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2008.03.30

中国の玉(ぎょく)ブーム

今日見たTBS系の番組「報道特集」によると中国ではオリンピックを前にして玉(ぎょく)ブームが巻き起こっているらしい。番組中ではずっと玉と呼んでいたが、ようするに翡翠(ひすい)のことである。

「報道特集」によれば、今度のオリンピックでは金・銀・銅メダルに玉が埋め込まれるそうである。これを機に世界中に玉の文化がアピールされるので喜ばしいと、中国の人々がインタビューに答えていた。

小生は中国人に接する機会が多いので知っているが、中国人はほとんど皆、玉を愛好しており、玉の腕輪をつけていたり、お守りとして首から下げていたりする。ここのところの経済成長で中国国内の玉需要が高まっているのがベースにあり、これに加えて、オリンピックを機に世界中での玉需要が伸びるであろうという期待が玉のブームをまきおこしているのではなかろうか。

砂川一郎『宝石は語る―地下からの手紙―』(岩波新書 黄版248)を読むと、玉=ひすいは「東洋の宝石」だという。中国では(そして中国ほどではないが日本でも多少は)愛好されているが、西洋ではそもそもあまり産出されないことが原因で、あまり宝石として愛好されていないようである。

同書によれば、玉(ジェード)は角閃石族の軟玉(ネフライト:CaMg5Si8O22(OH)2)と輝石族の硬玉(ジェーダイト:NaAlSi2O6)の2つにわかれる。中国国内で産出されるのはネフライトで、緑色、褐色、白色などが入り混じった石で、軟らかく細工に向いている。伝統工芸品や文化財となっているひすい細工はこちらの軟玉製である。硬玉は18世紀以降にミャンマーから中国に輸出されるようになって、はじめて玉扱いされるようになったらしい。硬玉の方は堅いせいか、通常の他の宝石と同じように指輪にセットされる。

「報道特集」では中国国内の和田(ホータン)で採れる玉とミャンマー産の玉を紹介していたが、上述の話からすると、それぞれ軟玉と硬玉だろうと思われる。

硬玉の価値はよくわからないが、小生から見ると、軟玉は加工ができる綺麗な石というぐらいの価値しかない。軟玉細工の価値の重点は石自体よりも精密な細工の方にある。欧米人がお土産として買うとしたら、石の価値ではなく東洋趣味の細工に魅かれて買っているのであろう。

宝石の愛好のされ方というのは文化的側面が強い。中国国内での玉需要は中国文化と密接に絡んでいることなので、オリンピック自体とは関係がないと思われる。世界での需要を見込んでの玉ブームだとすれば、それはおそらく期待外れに終わるだろう。

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2008.03.27

創刊100号:月刊タウン情報やまぐち

美容室だの、カーディーラーだの、県内あちこちの待合室でマガジンラックに置いてある「月刊タウン情報やまぐち」が創刊100号を迎えたらしい。ほかの地方の人はご存じないと思うので一応ご紹介まで。

飲食店やイベント等、ごくローカルな情報を知るためにはこういう雑誌が便利。狭い商圏でも、地元密着なら生き残れるということか。宇部日報もそうか?

100号記念特集ということで、山口県のトリビアを100個集めた記事があるのだが、そこからいくつか紹介する:


  • 日本一簡単な県名は「山口」
  • 日本一スケールの大きい山焼きは秋吉台
  • 日本一の総合公園は常盤公園
  • バナナの叩き売りの発祥地は下関

一番上のネタは、住所を書くときにいつもありがたみを感じることである。よその県名で書き間違えそうになったことは結構ある。一番下のネタは北九州市門司区との間で揉めそうである。

知っている人がいるかもしれないが、「月刊タウン情報やまぐち」になかったネタを2つ。

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2008.03.24

アーサー・C・クラーク最後の日々

先日亡くなったアーサー・C・クラークについては様々な追悼記事が出ているが、Jeff Greenwaldによる次の記事はクラークの偉大な意識が徐々に衰えて行く様子を知る上で興味深い記事である:
成長を止めない精神:40年来の友人によるアーサー・C・クラークへの弔辞」(2008年3月21日 WIRED VISION)

アーサー・C・クラークの死に対してはNASAもコメントを公表している:
"NASA Remembers Arthur C. Clarke -- Share Your Thoughts"(2008年3月21日 NASA)

NASAの高官は「アーサー・C・クラークは天賦の才能を持った科学とSFの作家だった。未来に対する比類ない洞察力の持ち主であり、『宇宙旅行がいかに社会、経済、そして人類自身を変えていくか』という希望に満ちたヴィジョンを20世紀後半、無数の若者に吹き込んだ」と称えている。NASAのアーサー・C・クラーク追悼ページには一般の人々からの数多くの弔辞が寄せられている。

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地元ニュース:アサリ掘りなど

小生が知らない間に、宇部ではいろいろあったようで。

山口宇部空港、ハワイへ日航チャーター便(2008年3月19日 宇部日報)

潮風に吹かれアサリ掘り満喫(2008年3月22日 宇部日報)

記事によると

三十分もすると二-三センチのアサリが両手いっぱいに取れていた。

ということで、ずいぶん収穫があるらしい。

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2008.03.23

企業に道徳を求めるのは滑稽だ:コント=スポンヴィル『資本主義に徳はあるか』

アンドレ・コント=スポンヴィル『資本主義に徳はあるか』の本編全部を読了。

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あと、講演会での参加者との質疑応答が記録された「対話編」というのがあるが、これは今後、ちまちま読むということで。

