論文の技法
先日、「内容はいいのに、翻訳が駄目」という記事で取り上げた『論文の技法』を再読して要約してみた。
論文の技法 (講談社学術文庫) ハワード・S. ベッカー パメラ リチャーズ Howard S. Becker 講談社 1996-09 売り上げランキング : 50760 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
この本は本文だけで300ページあるものの、内容を要約すれば非常に簡単である。「どんどん書け」「どんどん直せ」ということに尽きる。こんなに簡単に要約できるのは、著者の姿勢がぶれないからである。
<要約>
第一章 大学院生のためのフレッシュマン英語―一つの回顧録、二つの理論
この章は著者が大学院生に対して論文執筆の指導をしたときの経験をもとに書かれている。この章の要点は、「一回書けば終わり」という考え方をなくそう、ということに尽きる。はじめから優れた論文を書くことは不可能であり、何度でも手直しすることを前提として論文執筆に当たれば、書き始められないという問題をクリアできる、ということを主張している。
第二章 ペルソナと権威
なぜ論文は小難しい気取った文体になるのかということについて、論文の文体の背後にあるペルソナ(人格)を用いて説明した章である。
論文を執筆するとき、執筆者は学術的ペルソナ、つまり研究者という人格をまとい、研究者らしいとされる文体で文章を書くのである。「学術的ペルソナは、筆者を、一般的に、権威があり、彼らが話していることに関して決定権をもつ資格があると思わせるようにするのです。(79~80ページ)」
また学術的ペルソナが生まれる源泉は、特定の研究分野の権威的人物や集団の言動である。論文執筆者はその研究分野の一員であることを示すため、権威的人物や集団の言動を真似るのである。
「彼らは自分たちの周りで目にするもの、つまりプロの学術雑誌の論文や著作の書かれているスタイルを、彼らのギルドの会員であることを表す適当なサインとみなして、取り入れてしまうのです。(87ページ)」
第三章 正しいやり方は一つか?
この章では文章を構成していく理想的な方法は無いということを述べている。とにかく書き始めてみれば、書き始める前に悩んでいたほど、多様な選択肢があるわけではないことに気付かされるという。
また、ある主題について記述するのが難しければ、なぜ、その主題について記述することが難しいのかということ自体について記述してみれば良いと著者は述べる。
第四章 耳を使って修正する
この章では草稿に手を入れるときの規則が述べられている。文書執筆にはアルゴリズムのような固定した規則が無く、「こう表現すればよく聞こえる」という発見的かつ審美的な規則だけが頼りになると主張されている。つまり、手本とするべき文章を読むことによって鍛えた「耳」が頼りになるということである。
ここで注意しなくてはいけないのは専門分野の論文の文章ばかり読んでいると「耳」が偏ったものとなってしまうことである。専門分野以外から良いモデルを探すことが必要となる。
著者自らが示す指針としては次の6つがある。
1. 受動態に気をつけること
受動態は行為者を隠してしまうということに注意する必要がある。能動態は理解しやすく、信用を勝ち得る文章を作ることができる。
2. 語数は少なく
あることを簡明に言ってしまうと、誰でもいえることのように聞こえる。これを避けようとして研究者は余計な言葉を挿入してしまう。初期の原稿では余計な言葉があっても良い。手を入れるときに削除すればよい。
3. 繰り返し
不明確な部分を無くそうとして、くどい語句を使ってしまうことがある。同じ語句を繰返さなくても意味が伝わるのなら削除するべき。
4. 構文と内容
構文がその内容についての読者の理解を妨げないように、文の要素を配置すること。
5. 具体的と抽象的
「複合」とか「関係」のような抽象語はあまりに一般的で、何も意味しないことが多い。具体的なことが書かれていないと、読者はアイディアを理解できない。
6. 隠喩
陳腐な隠喩を使わないこと。「ある本の議論が散漫であると言うほうが、『何らかの新しい切り口が欠けている』と言うよりも、より的確(167ページ)」である。
第五章 一人の専門家として書き方を習う
この章では著者の社会学者としての経験から、論文の技法というものは「生涯にわたって学ぶもの」であることが述べられている。
著者はシカゴ学派の一員として育つことにより、自分は基本的に正しいのだという自信を得、書くことへのプレッシャーから開放された。また、文書執筆を面白いゲームだと見なすことにより、文書執筆の不安に対する免疫を身につけた。著者は常に文書執筆に興味を持っており、なるべく短い文章で複雑なことを伝えるという実験も行っている。また、草稿について批評してくれる友人も持っている。
第六章 リスク
この章はパメラ・リチャーズからの手紙に基づく。
ここで取り上げられているリスクとは、論文の草稿を同業者に見せて批評してもらうことによって生じるリスクのことである。具体的には、同業者からダメ研究者のレッテルを貼られるのではないかということを言っている。未完成な文章を見せたときには「この人は文章が下手だなー」と思われてしまう可能性があるし、草稿に目新しいアイディアが盛り込まれていないときには「新規性や独自性が無いなー」と思われてしまう可能性がある。
このようなリスクはあるものの、リスクは犯すに足ると著者は述べる。リスクには負けもあれば勝ちもあるのである。このリスクを乗り越え、評価を勝ち得た論文を少しずつ蓄積していけば、このリスクを犯すことはだんだんと容易になるであろうと著者は述べる。
なお、この章の一節(214~215ページ)に訳者が「アイディアの横取り」という見出しをつけているが、これはおそらく訳者のミス。なぜならこの節では、草稿の読み手が草稿の中に「素晴らしいアイディアを探している」ことは語られているが、アイディアを盗もうとしているとはかかれていないからである。この節で問題になっているのは草稿にアイディアが盛り込まれていないと読み手に判断されてしまうリスクである。その証拠にこの節にはこのような文章がある。
「もし、洞察の閃きや、注意を引きつけるようなアイディアがないとしたら、読む人が出す結論は何かというと、あなたが愚か者であるということでしょう。(214ページ)」
第七章 それをドアから外に出す
この章で問題になっているのは、いつ、論文を公表するかということである。論文執筆者の心中では「あるものをよりよくすることと、それを切り上げることとの間」の緊張が生じている。
この問題に対して、著者は直接的ではないが、「あなたが、自分でした仕事が実際の世界でどのような役割を果たして欲しいかを決めることによって、あなたの仕事をいつ、ドアから外に出したらよいかが決められるのです」と解答している。
また、著者は「かけた時間=論文の質」ではないことを示すために、ディケンズらの文豪が書いていたのは安物の週刊誌であったことを述べ、過剰な禁欲主義も戒めている。
第八章 文献の恐怖
文献を引用することは、引用文献との対比によって自分の研究のオリジナリティを示すことや、説明の一部を引用文献に負担させることができるという点で便利である。しかし、文献に寄り過ぎるとそれが規範どころか制約になって、研究者が主張したいことが十分に展開できない可能性もある。要約すればこの章では「文献を使え、使われるな」ということが主張されている。
第九章 摩擦とワープロ
本章ではワープロ(現代ではパソコン)の普及によって、論文を書き直す際の物理的障壁(本書では「摩擦」と表現している)が低くなっていることが語られている。
第十章 最後に一言
本章は全体の要約的な章である。論文執筆は「どんどん書け」「どんどん直せ」ということに尽きる。
・・・ということで、論文執筆者にとって非常に参考になる内容の本である。是非一読を!と言いたいとこだが、訳文がまずい。忍耐力がある人だけ、チャレンジしてみると良い。得るものは確かにあるはずである。
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