響ホール室内合奏団が来た
2009年4月11日夕刻、渡辺翁記念会館で響ホール室内合奏団の演奏会が開かれた。指揮は東京藝術大学教授の澤和樹(ソロヴァイオリンも担当)、コンサートマスターは宇部出身の上野美科(ソロヴァイオリンも担当)、チェンバロ演奏は客員の篠原いずみ。
小生はツマとともに午後5時半に会場に入った。一週間前に井筒屋で入場券を購入したとき、だいぶ売れ残っているような感じだったのだが、実際に来てみると予想よりも多い客の入り。宇部にはクラシックファンが多いのか?
今回の曲目は
- ヴィヴァルディ: 『調和の霊感』作品3より 2つのヴァイオリンのための協奏曲第8番イ短調
- バッハ: 2つのヴァイオリンのための協奏曲 BWV. 1043
- ホルスト: セントポール組曲 作品29-2
- ブリテン: フランク・ブリッジの主題による変奏曲 作品10
だった。小生はクラシック通ではないのでどれも知らない曲ばかり。済みませんね。
"Fructu non foliis arborem aestima"
"by its fruit, not by its leaves, judge a tree"
「葉ではなく果実によって樹木を評価せよ」というラテン語の短文が舞台上のチェンバロの蓋に書かれていた(あとで調べたらアウグストゥス帝の解放奴隷パエドルスの言葉だとか)。
この語句をぼんやりと見ながら、そして「生でチェンバロの演奏を聴くのは初めてだなあ」と思いながら、はじめの2つのバロックの作品を聞いた。どちらの曲でも「2つのヴァイオリンの・・・」とある通り、澤和樹と上野美科の二人が競うようにヴァイオリンを演奏した。当たり前だが上手い。安心して聞いていられる。澤和樹のヴァイオリンは1732年に製作された「アークライト」という名器であるそうだが、小生の耳ではその良さを十分に堪能することはできなかった。
15分の休憩を挟んで後半は20世紀イギリスの復興バロック音楽2曲。これらの曲の演奏では澤は指揮を担当。
コンサートマスターの上野が執筆したリーフレット「HARMONIA通信~バロック編」にはホルストを指して「『惑星』だけがバカ売れ、保守派の地味な作曲家」と記されているが、小生も『惑星』しか聞いたことが無い。で、『セントポール組曲』はいかに?と思いながら聞いたところ、英国民謡らしき旋律―ドリア旋法というのだそうだが―で始まる素朴でありながら美しい曲だった。ところどころ『惑星』「ジュピター」で聞いたような非常に早いヴァイオリンの演奏が加わっていて、やはりホルストの曲だというのを認識した。
ヴィヴァルディ、バッハ、ホルストはよく知られた作曲家だが、小生はブリテンは知らなかった。先ほど引用した上野執筆のリーフレットによると1913年生まれ、1976年没、とのことで、物凄く古い作曲家というわけではない。1956年に来日してN響を指揮して自作の曲『シンフォニア・ダ・レクイエム』を演奏したという。今回、演奏された『フランク・ブリッジの主題による変奏曲』は無調の、主題の探しにくい、現代音楽らしい曲だった。とはいえ、前衛に走りすぎているわけでもなく、聞きやすい曲だった。
すべての演奏が終わった後は客席のアンコールに答えて『アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク』が演奏された。
宇部の聴衆について感心したことがある。拍手のタイミングが適切、つまり演奏が終わったところでちゃんと拍手ができるということ。当たり前のことだと思う読者諸氏もいると思うが、実際に他のコンサートでよく出くわすのが、曲が終わったのか曲の中の小休止なのかわからずに盛大な拍手が起こってしまうという現象。宇部の聴衆はさまざまな曲を聞き込んだ通の客なのだろうか?
交響楽だけでなく、室内楽もなかなかいいものだと思った。会場から出たときも余韻覚めやらず、響ホール室内合奏団のライブ録音CDを2枚買ってしまった次第である。
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