第4章「混乱する秩序」と終章に当たる「おわりに」の要約は以下の通りである:

1. パスカルの言う「滑稽さ」と「圧制」 第2章で示したように、世界には4つの秩序がある。ある秩序が他の秩序と混同されることをパスカルに倣えば「滑稽さ」と言う。そして、ある秩序を他の秩序に従えようとすることを「圧制」という。例えば、共産主義は「経済-技術-科学の秩序」を「道徳の秩序」に従わせようとした「圧制」の一例である。

2. 「野蛮」と「純粋主義」
4つの秩序には主観的に見て優劣があり、「経済-技術-科学の秩序」<「法-政治の秩序」<「道徳の秩序」<「愛(あるいは倫理)の秩序」というように後者の方が上位の秩序となる。

「圧制」にも二種類あり、低次の秩序に高次の秩序を従わせようとする場合を「野蛮」、高次の秩序に低次の秩序を従わせようとする場合を「純粋主義」と言う。先ほどの共産主義は「純粋主義」の一例である。多数決で道徳行為を決めようとする場合、多数決というのは「法-政治の秩序」であるから、「法-政治の秩序」に「道徳の秩序」を従わせようということであるから、「野蛮」の一例となる。テクノクラシーもまた野蛮の一例である。

「野蛮」や「純粋主義」に陥ることなく行動するためには、秩序をわきまえた上で行動しなくてはならない。例えば、AIDS対策の場合はこうである。AIDSは最終的には医学的に解決される問題であり、道徳や政治で解決されるわけではない。道徳的立場からAIDS患者を助けようと思った場合、直接AIDS患者を励ましにいくのは道徳的には良いかもしれないが、実際の効果は無い。そうではなく、まず政治を動かし、政府にAIDS対策予算を計上させ、それによって医学的研究と治療を推進させなくてはならない。

3. 「責任」
4つの秩序はそれぞれの原理に基づいて働いており、必ずしも同じ方向を向いているとは限らない。お互いに対立しあう場合もある。そういう場面に直面したとき、個人がどの秩序を優先するかを決定しなくてはならない。これを責任と言う。責任とは個人的なものである。

4. 企業倫理
企業に道徳を求めてはいけない。なぜなら、企業とは経済の秩序にしたがって行動するものであるから。道徳を求めるとすれば、それは企業で働く人々個人個人に求めなくてはならない。

経済活動において「顧客尊重」という価値があるが、これは経済の価値であって、道徳の価値ではないことにも注意しなくてはならない。

5. 政治の必要性
経済活動の持つ可能性を最大限引き出すことによって、資本主義社会は繁栄した。しかし、経済の秩序を放置すれば、ウルトラ・リバータアリズムに至る。つまり「貧乏人は死ね」という状況に陥る。道徳的立場から見ればこれは正しくない。経済の暴力性を掣肘することができるのは政治の力である。個人のささやかな道徳を強力な経済に影響させるためには政治を介さなくてはならない。

6. 個人における秩序の優越、集団における秩序の優位
個人レベルでは「経済-技術-科学の秩序」<「法-政治の秩序」<「道徳の秩序」<「愛(あるいは倫理)の秩序」というように後者の秩序がより重要になる。これを「優越」という。

これに対して、集団の場合、「経済-技術-科学の秩序」>「法-政治の秩序」>「道徳の秩序」>「愛(あるいは倫理)の秩序」というように前者の秩序がより重要になる。これを「優位」という。

7. 重力と恩寵
シモーヌ・ヴェイユの言葉を借りれば、集団が「経済-技術-科学の秩序」>「法-政治の秩序」>「道徳の秩序」>「愛(あるいは倫理)の秩序」というように前者の秩序をより重要に見なす傾向を「重力」という。道徳や倫理はきわめて個人的なものであるので、政治の方が優先される。また一国の政治よりもグローバルな経済の方が優先される。こういう傾向を「重力」と呼ぶ。

人々は「重力」に服従してしまうが、時として経済よりも政治が、政治よりも道徳が優先されることがある。これを「恩寵」という。集団をより高次の秩序に導く人のことをカリスマという。

重力に抗してより高次の秩序に向かおうとするためには愛と明晰さと勇気とが必要である。

ということで、資本主義自体には徳はなく、その中の個人個人に徳が求められるということが本書の結論である。

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2008.03.22

アーサー・C・クラーク追悼

3月19日未明、呼吸不全によりスリランカの病院でSF作家アーサー・C・クラークが死去した。90歳だった。

アーサー・C・クラークの代表作としては『2001年宇宙の旅』がよく知られているが、小生としては以前紹介した、『幼年期の終わり』の方を代表作として挙げたい。1953年にこのような深遠な(それでいて難解ではない)内容の作品が書かれたと言うのはSF史上にも、文学全体にも残る偉業であると思うからだ。

追悼の意味でももう一回読み直そうかと思う。


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60cm級のヒトデ発見(南極)

AP通信やインデペンデント紙によれば、南極で超大型のヒトデが発見されたとのこと:
"Giant Marine Life Found in Antarctica" (By RAY LILLEY)
"Antarctic explorers come face to face with sea giants" (By Kathy Marks, Saturday, 22 March 2008)

