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2009.04.30

【1946・文学的考察】福永武彦による文壇批判

「現代の日本文学は貧困を極めてゐる」

『1946・文学的考察』所収の「文学の交流」の冒頭、福永武彦はこのように書き出して当時の文学の批判を開始した。

果たして文学といふものが現代、明治以後の日本に、存在しただらうか。敗北とか破産とかの名に値するだけのものを僕たちは復元し得るだらうか。僕は甚だ疑問とする。

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福永の考えによれば、作家というものは「彼が最も良く識ってゐる母国の現実を土台にして『人間』を書くもの」である。つまり、個々の特殊な状況の中でに置かれた普遍的なものを描くのが文学ということである。

小生は昔、「文学というものは、自分にしか体験できないことを誰にでもわかるように書くものだ」ということを聞いたか読んだかしたが、「誰にでもわかる」ということは結局普遍的なものが含まれているということである。小生が見聞きした文学の定義は福永にとってのそれと同じものである。

福永はこの文学の定義をもとに日本文学の批判を行う。

日本文学に於ては、すべてがあまりに特殊であって、装飾品を取り除いてみたら後には何も残らなかつたといふ場合が極めて多い。そこに普遍的なもの、コスミックなものが皆無だつた。

なぜこんな事態になったのかという理由について、福永は日本の文壇の「独善主義」「鎖国主義」を挙げる。すなわち、日本の文壇は万葉集、源氏物語以来の詩歌・小説の伝統を誇り、外国文学を相手にしないという態度をとり、また日本文学の優れた部分は翻訳不能なのだと思い上がっていたというのである。

しかし、実際のところ、日本の文壇には日本文学の伝統を継承・発展させる能力も、外国語を理解する能力も無かったのだと福永は指摘する。

言葉の錬金術師である筈の者が、一つの外国語をもマスタア出来ないで、将棋を差したり、カフェに入り浸ったり、禊をしたりしながら、小説が書けると信じてゐたのだ。

外国語の読めない作家たちは、それならば日本の古典を心から勉強してゐただらうか。これまた頗る怪しいものだ。源氏や西鶴を読むことは、原書でジイドやロオレンスを読むことより一層むづかしいのだから。
福永が「文学の交流」で一貫して批判しているのは、当時の日本の文壇の無学(不勉強)・無反省・無力ぶりである。そして、その批判を行ったうえで、外国文学をどしどし批判的に吸収して日本文学を世界水準に近づけようと主張した。

この福永武彦の批判が行われた1946年から既に60数年経過しているが、日本の文学界はどのように変貌を遂げただろうか?

大江健三郎や村上春樹のように、海外文学をその言語で直接学び、吸収し、そして、その作品が各国語に翻訳される作家が既に登場している。一部の作家は福永の批判に応えることができたのではないかと思われる。

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2009.04.29

庭の手入れ2:クロマルハナバチ来る

今日は休みなので庭の手入れに励んだ。

庭の芝の手入れをしたり、雑草を抜いたり、花壇の枯れてしまった花を抜いたりという作業を午後12時から3時半まで繰り広げていた。

だいぶ前に「庭の手入れ」という記事を書いたが、その後も花壇の手入れなどをして、この春、なんとか成果を得ることができた(携帯のデジカメなので画像がぼけているが、黄色い花と青い花が咲いていることぐらいは看取できるだろう):

庭の手入れ2

庭の手入れ2

花の名前は不明。なぜかというと、買った種の袋に「黄色い花」とか「青い花」とかしか書いていなかったから。売る方も売る方だが買う方も買う方である。

さて、現在、当家ではツツジが満開になっている。

ハチがブンブン集まってくるのだが、それはミツバチではなく、クロマルハナバチ。黒くて丸くて腹の先が黄色くなっているハチである。こういうやつ。羽音が大きいのでビビるが、特に凶暴なやつではないそうなので、庭の手入れは中断せずに済んだ。

この季節、ハチが飛びまわることによって植物の受粉が助けられているのであるが、最近よく聞くのがミツバチの大量失踪:蜂群崩壊症候群である。ナショナルジオグラフィック・チャンネルでも放送されたし、本も出ているし、最近では宇部日報でも取り上げられた(「ミツバチ激減」、宇部日報2009年4月21日)。

蜂群崩壊症候群は野生のコロニーでは見られない現象なので、商業用のコロニー特有の現象ではないかと言われている。原因についてはウィルス説、寄生虫説、ストレス説、電磁波説、農薬説、遺伝子組み換え作物説など様々なものがあるが、決定打に欠いている。

クロマルハナバチもまた、ミツバチと同様に農業(トマトやナスやイチゴ)で利用されている。クロマルハナバチに関しては蜂群崩壊症候群が報告されていないようである。

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2009.04.28

星菫派(せいきんは)批判とやら

出張のお供としてこういう本を読んでいた:
加藤周一中村眞一郎福永武彦『1946・文学的考察』(冨山房百科文庫)

長らく入手できなかったのだが、つい最近、オアゾの丸善で購入することができた。

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これは3名の高名な作家・評論家(「マチネ・ポエティク」と呼ばれる)が終戦翌年の若かりし頃に書いた文学批評集である。ここには戦前・戦中・戦後の日本の文壇に対する痛烈な批判や世界的な文学の情勢の紹介などが収められている。

目次




    • 焦点・新しき星菫派に就いて
    • 時間・ペトロニウスの饗宴
    • 空間・文学の交流



    • 焦点・田舎からの手紙
    • 時間・ダンテの『地獄』と僕たちの地獄
    • 空間・或る時一冊の亡命詩集の余白に



    • 焦点・二つの現実
    • 時間・1945年のウェルギリウス
    • 空間・もう一人のモオリヤック



    • 焦点・焼跡の美学
    • 時間・「アガメムノン」と共に
    • 空間・二人の復員兵



    • 焦点・或る女友達の疑問
    • 時間・ボオドレエル的人生
    • 空間・我々も亦、我々のマンドリンを持つてゐる



    • 焦点・作家と行動
    • 時間・金槐集に就いて
    • 空間・ラニイ・バッド



    • 焦点・知識人の任務
    • 時間・エロチスムの不易と流行
    • 空間・ジャン・ポオル・サルトルとジョン・ドス・パソス



    • 焦点・70歳の論理
    • 時間・オイヂプスの運命
    • 空間・オルダス・ハックスリの回心



    • 焦点・人間の発見
    • 時間・寓話的精神
    • 空間・日本に於けるヘルマン・ヘッセ

最初のエッセイ(というのか批評というのか)「新しき星菫(せいきん)派に就いて」は加藤周一によるものだが、星菫派論争なるものを引き起こしたという。星菫派とはWikipediaにもあるように「星やすみれ(菫)に託して、恋愛や甘い感傷を詩歌にうたった浪漫主義文学者のこと」だが、ここで「新しき星菫派」と命名されているのは、戦時中の文学青年たちのことである。新しき星菫派に対して加藤がどのような批判をしたのかについての情報があまりネット上に見当たらないので(わずかにブログ記事「加藤周一 死去の報を聞いて」に取り上げられている程度)、本記事で紹介しようと思う。

