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2009.05.28

斎藤貴男『カルト資本主義』を読む

今週は斎藤貴男『カルト資本主義』(文春文庫)を読んでいる:

カルト資本主義 (文春文庫)カルト資本主義 (文春文庫)
斎藤 貴男

文藝春秋 2000-06
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この本自体が「カルト」だ、「オカルト」だ、という批判もあるようだが、小生にはそれ程変な本には見えない。取り上げられているのは、ソニーESPER研、永久機関ビジネス、稲盛教、EM菌、脳内革命、アムウェイなどである。バラバラに見えるこれらの活動は根底でつながっており、カルト資本主義を成しているという。

この本で描かれているカルト資本主義の仕組みを、小生なりに大胆に要約すると、


  • カリスマ企業家は神秘主義、東洋思想、ニューエイジ思想から都合のよいところを切り貼りして独自の理論を立て、教祖となる
  • 社員や会員など被支配層はその独自理論を受け入れ、思考停止状態になり、便利な駒となる

ということになる。

ニューエイジに強く影響を与えた東洋思想の一つ、バラモン教の最高原理に「梵我一如」というものがある。宇宙の原理であるブラフマン(梵)と個人の原理であるアートマン(我)とは同一のものであるという考え方である。この考え自体は無害だと思う。物質界においては、宇宙を構成する様々な法則が個人レベルにも作用する、という意味であると解釈すれば、物理学とも対立しない。

「梵我一如」の「梵」のいいところは、簡単に習得できないことにある。一生涯探求を続けても、あるいは修行しても掴み取ることはできないかもしれない。「梵」はそのぐらい深遠なものなので、「梵」の前では誰もが謙虚になる。

カルト資本主義で唱えられていることには「梵我一如」的な面があるのだが(ホロニズムとか家族主義とか)、問題は、梵に当たるものが誰かにとって都合のよい指導原理だということである。そして、指導層に作られた指導原理を無批判に受け入れた者は大人しい被指導層になってしまうのである。

指導層は必ずしも悪意を持って布教しているわけではなく、被指導層も指導原理を必ずしもいやいや受け入れたわけではないのだが、支配―被支配の構造が成立すること自体が最大の問題である。このあたり、『銀河英雄伝説』でヤン提督がユリアンを前にして開明君主ラインハルトについて語ったことを思い起こすとよいだろう。

本書の狙いは「無批判」を批判することにあると思う。ある真理が存在するとして、そこに到達しようとすれば、仮説を立て、議論を戦わせる必要があるだろう。これは洋の東西、学問、宗教などの分野を問わず共通した探求のスタイルである。カルト資本主義にどっぷり漬かっている人は思考を巡らせ、批判を戦わすような面倒な手続きを経ずに真理に到達したい、不精な人々なのであろうと思う。

この本に関するほかの人の書評として次の2つを挙げておく:

あと、カルトに対する批判を真宗大谷派のお寺がまとめているので、読者諸氏に参考として示しておく:
宗教入門:宗教にだまされないように

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コメント

>バラモン教の最高原理に「梵我一如」というものがある。宇宙の原理であるブラフマン(梵)と個人の原理であるアートマン(我)とは同一のものであるという考え方である。この考え自体は無害だと思う。物質界においては、宇宙を構成する様々な法則が個人レベルにも作用する、という意味であると解釈すれば、物理学とも対立しない。

この通りですね。
 これをもっと精密に説明すると、一般法則論のブログで説明していることになります。

 斉藤貴男氏の話の問題点は、そもそもオカルトとは何かを知らないで怪しくて危険なもの扱いをしているとです。
 言い換えると、人の心の存在とその根拠、また人一人ひとりにとっての意味や役割について斉藤氏は全く知らない、と言い切ってよいことです。
 一般法則論のブログを読んでください。
   一般法則論者

投稿: 一般法則論者 | 2009.05.28 19:43

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