木下長嘯子
安土桃山時代から江戸時代にかけて、木下長嘯子(きのした・ちょうしょうし)という歌人がいた。
手元に7世紀から17世紀に至る千年間の和歌の傑作を集めた『清唱千首』(塚本邦雄撰、冨山房百科文庫)という本がある。ここに収められた1000首のうちの10首、すなわち1パーセントは長嘯子の歌であり、撰者から非常に高い評価を受けているといえるだろう。
長嘯子の本名は勝俊。木下という姓でもわかるように秀吉の親戚である。おね(北政所)の甥にあたる。豊臣家は大坂夏の陣で族滅させられているが、おね系の木下家は江戸時代になっても生き残っている。長嘯子も無事生き残り、1649年に80で天寿を全うしている。
以下、『清唱千首』春の部に挙げられた長嘯子の歌(挙白集より)を引用する。番号は『清唱千首』の整理番号である。
29 春の夜のかぎりなるべしあひにあひて月もおぼろに梅もかをれる
92 さてもなほ花にそむけぬ影なれやおのれ隠るる月のともしび
107 なべて世は花咲きぬらし山の端をうすくれなゐに出づる月影
151 越えにけり世はあらましの末ならで人待つ山の花の白波
29番の歌では月と梅という絶妙な組み合わせを「春の夜のかぎり」すなわち最高の春の夜だと評している。
151番は、冷泉為景が桜の頃に来ると言って来なかったことに対する怒りと嘆きをこめた歌である。「越えにけり」といきなり感情が炸裂しているにもかかわらず、波頭のごとき山桜の情景で締めるあたり、非常に巧みである。
春ということもあり、月、月、月、花、花、花のオンパレードだが、同じ主題を新たな切り口で詠んで人を驚かし続けるあたり、長嘯子の腕前である。
『清唱千首』の撰者、塚本邦雄は長嘯子を「突然変異的歌人」と呼び、その作風を「新鮮奔放」と評している。
木下長嘯子の歌はここでも紹介されている:「木下長嘯子(木下勝俊) 千人万首」
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