加藤周一が矛先を向けている「新しき星菫派」とは、戦時下の文学青年たちのことで、加藤は次のように糾弾している:


  • 寸毫の良心の呵責を感じることなしに、最も狂信的な好戦主義から平和主義に変わり得る青年
  • 殆ど総てのよき芸術に可なり深い理解を示しながら、その教養が彼の父親の戦時利得を俟って始めて可能であったと云ふことを理解しない青年
  • かなりの本を読み、相当洗練された感覚と論理とをもちながら、凡そ重大な歴史的社会的現象に対し新聞記事を繰り返す以外一片の批判もなし得ない青年
  • 充分に上品であり、誠実であり、私の如き友人に対してさへ遺憾なく親切でありながら、例えば彼の父の如き軍国の支配階級の犬共が搾取し、殺戮し、侮辱した罪なき民衆に対しては、全く無感覚な青年

よくもまあ、これだけ悪口を並べることができるものだと感心する。加藤はさらに星菫派を
軍国主義を脱れながら、軍国主義政府とその弾圧とを間接に利用し、資本主義社会を呪ひながら不労所得に依て生活し、自由なる個人を装いながら、明らかに封建的支配階級のために、人民を戦争と飢餓とに駆立てた宣伝に対して、旗幟を鮮明にしなかった

と批判する。

加藤は星菫派の唱える芸術、哲学、思想なぞ「子女の玩弄に供しうる」程度のものだとも言う。加藤にとっては「危険な『人生を確実に歩むために真を偽から区別する』ことを教えるのが哲学」であり、「『解釈するのではなく、改造する』ことを目的とするものが思想」である。星菫派が持っているのは「現実に対して無力な哲学、歴史を判断することのできない思想」なのである。

加藤は星菫派は教養があるかのように見えて実は無学であるとも批判している。

試みに、最近リルケに就いて書いた星菫派の詩人乃至は詩論家の任意の十名をとつて「悲歌」を与へ、解釈の答案をつくらせれば、抑々リルケの流行が何であり、星菫派の独逸文学理解が何の程度のものであるか忽ち明白になるであろう。例へば、十中の五人は全く独逸語を解しない。三人は独逸語を介するが、「悲歌」は読んでゐないと白状する。多くて二人が読んだこともあり、翻訳も出来ると云ふにすぎないであらう。

最後に加藤はこのように書いて文章を結んでいる:

要するに新しき星菫派は小児病患者の芸術的思想的遊戯に過ぎないが、流行は全く嘔気を催させるものであり、筆者は衷心からその流行の中絶と、彼等が理性の道へかへることを希望している。

加藤は、戦争中は現実から逃避していながら、戦後は無批判に平和主義に転向した人々を無学・無力・無節操と批判し、また同時に彼らに対して勉学と過去への反省と現実の直視とを要請しているのである。まっとうな批判だと思うが、当時こんなに徹底的に批判された側はムカーッときただろうと思う。

それにしても当時27歳の青年だった加藤周一。たいした文章力だと感心した。

戦前・戦中・戦後の文壇の無学・無力さかげんについては福永武彦が「文学の交流」や「二つの現実」で徹底した批判を行っているが、これについては別の記事で紹介する。

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2009.04.24

東京都現代美術館に行ったわけで

出張の合間に東京都現代美術館(通称:MOT。MO+なのかもしれん)に寄って常設展(一般:500円)を見てきた。展示室入り口には高さ7m超のオブジェ、ジャイアント・トラやん(ヤノベ・ケンジ)が屹立して見学客をお出迎え。

以下、小生の記憶に残った(ということは気に入ったということだ)作品の感想を記す。写真で示せないのは小生にとっても読者にとってもつらいことである。

大竹伸朗『日本景/ぬりどき日本列島』(インク/紙、1997年)
極太の線で描かれた白黒の「ぬり絵」風の作品。鉄道駅、風俗店の店先など日本各地の街の光景を描いている。通常は絵にならないようなキッチュな風景が、こうやって切り出されたとたんに芸術になるのは不思議だ。

田幡浩一『track and trace (crystal cluster)』(エナメル/透明アクリル板、2008年)
田幡浩一『track and trace (dragon fly)』(エナメル/透明アクリル板、2008年)
水晶やトンボの線画をそれぞれ一枚のアクリル板に3回繰り返し描いた作品である。繰り返し描くたびに、線要素をばらばらに散らばらせている。描いた対象物の希薄化を意味しているのか?逆に線要素が集合することによって、意味のある存在と化すことを意味しているのか?

中村貞以(ていじ)『春』(岩彩/絹、1925年)
中国服を着た女性を描いた古い絵である。女性の顔は安田靫彦(ゆきひこ)風だがもっと丸い。春といっても色調は抑制されており、うす曇の空の下、といった感じである。天候不順になりがちな早春か?日本画に現代性を感じるのは何故?和モダンとかいうやつ?

高木正勝『Bloomy Girls』(DVD、5分22秒、2005年)
女性が髪をなびかせているところを映像化したものだと思う。シャガールがアニメーションを作ったらこんな風になるのでは?と思うような色彩。

内海聖史『三千世界』(油彩/綿布、2006年)
様々な色で星雲状の点集合が描かれた5cm×5cmの布片842点を等間隔で壁一面に貼り付けた作品。一個の布片でひとつの宇宙を表し、全体でメタ宇宙を表している、曼荼羅の一種。三千世界は三千大世界とも言う仏教語である。「みちおうち」とも読む。

小林孝亘『Dream, dreaming us』(油彩/カンヴァス、2006-2007年)
涅槃仏のように横になっている若い修行僧を描いた作品。修行僧ではなく、やはりブッダの可能性がある。絵の中の修行僧(仮名)はこの絵を見ているこちら側を夢見ているのである。仏教神話もしくはヒンドゥー神話によると(昔読んだカール・セーガン『コスモス』の一節なのでうろ覚え)、この世はブラフマーが見ている夢なのだそうだ。ということは、この修行僧(仮名)はブラフマーなのかもしれない。
ついでに。
ブラフマーがこの世を作ったのは(あるいは夢見ているのは)全ての人生を体験することによって完全な存在になるためなのだという。この話は星野之宣『宗像教授異考録』の一節なのでうろ覚え。

名和晃平『PixCell-Deer#17』(ミクストメディア、2008-2009年)
名和晃平『PixCell-Bambi#4』(ミクストメディア、2007年)
ミクストメディアという言葉は便利な美術用語である。いろんな素材でできていたらとりあえずミクストメディアと呼べばよい。名和晃平のこれらの作品は、鹿や小鹿の剥製を無数のガラス球で覆ったものである。だからガラス球を覗き込むと毛皮が見える。対象物を複眼的に見ることを強制しているのだろうか?

