倫理・道徳を商売道具にさせないための秩序:コント=スポンヴィル『資本主義に徳はあるか』
アンドレ・コント=スポンヴィル『資本主義に徳はあるか』(紀伊国屋書店)の第2章を読了(それにしてもアマゾンの書評は酷い。点検読書にもなっていない。目次と「はじめに」だけ読んだのでは?)。
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著者が憂いているのは、倫理・道徳が金儲けの道具にされていることである。そうさせないための4つの秩序と言うものを著者は説く。以下は第2章の要約:
われわれの世界には4つの秩序が存在する。これらの秩序はそれぞれ固有の論理で動作しており、他の秩序によって制限を受ける。
- 経済-技術-科学の秩序: 可能か不可能か、真か偽かという軸による秩序
- 法-政治の秩序: 合法か非合法かという軸による秩序
- 道徳の秩序: 善悪、義務と禁止という軸による秩序
- 愛(あるいは倫理)の秩序: 喜びと悲しみという軸による秩序
例えば、「経済-技術-科学の秩序」だけしか秩序がなければ、「あらゆる可能なことは必ず行われる」というガボールの原理に則って人類は様々なことをやらかす。例えば、原水爆開発、クローニング、環境破壊。これを制限するものがあるとすれば、「経済-技術-科学の秩序」の外側の秩序が制限を加えなくてはならない。それは「法-政治の秩序」である。違法な科学技術、経済行為は制限される。
「法-政治の秩序」を放置していると、合法でありながら卑劣な行為が起こりうる。例えば、かつてナチス・ドイツは合法的に政権を奪取し大戦を引き起こした。また、南アフリカはアパルトヘイト政策を実施した。これらを制限しうるのは「道徳の秩序」である。
「道徳の秩序」は放置していても害がないように思える。しかし、道徳的行為や道徳の基準を人に押し付けるようになれば、それは問題である。こういった道徳の暴走を食い止める秩序は何かと言うと、「倫理の秩序、あるいは愛の秩序」(倫理は道徳との区別がつかないので、「愛の秩序」と呼んだほうがよいと思う)である。
「愛の秩序」には特に制限が設けられていない。この愛には、真理への愛、自由への愛、隣人への愛などの愛が含まれており、真理への愛は「経済-技術-科学の秩序」を、自由への愛は「法-政治の秩序」を、隣人への愛は「道徳の秩序」を駆動したり制限したりする。ただし「愛の秩序」だけでは何もなしえない。
このような4つの秩序から、「資本主義に徳はあるか」という問題に答えるのが次の第3章である。
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