ニュージーランドの研究機関、NIWA(New Zealand's National Institute of Water and Atmospheric Research)が南極のロス海で調査を行ったところ、60cm級のヒトデのほか、3.6mの長さの触手を持つクラゲなど、巨大生物が続々見つかったらしい。

研究者がヒトデを抱えている写真見てびっくりした。

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2008.03.18

資本主義に徳を求めてはならない:コント=スポンヴィル『資本主義に徳はあるか』

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第3章「資本主義に徳はあるか」読了。結構読みやすい。

要約は次の通り:

前章で示したように、経済と道徳は別の秩序をなしている。資本主義に徳を求めるのは「経済-技術-科学の秩序」を「道徳の秩序」に従わせようという考え方である。かつてマルクスは経済の道徳化を図るべく、共産主義を打ち立てたが、その試みは20世紀の終りに恐怖と経済の停滞という形で幕を閉じた。

一方で資本主義陣営は道徳とは無関係な形で、つまり経済をそれ自身が持っている秩序に従って展開させることにより、繁栄を享受するようになった。もちろん、搾取や格差は依然として存在している。しかしこの是正をもともと道徳とは関係のない「経済の秩序」に求めるのは間違いである。

「主体である私たちこそが道徳的存在になるべきであって、制度にすぎない経済にそのかわりを求めてはならないのです!」(92ページ)

現在の経済システムに不道徳なものを感じるのであれば、経済システムに自己修復を求めるのは間違いで、道徳の観点から、政治と法を動かして、経済システムを掣肘しなくてはならないということであろうか?

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2008.03.17

倫理・道徳を商売道具にさせないための秩序:コント=スポンヴィル『資本主義に徳はあるか』

アンドレ・コント=スポンヴィル『資本主義に徳はあるか』(紀伊国屋書店)の第2章を読了(それにしてもアマゾンの書評は酷い。点検読書にもなっていない。目次と「はじめに」だけ読んだのでは?)。

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著者が憂いているのは、倫理・道徳が金儲けの道具にされていることである。そうさせないための4つの秩序と言うものを著者は説く。以下は第2章の要約:

われわれの世界には4つの秩序が存在する。
  • 経済-技術-科学の秩序: 可能か不可能か、真か偽かという軸による秩序
  • 法-政治の秩序: 合法か非合法かという軸による秩序
  • 道徳の秩序: 善悪、義務と禁止という軸による秩序
  • 愛(あるいは倫理)の秩序: 喜びと悲しみという軸による秩序
これらの秩序はそれぞれ固有の論理で動作しており、他の秩序によって制限を受ける。

例えば、「経済-技術-科学の秩序」だけしか秩序がなければ、「あらゆる可能なことは必ず行われる」というガボールの原理に則って人類は様々なことをやらかす。例えば、原水爆開発、クローニング、環境破壊。これを制限するものがあるとすれば、「経済-技術-科学の秩序」の外側の秩序が制限を加えなくてはならない。それは「法-政治の秩序」である。違法な科学技術、経済行為は制限される。

法-政治の秩序」を放置していると、合法でありながら卑劣な行為が起こりうる。例えば、かつてナチス・ドイツは合法的に政権を奪取し大戦を引き起こした。また、南アフリカはアパルトヘイト政策を実施した。これらを制限しうるのは「道徳の秩序」である。

道徳の秩序」は放置していても害がないように思える。しかし、道徳的行為や道徳の基準を人に押し付けるようになれば、それは問題である。こういった道徳の暴走を食い止める秩序は何かと言うと、「倫理の秩序、あるいは愛の秩序」(倫理は道徳との区別がつかないので、「愛の秩序」と呼んだほうがよいと思う)である。

愛の秩序」には特に制限が設けられていない。この愛には、真理への愛、自由への愛、隣人への愛などの愛が含まれており、真理への愛は「経済-技術-科学の秩序」を、自由への愛は「法-政治の秩序」を、隣人への愛は「道徳の秩序」を駆動したり制限したりする。ただし「愛の秩序」だけでは何もなしえない。

このような4つの秩序から、「資本主義に徳はあるか」という問題に答えるのが次の第3章である。

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「倫理は儲かる?」:コント=スポンヴィル『資本主義に徳はあるか』

アンドレ・コント=スポンヴィル『資本主義に徳はあるか』(紀伊国屋書店)の第1章を読んだところである。企業倫理とかCSRとか技術者倫理とかが問われる世の中になっているが、哲学者が道徳と資本主義の関係について検討した本はあまりないのではないか?小生が読んでいないだけの話かもしれないが(環境倫理の本は良く見るが)。

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第1章「道徳の回帰」を要約するとこういう感じである:

今は道徳とか倫理とかが問われる時代になっている。別に人々が道徳的になってきたというわけではない。なぜ、道徳への回帰が起こっているのかというと、つぎの3つの原因が挙げられる。
  • 第一に、政治が人々をひきつけなくなったということが挙げられる。一世代(30~40年)前は政治の方が重要だったはずだ。例えば、一世代前は左か右か、チェ・ゲバラかドゴールかという議論が行われていた。今は人権のような道徳に属するものが議論され、国境なき医師団のようなNGOの活動が重要視される時代になっている。
  • 第二に、冷戦時代は資本主義陣営は社会主義陣営がうまく行っていない(経済低迷、人権抑圧)ということで正当化されていたのに、社会主義陣営の崩壊によって資本主義陣営の正当性のよりどころがなくなってしまったということが挙げられる。世界が資本主義化した状況下で何に頼ったらよいかということで道徳への回帰が始まっている。
  • 第三に、かつては宗教が社会を結び付けていたのに、現在では信仰は完全に個人に帰属する問題になっており、社会の絆が必要とされていることが挙げられる。宗教の変わりに道徳が必要とされている。
これらの原因から道徳が必要とされるようになってきた。