現代アートを一瞥しただけで評論家気取りである。困ったものだ。現代アートに興味が沸いた人はワンコインで済むので見に行ってください。

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2009.04.23

スパムの語源のスパムを食べた

先日19日、小倉駅改札付近で「沖縄物産展」らしきものが開催されていた。

そこで買ったのが、これ、スパムである。500円で買った(高いのか、安いのかわからん)。

スパムの語源のスパムを食べた

コショウをかけて焼いて食べたが、まあ豚肉ソーセージって感じ。まずくはないが、すぐに飽きが来た。食べ終わった後の缶の匂いはなんかツナ缶の油の匂いに似ていると思った。

スパムはアメリカのホーメル食品のランチョン・ミートだが、米軍基地があり、また伝統的に豚食文化があるため、沖縄でも日常の食べ物として受け入れられているらしい。だから「沖縄物産展」にあったわけである。

今、「スパム」というと、スパムメールのことを指すことが多いが、スパムメールの「スパム」という言葉の語源はこの食品のスパムである。由来はWikipedia「スパム」の記事に詳述されてるが、要約すると、

モンティ・パイソンがコメディ番組で「ウンザリする食べ物」という意味で「スパム」を連呼したことにより、ウンザリするほど送られてくる迷惑メールをスパムメールと呼ぶことになった

という話である。

たしかにちょっと食べるには問題ないが、ひと缶分たべるのは大変である。

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2009.04.18

古代中国と山口県:「楊貴妃の里」と「三国志城」

中国史にゆかりのある山口県の地名として真っ先に連想されるのは、普通だったら日清戦争後の講和条約が結ばれた下関だろう(下関条約)。

だが、中国側の認識とは無関係に山口県側で勝手に中国との縁を結んでしまったところが2箇所ある。以下ご紹介する:

1.楊貴妃の里
奈良時代、旧油谷町(現・長門市)の向津具(「むかつく」と読む)半島に楊貴妃が流れ着いたんだそうな。地元民の手当ての甲斐も無く亡くなったそうだが。

「二尊院」には玄宗皇帝から送られたという釈迦如来像と阿弥陀如来像が置かれているということで、ある種の人々の興趣をそそること間違いなし(?)。ちなみに小生は、向津具半島の川尻岬まで行ったものの、楊貴妃の里には行かなんだ。

楊貴妃伝説など詳しいことは「油谷観光情報」を参照。

2.三国志城
旧大和町(現・光市)にある、三国志ファンの人が作った博物館である。三国志との縁を求めるならば、かろうじて近隣の古墳から魏や呉の銅鏡が見つかったことが挙げられる。三国志関連グッズの展示のほか、年間を通して中国所縁の行事を実施している。

入場料は大人500円だそうで私営博物館としては良心的かも。「三国志城は宗教施設・宗教団体ではございません」と念押しされており、一般市民の皆さんもご安心。激辛「赤壁ラーメン」は大好評だという話だから「レッド・クリフ」に感動した諸兄は是が非でも三国志城を訪れるべし。

ちなみに小生は山口県に住んでいながら光市には足を踏み入れたことすらありません。

三国志城の公式ホームページはここ

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2009.04.17

ユース・バルジに対抗するには無人兵器

先日読んだ『自爆する若者たち』のせいで、軍事問題をユース・バルジと結びつけて考えるのが癖になっている今日この頃。

Technobahnによるとアフガニスタンでアメリカの新型無人航空機らしきものが確認されたという:
アフガニスタンで未確認の無人航空機、米軍の秘密兵器の可能性」(2009年4月16日、Technobahn)

ロッキードが開発しているP-175「Polecat(ポールキャット)」に似ているが、違う部分もあるという話である。

米国で既に使用されている無人航空機としては「RQ-1 プレデター」が有名である。プレデターはアフガニスタン、パキスタン、イラクといったテロ・紛争国において偵察や攻撃任務に就いている。

Technobahnは2ヶ月ほど前にこんな技術も紹介している:
サイボーグ昆虫の登場、DARPAが蛾のリモコン実験に成功」(2009年2月24日、Technobahn)

ボイス・トンプソン研究所の研究グループが「昆虫サイボーグ(Hybrid Insect Micro-Electro-Mechanical Systems)開発計画」の一環として、蛾を生体超小型無人航空機として活用する研究に着手し、成果を挙げているというのである。これが順調に行けば、将来はマイクロ軍用機が偵察・監視・威嚇・攻撃・暗殺など様々な軍事用途に利用されることになるだろう。

上述したように無人兵器が使用されているのは基本的にユース・バルジを背景に持つ、テロ・紛争国家である。ほとんど無尽蔵に供給される兵士たちを相手に、かけがえのない跡取り息子たちを戦わせるのは先進国にとって非常につらい話である。人間一人ひとりの価値は平等であるべきなのだろうが、実際には人間の単価に開きが生じてしまっている。

米国としては莫大な開発費用がかかっても無人化を進めるのが対抗策なのであろう。日本もやがてはそうなるのだろうか?

