンダラと陸のマンダラの間の力関係は、中国の王朝の貿易政策に左右される。

中国の王朝が朝貢貿易政策を採る場合、朝貢によって公認された海のマンダラが栄える。しかし、中国の王朝が海禁政策(鎖国政策)を採る場合、私貿易が盛んになり、公認された港を持つ海のマンダラの独占体制が崩れ、陸のマンダラも貿易に参加できるようになる。この場合、もともと地力のある陸のマンダラが優位になる。

このような海陸のマンダラの浮沈というか消長が東南アジアにおける歴史のリズムを生み出しているというのがウォルタースの説。

このリズムをぶっ壊したのが、16世紀にマラッカを占領したポルトガルであり、その後を引き継いだオランダであると本書では述べられている。18世紀始め、ブギス人の活動はこの海域で繁盛を極めていたものの、それはマンダラシステム崩壊による混乱の産物であったようである。そのためナポレオン戦争後、ジャワがオランダに返還されてみると、ブギス人にはマンダラシステムの覇権を握ることが出来ないことが判明、結局ラッフルズの構想による自由貿易システム=新マンダラシステムは成立しなかった。

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ラッフルズの海上帝国構想と小生のポルトガル海上帝国

白石 隆『海の帝国 アジアをどう考えるか』(中公新書1551、2000年)

第1回読売・吉野作蔵賞受賞作だそうである。

19世紀以降の東南アジアの政治経済システムに興味が沸き、この本を紐解いた。

なぜ、興味が沸いたのかというと、小生はこの頃EU3に嵌っており、(ゲーム内の時間で)18世紀半ばに至り、新大陸からアフリカ南部を経て東南アジアにいたる「ポルトガル海上帝国」を築き上げたからである。

東アジアおよび東南アジアにおいてわがポルトガルが強固な立場を築くためには、セイロン、バリ・ロンボク、マカッサル、カリマンタン、ルソン、台湾といった拠点をどのように連携し運営すればよいかについてのヒントを歴史に求めたわけである。

目次


  • はじめに
  • 第1章 ラッフルズの夢
    • マラッカ/ラッフルズの「新帝国」構想/秩序形成の二つの原理

  • 第2章 ブギス人の海
    • マラッカの情景/「ブギス人の世紀」/歴史のリズム

  • 第3章 よちよち歩きのリヴァイアサン
    • 近代国家とはなにか/海峡植民地国家/オランダ東インド国家/フィリピン国家

  • 第4章 複合社会の形成
    • アブドゥッラーの自己紹介/ラッフルズの都市計画/アイデンティティの政治

  • 第5章 文明化の論理
    • 植民地世界の成立/「文明化」のプロジェクト/近代政治の誕生/リヴァイアサンの二十世紀的展開

  • 第6章 新しい帝国秩序
    • 新しい地域秩序/ジャパン・アズ・ナンバー2/上からの国民国家建設

  • 第7章 上からの国民国家建設
    • タイ――「権力集中」から「権力拡大」へ/インドネシア――「権力集中」から「権力分散」へ/フィリピン――権力分散のシステム

  • 第8章 アジアをどう考えるか
    • 「日本とアジア」vs.「アジアの中の日本」/「海のアジア」vs.「陸のアジア」/「海の帝国」/これからどこに行くのか

  • あとがき
  • 参考文献と注

じつはこの本、2000年ごろに購入したものの死蔵。今年の冬にラオスに行った際に途中まで読んで休眠。そして今再読という、ヴィンテージモノである。

第1章、第2章のキーワードの一つがマレー半島の西岸に位置するマラッカである。同地にはマラッカ王国があり、15世紀以降、香辛料貿易の重要な中心として栄えた。16世紀初頭からはポルトガルの支配下に入り、17世紀半ば~18世紀半ばはオランダ東インド会社の支配下、そして18世紀終わりから20世紀半ばまでイギリスの支配下にあった。

