富こそ評価の基準
「有閑階級の登場は所有権の開始と時期を同じくしている。この二つの制度はおなじ一組の経済的な力からもたらされたものであるから、これは当たり前のことである。」(ソースティン・ヴェブレン『有閑階級の理論』 第二章「金銭的な競争心」)
ヴェブレン『有閑階級の理論』、第二章「金銭的な競争心」を読んだ。概略は以下の通り:
前の章で出てきた重要なキーワードは製作者本能という言葉。人間には効率性を尊ぶ本能がある、ということを意味している。そして、また人々はこの製作者本能にもとづく競争心を抱いている。十分な食料や生活必需品がない野蛮な時代、それらを効率よく獲得する手段として戦争、略奪が選択される。戦争や略奪で目覚しい働きがあった者は、英雄として尊敬を得る。そして、戦利品はその功績を誇示する手段となる。戦利品の所有=尊敬の獲得という枠組みが成立する。また、戦利品の所有が人々の競争心を煽ることとなる。
文明が発達し、生産力が向上すると、物品の獲得手段としての戦争、略奪の意義は低下する(効率が悪いから)。そして、戦利品の所有ではなく、財産の蓄積や産業を興すことで富を所有することが尊敬すべき成功の尺度となる。人々は今度は富の所有をめぐって競争するようになる。このときの人々の心理を表す言葉が「金銭的な競争心」である。
ヴェブレンの時代の経済学では富の所有の動機は、まず生存のためであり、つぎに生活の質の向上のためであると想定されていた。しかし、ヴェブレンによれば、さらに人々の間の競争心ということが富の所有の動機となる:
蓄積誘因が生活の糧や肉体的快適さの欠乏であるとすれば、社会の経済的な必需品総量は、おそらく産業能率が向上したどこかの時点で満たされる、と考えることもできよう。だがこの闘いは、実質的に妬みを起こさせるような比較にもとづく名声を求めようとする競走であるから、確定的な到達点への接近などありあえないのである。(『有閑階級の理論』p. 43)
清貧とか自制ということが尊敬を得る文化も確かにある。しかし、ざっと世間を見渡した感じだと、富の所有ということが人間を測る尺度となっているような感じを受ける。
文化人類学的には怪しい点があるものの、ヴェブレンは金銭的競争心の由来を古代の戦利品獲得競争に由来すると言っているわけである。
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