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2009.04.16

ソマリア沖の海賊とユース・バルジ

専門家ではないのでエラそうには書けないのだが、ソマリア沖で発生する海賊事件はユース・バルジ(若年層人口の突出)が原因ではなかろうかと思い始めた。先日読んだ本『自爆する若者たち』の影響である。

Wikipediaの記事「ソマリア沖の海賊」の記述によれば、海賊行為の社会背景として、ソマリアの内戦の影響で魚が輸出できなくなり、困窮した漁民が海賊化した、という説が挙げられている。ただし、同記事では海賊たちが自分たちを正当化するため、元漁民と名乗っている可能性も指摘している。つまり、漁民の海賊化という説の真偽のほどは明確でない。

内戦から海賊行為にいたる因果関係の連鎖をうまく整理できない場合、別の視点で考えるのはどうだろうか。そこで思いついたのが、先日紹介した「ユース・バルジ」説である。

CIAのWorld fact bookによると、ソマリアの人口構成には巨大なユース・バルジが見られる(2009年4月9日更新値):

  • 0-14 years: 45% (male 2,215,331/female 2,204,503)
  • 15-64 years: 52.6% (male 2,588,356/female 2,579,737)
  • 65 years and over: 2.5% (male 101,764/female 142,326)

この15歳未満年少人口の比率は、アフガニスタンの44.5%と同程度、イラクの38.8%、パキスタンの37.2%よりも高い値であり、非常に危険な数値である。

そもそもユース・バルジ、すなわち居場所のない若者たちの野心が内戦を生み、その一バリエーションとして海賊行為が始まるようになったのではなかろうかというのが小生の説(仮説)である。

この仮説をより説得力のあるものにするためには、

  1. 内戦がはじまった1991年時点にはユース・バルジが見られたのかということと、
  2. 海賊行為を担っているのは若年層なのかということ
を明らかにする必要があるだろう。

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2009.04.15

架空請求メール来たよ

携帯電話に「件名:non title」で架空請求メールが来たのでご紹介する:

(株)プラスジャパン 03‐6457‐7430 担当の前田と申します。 早速ですが、本題に入らさせて頂きます。 現在お客様がご使用中の携帯電話端末より、認証ネットワーク事業者センターを 介し以前にお客様がご登録されました『有料情報サイト』『特典付きメルマガ』 『懸賞付きサイト』等における無料期間内等で退会手続が完了されていない為、 ご登録料金及びご利用料金が発生しており現状で料金未払いとなった状態のまま 長期間の放置が続いております。 当社はサイト運営会社より依頼を受けまして、料金滞納者の個人調査、悪質滞納 者の身辺調査などを主に行っております。 (以下略)

発信元はp.japan.15@docomo.ne.jp

これは今月に入ってばら撒かれているメールであるようだ。Yahoo!知恵袋では全文が紹介されているので、興味ある人はごらんあれ。

上記の下線部「前田」が「中島」になったり「原」になったり「相沢」になったり「栗原」になったりしているらしい。

こんなので引っかかったりしている人がいるのか怪しいものだが、読者諸氏は同様のメールは完全に無視なさるようお願いする次第である。

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2009.04.14

【自爆する若者たち】ユース・バルジ(若年層突出)の脅威

テロ、内戦、戦争を引き起こす根本的な原因は民族対立でもイデオロギー(や原理主義)対立でも貧困でもなくユース・バルジ(若年層の人口突出)であるというのがこの本の主張である。

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ユース・バルジとは人口ピラミッドにみられる若年層の異様なふくらみの事を指し、ハインゾーンによると、15歳~24歳までの者が全人口の20%以上を占めるとき、あるいは0歳~15歳未満の年少人口が30パーセント以上を占めるとき、「ユース・バルジが見られる」というのだそうだ。

なぜ、ユース・バルジが脅威なのかというと、その状況下では若者が望んでいる社会経済的地位を獲得できないからである。

若者が多すぎると、しかるべきポストにありつけない。また遺産相続の際も、相続分が少なくなるか、全く相続できなくなるか、という状況に陥る。伝統的な社会の場合、男子であれば次男以下は家を出て他に活路を見出さなくてはならない。

大都市や外国があふれた若者を吸収することができれば良いが、そうでなければ、余剰と見なされた若者のフラストレーションが高まり、テロ、内戦、戦争が引き起こされる・・・というわけである。別の言い方をすれば、上昇志向の若者の野心を社会が吸収できなくなったときにテロ、内戦、戦争が発生するということである。

この説によれば、飢餓対策や教育の普及は根本的な問題解決にならない。飢えているわけでも教育レベルが低いわけでもない国々でテロリストが生まれるのは、ユース・バルジが原因だからである。

ハンチントン『文明の衝突』風に考えるとイスラム原理主義がテロを生み出しているかのように思えるが、この本によれば、そうではなく、イスラム社会のユース・バルジがテロの原因ということである。

ユース・バルジ理論は現代社会だけでなく、世界史にも適用できる。この本によれば15世紀から20世紀の間のヨーロッパ人による世界制覇はヨーロッパにおけるユース・バルジが原因である。テクノロジーレベルに関してはヨーロッパ、イスラム、アジアに大差は無かったにもかかわらず、ひとりヨーロッパのみが世界制覇を成し遂げたのは、ヨーロッパにおけるユース・バルジの発生により居場所のない次男坊、三男坊が地位と財産と名声を求めて新大陸やアフリカ、アジアに乗り出したためだと著者は説明する。

ユース・バルジ理論を将来に当てはめると中国は脅威ではない。なぜなら、15歳未満の年少人口が15%程度であるからだ。先進国と同様に、大事な一人っ子である「小皇帝」たちを戦地に赴かせたいとは中国の親たちは思わないだろう。

オッカムの剃刀」という言葉がある。「現象を同程度うまく説明する仮説があるなら、より単純な方を選ぶべきである」という考え方である。

テロや紛争の発生原因には様々なものが考えられるが、「ユース・バルジ」はこれらの現象を非常にすっきりと、そして統一的に説明できる概念である。「オッカムの剃刀」を適用すれば、民族対立・イデオロギー・貧困よりも「ユース・バルジ」理論の方が説得力があると考えられるが、読者諸氏はどう思うだろうか?

たとえ理論として「ユース・バルジ」理論に欠けているところがあるとしても、テロや紛争の脅威を予測する上で「ユース・バルジ」が重要なインディケーターの役割をしてくれることは間違いが無いと思う。

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2009.04.13

下関でイージス艦「きりしま」を見てきた

下関にイージス艦「きりしま」が来ているという情報を得たので、昨日(4月12日)見に行った。

Kirishima01

DDG 174, JDS Kirishima. イージスシステム搭載護衛艦「こんごう」型2番艦。平成7年3月16日就役。全長161m、基準排水量7250t。

先日の北朝鮮の「ミサイル発射」では監視のため太平洋側に展開していたそうであり、そこから帰ってきて下関のあるかぽーとに寄港したという話。

これまでも護衛艦の見物をしたことがあるが、イージス艦は初めてである。
下の写真をみてもわかるように、大勢の人が見に来ていた。こういう行事は小生とツマもその中の2人なのであるが。

Kirishima03

次の2枚の写真は艦首側から撮ったもの。127mm速射砲と艦橋(上)、そして艦首ごしに見た関門橋(下)である。イカツイ護衛艦と風光明美な風景のコントラスト。

Kirishima02

Kirishima04

艦橋にも入れてもらえたが、人がいっぱいであまりいい写真は撮れなかった。でも、自衛官から護衛艦の操縦の仕組みは教えてもらったし、操舵装置も触らせてもらった:

