メコン流域国について勉強中
仕事の関係上(というかどういう仕事なのだ?)、メコン流域国の歴史から勉強しているところ。
入門書として柿崎一郎『物語 タイの歴史』(中公新書)を読んでいる。これは古代のタイ族国家が誕生するところからタクシン政権崩壊までの通史である。
なじみの薄い地名が続出するので、とりあえず、白地図にお絵かきしながら読んでいる。今回はタイ族がどこから来たのかということをまとめてみた。
まず、メコン流域国の地図。「白地図、世界地図、日本地図などの地図が無料」という偉いサイトがあるので、そこから白地図をもらってきて、加工して作ったのが、これ:
そして、この地図をもとに、タイ族が移動してきた足跡を簡単にまとめたのがこの地図である:
タイ族の出自には様々な説があり、ある説(大タイ主義)ではアルタイ山脈のふもとから出てきたという(『物語 タイの歴史』、p16の地図)が、本当かどうかは不明。しかしながら、少なくとも中国南部から来たことは確かである。雲南省にはタイ系の民族が現在も暮らしている。
タイ族が中国から流出し始めたのは、漢族の南下に伴う結果らしい。ミャンマー方面に移動し、シャン族を形成したグループもいるが、ここではメコン川流域のタイ族の話だけにする。
メコン川に沿って南下したグループのうち、一部はマンラーイ王に率いられてメコン川を離れ、別の大河川、チャオプラヤー川上流のチェンマイに拠点を構えた。これはランナー(「百万の田」の意)王朝(1259成立)と呼ばれている。
また、そのままメコン川に沿って移動したグループはルアンプラバン周辺を拠点として14世紀半ばにランサーン(「百万頭の象」の意)王国を築いた。このグループをラーオ族といい、ラーオ族の国だからラオスとなった。
さて、地図上に点線で丸く囲っている部分には、もともとモン・クメール系民族が住んでいた。その一部が現在、カンボジアの主要民族であるクメール人である。
クメール人は1世紀ごろには扶南(=プノム?)国を建てていたと言う(最近の説ではクメール人ではないとか)。さらに、6世紀の真臘国、陸真臘と水真臘の分裂と合併を経て、9世紀頃にアンコール朝が成立する。アンコール朝は現在のシェムリアップ付近を拠点として次第に勢力を拡大し、スーリヤヴァルマン2世のとき(12世紀前半)にかの有名なアンコール・ワットを建設する。そして、ジャヤバルマン7世(在位1181~1218年)のときにインドシナ半島のほぼ全域を領土とする(クメール帝国の成立)。ジャヤバルマン7世はアンコール・トムを築いた王でもある。このころがクメール人の最盛期であり、「タイ族?誰それ?」という感じだった。
このクメール人が勢力を誇っていた領域に進出してきたタイ族のグループがあった。現在のタイ王国を建国した人々でもある小タイ族、別名シャム族である。このグループはメコン川から離れ、チャオプラヤー川沿いに南下を続け、スコータイの地からクメール人を追い出して王国を築いた(13世紀)。これがスコータイ王朝である。
大雑把に言うと、中国を出発してインドシナ半島に入り込んで来たタイ族は13世紀ごろからクメール人の領域を取り囲むように王国を形成し、またクメール人の居住地に浸透していったわけである。
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