この「道徳への回帰」の時代、驚くべき出来事が起こっている。「企業倫理の流行」である。アメリカ発の「倫理が企業イメージを向上させ、生産性を上げ、最終的には企業に利益をもたらす」という考えが広がっている。しかし、カントによれば、道徳的価値とは利害を離れたところにあるはず。企業倫理が利益をもたらすとすれば、それは表面上、道徳にかなっているように見えるだけで道徳とは無関係である。

小生もちょっと考えてみた。例えば、落し物を拾って届ける行為について。落とした人が困っているだろうと思って交番に届けるとすれば、これは道徳的行為、1割もらおうと思って届けた場合は道徳にかなっているが利益行為というわけである。

つまり企業倫理とは、倫理的に見える企業活動ということであって、企業の倫理ではない。

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2008.03.15

日照権じゃなくて何権?

「景観の破壊」と言われて問題化していた楳図かずお邸が除幕されたらしい:「デザイン変更訴訟の楳図かずおさん宅“除幕”」(2008年3月14日 読売新聞)

この「景観権」問題の陰で、と言うわけでもないが、こういう事件が起きている:「ビルの反射光まぶしい 向かいの事業所から苦情殺到 新築ビルめぐり 福岡市・天神」(2008年3月15日 西日本新聞)

アーバン・アセットマネジメント社が所有する天神グラスビルディングの正面壁が反射光を放って、周辺のビル(「伊藤久ビル」と「天神パークビル」)に迷惑をかけているらしい。以下同記事から引用:

反射光が問題になり始めたのは、同ビルの工事用の足場と覆いが撤去された1月中旬から。通りを挟んで南側に立つ「伊藤久ビル」と「天神パークビル」の入居者から、時間によっては「目が開けられないほどまぶしい」「パソコン画面が見づらい」「光が照り付けて商談に集中できない」などの苦情が相次いだ。

確かに迷惑な話である。こういうのは日照権じゃなくて何権というのだろうか?「防眩(ぼうげん)権」?新たな言葉を作ってしまった。

天神グラスビルディングとやらの姿を見てみたらこんなのだった。こりゃ反射しまくるだろ。

で他の事例を調べていたらもっとすごい問題を発見した:「ガラス張りのビルから反射した光が芝生を焼いている写真」(2007年08月14日 Gigazine)

これは防眩権どころではない。「防焼権」?

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2008.03.14

スマートパワー戦略:米国の新たな国際戦略

先日から中国の脅威の話をチョコチョコ書いているのだが、それに抗する合衆国の戦略にはどんなものがあるのかを調べてみた。まずは、対中国ではなく、より大きな枠組みの世界戦略の話。

アメリカは軍事力と経済力だけではなく、ソフトパワー(世界から共感を得る力)によって唯一の超大国としての地位を維持するべきだという提案がCSIS(戦略国際問題研究所)から出されている。以下は2007年11月にアーミテージ元国務副長官とジョセフ・ナイ元国防次官補を中心とする「スマートパワー委員会」が公表した提言のあらすじ(エグゼクティブ・サマリー)である:

合衆国のイメージと影響力は世界中で低下している。国際社会での指導的役割を維持するために、合衆国は恐怖と怒りを誘発する存在から楽観主義と希望を呼び起こす存在へと変化しなくてはならない。

この報告書は次期大統領がスマートパワー戦略を実施するための提案をまとめたものである。

合衆国は再び世界共通の利益に貢献することによって、つまり、世界中の人々と政府とが必要とし、合衆国の指導なしには獲得できないものを提供することによって、よりスマートな大国になる必要がある。

合衆国の軍事力と経済力をソフトパワー(心情的援助・共感などによって他国を味方につける力)によって補完することで、合衆国は地球規模の問題に立ち向かうための枠組みを作ることができる。

合衆国は特に以下の5つの領域に集中するべきである:

1. 同盟、パートナーシップ、および国際機関
合衆国は合衆国の利益に貢献する同盟、パートナーシップ、および国際機関を再活性化させるべきである

2. 地球規模の発展
外交政策として地球規模の発展に貢献することは、合衆国の利益と世界中の人々の願望とを結びつけるために役立つだろう

3. 開かれた外交
長期的な国民同士の関係(とくに若い人々の間の)を築くことによって外国の人々を合衆国の側に引き込むことができる

4. 経済の統合
世界経済に関与し続けることは成長と繁栄のために必要である。そのためには、自由貿易が一層拡大されなくてはならない

5. 技術革新
エネルギー安全保障問題と気候変動問題には、アメリカが指導力を発揮して、地球規模のコンセンサス形成と画期的な新技術による解決策立案を促すことが必要である

この提言を小生なりに解釈すると「スマートパワー戦略」とは「情けは人のためならず」戦略であるといえるだろう。米国流の価値観の押し付けにも見えるが、世界各国を助けることで自らをも守ることができる、という考え方が根底にある。世界史を見ても、こんなに親切な国はないよなーと思う。なんだかんだ言って、当面日本が頼りにできるのはアメリカだけである(実はアメリカも結構日本を頼りにしている。その件は別の記事で)。