Kirishima07

艦橋を見た後は艦尾に回った。「きりしま」は艦首側と艦尾側にミサイル発射装置VLSがあるが、この写真は艦尾側のもの:
Kirishima06
「きりしま」にはSPYというレーダーが搭載されており、そのおかげで同時に16の目標を攻撃できるという。艦橋からの指示によってVLSが発射される。ミサイルを発射するとこのあたりが真っ黒になるという話である。兵器の手入れって大変。

自衛官の人々は、聞けばいろいろ丁寧に教えてくれる。広報活動も重要な任務なわけですな。

イージス艦「きりしま」に関しては他のウェブページでも一般公開時の写真が掲載されているので、読者諸氏はご照覧あれ:

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2009.04.12

響ホール室内合奏団が来た

2009年4月11日夕刻、渡辺翁記念会館で響ホール室内合奏団の演奏会が開かれた。指揮は東京藝術大学教授の澤和樹(ソロヴァイオリンも担当)、コンサートマスターは宇部出身の上野美科(ソロヴァイオリンも担当)、チェンバロ演奏は客員の篠原いずみ。

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小生はツマとともに午後5時半に会場に入った。一週間前に井筒屋で入場券を購入したとき、だいぶ売れ残っているような感じだったのだが、実際に来てみると予想よりも多い客の入り。宇部にはクラシックファンが多いのか?

今回の曲目は


  • ヴィヴァルディ: 『調和の霊感』作品3より 2つのヴァイオリンのための協奏曲第8番イ短調
  • バッハ: 2つのヴァイオリンのための協奏曲 BWV. 1043
  • ホルスト: セントポール組曲 作品29-2
  • ブリテン: フランク・ブリッジの主題による変奏曲 作品10

だった。小生はクラシック通ではないのでどれも知らない曲ばかり。済みませんね。

"Fructu non foliis arborem aestima"
"by its fruit, not by its leaves, judge a tree"
「葉ではなく果実によって樹木を評価せよ」というラテン語の短文が舞台上のチェンバロの蓋に書かれていた(あとで調べたらアウグストゥス帝の解放奴隷パエドルスの言葉だとか)。

この語句をぼんやりと見ながら、そして「生でチェンバロの演奏を聴くのは初めてだなあ」と思いながら、はじめの2つのバロックの作品を聞いた。どちらの曲でも「2つのヴァイオリンの・・・」とある通り、澤和樹と上野美科の二人が競うようにヴァイオリンを演奏した。当たり前だが上手い。安心して聞いていられる。澤和樹のヴァイオリンは1732年に製作された「アークライト」という名器であるそうだが、小生の耳ではその良さを十分に堪能することはできなかった。

15分の休憩を挟んで後半は20世紀イギリスの復興バロック音楽2曲。これらの曲の演奏では澤は指揮を担当。

コンサートマスターの上野が執筆したリーフレット「HARMONIA通信~バロック編」にはホルストを指して「『惑星』だけがバカ売れ、保守派の地味な作曲家」と記されているが、小生も『惑星』しか聞いたことが無い。で、『セントポール組曲』はいかに?と思いながら聞いたところ、英国民謡らしき旋律―ドリア旋法というのだそうだが―で始まる素朴でありながら美しい曲だった。ところどころ『惑星』「ジュピター」で聞いたような非常に早いヴァイオリンの演奏が加わっていて、やはりホルストの曲だというのを認識した。

ヴィヴァルディ、バッハ、ホルストはよく知られた作曲家だが、小生はブリテンは知らなかった。先ほど引用した上野執筆のリーフレットによると1913年生まれ、1976年没、とのことで、物凄く古い作曲家というわけではない。1956年に来日してN響を指揮して自作の曲『シンフォニア・ダ・レクイエム』を演奏したという。今回、演奏された『フランク・ブリッジの主題による変奏曲』は無調の、主題の探しにくい、現代音楽らしい曲だった。とはいえ、前衛に走りすぎているわけでもなく、聞きやすい曲だった。

すべての演奏が終わった後は客席のアンコールに答えて『アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク』が演奏された。

宇部の聴衆について感心したことがある。拍手のタイミングが適切、つまり演奏が終わったところでちゃんと拍手ができるということ。当たり前のことだと思う読者諸氏もいると思うが、実際に他のコンサートでよく出くわすのが、曲が終わったのか曲の中の小休止なのかわからずに盛大な拍手が起こってしまうという現象。宇部の聴衆はさまざまな曲を聞き込んだ通の客なのだろうか?

交響楽だけでなく、室内楽もなかなかいいものだと思った。会場から出たときも余韻覚めやらず、響ホール室内合奏団のライブ録音CDを2枚買ってしまった次第である。

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2009.04.11

【生産財マーケティング】化学産業における新製品の成功に関して

以前、論文の解説をすることで忘却に対する抵抗運動を始めたいと宣言し、あるエコマーケティング論文を紹介したが、今回は生産財マーケティングに関する論文を紹介する。

マーケティングというよりは商品開発の範疇だと思うが、両者の境界が良くわからないのでまあいいや。

Robert G. Cooper, Elko J. Kleinschmidt, New-Product Success in the Chemical Industry, Industrial Marketing Management, Vol. 22, pp.88-99, 1993

この論文で、CooperとKleinschmidtは4カ国(米国、英国、カナダ、ドイツ)21社の103の新製品開発プロジェクトに関して企業関係者へのアンケート調査を行い、その成功・失敗要因についてまとめている。21社にはDuPont, Exxon Chemicals, Dow, ICI, Shell Chemicals-UK, Rohm & Haasといった大手が含まれている。

新製品の成功/失敗の判定は2種類の手法で行われている。一つは収益性、技術的成功、年間総売上高、マーケットシェアなどについて0から10で点数化。もう一つは単純に成功か失敗か二者択一で判断するものである。

成功/失敗と様々な評価指標との関係

103プロジェクトのうち、3分の2はうまくいっていると判定されている。そして成功した製品の発売3年後の年間売上高は平均800万ドル、失敗した製品のそれは80万ドルということである。

マーケットシェアに関して言えば、成功製品は次位のライバル製品に対して平均4.95倍のシェアを持ち、失敗製品は首位のライバル製品に対して平均0.60倍のシェアであるということが述べられている。

