不幸感と相対的剥奪:黒山もこもこ、抜けたら荒野
水無田気流『黒山もこもこ、抜けたら荒野 デフレ世代の憂鬱と希望』(光文社新書、2008年)を読み終わった。
買ってから数ヶ月放置していたのだが、5月6日の午後にようやく手を出して日付の変わるころに読了。
黒山もこもこ、抜けたら荒野 デフレ世代の憂鬱と希望 (光文社新書) | |
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「黒山もこもこ」というのは高度成長期、「荒野」というのはバブル崩壊後から現在までの社会状況を表現した言葉である。著者は1970年生まれの詩人で社会学者である(ちなみに小生も同じ年の生まれ)。著者はこの本の中で、こつこつと地道に物事を積み上げていくプロセスを重視する教育を受けながら、成人してみると結果主義の世の中になっていたという、うらぎられたような感覚を軸にして、現在の日本社会の問題点を次々に指摘している。
これが単に日本社会のゆがみを糾弾するだけの本だったら退屈だったと思う。それが、一気に読みとおすことができたのは、そのユーモラスな文体と的確な表現によるところが大きいと思う。画一的な教育で育てられてきた自分たちをジムやザクに例えたり、70年代生まれを単に「デフレ世代」と言うだけでなく、「社会へ出荷される出口のところで、ちょうど自分たちが乗ってきたベルトコンベアがほころびはじめた世代」、「あらかじめ失われた世代」、「けっして現実化することのない『絵に描いた餅』を、ながめて育った世代」などと上手くユーモアを交えて表現している。詩人としての面目躍如である。
また、「社会移動」、「文化資本」、「準拠集団」、「相対的剥奪」などの社会学の用語を使って、日本社会の変化や問題点をわかりやすく説明しているあたりは社会学者としての分析力と論理性が発揮されている。
詩人としての表現力と社会学者としての分析力・論理性とが結合しなければ生まれなかった本だと思う。
この本でよくわかったのは、幸福感というか不幸感は「相対的剥奪」を源泉としているということ。人は他人や過去の自分と比較して自分を幸福あるいは不幸であると判断する。だから、受験戦争を経ながらその結果があまり生活や社会的地位に反映されていない小生らデフレ世代は、高度経済成長期にどっぶり漬かった小生の親たちの世代や、バブル世代、またはバブル崩壊後に育った世代に比べ、不幸感がより大きくなるのである。
だが、著者は悪い面ばかり述べているわけではない。不幸感を抱え、問題意識の強いデフレ世代は、それだけいろいろなものが見える世代だのであると述べている。
われわれの視界は、他のどの世代よりも広いはずである。(132ページ)
というわけで、小生も万物を見つめ続けていきたいと思います。
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