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2009.05.05

憲法あれこれ

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5月3日は憲法記念日だったのだが、小生は庭いじりに集中していてそんなこと忘れていた。夜になってNHK「プロジェクトJAPAN」「NHKスペシャル シリーズ「JAPANデビュー」第2回『天皇と憲法』」を見て気がついたのだから暢気なものである。

同番組では大日本帝国憲法(明治憲法)にもとづく政治体制の崩壊の過程が取り上げられていた。

天皇主権を規定した同憲法第1条「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」、統治権の行使は憲法によって制限される(立憲君主制)と規定した第4条「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リテ之ヲ行フ」、そして陸海軍統帥権(統帥権は内閣から独立)を規定した第11条「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」の3つの条項が政治体制を左右するコアの部分であって、第11条の暴走によって政治体制が崩壊したということが述べられていた。

第11条の暴走は軍部によるものというよりも、立憲民政党と立憲政友会という2大政党の政争の具としてこの条項が取り上げられたこと(統帥権干犯問題)によって誘発された。犬養毅五・一五事件で暗殺された印象が強烈なので、政党政治の殉教者のように思われがちだが、実際は政党政治を死なせた犯人だった。


2

NHKのおかげさまで5月3日が憲法記念日だったということに気がついてのち、手に取ったのが丸谷才一『文章読本』(中公文庫)。この本の第4章「達意といふこと」で取り上げられているのが、大日本帝国憲法(明治憲法)と日本国憲法(現行憲法)の文章の比較。

両憲法を比較してよく言われるのが、「日本国憲法は日本語の体を成していない」という批判。しかし、「達意」という観点に立った場合、日本国憲法の文章は機能を果たしているが、大日本帝国憲法のそれは機能を果たしていない、というのが丸谷の意見である。

丸谷は「運動神経のない優等生が厚木したやうなモタモタ口調」と現行憲法の「文章論的欠点」を指摘しつつ、「それにもかかはらず現行憲法の文章は、明治憲法にくらべてずつと上等なのである」と評する。なぜなら、達意ということで大事なのはセンテンス一つ一つの明晰さよりも、文章全体で前後矛盾がないことであり、この点で見ると明治憲法は辻褄が合わないものだと丸谷は述べる:

そのことが最もあらはなのは臣民の権利の条項で、第十九条から第三十条まで、あれやこれやとうるさく保留をつけながらではあるにせよとにかく権利を保障してゐるのに、その反面、まづ第八条の緊急勅令で、次に第十四条の戒厳令で、そしてさらに第三十条の非常大権で、それらの権利を根こそぎ奪ひ取るのである。

小生が見たところ、明治憲法はその中に機能を停止させるコマンドや抜け穴を大量に保有している。これを評して丸谷は「混乱と支離滅裂」と述べているのである。これに対して、現行憲法には現代日本語として不自然なところがあり、かつ第9条のように政治状況によって解釈が変動する部分があるなど問題点が散在しているが、前後矛盾する部分は見当たらず、また憲法の機能を停止させる条項を持たず(第96条は憲法改正の手続きを示したものだから違う)、全体として秩序を保っている。現代の政治状況にふさわしいかどうかという政治的見地を離れ、達意という点から見れば、丸谷同様、小生も現行憲法の方がましであると判断したい。


3

憲法というといつも論争(解釈論争、改憲論争)の中心になるのが、先ほど一瞬だけ触れた第9条である。

丸谷は「達意」という観点から憲法の文章全体としての秩序の問題を取り上げているものの、第9条の条文の「達意」を問題として取り上げてはいない。この条項の解釈について論争が繰り広げられている現状を見る限り、第9条には「達意」の点で問題があるように小生などは思うのだが、丸谷は単純に「第九条の戦争放棄と戦力の否定」と素直に解釈している。小生もこの条項に関しては素直に読めばいいと思うのだが、そうすると第9条が国際情勢にそぐわなくなるという問題が生じるわけである。歴代内閣はこの問題に対処するべく、現状に応じて解釈を変えるという手法を使ってきた。護憲・改憲それぞれの立場から見るとすっきりしないやり方に見えるだろうが、小生から見るときわめて現実的かつ巧妙な手法であると思う。解釈で限界が生じ、しかも国民全体が望むのなら正式な手続きに則って憲法を改正すればよい:

第96条 この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

読売新聞(2009年4月3日)が公表した憲法改正に関する全国世論調査(面接方式、2009年3月14~15日実施)の結果によると、改正賛成派は51.6%、改正反対派は36.1%だったということである。改正賛成が過半数を占めている。9条改正に関しては「解釈や運用で対応するのは限界なので改正する」とした人々が38%を占めたという。だが「解釈や運用で対応する」と答えた人々が33%、「厳密に守り解釈や運用では対応しない」とした人々が21%を占めており、改憲賛成が強くなってきたとはいっても9条改正が論議の焦点になっているわけではないと解釈される。

朝日新聞(2009年5月1日)が公表した憲法世論調査(2009年4月18~19日)の結果によると改正賛成派は53%、反対派は33%だったという。これも改正賛成派が過半数。ただし、9条改正に関しては「変える方がいい」とした人々が26%、「変えない方がよい」とした人々が64%を占めていた。改正賛成派に択一式で改正理由を尋ねた結果では「新しい権利や制度を盛り込むべきだから」と回答した人々が74%を占め、「第9条に問題があるから」と回答した人々は15%にすぎなかった。上述した読売新聞の結果と合わせて考えると、やはり第9条は改正論議の焦点ではないようである。


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憲法改正論議でよく聞くのが「現行憲法は押し付け憲法なので、自主憲法を」という意見。とくに第9条に関しては「日本政府のお偉方ァ、何か言<つ>うど、この第九条ば継子扱い<あづげー>すて居<え>だったもんだ」(沼袋老人の発言、井上ひさし『吉里吉里人』、新潮文庫、上巻471ページ)

古い本であるが、柄谷行人と岩井克人の対談集『終わりなき世界』(太田出版、1990年)の最後のくだりで、柄谷行人がこういう事を言っている:

昔、上山春平が書いていたのですが、この憲法の戦争放棄という条項は、たんにアメリカ占領軍が日本の軍事的復活を恐れて強制したというのではなく、第一次大戦・第二次大戦を経た西洋諸国の理想、世界史的な理念を祈りのように書き込んだものではないかというのです。それはまた、日本人の祈りでもあり、したがって、どんなにこの憲法がアメリカの強制であると言われようと、日本人はそれを改正することを拒否してきたのです。(214ページ)

戦後数年で、朝鮮戦争がはじまる前に、アメリカは日本に再軍備と憲法改正を要求してきました。それに反対したのは日本人です。だから、この戦争放棄という項目は強いられたのではなく、抵抗によって得られたものです。(214ページ)


「強いられたのではなく、抵抗によって得られた」。そこまで突き詰めて考えた人は多くはないと思う。しかし、現憲法を押し付けられたという意識は日本人の間ではそれほど強くないのではないだろうか。日本人はアメリカによって骨抜きにされた、と言われたらそれまでだが。

上で触れた朝日新聞の調査結果によると、改正賛成派の中で改正理由として「自分たちの手で新しい憲法を作りたいから」を挙げた人々は9%に過ぎなかった。

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