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2009.05.28

斎藤貴男『カルト資本主義』を読む

今週は斎藤貴男『カルト資本主義』(文春文庫)を読んでいる:

カルト資本主義 (文春文庫)カルト資本主義 (文春文庫)
斎藤 貴男

文藝春秋 2000-06
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この本自体が「カルト」だ、「オカルト」だ、という批判もあるようだが、小生にはそれ程変な本には見えない。取り上げられているのは、ソニーESPER研、永久機関ビジネス、稲盛教、EM菌、脳内革命、アムウェイなどである。バラバラに見えるこれらの活動は根底でつながっており、カルト資本主義を成しているという。

この本で描かれているカルト資本主義の仕組みを、小生なりに大胆に要約すると、


  • カリスマ企業家は神秘主義、東洋思想、ニューエイジ思想から都合のよいところを切り貼りして独自の理論を立て、教祖となる
  • 社員や会員など被支配層はその独自理論を受け入れ、思考停止状態になり、便利な駒となる

ということになる。

ニューエイジに強く影響を与えた東洋思想の一つ、バラモン教の最高原理に「梵我一如」というものがある。宇宙の原理であるブラフマン(梵)と個人の原理であるアートマン(我)とは同一のものであるという考え方である。この考え自体は無害だと思う。物質界においては、宇宙を構成する様々な法則が個人レベルにも作用する、という意味であると解釈すれば、物理学とも対立しない。

「梵我一如」の「梵」のいいところは、簡単に習得できないことにある。一生涯探求を続けても、あるいは修行しても掴み取ることはできないかもしれない。「梵」はそのぐらい深遠なものなので、「梵」の前では誰もが謙虚になる。

カルト資本主義で唱えられていることには「梵我一如」的な面があるのだが(ホロニズムとか家族主義とか)、問題は、梵に当たるものが誰かにとって都合のよい指導原理だということである。そして、指導層に作られた指導原理を無批判に受け入れた者は大人しい被指導層になってしまうのである。

指導層は必ずしも悪意を持って布教しているわけではなく、被指導層も指導原理を必ずしもいやいや受け入れたわけではないのだが、支配―被支配の構造が成立すること自体が最大の問題である。このあたり、『銀河英雄伝説』でヤン提督がユリアンを前にして開明君主ラインハルトについて語ったことを思い起こすとよいだろう。

本書の狙いは「無批判」を批判することにあると思う。ある真理が存在するとして、そこに到達しようとすれば、仮説を立て、議論を戦わせる必要があるだろう。これは洋の東西、学問、宗教などの分野を問わず共通した探求のスタイルである。カルト資本主義にどっぷり漬かっている人は思考を巡らせ、批判を戦わすような面倒な手続きを経ずに真理に到達したい、不精な人々なのであろうと思う。

この本に関するほかの人の書評として次の2つを挙げておく:

あと、カルトに対する批判を真宗大谷派のお寺がまとめているので、読者諸氏に参考として示しておく:
宗教入門:宗教にだまされないように

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2009.05.27

BSハイビジョンで『学校II』を観た

ザッピングしていた(=チャンネルをあれこれ変えていた)ところ、たまたま映画が始まるところだったのでそのまま観てしまったのが山田洋次監督『学校II』(1996年、松竹・日本テレビ放送網・住友商事)。

あまり真剣に見るつもりはなかったものの、結局最後まで見てしまった。おそるべし山田洋次マジック。

かの有名な『学校』シリーズの第2作目であり、今回の舞台は北海道の高等養護学校。卒業式を間近に控えたある日、3年生の高志(吉岡秀隆)が同級生の佑矢をつれて学校を抜け出し、旭川で開催されている安室奈美恵withスーパー・モンキーズのコンサートに行く。養護学校のリュー先生とコバ先生と(演ずるは西田敏行と永瀬正敏)が捜索に出る、というのが物語の始まりの部分。

養護学校の先生たちの回想から、入学時に全く会話をしなかった高志が佑矢の世話をすることによって、大きく成長し、会話も出来るようになったことや、暴れ者で失禁しまくりの佑矢が高志の世話によって、大人しくなり生活のルールをまもれるよういなったことなどが明らかにされる。

3年生になったとき、高志は就職のためにクリーニング工場で研修を受けるが、仕事が覚えられず怒られてばかり。高志は迎えに来たリュー先生(西田敏行)に「みんながおれを馬鹿にしているのがわかる。おれ、もっと馬鹿だったらそういうことがわからなくてよかったのに。」と言って泣く。小生がリュー先生だったら、こういう嘆きに対応できないが、そこはさすが、ベテランのリュー先生、ちゃんと受け止めるわけである。どのように対応したか知りたい人は映画を観ること。

あらすじは「<山田洋次の軌跡 第三部>連載第24回 第24話 「学校 II」」がうまくまとめているので参照されたい。

冒頭でリュー先生の娘が出てくるが、それが若き日の浜崎あゆみだったとは気づかなんだ。

それにしても安室ちゃんの変わらなさには驚かされる。

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2009.05.26

『山口の不思議事典』?