<注>"innovative"という言葉の訳は難しい。技術革新を意味するときと、画期的であることを意味するときがあるからだ。ここでは米政府の地球温暖化に対する従来の主張を参考に「画期的な」をやめて「新技術による」に変えた。

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2008.03.13

オーストラリア海軍、中国に不戦敗

「豪海軍、チャイナ・マネーで骨抜きに」(朝鮮日報2008/03/13)

先日は中国の軍事力の脅威について述べたが、同国の経済力もまた間接的に周辺国の国防を揺るがしているという話。

この記事の内容を単純にまとめると、中国の経済力向上->オーストラリアの天然資源確保->鉱山労働者の給料高騰->海軍軍人が転職->軍事力低下、という図式になる。

潜水艦技術兵の給料が約760万円なのに対して、鉱山労働者の給料が約1230万円なのだそうだ。そりゃ転職するわ。

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2008.03.10

NHK解説委員室:ニュースを解説してくれるブログ

今まで知らなかったのだが、「NHK解説委員室」というニュースを解説してくれるブログがあった。

今日(2008年3月10日)の話題は「パンダがピンチ! 中国大雪害」と「大詰め春闘 厳しさ増す賃上げ」である。大雪害の中、パンダが雪に埋まって虫の息だったという事件があったとは知らなんだ。

どのニュースが重要か、なんていうのは個々人に任せておくことであり、押し付ける必要はないのだが、比較的多数の人が興味を持ちそうなニュースをセレクトしてくれて、しかもわかりやすく説明してくれるのでこのブログは良いと思う。

それにしても解説委員が43人も居るとは知らなかった。

なお、「NHK解説委員室」のブログには本ブログの右側に設置している「NHK時計」が設置されており、なんとなく親近感を抱いてしまう。

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2008.03.08

ツチノコ騒動

昨日(3月7日)、「ツチノコ発見か?」という衝撃的なニュースが全国を駆け巡った。小生としては映像を見る前から「ミミズを見間違えたんじゃねーの?」と疑ってかかっていたが、映像をみるとなにやら不思議な生き物が水中をうごめいている。

専門家たちが言うように、これは新種のヒルだろうと思う。無責任に断定するが。いろんなブログをチェックしてみたが、やはり「ヒル」説が強い。ヒルということでで一件落着だろうと思っていたら、一つ、違うブログ記事があったのでご紹介:
「爬虫類と猛禽類のDeepな世界。」

札幌円山動物園勤務の本田直也氏による記事だが、こういうことを言っている:

たぶんこの件はこれで終結すると思われます。

でもね、ほんとにそれでいいのかって話ですよ。
ほんとにこれで終わらせてしまっていいのかってことですよ。

だってね、ヒルとツチノコは絶対に間違えないでしょう、普通。
ヘビならまだしもあれをツチノコって言うにはかなりの勇気が必要なんです。
僕はその勇気に感服しましたね。


別のブログの記事で読んだのだが、発見者は映像撮影から1年も経って公表したのだそうだ。発見者は一年間悩んだ挙句、意を決して公表したのかもしれない。その意味では勇気ある発表だと思う。

だけど、あの動きはヒルっぽいんだけど、そうは思わなかったのだろうか?

なお、「爬虫類と猛禽類のDeepな世界。」は文章に味わいがあるブログなので、覗いてみることをお勧めする。

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2008.03.07

「暗殺者の戦棍」計画(Assassin's Mace Programs)

昨日紹介した合衆国国防省の報告書では、中国の非対称戦闘戦略の一部として、「暗殺者の戦棍」計画(Assassin's Mace Programs)という恐ろしげなものが挙がっている。中国語では殺手【金間】(sha shu jian:シャーシュージエン)というのだそうだ。戦棍、Maceというのは日本には無い武器なので、説明しにくいが戦闘用棍棒である。ゲームには出てくるらしい。

「暗殺者の戦棍」計画は技術的に劣る側を技術的に優る敵よりも有利にするために考えられたもので、1999年以来、解放軍報紙上によく登場するようになったという。とくに台湾有事の際の合衆国との戦闘を想定して述べられるらしい。もっとも、その内容は不明である。

しかし、「暗殺者の戦棍」計画の上位概念である非対称戦闘戦略を研究すれば、「暗殺者の戦棍」計画の内容が推測できるのではないか?それでは、非対称戦闘戦略とは何か?小生なりに報告書の言い分を要約すると、「技術的に優位なヤツらはスマートに戦おうとするので、それをくじく」戦略である。たとえばサイバースペースの乗っ取りによって敵の情報通信網および補給網を壊滅させること(非接触戦闘)とか、ジャマー(邪魔者・幻惑材)の使用と衛星破壊によって敵が空間を支配できなくすること(空間対抗戦闘)とかいった戦闘を駆使する戦略である。

とくに小生が注目したのはサイバースペース乗っ取りのような情報戦闘である。国防省報告書によれば、人民解放軍の理論家が「網電一体戦」、つまり電子兵器とコンピュータ・ネットワークと物理的な攻撃を駆使して敵の情報ネットワークを破壊するというコンセプトを作っているそうである。そして、人民解放軍は敵のネットワークを破壊し、味方のネットワークを守るようなコンピュータ・ウィルスを開発する電子兵器開発ユニットを設立しているとのことである。

あな恐ろしや。

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2008.03.06

中国の軍事力に関する年次報告書

小生の下には、福岡アメリカン・センター・レファレンス資料室から随時メールが送られてくるのだが、今回は「中国の軍事力に関する年次報告書」に関する情報提供だった。

3月3日に国防総省が議会につぎの報告書を提出したとのこと(30メガほどあるので、むやみにクリックしないこと):
Military Power of the People's Republic of China 2008
Department of Defense, March 2008 (PDF 29.67 MB, 56 p.)

