【1946・文学的考察】福永武彦による文壇批判
「現代の日本文学は貧困を極めてゐる」
『1946・文学的考察』所収の「文学の交流」の冒頭、福永武彦はこのように書き出して当時の文学の批判を開始した。
果たして文学といふものが現代、明治以後の日本に、存在しただらうか。敗北とか破産とかの名に値するだけのものを僕たちは復元し得るだらうか。僕は甚だ疑問とする。
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福永の考えによれば、作家というものは「彼が最も良く識ってゐる母国の現実を土台にして『人間』を書くもの」である。つまり、個々の特殊な状況の中でに置かれた普遍的なものを描くのが文学ということである。
小生は昔、「文学というものは、自分にしか体験できないことを誰にでもわかるように書くものだ」ということを聞いたか読んだかしたが、「誰にでもわかる」ということは結局普遍的なものが含まれているということである。小生が見聞きした文学の定義は福永にとってのそれと同じものである。
福永はこの文学の定義をもとに日本文学の批判を行う。
日本文学に於ては、すべてがあまりに特殊であって、装飾品を取り除いてみたら後には何も残らなかつたといふ場合が極めて多い。そこに普遍的なもの、コスミックなものが皆無だつた。
なぜこんな事態になったのかという理由について、福永は日本の文壇の「独善主義」「鎖国主義」を挙げる。すなわち、日本の文壇は万葉集、源氏物語以来の詩歌・小説の伝統を誇り、外国文学を相手にしないという態度をとり、また日本文学の優れた部分は翻訳不能なのだと思い上がっていたというのである。
しかし、実際のところ、日本の文壇には日本文学の伝統を継承・発展させる能力も、外国語を理解する能力も無かったのだと福永は指摘する。
言葉の錬金術師である筈の者が、一つの外国語をもマスタア出来ないで、将棋を差したり、カフェに入り浸ったり、禊をしたりしながら、小説が書けると信じてゐたのだ。
外国語の読めない作家たちは、それならば日本の古典を心から勉強してゐただらうか。これまた頗る怪しいものだ。源氏や西鶴を読むことは、原書でジイドやロオレンスを読むことより一層むづかしいのだから。福永が「文学の交流」で一貫して批判しているのは、当時の日本の文壇の無学(不勉強)・無反省・無力ぶりである。そして、その批判を行ったうえで、外国文学をどしどし批判的に吸収して日本文学を世界水準に近づけようと主張した。
この福永武彦の批判が行われた1946年から既に60数年経過しているが、日本の文学界はどのように変貌を遂げただろうか?
大江健三郎や村上春樹のように、海外文学をその言語で直接学び、吸収し、そして、その作品が各国語に翻訳される作家が既に登場している。一部の作家は福永の批判に応えることができたのではないかと思われる。
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