古川薫ほか編『山口の不思議事典』(新人物往来社、2007年)という本がある。

地元について多少なりとも知識を増やさねば、という思いから、図書館で借りて読んでみた。

どんなミステリーがあるのか、と期待したら、「山口県出身の八人の宰相とは?」とか、「宮本常一の業績は?」とか、それは「不思議」とは言わないのでは?と思う項目が目立った。

他にも「女忠臣蔵といわれる松田さつとは?」とか、「氏原大作の生きざまは?」とか、「大村能章とはどんな人?」とか、「小暮実千代は彦島のどこで育った?」いう、「誰それ?」という項目も。

そんなご愛嬌も多々散見される本ではあったが、以下、小生の興味を引いた項目とその回答を挙げてみる。

  • サバー送りとはどんなこと?――長門市に伝わる祭りで、日本各地にある「虫送り」行事の一種である。サバーとは稲の害虫一般のことで、主としてウンカを指す。ウンカは稲株に足をとられて討ち死にした斉藤別当実盛の生まれ変わりだという。長門のサバー送りではサネモリサマとサバーサマの2体の藁馬人形が村から村にリレーされ、最後は大浦の海岸から海に投げ入れられるという話
  • 全国の八割を占める、おみくじを作る神社とは?――女子道社。女性の地位向上を目指す運動の資金源として、おみくじの製造販売を開始したのだという
  • 萩はなぜ夏みかんの名産地?――明治になって禄を失った旧藩士たちの新たな仕事として夏みかん栽培が始まったから
  • 秋穂で車エビの養殖が始まったのはなぜ?――もともと天然のクルマエビの漁場だった→廃棄された塩田で完全養殖が始まった
  • 民話、厚狭の三年寝太郎は何年寝た?――当然、三年である。三年の熟考の末、佐渡から砂金を持ち帰り、厚狭周辺の村々の灌漑・開拓に投資したのだそうだ

あと、この本を読んで初めて、常盤湖が「東洋のレマン湖」と呼ばれてきたことを知った(本当か?)

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2009.05.25

『ラースと、その彼女』を見てきた

日曜日に宇部のシネマ・スクエア7でツマとともに『ラースと、その彼女』(クレイグ・ギレスビー監督、原題:Lars and the real girl)を見てきた。ちなみに、上映されるのは毎日朝9:40の一回だけなので、日曜日にもかかわらず早起きした次第である。

あらすじ:ラースは兄夫婦が暮らす家のガレージに住んでいる。兄ガスと兄嫁カリンは人づきあいが苦手なラースのことを心配している。ラースは職場の同僚で、ラースに思いを寄せるマーゴからも逃げ回っている。

ある日突然、ラースが女友達を兄夫婦に紹介すると言った。兄夫婦は喜んだものの、ラースが連れてきたのはリアル・ドール(ダッチワイフ)の"ビアンカ"だった…。
(あらすじ、終わり)

ラースの彼女がリアル・ドールだということに、兄夫婦ならびに町の人々は当然のように衝撃を受けるのだが、すぐに受け入れてしまう。ビアンカを教会に連れてくることを拒否せず、それどころかヘアスタイルを変えさせたり、ボランティアや洋服屋のモデルの仕事を引き受けさせたりと、ビアンカを一人前の女性として扱う町の人々の優しさにはただ感動するばかりである。

ビアンカは最後に病死するんだけど(ええっ!?)、その過程でも人々はラースとビアンカのために気を配り続ける。アメリカっていうのは、実はこういう他者への思いやりに満ちた社会なんじゃないでしょうかね?というかそうあって欲しいという願望?

上述のあらすじだと、ビアンカを真剣に愛するラースだけがオカシイ人のように見えるが、映画をよく見ると他の人々もそれぞれに変である。ラースの同僚はロボットのフィギュアに夢中だし、マーゴは少女趣味のダサ服を着て、テディベアがいたずらされる(ラースの同僚によって絞首刑にされる)と本気で怒る。教会の長老のおばさんはラースの奇行を、誰にでもあることだと言って人々に受け入れさせた。異なった価値観を持つ人々で構成された社会には排除ではなく寛容さが必要なのである。

笑って涙する映画というのは昨年見た『おくりびと』以来か。

「人形愛」に関する類似映画との比較については『撮影監督の映画批評』を参照のこと。

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チャンネルNECOで『墨東綺譚』を見た

土曜日の晩、チャンネルNECOでたまたま新藤兼人監督『墨東綺譚』(1992年、本当は墨の字にはサンズイが付く)をやっていたので見た。

永井荷風の同名小説と『断腸亭日乗』とをミックスした内容である。玉の井という私娼街を舞台に永井荷風(津川雅彦)と娼婦お雪(墨田ユキ)との恋愛を描いている。

映画「ひとひらの雪」での演技もそうだが、津川雅彦は老残の身の恋というものを演じさせたら天下一品である。いまだに合コンに行っているという話であるし(NHK「きよしとこの夜」での発言)、老境に達した男性の業のようなものを感じさせる。