ダウンロードして「点検読書」してみたが、要所要所にグラフや地図が掲載されており、わかりやすいものになっていた。例えば、中国の軍集団、空軍基地、海軍基地の配置が掲載されている。台湾との軍事力比較表もある。あと、中国国土が7つの軍管区に分かれていることも知った。これ一冊ちゃんと読めば、今年一年間は中国の軍事に関する評論家になれそうである。

絵だけ見るのもなんなので、エグゼクティブ・サマリー、ようするに忙しい人のための要約文だけは読んでみた。以下、小生の要約:

合衆国としては平和で豊かで安定した中国の興隆を歓迎する。しかし、中国の将来の路線、とくに軍事力の増強とその目的に関しては、不明確なものがある。

人民解放軍は「領土防衛戦争のための大兵力」から「中国周辺における紛争発生時に短期間でハイテク国家に勝利する軍隊」へと考え方を転換している最中である。中国の海外派兵能力は限られているが、2006年発行のQuadrennial Defense Review Reportには「中国は将来的には合衆国に軍事的に拮抗し、また長期的には合衆国の伝統的な軍事的優位性を相殺しうる破壊的な軍事技術を打ち立てる可能性がある」と書かれている。

中国が現在着目しているのは「台湾海峡有事」への準備である。これには合衆国の介入も想定されている。「台湾海峡有事」への準備が軍事力の近代化の駆動力となっている。しかし、中国の兵器購入や戦略思考を分析したところ、北京の中枢部は軍事力を他の紛争、資源争奪紛争や国境紛争にも行使するために近代化を進めているようである。

中国の軍事改革のスピードと範囲は近年増加している。海外から最新鋭兵器が購入され、中国国内の防衛産業や科学技術産業への投資が継続されている。中国の軍事力の膨張と発達は東アジアの軍事バランスを変え、アジア・太平洋を超えて世界に影響を及ぼすものとなりつつある。

大陸間ミサイルDF-31等の開発に見られるような、核軍事力の近代化は中国の戦略的打撃能力の強化を意味する。また、巡航ミサイルや中距離弾道ミサイルの開発、2007年1月の衛星破壊実験の成功などは、中国のAnti-access / area denial capabilities(接近抑制能力または介入阻止能力)が陸海空から宇宙、電脳空間まで広がったことを示している。

国際社会は中国の軍事力の近代化を支える動機、意思決定、主要能力についてほとんど情報をもっていない。にもかかわらず、中国の指導部は軍事力の近代化の目的や目標について詳細には語らない。例えば、中国は防衛費に関する不完全な説明や、政策と整合しない活動を続けている。中国の防衛・安全保障活動の不透明さは誤解を増加させ、安定性へのリスクとなっている。この状況は必然的に不測の事態への防衛手段へとつながる。

やはり、中国の台頭は、軍事面でも大変な脅威になっていることがわかる。中国は何をしたいんでしょうね。

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2008.03.05

UbuntuにOpenFOAMを(4)

これまで、SONY VAIO FR55Bという時代遅れのパソコンにUbuntuを搭載することで予備役から現役に復帰させ、さらにUbuntu上にOpenFOAMをインストールすることによって、数値計算専用機にするという作業を行ってきた。一応、FoamXが動くことや、シミュレーションが実施できることも確認できたので一段落ついた。

一段落つくと、今度は新たな野望が生まれてくるのである。最近パソコン工房から入手した怪しい筆記型電脳(ノートブックパソコン)にもインストールしたろうと思い始めた。

このパソコン、出張用に買ったもの。Lesance CL216IW-C2Dとかいう名前だが、本体の裏側を見ると藍天電脳と書いてあり、おそらく台湾製だということがわかる。12インチワイド光沢液晶で、Core 2 Duo搭載モデル。これに3G(ギガ)のメモリーを搭載して、Vistaではなく、あえてWindowsXPを積んでいる。小生が持っている中では最も高性能のパソコンということになる。

これを丸ごとUbuntuにすると今までの仕事ができなくなるので、WindowsXPと共存させることを考えた。その解決策はWindowsXP上でVMWare Playerという仮想マシンを走らせ、その中でUbuntuを動かすというやり方である。

と、いうことで、まず、VMWare Playerの入手から作業が始まる。

VMWare Player
VMware Playerのダウンロード、無償版のVMware - VMware
というVMWareのページに行って最新版(約180MB)をダウンロード&インストールする。これはインストーラーの言うなりにしていれば、とくにトラブルなし。

Ubuntu VMWare版
次に、VMWare上で動くUbuntuを求めて、Ubuntu Japanese Teamのページに行く。
ここで、
ubuntu-ja-7.10-vmware-i386.zip(仮想マシン本体)
を入手。716MBもあるのでダウンロードにえらく時間がかかる。

