日本思想の中の廣松渉
小林敏明『廣松渉―近代の超克』(講談社)の最後の一章、第三章「日本思想の中の廣松渉」を読み終えた。以下はそれに対するノート。
廣松渉にとってマルクス主義は「近代」をまるごと超越する思想である。そうすると、戦時中に京都学派、日本浪漫派、文学界グループなどが主導していた「近代の超克」という考え方との違い、また、「戦後民主主義良識派知識人」(丸山真男や加藤周一ら)の「近代主義」との違いを明らかにする必要が生じる。これを論じたのが、廣松渉『<近代の超克>論 昭和思想史への一断層』(朝日出版社・エピステーメー叢書、1980年)である。
廣松渉が論じる以前の状況としてはこういう状況があった:
- 「近代の超克」派(京都学派、日本浪漫派、文学界グループ)は、第二次世界大戦に西洋VS東洋という対立構図を見出した
- そして、いま(第二次大戦中)こそ、西洋の近代思想=人間主義、個人主義、機械主義、合理主義、自然科学主義、自由主義、民主主義、資本主義、帝国主義、西洋中心主義を乗り越え、東洋的な思想を確立するべきときであると考えた
- しかし、戦後、「戦後民主主義良識派知識人」、例えば加藤周一によって、「近代の超克」という考え方は、「戦争への加担」という観点から激しく批判された
- また、「良識派知識人」たちは「近代の超克」という思想そのものが西洋由来だとも批判して、「近代の超克」派の言説の矛盾を指摘した
- 例えば、加藤周一は「京都学派は生活と体験と伝統をはなれた外来の論理のなんにでも適用できる便利さを積極的に利用してたちまち『世界史の哲学』をでっちあげた。およそ京都学派の『世界史の哲学』ほど、日本の知識人に多かれ少なかれ伴わざるをえなかった思想の外来性を、極端に誇張して戯画化してみせているものはない」と批判した
廣松は「近代の超克」派、とくに京都学派が近代思想を超克するものとして提示した「哲学的人間学」を「一種のロマン的な揺り戻し、そのかぎりでの新装版人間主義を対置したものに過ぎない」(廣松渉『<近代の超克>論』248ページ)と批判している。さらにまた、「哲学的人間主義は(中略)『近代知の地平(=パラダイム)』に包摂される代物であり、到底『近代の超克』を哲学的に基礎づけ得る態のものではあり得ない」(廣松渉『<近代の超克>論』249ページ)とも批判している。
廣松は、同時に「良識派知識人」たちをも批判している。「近代の超克ということが(中略)西洋だけの課題ではなく世界史的な課題であるとすれば、問題の提起がどこでおこなわれたかということは副次的な事柄にすぎない筈である」(廣松渉『<近代の超克>論』206ページ)
このように廣松は京都学派と良識派知識人の両者を批判してはいるが、小林敏明氏の見解によれば廣松の立場は次のような点で京都学派に近い。
- 良識派知識人にとっては、「近代」という枠組み=テクノロジーの発展、大衆の勃興、アジア民族の覚醒(丸山真男説)は与えられた条件であって、その中で改良を加えていくことが正しい道である
- これに対して、京都学派および廣松にとっては「近代」という枠組みはイデオロギーの産物、すなわち変えることのできるものである
- 言い換えれば、、京都学派と廣松は、「近代をひとつのパラダイムととらえ、それの乗り越えを図る思考様式」(小林敏明『廣松渉―近代の超克』、135ページ)、すなわち「ヘーゲル主義」(小林敏明)を共有している
廣松にとって京都学派は「近代の超克」という同じ問題に対して立ち向かった先輩なのである。「往時における『近代の超克』論が対自化した論件とモチーフは今日にあっても依然として生きている」「前車の轍に墜ちることなく当の課題に如何に応えていくか、これはまさしく遺された案件として対自化されねばならない」(廣松渉『<近代の超克>論』250ページ)
小生は十数年前に廣松渉の『<近代の超克>論』を読んだが、そのときはちんぷんかんぷんだった。今回、『廣松渉―近代の超克』を読むことによって、ようやく、廣松渉の主張とその位置づけがわかった。
こんなにも真摯に近代と向かい合った思想家がいるだろうかというのが、小林敏明氏の廣松渉に対する評価であり、賛辞である。
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