古代中国と山口県:「楊貴妃の里」と「三国志城」
中国史にゆかりのある山口県の地名として真っ先に連想されるのは、普通だったら日清戦争後の講和条約が結ばれた下関だろう(下関条約)。
だが、中国側の認識とは無関係に山口県側で勝手に中国との縁を結んでしまったところが2箇所ある。以下ご紹介する:
1.楊貴妃の里
奈良時代、旧油谷町(現・長門市)の向津具(「むかつく」と読む)半島に楊貴妃が流れ着いたんだそうな。地元民の手当ての甲斐も無く亡くなったそうだが。
「二尊院」には玄宗皇帝から送られたという釈迦如来像と阿弥陀如来像が置かれているということで、ある種の人々の興趣をそそること間違いなし(?)。ちなみに小生は、向津具半島の川尻岬まで行ったものの、楊貴妃の里には行かなんだ。
楊貴妃伝説など詳しいことは「油谷観光情報」を参照。
2.三国志城
旧大和町(現・光市)にある、三国志ファンの人が作った博物館である。三国志との縁を求めるならば、かろうじて近隣の古墳から魏や呉の銅鏡が見つかったことが挙げられる。三国志関連グッズの展示のほか、年間を通して中国所縁の行事を実施している。
入場料は大人500円だそうで私営博物館としては良心的かも。「三国志城は宗教施設・宗教団体ではございません」と念押しされており、一般市民の皆さんもご安心。激辛「赤壁ラーメン」は大好評だという話だから「レッド・クリフ」に感動した諸兄は是が非でも三国志城を訪れるべし。
ちなみに小生は山口県に住んでいながら光市には足を踏み入れたことすらありません。
三国志城の公式ホームページはここ。
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