ダウンロード後は普通に解凍。小生の場合はCドライブ直下に解凍した。その結果、"Ubuntu-7.10-Desktop"というディレクトリがCドライブ直下にできる。このディレクトリの中にubuntuが入っているわけである。以上で準備完了。

起動してみると
普通のアプリケーションを扱うように、「スタート」―>「すべてのプログラム」―>「VMWare」―>「VMWare Player」と順に選択していくと、VMWare Playerが立ち上がった。

「コマンド」と書かれているところに「開く」というボタンがあるので、これをクリックし、Cドライブ直下の"Ubuntu-7.10-Desktop"の中にある、Ubuntu-7.10-Desktop.vmxを選択し、「開く」ボタンを押す。そうすると、ついにUbuntuが動き始めた。

…ところが、「致命的なアプリケーションエラーです:文字列のエンコード中にエラーが発生しました」とかいう警告が出てすぐに落ちてしまう。やはり、コンピューター関係ですんなりいくわけがないのである。

あわてず、「致命的なアプリケーションエラー」、VMWare、Ubuntuというキーワードを使ってGoogleで検索をかけてみると、対処法が記載されているブログが見つかった:
備忘録 | VMware Player が起動しない!(「文字列のエンコード中にエラーが発生しました」)
この記事にはいくつかの対処法が掲載されていたが、それでも解決せず。

さらにGoogleで検索を続けていると、次の記事を発見した:
CharaSite: VMWarePlayerもインストール
この記事によると、
VMware構成ファイル(小生の場合はUbuntu-7.10-Desktop.vmx)の中に書かれている設定、

usb.present = "TRUE"

というのが悪さをしているらしい。そこで、
usb.present = "FALSE"

と書き直して再チャレンジ。

すると、今度は無事に起動した。何が災いするかわからないものである。

以上で、WindowsXP上の仮想マシンVMWare上でUbuntuを動かすことができるようになった。まずはめでたし。

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UbuntuにOpenFOAMを(3)

先日OpenFOAMや関連するファイルの解凍作業を行ったので、そのつづき。
ビルド(コンパイル)作業に移る前にやらないといけないのが環境設定である。それが終わったらビルド作業に移る。

環境設定
小生のUbuntuはbashなるシェルが使われているらしいので、ホームディレクトリの.bashrcというファイルをいじる必要がある。

Unixやるのもviエディタを使うのも十年ぶりぐらい。でもたいしたもので、勝手に手が動いてコマンドを打ち込んだり、viエディタを動かしたりできた。

まず、つぎのコマンドを打ち込んでホームディレクトリに移動。

cd

つぎにviエディタで.bashrcを開くため、次のコマンドを打つ。

vi .bashrc

開いた後は、最終行の後ろに新しい最終行を作り、次の一文を書き込んで保存&終了。

. $HOME/OpenFOAM/OpenFOAM-1.4.1/.OpenFOAM-1.4.1/bashrc

.bashrcを更新したので、次のコマンドを打ち込んで、環境設定の変更を反映させる。

. $HOME/.bashrc


ビルド
$HOME/OpenFOAM/OpenFOAM-1.4.1に移動してそこにあるファイルを見ると、Allwmakeというファイルがある。これが自動でビルド(コンパイル)作業をやってくれるファイル(Makeファイルのようなもの)である。迷わず次のコマンドを打ち込む。

Allwmake

マシンにもよるが結構な時間をかけながらビルド作業が進む。画面を見ていると、なんかエラーが続出しているんですけど…。

一応終わったらしいので、GiroD'Ana ジロ・デ・解析屋 OpenFOAMの教えに従い、つぎのようにコマンドを打ってチェックを行う:

cd $HOME/OpenFOAM/OpenFOAM-1.4.1/bin ./foamInstallationTest

…エラーメッセージらしきものが出てくる。こんな感じ:

Pinging_localHost Successful yes Test_rsh: No_telnet_running:_cannot_check* yes Test_ssh: No_telnet_running:_cannot_check* yes FATAL ERROR: No remote shell available. Foam1.4.1 enviroment requires either ssh and/or rsh. Contact your system administrator.

-------------------------------------------------------------------------------

The system test has evoked 1 fatal error(s).

The foam installation contains 3 critical error(s).

Review the output for warning messages and consult
the installation guide for trouble shooting.

どうもsshとかいうものがないとダメらしい。面倒だなーと思いながら、このエラーメッセージへの対処法を探るべく、googleでOpenFOAM Installation sshと3つのキーワードを打って検索してみると、
CRITICAL ERROR on installation OpenFOAM 1.4.1
というメッセージボードを発見。小生と同じエラーが出現した人が相談しているのである。これに対する返事を読んでみてもうまい解決法は出ていない。残念。

googleで先ほどのキーワードにさらにubuntuを加えて、ヒットしたページを探ったところ、こんなのがあった:
HowTo: Scientific Ubuntu - Installing OpenFOAM CFD software [Archive] - Ubuntu Forums
derjamesという投稿者がインストール手順を細かく教えているのだが、最後のほう、foamInstallationTestの実行について書かれているところを読んでみると、

you will see an error at the end of the process, something like this:

test_rsh unsuccessful_conection_refused*
test_ssh unsuccessful_conection_refused*

FATAL: No remote shell available (blah, blah, blah, blah, etc....)

It is very simple: who cares, just ignore it.....