一方、墨田ユキ。この映画以前もAVやNHK大河ドラマへの出演歴はあるものの、墨田ユキ名義ではこの映画が初出演である。独特の顔立ちと奔放そうな演技で話題をさらい、ブルーリボン賞、日本アカデミー賞、報知映画賞新人賞など各賞を獲得。その後、様々な映画、ドラマに出演することとなった。

この『墨東綺譚』で話題となったまさに旬の年、墨田ユキは昼ドラ「愛の祭り」(1992年)に出演し、西川忠志、東野英心とドロドロの三角関係を描いていた。小生はさっさと大学に通うべきところ、このドラマを見てから通学していたものである(早く学校に行け)。当時、大阪で人気のあった深夜帯番組「テレビのツボ」(司会:ぜんじろう)では毎晩のように「愛の祭り」の展開が紹介されていて、「愛の祭り」終了後には墨田ユキ本人が「テレツボ」出演というサプライズもあった。

墨田ユキは現在ではほぼ引退状態であるが、その名前の由来となった映画『墨東綺譚』を見たら、およそ17年前の出来事をあれやこれや思い出した次第である。

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2009.05.16

【おしゃべりコンサート】青島広志は教育者である【客は座れ】

今日(2009年5月16日)のお昼、「国際ソロプチミスト宇部」主催のチャリティーコンサート(渡辺翁記念会館)、「青島広志のおしゃべりコンサート」をツマと共に見に行った。入場料:3000円也。

Photo

チラシの写真とは異なり、ギラギラした服をまとった青島広志が登場。青島広志がピアノ&音楽の薀蓄(スゲー早口)を、テノール歌手小野勉が歌を、それぞれ担当する約1時間半のコンサートだった。17世紀から400年分のオペラの歴史を圧縮して紹介する内容である。プログラムは以下の通り:


  • 歌劇「フィガロの結婚」より 序曲 W.A.モーツァルト (ピアノ演奏のみ)
  • 歌劇「セルセ」より 「オンブラ・マイ・フ(慕わしい木陰よ)」 G.F.ヘンデル
  • 歌劇「愛の誠」より 「日はすでにガンジス川から」 A.スカルラッティ
  • 歌劇「ドン・ジョバンニ」より 「わが恋人を慰めて」 W.A.モーツァルト
  • 歌劇「セヴィリヤの理髪師」より 「暁の光がさして」 J.ロッシーニ
  • 歌劇「連帯の娘」より 「友よ何と楽しい日」 G.ドニゼッティ
  • 【15分休憩】
  • 歌劇「清教徒」より 「いとしい乙女よ、あなたに愛を」 V.ベッリーニ
  • 歌劇「リゴレット」より 「女心の歌」 G.ヴェルディ
  • 歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」より 間奏曲 P.マスカーニ (ピアノ演奏のみ)
  • 歌劇「トゥーランドット」より 「誰も寝てはならぬ」 G.プッチーニ
  • ミュージカル「学生王子」より 「セレナーデ」 S.ロンバーグ

小生はよく知らないが、ツマの解説によると、青島広志はテレビにもよく出る、オネエ口調でスッゴイ早口のピアニスト&作曲家。たしかに薀蓄は面白かった。モーツァルトの身長は148cmしかなく、その原因は成長期に演奏のため移動が多く、馬車に乗り続けていたせいだとか。ホントか?

青島広志のピアニストとしては腕前はよくわからなかった。オープニング曲「フィガロの結婚」序曲は、よくこのスピードで弾けるものだと思ったものの、小生の聞き間違えかもしれないが、ミスタッチがいくつかあったように思う。まあ、この人は作曲家、教育者、話芸の人としての仕事がメインなのだと思うので、とりたてて追求するべきところではないが。

青島広志の解説によると、ドニゼッティの「友よ何と楽しい日」ではハイツェー(高音のハ音)が頻出する。見事にこの高さの音を歌いこなせたらスタンディング・オベーションするのが決まりごととのこと。

で、小野勉はみごとに歌い上げ、宇部の聴衆(小生もツマも)は教えられたとおり、スタンディング・オベーションをした次第である。

その後のベッリーニの「いとしい乙女よ、あなたに愛を」ではさらに高いキーの音が出てくるが、小野勉はこれも歌い上げた。さすがプロ。


さて、聴衆のレベルの話。

先月、「響ホール室内合奏団」の演奏をおなじく渡辺翁記念会館に聞きに行ったが、このときの聴衆に比べると今日の聴衆は×。

ざっと見て、聴衆の9割は女性。あと、その7割は50代以上と推測される。それ自体は別にどうということはないが、チャリティーコンサートという点や青島広志という有名人のコンサートであるという点が影響しているらしく、聴衆の大半は必ずしも音楽愛好家とは思えない人々が占めていた。吉本の公演を観に来たぐらいの気分の人も居たのではないかと思われる。

演奏が始まってからも聴衆がゾロゾロ出入りしており、主催者ソロプチミストのおばさんたちも通路で立っており、ガキもうろちょろしており、再三再四、青島広志から「はやくお座りください」と叱責を浴びる始末。後ろのほうからは「オギャー」という声も聞こえた。未就学児童を連れてきちゃいかんだろう。どこからか携帯の呼び出し音も聞こえたし、休憩の後、自分の席を忘れて、彷徨する老人の姿もあった。