技術的成功の判定を-5~5点のスケールで判定すると、成功製品は平均3.47点、失敗製品は平均0.8点となっている。

製品成功のための6大要因
CooperとKleinschmidtは調査結果をもとに6つの成功要因をまとめている。


  • アイディアの源泉

    • 顧客からアイディアを得ること(Market-pull)
    • 技術主導(Technology-push)型は凶、同業他社から得るのは大凶
    • もしも技術主導型でプロジェクトが始まったら、早い段階で市場のニーズと照合すること

  • 早期の製品定義

    • ターゲット市場、製品コンセプト、ポジショニング、製品の必要性、想定利益などが開発段階よりも前に健闘されていること

  • 適切な製品開発プロセス

    • 市場調査、パイロット生産、pre-commercialization、試験販売など、必要な作業をサボらずきちんと行うこと
    • 失敗したプロジェクトではこれらを省略していることが多い

  • 適切な製品開発組織

    • 必要な権限を持つリーダーが率いること
    • アイディア段階から出荷まで、他の組織に委譲することなく製品の面倒を見ること

  • 国際性

    • 化学製品(生産財)なんだから世界市場を目指さなくてはいけない
    • 国内向けではダメ
    • 国内および隣接した国々向けではなおさらダメ

  • 出荷時のエフォート

    • カスタマーサービスとテクニカルサポート
    • 営業部隊の能力
    • 納期と量の信頼性

アイディアの源泉と国際性に関しては以下、補足しておく。

アイディアの源泉
各プロジェクトの製品アイディアの源泉がどこにあるかについてこの論文では次の表のようにまとめている:


全プロジェクト成功製品失敗製品
社内技術39.838.242.9
顧客29.133.820
ライバル企業21.319.125.7
取引先6.88.82.9
その他2.908.6

この表の単位は[%]である。「全プロジェクト」の列は全103プロジェクトのアイディアの源泉の割合を表している。製品アイディアの源泉の1位は社内技術、2位は顧客であることがわかる。

このほか、「成功製品」の列は成功製品のアイディアの源泉の割合を、「失敗製品」の列は失敗製品のアイディアの源泉の比率を表している。

アイディアの源泉別に成功率を調べると次の表のようになる:


成功率
社内技術63.4
顧客76.7
ライバル企業59.1
取引先85.7
その他-

これをみると、顧客からアイディアを得る場合に成功率が高いことがわかる。取引企業からアイディアを得る場合も成功率が高いが、データが少ないため統計的には有意ではなかったということだ。

国際性
ターゲット市場別に成功率をまとめたのが次の表である:


成功率
国内市場のみ65.5
国内および近隣諸国54.2
産業国66.7
世界市場78.6

世界市場を目指すことが圧倒的に成功率が高いことがわかる。あと、中途半端に近隣諸国を狙うのはダメなようだ。

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2009.04.09

「スパモニ」で知った田宮二郎の生き様

毎朝、「スーパーモーニング」(司会:赤江珠緒、小木逸平)を見てから仕事に行くのだが(早く行け)、昨日(8日)は「田宮二郎」の話をやっていたので見入ってしまった。長男・柴田光太郎氏はじめ複数の関係者が田宮二郎のプライベートに関して包み隠さず語ってくれたおかげで、今まであまり知られていなかった事実が明らかにされた。記憶に残ったエピソードを箇条書きにするとこのようなものだった:

  • 演技に対する異常なまでのこだわり
    • 主演映画『白い巨塔』での自身の演技に対する不満(小生が思うに、この映画で財前教授を演じるにあたり、田宮は付け髭をしていたが、それはまだ32歳に過ぎなかった自分の貫禄の無さを埋めるための演出だったかもしれない)。この映画での悔いが、後のドラマ『白い巨塔』での過剰なまでの演技につながる。
    • 映画『華麗なる一族』の山本監督に対する怒りと憎悪。この映画では田宮は脇役・美馬中を演じるが、自分には主役こそがふさわしいと怒りをこめて関係者に語っていたとのこと。
    • 映画『不信の時』のポスターに掲載された名前の序列をめぐる大映社長との対立。田宮は自分の名前がトップに出ることにこだわりをもっていたが、この意地が田宮の映画界からの追放につながる。
    • ドラマ『白い巨塔』でガンに侵された財前教授を演じるため、3日分の食事を抜き、やつれ果ててから撮影に入った
  • 事業・名誉に対するこだわり・奇行
    • 両親を早くに失い、実業家の祖父に育てられたことから、事業に対し並々ならぬ興味を抱いていた。
    • 怪しげな投資話に乗ることが多く、知己のプロデューサーに「100億円の融資を受けることになった」などと語っていた
    • ドラマ『白い巨塔』撮影中にトンガに旅行。スタッフに「国賓として国王に会いに行く」と語る。スタッフが連絡先を教えてくれるよう、頼んだところ、「国賓・田宮二郎でわかる」とのみ答える。
  • 頭髪に関する悩み
    • 海外で植毛手術を受けた。しかし、その後遺症で頭痛に悩まされることに。トレードマークの眉間の皺は頭痛によるものだった。

頭髪に関する悩みは脇に追いやっとくとして、残りは極端さが目立つ話ばかりである。とくにドラマ『白い巨塔』の最終話放送を前に田宮が猟銃自殺(『華麗なる一族』:万俵鉄平のつもりか?)したこともあって、田宮の演技は強烈に人々の印象に残ることとなった。

しかし、その強烈な印象を残した演技が果たして優れた演技、あるいは迫真の演技だったかというと小生はそうは思わない。以前、唐沢寿明主演の『白い巨塔』を観、そのあとで田宮二郎主演の同作品を見たが、小生は田宮の演技からは「やり過ぎ」な感じを受けた。台詞も気取り過ぎな印象。時代が違うということも影響するのだろうが、唐沢の演技の方が感情移入しやすかった。

過剰な演技で思い出したのが、映画『ゴルゴ13 九竜の首』。原作に入れ込み、ゴルゴ13に同化するべく過剰なメイクをした千葉真一が、かえって原作のイメージから乖離してしまったという話。田宮二郎はドラマ『白い巨塔』において「田宮二郎」を演じてしまったのではなかろうかという気がする。

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2009.04.04

Google Street Viewの撮影車が追い出された件

Technobahnに面白い記事が載っていたので紹介する:
グーグルのストリートビューカーが来たぞ! 皆で追い返せ」(Technobahn, 2009/04/03)

イギリスのバッキンガムシャー州のある町でグーグルのストリートビュー(Street View)のパノラマ映像撮影用の専用車の存在に気づいた住民が集まり、町から専用車を追い出すという事件が起きていたことが3日、英タイムズ紙の報道により明らかとなった。

