労働をしないほうが偉い
『有閑階級の理論』第三章「顕示的閑暇」読了。
ヴェブレンが抑制された調子の文体で有閑階級を小突き回しているのが面白くなってきた。
第三章の中身はこんな感じ:
「金銭的競争心」はそのままであれば、蓄財と倹約に結びつく。労働を回避できない階級においてはその通りである。「生産能率と節約という分野でしか取得と蓄積をなしえない人々にとっては、金銭的な名声をめぐる闘いは、ある程度までは勤勉と節倹の増加をもたらすであろう。」(『有閑階級の理論』p. 47 - 48)上層の有閑階級ではこうはならない。古代においては略奪によって、現在においてはなんらかの合法的な手段によって富を得ることができる人々は生産的労働を回避する。略奪が賞賛されていた時代の記憶から、有閑階級にとって労働は弱さと従属を連想させるものとなっている。
尊敬を勝ち得るためには富を所有しているだけではダメで、それを顕示する必要がある。顕示するための道具として、野蛮な時代には戦利品があった。文明が発達するとその代わりに階級や記念メダル、さらに生産的でない学問知識、礼儀作法、身だしなみなどが登場する。
礼儀作法は習得に時間がかかるが、これこそが大事な点である。習得に時間を費やすには、それだけ金銭的な余裕が無いといけない。礼儀作法を身につけていることは富の所有を示すことになり、尊敬を勝ち得るために役立つ。
「気高い紳士・淑女の堂々とした振る舞いを見られたい。それはきわめて高い権威と独立した経済的な暮らし向きを如実に物語るばかりか、同時に、何が正しく優雅であるかに関するわれわれの感覚に、きわめて説得的に訴えかける。」(『有閑階級の理論』p. 63)
この章で読み取るべきことは
- 有閑階級が偉いとされているのは生産的な仕事をしないで済むくらいの富を持っているから
- 有閑階級は生産的な仕事をしていないことを示すために、学問知識、礼儀作法、身だしなみなど時間と金のかかることを行う
ということである。
お稽古事が行われる理由は、さてはプチ有閑階級になって尊敬を得たいためだな。
それはそうと、『有閑階級の理論』の原文(英語)はネット上で読めることがわかった。これである。
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