今日のコンサートはこうしたコンサートに不慣れな客に青島広志がマナーを教えるという面が強かったように感じた。そういう意味では面白い見ものであった。

なお、青島広志はサイン本、CD販売のため、コンサート後5分ほど滞在した後、速攻、帰路に就きましたとさ。


青島広志のこれだけ!西洋音楽史!!青島広志のこれだけ!西洋音楽史!!
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2009.05.12

マツバギク

先日、「道の駅あじす」でかぼちゃソフトを食べつつ、植木市を物色していたところ、マツバギクが50円で売られているのを発見。安さにひかれて購入。うちの庭に植えてみた。

マツバギク

さて、根付くかどうか心配だったものの、結局、無事な様子。現在は花を咲かせている。

多肉植物だけあって、乾燥には強いらしい。そして、大きい群落になるとのこと。小生の家の庭は結構荒廃しているので、生い茂ってくれるとありがたい。

南アフリカ原産という話。

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2009.05.07

グリーン・ニューディール(環境・エネルギー)政策にいろいろコメントしてみる

オバマ大統領は2009年3月19日の演説の中でこのようなことを言っている:

So we have a choice to make. We can remain one of the world's leading importers of foreign oil, or we can make the investments that would allow us to become the world's leading exporter of renewable energy. We can let climate change continue to go unchecked, or we can help stop it. We can let the jobs of tomorrow be created abroad, or we can create those jobs right here in America and lay the foundation for lasting prosperity.
<要約>私たちは、「石油の輸入国であり続けるか、再生可能エネルギーの輸出国となるための投資をするべきか」、「気候変動を放置し続けるか、それを食い止めるか」、「環境・エネルギーに関する仕事を外国に奪われるか、アメリカ国内でその仕事を創出し、繁栄継続の基礎を築くのか」という選択を迫られている。

このような大統領の意思にもとづき、ホワイトハウスは環境・エネルギー政策のアジェンダをまとめている。以下紹介しつつ小生がコメントしてみる:

【環境・エネルギー投資】 「2009年米国再生再投資法」(American Recovery and Reinvestment Act of 2009)にもとづき、以下に示すように計600億ドルの環境・エネルギー投資が行われる。
  1. 田舎で生産された再生可能エネルギーを都市部に送る電力網の構築、および4000万世帯への「スマートな」電力計の普及のために110億ドル
  2. 低所得者層のhome weatherizationのために50億ドル
  3. 連邦政府関連機関において省エネルギーを推進するために45億ドル。これによって納税者は数十億ドルを節約できる
  4. 再生可能エネルギーの促進とエネルギー効率の向上のために63億ドル
  5. 環境・エネルギー関連の職業訓練のために6億ドル
  6. エネルギー保存用の次世代バッテリー開発のために20億ドル

2番目に出てきたhome weatherizationというのは、日射をさえぎったり断熱したりという、住宅のパッシブな環境制御のことである。"efficiency gap"という言葉がある。豊かな人々は高効率な住宅(イニシャルコスト高)に住むため、エネルギー消費が少なくて済む(ランニングコスト低)が、貧しい人々は省エネ性能の悪い住宅(イニシャルコスト低)に住むため、エネルギー消費が多くなったり(ランニングコスト高)、あるいは我慢して劣悪な環境で過ごす、ということである。この現象に関しては小生の解説記事「【エコマーケティング】Dillman-Rosa-Dillman説の紹介」を参照されたい。

6番目のバッテリーは実は重大な問題である。再生可能エネルギーのうち、風力発電、太陽光発電は既に実用化されており、今後も期待が集まっているエネルギー源だが、生産したら即、消費しなくてはいけないことに問題がある。バッテリーがあれば大丈夫だと思うかもしれないが、大量の電力を高効率で長期に保存できるバッテリーというのはまだ無い(あるいは凄く高価)。風力、太陽光の普及のネックの一つは良いバッテリーがないことである。

【燃費向上】 ドライバーたちの支出を抑制し、メーカーのイノベーションを刺激するため、少なくとも10年以上にわたって自動車およびトラックの燃費の基準を引き上げつづける。

アメリカでは2007年6月21日に「エネルギー自立・安全保障法」が成立し、2020年までに、自動車の燃費基準を1ガロン当たり25マイルから、35マイルへと引き上げることが定められている。25マイル/ガロン=10.6km/L、35マイル/ガロン=14.9km/Lである。

日本国内の燃費目標基準値は自動車交通局が公開している:「燃費基準値一覧」

これによると、例えば車両重量1266~1515kgぐらいのガソリン乗用車の場合、2010年度の目標値は13km/Lである。平成20年3月の自動車燃費一覧から適当に車を選んで調べて目標値と比べてみよう。トヨタのプリウスDAA-NHW20はこのクラスだが、燃費は30.0km/Lで軽くクリア。やはり凄い。日産のティーダDBA-NC11もこのクラスだが、14.8km/Lで目標値をクリアしている。というかティーダはすでに米国の2020年基準にほぼ達している。性能悪いぞアメ車、10年先行しているぞ日本車、ということである。