で、タイムズ紙の電子版ではこの行為に対する批判記事が出ている:
"Why the villagers who sent the Google Street View car packing are NIMBYs gone mad" (Times Online, 2009/04/03)

NIMBYというのは"not in my backyard"の略で、「都合の悪いことはウチの近所ではなく、よそでやってくれ」という考え方をする人々のこと。

この記事では、グーグルは合法だ、町並みをとっちゃいかんのかね? もしそうだったら不動産屋さんが物件をネットで公開するのはどうなる? 不動産屋さんがお客さんを一軒一軒連れて歩くのは、両方にとって不利益ではないのか? グーグルのおかげでわれわれは机上旅行を楽しめる、グーグルのテクノロジーはわれわれの心を広げてくれる、というようなことが主張されている。

記事を書いたMike Harveyに対しては、「よく言った」という肯定派と「プライバシーはどうなる?」という疑念派、両派のコメントが寄せられている。

小生としてはTom L氏の

The irony is that if Google blanks out their village they are more likely to have inquisitive minds going to have a look at it!
(グーグルがNIMBYたちの街を空白のままにすれば、物好きたちの興味をもっと引きつけてしまう。皮肉なものだ)
という意見が気が利いていて良かったと思う。

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フリーソフトでPDFに注釈

環境保護のため、ペーパーレスが叫ばれるこの世の中、読者諸氏の職場ではPDF化された書類の利用が増えていることと思う。

しかし、現実にはPDFファイルを印刷してしまってペーパーレス化にはなっていないことが多いのではないかと思われる。

何故そうなるかというと、PDFファイルのままだとAdobe Readerなどで読むことができても、アンダーラインを引いたり、メモを書き込んだりということができないからだろう。

小生などは書類に書き込みをしないと頭に入らないタイプなので、PDFファイルを印刷してしまうことがたびたびある。そして、一度読んだ文書はゴミ箱行きなのである。もったいない。マータイ博士に怒られそうである。

フリーのAdobe Readerでは書き込みができなくても、有償のAdobe Acrobatを持っていれば、PDFへの注釈が可能である。だが、Acrobatはそれなりに値が張る。この金融危機後の世界、個人にとってはAcrobatの購入は結構痛い。

なんとかならんかと思っていたら、こういうソフトがあったので紹介する:
PDF-XCHANGE VIEWER, Tracker Software Products Ltd.

Pdfxchangeviewericon

ためしに使ってみたら、ちゃんとマーカーで色をつけたり、アンダーラインを引いたりすることができた。画面は自分の論文にマーカーで色を付けてみたところ:
Pdfxchangeviewer

複数の文書を同時に開いておいてタブで切替表示できるし、アンダーラインや注釈を保存することもできる。非常に便利だ。とりあえず、個人的に使っているパソコンにはインストールしておいた。これで(書き込みのために)膨大な印刷物を持ち歩く面倒くささが減りそうである。

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2009.04.02

デフォルト・ポリシーの重要性: Importance of default policies for products and services

Harvard Business Reviewにデフォルト・ポリシー(default policy)の重要性を訴える記事が載っていたので紹介:
Daniel G. Goldstein, Eric J. Johnson, Andreas Herrmann, Mark Heitmann: Nudge your customers toward better choices, Harvard Business Review, December 2008, pp. 99 - 105

製品やサービスのデフォルト設定にはしかるべきポリシーが必要だという話。パソコンとかソフトウェアとかを購入すると、デフォルト設定のせいで結構悩まされることが多い。当たり前といえば当たり前の話であるが、この記事では考え方が良く整理されている。いずれ日本語版に訳されるだろうから(商売の邪魔をしたらいけないから)、ここでは要約というかメモを記述するだけに留める。

デフォルト設定に対する考え方がいい加減だと、ユーザから猛反発を受けることがある。この記事によるとSNSのFacebookが2007年にデフォルト設定で、ユーザの購入品を表示するようにしたら、「プライバシーを侵害するな!」と猛反発を受けたという。

一方でデフォルト設定は余分な経費をかけずにユーザを誘導するのにも使える。というのも多くのユーザは心理的惰性で製品やサービスをデフォルト設定のまま放置することが多いからである。例としてこの記事では臓器ドナー登録の話を挙げている。ドイツではドナー登録は市民が自主的に行うものとなっているが、12%のドイツ市民のみがドナー登録をしている。これに対しオーストリアでは全市民が初めからドナー登録されている。もちろん、登録解除は自由にできるのだが、99.98%のオーストリア市民がドナー登録を保持している。

この記事ではデフォルト・ポリシーを類型化しており、各企業はそれらの中から製品・サービスに応じたポリシーを選択すれば良い。デフォルト・ポリシーの類型は以下の通り。選択の仕方(decision tree)については同記事を読まれたし。

 大衆向けデフォルト設定


  • Benign defaults 優しいデフォルト設定:企業がユーザにとって最も良いと(使いやすいとか便利とか)判断した設定
  • Hidden options 選択肢の秘匿:他にも選択肢があるにもかかわらず、コスト的判断により、デフォルト設定が唯一のオプションであるかのように見せる方法。 飛行機などの食事では「ビーフかチキンか」以外にも隠しメニューがあるが、明示しておくといろいろと面倒なので、2つしか選択肢が無いかのように見せている。
  • Random defaults ランダム・デフォルト設定:これはマーケティング手法である。何種類かのデフォルト設定をしておき、ユーザーが最初の設定からあとでどのように設定を変えていったのかを調べることによって、ユーザの嗜好を知るのである。

 個別デフォルト設定


  • Smart defaults ユーザの嗜好にもとづいてデフォルト設定を行うこと
  • Persistent defaults ユーザの過去の選択傾向にもとづいてデフォルト設定を行うこと
  • Adaptive defaults ユーザーの最新の選択傾向にもとづいてデフォルト設定を行うこと

Persistent defaultsやAdaptive defaultsはインターネットでの本の購入や航空機・ホテル予約などでよく応用されている。禁煙ルームを良く選択するユーザが、新たにホテル予約をする場合、企業側はあらかじめ禁煙ルームのオプションを選んでおくわけである。PersistentとAdaptiveの違いは準静的(持続的)か動的(変動的)かという程度の違いに過ぎないと小生は思う。

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Edyが通貨危機だと!? Part2

昨年6月にも「Edyが通貨危機だと!?」と電子マネーEdyの未来を心配する(あまり心配していない)記事を書いたが、通貨危機は未だに続いているようである:
電子マネーのエディ、9期連続赤字でいよいよ正念場」(東洋経済、2009年3月30日)
同記事によると、