ラッフルズは1811年にマラッカを訪れる。ラッフルズとはあのラッフルズホテルのラッフルズである。マレー語が話せた。当時、ナポレオン戦争のドサクサにまぎれて、イギリスは東インドのオランダ領を切り崩しにかかっていた。ラッフルズは現地の有力者の調略に当たっていたが、その中で構想したのが、イギリスによる海上帝国である。この海上帝国はベンガル湾からマラッカ海峡、スマトラ、ジャワ、バリ、セレベスを経由してモルッカ諸島、オーストラリアに至る広大な海域(ここではマレーとか、東インドとか曖昧に称されている)を支配するもので、次の2つの柱によって成立する:


  • (イギリスの)東インド総督がスルタン、ラジャなどの称号を持つマレー(東インド)の諸王の上に大王(ビタラ)として君臨するという「マンダラ」システムの構築
  • 東インドの島々にある諸王国を連携し、それぞれの地域・海域における防衛と自由貿易の振興にあたらせる。すなわち、自由主義経済システムの構築

ラッフルズの海上帝国がオランダの海上帝国と最も異なるところは、現地人をパートナーと見なすか、収奪対象と見なすか、という点である。ラッフルズは、セレベス島南西半島の住民であるブギス人・マカッサル人を重要なパートナーとして選んでいる。そして、ブギス人たちと連携して中国人、アラブ人、そして新興のアメリカ人に対抗しようとしている。

というように、ラッフルズはイギリスにとっても現地人にとってもバラ色のプランを立てたのだが、実際にはこうはならなかった。

実際に成立したイギリスの海上帝国(本書では「非公式」帝国と呼ばれている)はベンガル湾からシンガポール、香港を経て上海に至るV字様の軸線上に築かれた。ラッフルズの構想と現実の海上帝国の比較を下図に示す(地図は「白地図、世界地図、日本地図が無料」からもらってきた)。

Photo

現実がラッフルズの構想と異なった理由は数々あるが、本書では次のような理由が挙げられている:


  • ナポレオン戦争後、ジャワがオランダの支配権を取り戻したこと。これによりイギリスは東インドの島々への興味を失う
  • 当時、アヘン(インド産)が対中貿易の主要輸出品となったこと。この結果、イギリスはシンガポールを中継地としてインドと中国を結ぶ貿易に集中した
  • ブギス人の交易活動が1830年代以降衰えたこと
  • 中国人裏社会(黒社会)が植民地政府のパートナーとなり、アヘン販売、胡椒・ガンビル栽培から得た資金の一部を植民地経営に必要な資金として供給したこと

ラッフルズの自由主義経済システムは聞こえはいいが、自由貿易ではシステム基盤維持の資金を得られない。現実の植民地政府は中国人裏社会と結託して儲けることにしたわけである。表は自由貿易、裏は中国黒社会との結託という2つのやり方。これを著者は「秩序形成の二つの原理」と読んでいるのである。

先ほどの図であるが、小生のポルトガル海上帝国も灰色で塗って示している。ラッフルズの海上帝国ともイギリス非公式帝国とも違って、バリ・ロンボク、マカッサル、カリマンタン、ルソン、台湾という南北に長い形になっている。こんなので連携できるのか?

「海の帝国」、第1章しか紹介していないので続きはまた後ほど。

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拡張子.mdi形式をなんとかして開く

とある業者から請求書が電子ファイルで送られてきたのだけど、".mdi"という聞いたことのない形式だったので、ダブルクリックでは開けなかった。

で、困ったときのネット検索。見つかったのがこの記事:「拡張子 .mdi 形式のファイルを開く方法」(システム管理者バンザイ)

同記事によると、MDIとは、Microsoft Document Imagingの略であり、Office 2003をインストールしてできた「Microsoft Office Document Image Writer」という仮想プリンタで印刷したときにできるファイルにつく拡張子がmdiなのだそうだ。

で、同記事を参考に、小生は.mdiファイルをこのようにして開けた。

  1. とりあえず、○○.mdiというファイルをデスクトップなどに保存
  2. 同ファイルをダブルクリックする。そうすると「このファイルを開けません」というダイアログが出る
  3. 同ダイアログで「一覧からプログラムを選択する」を選び、「OK」をクリック
  4. 「ファイルを開くプログラムの選択」という画面に切り替わるので、「参照」をクリック
  5. あとは、MSPVIEW.EXEを探す。通常のパターンだと、C:\Program Files\Common Files\Microsoft Shared\MODI\11.0\の中にMSPVIEW.EXEが鎮座しているはず。