【エネルギー効率向上】 家電機器のエネルギー消費効率を引き上げる。これにより、今後30年以上にわたって、毎年、全米の石炭火力発電所が生み出すエネルギーの倍の量のエネルギーを節約できる。
【再生可能エネルギー】 連邦大陸棚(outer continental shelf)上での風力、波力、海流発電を可能にするプロジェクトを推進する。

連邦大陸棚というのは連邦政府が管轄する大陸棚のことである。詳しくはJOGMECの用語辞典を参照。海上風力発電は陸上風力発電に比べると障害物が無いことから安定的に高効率で発電することができ、有利である。デンマークでは重要な電力源になっている。しかし、米国の場合(日本でもそうだが)、台風(というかハリケーンか)が来ることによって被害を受けやすく心配である。波力は日本では昔からチャレンジされているが、いまのところ航路標識ブイの電源として実用化されている程度である。海流は・・・どうだろう?海流のエネルギーを奪うぐらい発電したら、気象に影響が出て問題がおこるが・・・。

【環境・エネルギー関連事業への投資】 米国内で環境・エネルギー関連事業を振興し、雇用を促進する。また、次世代エネルギー技術の研究開発に10年間で1500億ドルを投資する。

『平成20年版 科学技術白書』によると米国の2008年度科学技術予算はNSF:60.32億ドル、DOE(エネルギー省)科学局:40.45億ドル、NIST:5.15億ドル、計約106億ドル(NASA、NIH、国防予算除く)である。次世代エネルギー技術開発に1500億ドル/10年=150億ドル/年だから、NSF+DOE+NISTの予算額よりも大きい額が毎年投入されることになる。アメリカはなんでもスケールが大きい。で、財源は?

【石油依存からの脱却】 エネルギー安全保障上の観点から、石油依存からの脱却を図る:
  1. 石油依存から脱却できような次世代自動車ならびに次世代燃料の開発を推進する
  2. エネルギー供給企業に対し、米国内の再生可能エネルギー、化石燃料、バイオ燃料、原子力の開発を進めさせ、安定供給を図らせる
  3. あらゆる分野でエネルギー効率を向上させための投資を促進する。

日本はすでにやっているが、アメリカもようやく石油依存からの脱却を決心した様子。

【二酸化炭素排出の抑制】
  1. 市場原理を利用した二酸化炭素排出規制により、海外の石油への依存と米国内での化石燃料利用を抑制し、米国内における新たな産業を振興する
  2. 二酸化炭素排出抑制によって、結果的に歳入が増加し、米国民に利益が還元される
  3. 二酸化炭素排出に務めることにより、米国産業のレベルを保ち、国際競争力を高める

小生が「市場原理を利用した二酸化炭素排出規制」と訳した部分は原文では"stemming carbon pollution through a market-based cap"である。要するに二酸化炭素排出権取引のことだろう。

市場メカニズム利用っていうのはいかがなものか、というのが小生の認識。日経・JBIC排出量取引参考気配を見ると、今日(2009年5月7日)の値は1575.9円/t-CO2である。2008年7月14日には3821.5円/t-CO2の最高値をつけていたのだが、金融危機の影響(多分)で2009年2月16日には1015.9円/t-CO2(約4分の1)まで値を下げた。現在はだいぶ持ち直しているといえるだろうが、また何かの拍子に下落するのでは、と思う。市場メカニズム頼りというのは危ないのではなかろうか。

小生としてはつっこみどころを見出してしまうグリーン・ニューディール政策であるが、不況脱出策として世界的に大きな流れとなっている。成功すれば地球にも人類にも良い結果をもたらす。

金融・証券の世界でもこの潮流に対する好反応が見られる。日興グリーン・ニューディール・ファンド
なんかバカ売れの様子である。

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2009.05.05

なぜエメラルダスは髪が赤いのか。



わたしはエメラルダス
命の火が
もえつきるときまで
宇宙をさまよう
自由の女

(松本零士『クイーンエメラルダス』Vol.1(講談社漫画文庫)、71ページ、田島令子の声で読むこと)

今日は夕方5時から7時まで、ケーブルテレビのチャンネルNECOで「メーテルレジェンド・交響詩・宿命」を見ていた。

このアニメによればメーテルとエメラルダスは姉妹であり、1000年女王ラー・アンドロメダ・プロメシューム(日本名:雪野弥生)の娘である。母子ともに惑星ラーメタルに住んでいる。

ラーメタルはもともと1000年周期の楕円軌道をもつ太陽系第10番惑星だったのだが、暗黒太陽ラーの引力により太陽系から離脱してアンドロメダに飛び去りつつある。このあたりの事情は『新竹取物語 1000年女王』で確認のこと。で、太陽から離れてだんだんと寒冷化が進んでいるわけである。

女王プロメシュームは、寒冷化に対応するという建前の下、全住民機械化の陰謀によって機械化されてしまう。メーテルとエメラルダスは機械化を嫌い、母と決別して惑星ラーメタルを脱出する。ここまでが「メーテルレジェンド」の内容。