業界のパイオニア的存在でもある「Edy(エディ)」が苦境にあえいでいる。

エディを展開するビットワレットは、2009年3月期に50億円近くの最終赤字を計上する見通し。


とのこと。対策として通算6回目の増資(50億円)を行うという。

小生、この間、期限切れが迫るマイレージをEdyに変換したところだというのに、困ったもんだ。

それはそうと、電子マネーに関する統計データってあまり公開されていないように思う。日銀が統計を始め、結果を公表するようになったのは去年のことである:
決済システム等に関する調査論文 最近の電子マネーの動向について」(日本銀行決済機構局、2008年8月、PDF435KB)

この調査論文によると2008年6月時点で、


  • 電子マネー発行枚数:携帯電話分も含めて8761万枚
  • 決済件数は8700万件
  • 1件当り決済金額は753円

ということになっている。

ただし、これは電子マネー全体の動きを示すもので、個別の電子マネーの状況はわからない。小生のようにEdyを憂う者としては不満足である。Edyのホームページに行っても、

2009年3月時点では、Edy機能搭載のカード・携帯電話等の累計発行数は約4,670万枚(携帯電話分も含む)、利用可能箇所は全国122,000ヶ所を超えています。

ということしか書いてなくて良くわからんかったし。

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中国からラオスへの贈り物(いやげもの):Lao National Culture Hall

ラオス首都に巨大中華街 中国、「援助攻勢」の見返りに」(朝日新聞、2009年4月1日)というイヤーな記事が出ているので思い出したのだが、ヴィエンチャンには他にも中国からのイヤーな贈り物がある。

"Lao National Culture Hall"がそれである。こんな建物:
Culture01

これが正面:
Culture02

"Lonely Planet LAOS"でこのホールについて調べるとこんなふうに書いてある:

The outsized and ugly hall was built by the Chinese government in the late 1990s as a 'gift to the people of Laos'.
「無駄に大きく、醜い」と酷評されてやんの。ラオスにはそもそもこんな建築様式の建物は無い。現地の文化無視も甚だしい。

たまにイベントに利用されているようだが、小生のヴィエンチャン滞在中(2週間)は2回ぐらいしか使われていなかった。現地では「通り抜けできず邪魔」との声も。

そういえば、滞在していたラオプラザホテルからインド料理屋「タージマハール・レストラン」に行こうとしたとき、このホールのせいで回り道をしなくてはいけなかった。やはり邪魔だな。

ラオスは大国に囲まれた小国なので、国家が独立を維持できるかどうかが政府や国民にとって最大の関心事である。

ラオスがどこか一カ国を頼りにするとその国に吸収されてしまう恐れがある。そこで、さまざまな国から援助を受けることでステークホルダーを増やし、どこの国の属国にもならないようにするのが肝心である。現在はおそらく日本が最大の援助国で、あとはオーストラリア、中国、ベトナム、タイが援助や投資を行っている。

最近は中国の台頭でそのバランスが崩れ始めているようである。上述の朝日新聞の記事によると、中国の援助による競技場建設の見返りに、ラオス政府が中国商人らに滞在許可を出す予定だとか。のどかなヴィエンチャンが中華街の登場で荒れるのは嫌だなぁ。

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『マンキュー経済学』を読む

小生は経済学に関する本を必要に応じて読むのだが、ちゃんとした経済学の教科書を読んだことがなかった。

知識を整理する必要があると考え、図書館で借りたのがN・グレゴリー・マンキューの『マンキュー経済学』(東洋経済新報社、2005年)である。「ミクロ編」と「マクロ編」の二分冊からなり、どちらも700ページを超える大部。マンキューは理論やキーワードを豊富な例と図表を用いて丁寧に説明している(だから分厚くなるのである)。

マンキューは1958年生まれ。1987年に29歳でハーバード大学教授に就任したという天才。2003~2005年まで大統領経済諮問委員会委員長(CEA)を務めた。頭のいい人とは、判りやすく説明できる人だという話をどこかで聞いたことがあるが、この教科書はまさにそれをあらわしているのだと思った。

本書の特徴としては、最初にマスターすべき「経済学の10大原理」が掲げてあることが挙げられる。この10大原理さえ理解できれば経済学の基礎を学んだといえるというわけである。最初にゴールを示しておいてくれることはありがたい。その10大原理とは:

<人々はどのように意思決定するか>


  • 1. 人々はトレードオフに直面している (トレードオフの原理)
  • 2. あるものの費用は、それを得るために放棄したものの価値である (機会費用の原理)
  • 3. 合理的な人々は限界的(marginal)な部分で考える (微調整の原理)
  • 4. 人々はさまざまなインセンティブに反応する (インセンティブの原理)

<人々はどのように影響しあうのか>

  • 5. 交易(取引)はすべての人々をより豊かにする (比較優位の原理)
  • 6. 通常、市場は経済活動を組織する良策である (「市場原理」)
  • 7. 政府は市場のもたらす成果を改善できることもある (政府介入の原理)

<経済は全体としてどのように動いているか>

  • 8. 一国の生活水準は、財・サービスの生産能力に依存している (生産性の原理)
  • 9. 政府が紙幣を印刷しすぎると、物価が上昇する (インフレーションの原理)
  • 10. 社会は、インフレ率と失業率の短期的トレードオフに直面している (フィリップス曲線の原理)

括弧内は小生が記憶のために勝手に名づけたものである。ひょっとしたら経済学上の用語があるかもしれないが小生にとってはどうでも良い。

第3原理を勝手に微調整の原理と名づけたことには少し説明が必要かもしれない。「微調整」という言葉は実はマンキューが第1章で使っているのだが。

理系の人間が経済学を学ぶときに躓きやすいのが「限界」という言葉。なんとなく、limitのことだと思ってしまうのである。例えば、限界費用というと、「これ以上、費用を出せません」というときの費用のことかと思ってしまうのである。

限界費用とは経済学では生産量を1単位増加した際の総費用の増加分をあらわしているのである。総費用を生産量で微分するというイメージ。「限界」という言葉は「微分係数」を求めることを意味している。微分係数の定義でlim Δh→0とかやっていたのを思い出して、「限界」→「微分係数」と連想すればよいかもしれない。

第3原理の「限界的な部分で考える」という言葉の意味は、「ある変数を微小変化させたときに別の変数がどのように変化するのかを検討する」、という意味である。その意味で第3原理を「微調整の原理」と名づけてみた。

マンキューの教科書は、以上の10大原理を掲げた上で、あとはこれらの原理を何回も取り上げて読者の経済学に対する理解を深めていくという構成である。読み進めていくうちに「何の話だっけ」、「今どこら辺だっけ」とか困惑しないですむので非常に良い。

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