つまり、こんなエラーが出ても気にするなと言っている。

この記事に勇気を得て、試しに

FoamX

と打ち込んでみると…。
ちゃんとOpenFOAMを実行するためのGUI、FoamXが立ち上がった。今後、トラブルが発生する可能性は否定しきれないが、とりあえずはインストール作業が完了した。

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2008.03.02

嫌過ぎる奈良の「ご当地キャラ」:著作権料500万円

奈良市が「平城遷都1300年祭」を実施するそうである.が,ご当地キャラが可愛くなく,巷から糾弾の声が上がっているらしい:
「<平城遷都1300年祭>マスコットキャラに市民から批判」(毎日新聞2008年3月2日)

仏画かと思った,これ.たしかに「鹿の角を生やした童子」なんて可愛くない.むしろ嫌過ぎる.みうらじゅん先生なら高評価かも知れないが.この着ぐるみが来たら,小さい子は泣いちゃうよ.一生のトラウマになるに違いない.ちなみにこのマスコットキャラの著作権料は500万円だそうです.

奈良市は3月12日までこのマスコットの愛称を公募しているらしい.皆さんだったら何て名前を付けます?小生の案は「仏罰ちゃん」

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読書法にもいろいろある:点検読書とは

最近は出張だの,フリーの数値流体力学シミュレーションソフトのインストールだの,いろいろあって更新をサボっていたが,この忙しい中,読んだ本を紹介する:
アドラー『本を読む本』

本を読む本 (講談社学術文庫)本を読む本 (講談社学術文庫)
J・モーティマー・アドラー V・チャールズ・ドーレン 外山 滋比古

講談社 1997-10-09
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これは楽しみのための読書の本ではなくて(というか,楽しみのためだったら読書法なんてどうでもいい),広い意味での仕事のために本を読むときのテクニックを教えている本である.

アドラーは,つぎの4つの読書法があると言っている.これらの読書法は順にレベルがアップしており,後方の読書法は前方の読書法を包含する関係になっている.


  • 初級読書
  • 点検読書
  • 分析読書
  • シントピカル読書

初級読書は単に本が読めるというレベルの読書.だからこの本ではあまり問題にしていない.

点検読書は本の品定めをするための読書法である.

分析読書は本を本当に理解するための読書法である.この本では最も力を入れて説明している.

最後のシントピカル読書とは同じテーマに関して2冊以上の本を読むと言う読書法.シントピカルの「シン」というのはシンクロナイズとかのシンと同じ意味で,「同じ」とか「共に」という意味.「トピカル」というのは「トピック」「主題」の意味である.要するに,シントピカルとは,「同一主題」という意味である.

小生としては「点検読書」という読書法が積極的な意味で評価されているのが気に入った.書店や図書館で立ち読みしていたり,家で斜め読みしていたりするだけだと,なんとなく本に申し訳ないような気がしていたのだが,これらを「点検読書」として考えれば,罪悪感をぬぐうことができる.

人生は短いので,ある本を最後まで読み通さないでも,その本が読むに値するかどうかを判断できるということは重要である.また,読むに値する本であっても,いきなり通読したら時間だけかかって,その本の全体像がわからないままになることがある.ここに点検読書の意義がある.

アドラーによれば,点検読書は次の2つの要素で形成されている:


  • 組織的な拾い読み
  • 表面読み

組織的な拾い読みをするということは,具体的には次の作業を実施することである:

  • 表題や序文を読む: 著者のものの見方や,本の主題がわかる
  • 目次を読む: 本の構造(話の展開)がわかる
  • 索引を調べる: 索引がついている場合,登場する回数が多い言葉ほど,その本で重要な役割を担っているわけである
  • カバーや帯を読む: もっとも凝縮された情報がここに書かれている
  • 要となる章を読む
  • ところどころ拾い読みする

    ここで最後に挙げた「ところどころ拾い読みする」ということについて補足すると,アドラーは各章の最後の2,3ページに注目するというテクニックを紹介している:
    とくに最後の2,3ページは必ず読む.結びの部分がある場合は,その前の2,3ページがこれにあたる.この最後の数ページで自分の仕事の新しさ,重要さを要約する,という誘惑に勝つことのできる著者はめったにいない.だから,<中略>この部分を見逃すという手はない.

    点検読書のもう一つの要素,表面読みとはとにかく読み通すということである.先日の「論文の技法」では「どんどん書け」「どんどん直せ」ということが主張されていると述べたが,読書の場合は「どんどん読め」「どんどん読み直せ」という主張にまとめられるだろう.本を一回限りで理解しようなどと気構えないことである.点検読書のつぎは分析読書をすればよいので,点検読書の段階ではわからないところがあってもどんどん突き進むことが必要である.そのときに「重要な主張」や「難解な部分」を発見したら,斉藤孝先生のごとく,本にマーキングをしていけばあとで分析する際に役に立つので,なお良い.

    アドラーによれば,点検読書の目的は,(1)対象としている本が何に関する本なのか,(2)何がどのように詳しく述べられているのか,の2点を明らかにすることである.たくさん本を通読していても,結局こういうことさえわからないまま,ということは多い.小生としては,これらのことさえ明らかにしたら,「本を読んだ」ことにしてしまっても良いのではないかと思う.アドラーは言っていないが,小生の提案としては,現在はポストイットという便利なものがあるので,これに上述の(1)(2)をメモして,本の中表紙にでも張っておけば,あとあと分析読書する場合に役立つのではないかと思う.

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