ラーメタル脱出に使われるのはなんと銀河鉄道999。『銀河鉄道999』はメーテルが機械化された母を倒すために鉄郎を連れて999でラーメタルに戻ってくる復讐譚だったわけである・・・って思たけど、そんなに単純な話じゃないらしい。松本零士の世界は難しい。

さて、ようやく本題であるが、エメラルドは緑の宝石なのに、エメラルダスは何故、赤い髪なのか?その答えは『クイーンエメラルダス』Vol.2(講談社漫画文庫)巻末に収められた松本零士による「エメラルダスへの想い―あとがきにかえて」に書かれている:

子供の頃、私はエメラルドを真紅の宝石だと思っていた。
エメラルドと聞くたびに、鮮血の輝く紅い石が脳裏に浮かんだ。
エメラルドとは縁遠い、戦後の混乱した日々の空想と想像の産物である。
だから、エメラルドは紅いのだ。
今以て、自分にとってのエメラルドとは『真紅の宝石』なのだ。
<中略>
ハーロックはきっとこういってくれるに違いない。
『宇宙の何処かには、真紅のエメラルドだってきっとある!! 無ければトチローが造ってくれるさ!!』と・・・・・・。
<中略>
故に、エメラルダスは真紅の旗を掲げて、永遠の海を旅するのだ。

ということで、エメラルドが紅い宝石だということはハーロックが保証してくれているわけです。


わたしはエメラルダス・・・・
ひとり 宇宙の海をいく
わたしは魔女・・・・

(松本零士『クイーンエメラルダス』Vol.2(講談社漫画文庫)、352ページ、田島令子の声で読むこと)

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憲法あれこれ

1

5月3日は憲法記念日だったのだが、小生は庭いじりに集中していてそんなこと忘れていた。夜になってNHK「プロジェクトJAPAN」「NHKスペシャル シリーズ「JAPANデビュー」第2回『天皇と憲法』」を見て気がついたのだから暢気なものである。

同番組では大日本帝国憲法(明治憲法)にもとづく政治体制の崩壊の過程が取り上げられていた。

天皇主権を規定した同憲法第1条「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」、統治権の行使は憲法によって制限される(立憲君主制)と規定した第4条「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リテ之ヲ行フ」、そして陸海軍統帥権(統帥権は内閣から独立)を規定した第11条「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」の3つの条項が政治体制を左右するコアの部分であって、第11条の暴走によって政治体制が崩壊したということが述べられていた。

第11条の暴走は軍部によるものというよりも、立憲民政党と立憲政友会という2大政党の政争の具としてこの条項が取り上げられたこと(統帥権干犯問題)によって誘発された。犬養毅五・一五事件で暗殺された印象が強烈なので、政党政治の殉教者のように思われがちだが、実際は政党政治を死なせた犯人だった。


2

NHKのおかげさまで5月3日が憲法記念日だったということに気がついてのち、手に取ったのが丸谷才一『文章読本』(中公文庫)。この本の第4章「達意といふこと」で取り上げられているのが、大日本帝国憲法(明治憲法)と日本国憲法(現行憲法)の文章の比較。

両憲法を比較してよく言われるのが、「日本国憲法は日本語の体を成していない」という批判。しかし、「達意」という観点に立った場合、日本国憲法の文章は機能を果たしているが、大日本帝国憲法のそれは機能を果たしていない、というのが丸谷の意見である。

丸谷は「運動神経のない優等生が厚木したやうなモタモタ口調」と現行憲法の「文章論的欠点」を指摘しつつ、「それにもかかはらず現行憲法の文章は、明治憲法にくらべてずつと上等なのである」と評する。なぜなら、達意ということで大事なのはセンテンス一つ一つの明晰さよりも、文章全体で前後矛盾がないことであり、この点で見ると明治憲法は辻褄が合わないものだと丸谷は述べる:

そのことが最もあらはなのは臣民の権利の条項で、第十九条から第三十条まで、あれやこれやとうるさく保留をつけながらではあるにせよとにかく権利を保障してゐるのに、その反面、まづ第八条の緊急勅令で、次に第十四条の戒厳令で、そしてさらに第三十条の非常大権で、それらの権利を根こそぎ奪ひ取るのである。

小生が見たところ、明治憲法はその中に機能を停止させるコマンドや抜け穴を大量に保有している。これを評して丸谷は「混乱と支離滅裂」と述べているのである。これに対して、現行憲法には現代日本語として不自然なところがあり、かつ第9条のように政治状況によって解釈が変動する部分があるなど問題点が散在しているが、前後矛盾する部分は見当たらず、また憲法の機能を停止させる条項を持たず(第96条は憲法改正の手続きを示したものだから違う)、全体として秩序を保っている。現代の政治状況にふさわしいかどうかという政治的見地を離れ、達意という点から見れば、丸谷同様、小生も現行憲法の方がましであると判断したい。


