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2009.02.12

『チェ 39歳 別れの手紙』を見てきた

今日は建国記念日で休日。昼過ぎにツマと『チェ 39歳 別れの手紙』を見てきた。先日『チェ 28歳の革命』を見てきたが、その続きである。

『チェ 28歳の革命』ではキューバ革命成功に至る、困難ながらも栄光のプロセスが描かれている。しかし、『チェ 39歳 別れの手紙』で描かれているのは、チェのボリビアでのゲリラ活動が破滅に至るまでのプロセスである。

この映画はカストロによるチェの「別れの手紙」の紹介によって幕を開ける。カストロらキューバ革命の同志たちが登場するのははじめの冒頭だけ。チェがキューバを離れ、ボリビアでの革命運動に身を投じる経緯が描かれた後は、ほぼすべて森林地帯でのチェのゲリラ活動のみが描かれる。そのゲリラ活動は困難を極めるものだった。

キューバ革命のときは盟友フィデル・カストロがいたし、ゲリラ兵の士気は高く、民衆の支持も強固だった。

ところが、ボリビアではゲリラ兵の士気が低い上に農民たちからの支持がほとんど得られないという困難な状況下でチェは戦わざるを得なかった。キューバからの支援を十分に受けることもできず、ゲリラ部隊の仲間が次々に死に、疲労が蓄積し、喘息にあえぎ、ボリビア軍に包囲されていく、閉塞感と絶望感でいっぱいの状況でチェは最後の最後まで戦わなくてはならなかった。

思ったこと。純粋な革命志向のチェだけで革命を遂行するのは不可能である。キューバ革命が成功したのは、キューバ人でキューバのことをよく知るカストロがリーダーだったからである。ボリビアには「ボリビアのカストロ」がいなかった。チェもわかっていたに違いないが、「世界の他の土地に私のささやかな努力を求める大衆がいる」(チェがカストロに宛てた別れの手紙より)かぎり、チェは動かざるを得なかったのだ。チェ、それは革命の純粋な意志。

チェは別れの手紙でこう述べている「革命のなかでは(それが真の革命である限り)人は勝利するか死ぬかなのだ」。『28歳の革命』では勝利、『別れの手紙』では死という革命の2つしかない帰結が描かれているのである。

 ◆   ◆   ◆

追加情報
それにしても、1月22日と23日はキューバ革命の二日間だった。
1月22日の毎日新聞朝刊、宇部日報ではチェの記事があり、1月23日の報道ステーションでは12分にわたってチェとキューバ革命についての特集があった。



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