ちなみに、Office 2003 Service Pack 3がインストールされていることが必要らしい。


  ◆   ◆   ◆


【2010年7月26日加筆】
上述の記事はOffice2003ユーザー向け。

Office 2007ユーザーは「拡張子.mdi形式をなんとかして開く 【Office 2007版】」をご覧ありたい。

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2009.07.08

なんでブログ更新が滞り勝ちかというと・・・

こいつに嵌っているせいである:

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人々に遅れること、数年、今頃やりだしているが、面白いの一言。高橋名人の「ゲームは一日、一時間」という教えを守ることが出来ないほど。

現在、ポルトガルでプレー中。難易度の設定には手を加えていないので、普通のレベル?というかポルトガルを選択した時点で初心者レベルである。

18世紀に突入し、世界最大の領土(140プロビンス)を誇っているものの、カスティリアとかアラゴンとかフランスとかブルゴーニュを怒らせないよう、ご機嫌をとりながら過ごす毎日。

17世紀半ばにモルジブとかセイロンとかバリ・ロンボクとかマカッサルとか南洋の国々を併合したことにより、BBR(Bad boy rate)が急上昇し、世界での評判が悪化。

その後、なぜかアジア方面の地図を見ようとすると、「落ちる」現象に見舞われるようになった。バリ・ロンボクのたたり? パッチを充てるなどしないと回復しないと考え、結局、これを追加購入&インストール&パッチ充て:

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おかげで「落ち」なくなった。

その後は、対アステカ戦争で勝利を収めたものの、国家の安定度が下がり(-3)、内乱頻発の事態に。数年後、安定度が-2になったところで、内乱収束。つづいて、イングランドが新大陸において引き起こした対インカ戦争に同盟国として参加した結果、よくわからない理由により、評判は「高潔な国」に上昇。

今日現在はここまで。

プレイしていない人には良くわからない文章ですみません。

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2009.07.01

森田麻水美画伯、広島経済新聞に取り上げられる

以前、ご紹介した画家の森田麻水美氏。

最近では、広島市内のギャラリーマップを作成・配布し、広島のアートシーンを盛り上げようとご活躍の由。

その仕事ぶりが認められつつあるようで、広島経済新聞にも取り上げられたようである:
広島「ギャラリーマップ」人気に-ギャラリースタッフら定期発行目指す」(広島経済新聞、2009年06月30日)

森田画伯のご近影もあった。

知り合いの好意的な記事があると、こちらも嬉しくなるわけで。

【過去記事】

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【迷惑メールのご紹介】アクティブです

こういう迷惑メールが携帯電話に来たので紹介する。

件名: ※最終通告※

㈱アクティブです。

お客様が以前登録された総合情報サイトから無料期間中に退会処理がとられていない為に登録料金、\3000、が発生しており現状料金未納となっております。

尚、現在延滞金、違約金などは一切発生しておりません。
このまま放置されますと法廷書類作成後、訪問並びに法的な料金回収になります。
※法廷費用、回収手数料等は利用規約に基づきましてお客様の負担となります。「退会処理」をご希望であれば下記の連絡先へ翌営業日の正午迄にお問い合わせ下さい。

TEL 03-4530-0535
営業時間 9:00~20:00
担当 石川

※現在何百社というサイト運営業者が弁護団を作り料金踏み倒し利用者の契約携帯電話の固体識別にて調査を始めているのをご存知ですか?業者間での識別情報を交換し共有する事が可能です。更にこの情報は当社が提携している【銀行・郵便局等の提携金融機関等】にもこの事を伝達され、今後のお客様の利用に制限がかかる恐れもございます。

発信元はactive_-0535@docomo.ne.jp

OKWaveでも紹介されているが、ここ数週間、あちこちに送りつけられているメールのようである。ちょっとしたブームだな。

そういえば、この前も架空請求メールがきたなぁ:架空請求メール来たよ(2009年4月15日)

皆様もお気をつけ遊ばせ。

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