3

憲法というといつも論争(解釈論争、改憲論争)の中心になるのが、先ほど一瞬だけ触れた第9条である。

丸谷は「達意」という観点から憲法の文章全体としての秩序の問題を取り上げているものの、第9条の条文の「達意」を問題として取り上げてはいない。この条項の解釈について論争が繰り広げられている現状を見る限り、第9条には「達意」の点で問題があるように小生などは思うのだが、丸谷は単純に「第九条の戦争放棄と戦力の否定」と素直に解釈している。小生もこの条項に関しては素直に読めばいいと思うのだが、そうすると第9条が国際情勢にそぐわなくなるという問題が生じるわけである。歴代内閣はこの問題に対処するべく、現状に応じて解釈を変えるという手法を使ってきた。護憲・改憲それぞれの立場から見るとすっきりしないやり方に見えるだろうが、小生から見るときわめて現実的かつ巧妙な手法であると思う。解釈で限界が生じ、しかも国民全体が望むのなら正式な手続きに則って憲法を改正すればよい:

第96条 この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

読売新聞(2009年4月3日)が公表した憲法改正に関する全国世論調査(面接方式、2009年3月14~15日実施)の結果によると、改正賛成派は51.6%、改正反対派は36.1%だったということである。改正賛成が過半数を占めている。9条改正に関しては「解釈や運用で対応するのは限界なので改正する」とした人々が38%を占めたという。だが「解釈や運用で対応する」と答えた人々が33%、「厳密に守り解釈や運用では対応しない」とした人々が21%を占めており、改憲賛成が強くなってきたとはいっても9条改正が論議の焦点になっているわけではないと解釈される。

朝日新聞(2009年5月1日)が公表した憲法世論調査(2009年4月18~19日)の結果によると改正賛成派は53%、反対派は33%だったという。これも改正賛成派が過半数。ただし、9条改正に関しては「変える方がいい」とした人々が26%、「変えない方がよい」とした人々が64%を占めていた。改正賛成派に択一式で改正理由を尋ねた結果では「新しい権利や制度を盛り込むべきだから」と回答した人々が74%を占め、「第9条に問題があるから」と回答した人々は15%にすぎなかった。上述した読売新聞の結果と合わせて考えると、やはり第9条は改正論議の焦点ではないようである。


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憲法改正論議でよく聞くのが「現行憲法は押し付け憲法なので、自主憲法を」という意見。とくに第9条に関しては「日本政府のお偉方ァ、何か言<つ>うど、この第九条ば継子扱い<あづげー>すて居<え>だったもんだ」(沼袋老人の発言、井上ひさし『吉里吉里人』、新潮文庫、上巻471ページ)

古い本であるが、柄谷行人と岩井克人の対談集『終わりなき世界』(太田出版、1990年)の最後のくだりで、柄谷行人がこういう事を言っている:

昔、上山春平が書いていたのですが、この憲法の戦争放棄という条項は、たんにアメリカ占領軍が日本の軍事的復活を恐れて強制したというのではなく、第一次大戦・第二次大戦を経た西洋諸国の理想、世界史的な理念を祈りのように書き込んだものではないかというのです。それはまた、日本人の祈りでもあり、したがって、どんなにこの憲法がアメリカの強制であると言われようと、日本人はそれを改正することを拒否してきたのです。(214ページ)

戦後数年で、朝鮮戦争がはじまる前に、アメリカは日本に再軍備と憲法改正を要求してきました。それに反対したのは日本人です。だから、この戦争放棄という項目は強いられたのではなく、抵抗によって得られたものです。(214ページ)


「強いられたのではなく、抵抗によって得られた」。そこまで突き詰めて考えた人は多くはないと思う。しかし、現憲法を押し付けられたという意識は日本人の間ではそれほど強くないのではないだろうか。日本人はアメリカによって骨抜きにされた、と言われたらそれまでだが。

上で触れた朝日新聞の調査結果によると、改正賛成派の中で改正理由として「自分たちの手で新しい憲法を作りたいから」を挙げた人々は9%に過ぎなかった。

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2009.05.01

木下長嘯子

安土桃山時代から江戸時代にかけて、木下長嘯子(きのした・ちょうしょうし)という歌人がいた。

手元に7世紀から17世紀に至る千年間の和歌の傑作を集めた『清唱千首』(塚本邦雄撰、冨山房百科文庫)という本がある。ここに収められた1000首のうちの10首、すなわち1パーセントは長嘯子の歌であり、撰者から非常に高い評価を受けているといえるだろう。

長嘯子の本名は勝俊。木下という姓でもわかるように秀吉の親戚である。おね(北政所)の甥にあたる。豊臣家は大坂夏の陣で族滅させられているが、おね系の木下家は江戸時代になっても生き残っている。長嘯子も無事生き残り、1649年に80で天寿を全うしている。

以下、『清唱千首』春の部に挙げられた長嘯子の歌(挙白集より)を引用する。番号は『清唱千首』の整理番号である。

29 春の夜のかぎりなるべしあひにあひて月もおぼろに梅もかをれる
92 さてもなほ花にそむけぬ影なれやおのれ隠るる月のともしび
107 なべて世は花咲きぬらし山の端をうすくれなゐに出づる月影
151 越えにけり世はあらましの末ならで人待つ山の花の白波

