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2009.05.01

周達観『真臘風土記』(東洋文庫507)を読む

長らく絶版状態だった周達観の『真臘風土記』を手にいれた。

真臘風土記―アンコール期のカンボジア (東洋文庫)真臘風土記―アンコール期のカンボジア (東洋文庫)
周 達観

平凡社 1989-08
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周達観は中国の元代の人。真臘とはアンコール朝の頃のカンボジアのことである。

以前、カンボジアに出張したとき、現地のエージェントからこの本の存在を聞き、読んでみたいと思っていた。昨年9月に第3刷が発行されたが、そのときは気がつかなかった。先日、オアゾの丸善に立ち寄った際に入手できた。

訳者は和田久徳という東南アジア史の専門家である。1917年に生まれ、1999年に没している。この訳書は1989年に初版第1刷が発行されているが、完成までに20年余りかかったと訳者序文に記されている。それだけ校訂や考証に労力を投じたということだろう。

以下、小生が読んでみて興味を覚えたところを引用する:

【国名】

真臘<しんろう>国は、あるいは占臘<せんろう>と称する。その国は自称して甘勃知<かんぼっち>という。(総叙)

当時からカンボジアはカンボジアだったということがわかる。

【服装】

国主より以下、男女はみな椎髻<ついけい>(さいづちまげ)で袒裼<たんせき>(上衣を脱いで肌をあらわすこと)であり、ただ布(綿布)で腰を囲み包むだけである。外出する時には、すなわち大布一枚を〔その上に〕加え、〔腰の〕小布の上にまとう。(服飾)

大抵、一布を腰にまとうほかには、男女〔の区別〕なく、みな乳房を露出し、椎髻で跣足<はだし>である。国主の妻であっても、またただこのようである。(人物)

当時の人々の服装について周達観はこのように記しているが、アンコールワットの壁画などを見る限り、まさしくその通りの服装である。

【通過儀礼】

富家の女は、七歳より九歳までに至ると、至貧の家ではすなわち〔女が〕十一歳になると、必ず僧侶・道士に命じてその童貞の身を取り除かせ、名づけて陣毯<じんたん>という。(室女<おとめ>)

時期に至ると、〔僧は〕女とともにねやに入り、みずから手でその〔女の〕処女を取り去り、これを酒の中にいれると聞いた。(室女<おとめ>)

民俗学によると西欧や日本でもかつて初夜権なるものがあったと聞く。世界的に似たものが存在するのであろうか。

【商売】

国中の売買は、みな婦人がこれをよくする。唐人が彼〔の国〕に到ると、必ずまず一人の婦人を妻とするわけは、他の一方でまた、その〔婦人が〕上手に商売できるのを利用しようとする故である。(貿易)

現代でもカンボジアで店を営んでいるのは女性が多いように思う。統計を取ったわけではないが。基本的に東南アジア各国では女性がよく働く。男性は遊んでばかり?

【水浴】

〔その土〕地は炎熱に苦しむ。毎日、数回水浴しなければ、〔一日も〕過ごすことができない。夜に入ってもまた一、二回〔水浴〕しないわけにはいかない。(澡浴)

あるいは三、四日、あるいは五、六日〔ごとに〕、城中の婦女は三三五五みな城外に至り、河の中で水浴する。河辺に到着すると、〔身に〕まとった布を脱ぎ去って水に入る。(澡浴)
城外の大河では、〔一〕日としてこれがないことはない。唐人は暇な日に、これ(水浴)を見物することを大へん楽しみとしている。また水中に入ってひそかに待ちもうける者もあると聞いた。(澡浴)

東南アジア各国は2月ごろでも日中には30℃を超えることが多い。クーラーがない時代、炎天を凌ぐためには水浴が最も有効な手段だったのである。それにしても唐人の好色さ。

【中国からの移民】

唐人で水夫をしている者は、その国(カンボジア)中で、衣裳を着けず、また米糧が求め易く、婦女が得易く、家屋がととのえ易く、役立つ道具がみたし易く、売買がし易いことを好都合として、しばしばみな、彼〔の国〕に逃げのがれる。(流寓)

当時から中国移民が多かったことがわかる。このようにして華僑社会が成立していったのだろう。

訳者和田久徳の解説によると、周達観がカンボジアを訪ねたのは十三世紀末、ジャヤヴァルマン8世とシュリーンドラヴァルマン(インドラヴァルマン3世)の治世であった。タイにスコータイ朝が興隆し、アンコール朝に衰退の兆しが見え始めたころである。

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