29番の歌では月と梅という絶妙な組み合わせを「春の夜のかぎり」すなわち最高の春の夜だと評している。
151番は、冷泉為景が桜の頃に来ると言って来なかったことに対する怒りと嘆きをこめた歌である。「越えにけり」といきなり感情が炸裂しているにもかかわらず、波頭のごとき山桜の情景で締めるあたり、非常に巧みである。

春ということもあり、月、月、月、花、花、花のオンパレードだが、同じ主題を新たな切り口で詠んで人を驚かし続けるあたり、長嘯子の腕前である。

『清唱千首』の撰者、塚本邦雄は長嘯子を「突然変異的歌人」と呼び、その作風を「新鮮奔放」と評している。

木下長嘯子の歌はここでも紹介されている:「木下長嘯子(木下勝俊) 千人万首

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周達観『真臘風土記』(東洋文庫507)を読む

長らく絶版状態だった周達観の『真臘風土記』を手にいれた。

真臘風土記―アンコール期のカンボジア (東洋文庫)真臘風土記―アンコール期のカンボジア (東洋文庫)
周 達観

平凡社 1989-08
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周達観は中国の元代の人。真臘とはアンコール朝の頃のカンボジアのことである。

以前、カンボジアに出張したとき、現地のエージェントからこの本の存在を聞き、読んでみたいと思っていた。昨年9月に第3刷が発行されたが、そのときは気がつかなかった。先日、オアゾの丸善に立ち寄った際に入手できた。

訳者は和田久徳という東南アジア史の専門家である。1917年に生まれ、1999年に没している。この訳書は1989年に初版第1刷が発行されているが、完成までに20年余りかかったと訳者序文に記されている。それだけ校訂や考証に労力を投じたということだろう。

以下、小生が読んでみて興味を覚えたところを引用する:

【国名】

真臘<しんろう>国は、あるいは占臘<せんろう>と称する。その国は自称して甘勃知<かんぼっち>という。(総叙)

当時からカンボジアはカンボジアだったということがわかる。

【服装】

国主より以下、男女はみな椎髻<ついけい>(さいづちまげ)で袒裼<たんせき>(上衣を脱いで肌をあらわすこと)であり、ただ布(綿布)で腰を囲み包むだけである。外出する時には、すなわち大布一枚を〔その上に〕加え、〔腰の〕小布の上にまとう。(服飾)

大抵、一布を腰にまとうほかには、男女〔の区別〕なく、みな乳房を露出し、椎髻で跣足<はだし>である。国主の妻であっても、またただこのようである。(人物)

当時の人々の服装について周達観はこのように記しているが、アンコールワットの壁画などを見る限り、まさしくその通りの服装である。

【通過儀礼】

富家の女は、七歳より九歳までに至ると、至貧の家ではすなわち〔女が〕十一歳になると、必ず僧侶・道士に命じてその童貞の身を取り除かせ、名づけて陣毯<じんたん>という。(室女<おとめ>)

時期に至ると、〔僧は〕女とともにねやに入り、みずから手でその〔女の〕処女を取り去り、これを酒の中にいれると聞いた。(室女<おとめ>)

民俗学によると西欧や日本でもかつて初夜権なるものがあったと聞く。世界的に似たものが存在するのであろうか。

【商売】

国中の売買は、みな婦人がこれをよくする。唐人が彼〔の国〕に到ると、必ずまず一人の婦人を妻とするわけは、他の一方でまた、その〔婦人が〕上手に商売できるのを利用しようとする故である。(貿易)

現代でもカンボジアで店を営んでいるのは女性が多いように思う。統計を取ったわけではないが。基本的に東南アジア各国では女性がよく働く。男性は遊んでばかり?

【水浴】

〔その土〕地は炎熱に苦しむ。毎日、数回水浴しなければ、〔一日も〕過ごすことができない。夜に入ってもまた一、二回〔水浴〕しないわけにはいかない。(澡浴)

あるいは三、四日、あるいは五、六日〔ごとに〕、城中の婦女は三三五五みな城外に至り、河の中で水浴する。河辺に到着すると、〔身に〕まとった布を脱ぎ去って水に入る。(澡浴)
城外の大河では、〔一〕日としてこれがないことはない。唐人は暇な日に、これ(水浴)を見物することを大へん楽しみとしている。また水中に入ってひそかに待ちもうける者もあると聞いた。(澡浴)

東南アジア各国は2月ごろでも日中には30℃を超えることが多い。クーラーがない時代、炎天を凌ぐためには水浴が最も有効な手段だったのである。それにしても唐人の好色さ。

【中国からの移民】

唐人で水夫をしている者は、その国(カンボジア)中で、衣裳を着けず、また米糧が求め易く、婦女が得易く、家屋がととのえ易く、役立つ道具がみたし易く、売買がし易いことを好都合として、しばしばみな、彼〔の国〕に逃げのがれる。(流寓)

当時から中国移民が多かったことがわかる。このようにして華僑社会が成立していったのだろう。

訳者和田久徳の解説によると、周達観がカンボジアを訪ねたのは十三世紀末、ジャヤヴァルマン8世とシュリーンドラヴァルマン(インドラヴァルマン3世)の治世であった。タイにスコータイ朝が興隆し、アンコール朝に衰退の兆しが見え始めたころである。

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