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2008.01.31

一度に3つの新聞が読める「あらたにす」

朝日、日経、読売(五十音順)の3社連合で、「新s(あらたにす)」というニュースサイトが開設された。googleやyahooのニュースサイトもまとめて複数のニュースが読めるけど、こっちのほうが格式があるっていうことかね? 「新s」のページの構成はなんとなくアサヒコムに似ている。

新s=Newsということらしい。Newsという言葉は新しいこと=Newの集合体だという意味だと聞いたことがある。でも、昔、中学校でNEWS=北、東、西、南すなわち、四方から情報が集まるからNewsだという説を学校の先生から聞いたことがある。もっともらしいけど嘘だったのかね?

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片山さつき議員、画像処理?

探偵ファイルの記事:「「美人議員」騒動拡大、片山さつき議員にも影響?/ニュースウォッチ」で知ったのだが、片山さつき議員のホムペの肖像写真、画像処理加えすぎなのではという話が持ち上がっている。

百聞は一見にしかず。一度見て確かめてください(フラッシュが作動するので少し待たないといけませんが):衆議院議員 片山さつき 公式Webサイト

どうでもいいけど、議員でもアドレスは".com"なんですか?

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2008.01.30

China Free

中国はよく出張していた国で、取り立てて嫌いではないのだが、こういうのは困る:「中国製ギョーザで10人中毒症状 農薬検出 千葉・兵庫」(アサヒコム、2008年01月30日)

中国の生産者には気をつけてもらわないと、"China Free"と言われちゃうわけだ(「中国が自由」という意味じゃなくて、「中国産のものを含まない」という意味)。

そういえば、塗料に鉛が含まれていたため、大量リコールになった中国の玩具メーカーの工場長、自殺しちゃったんだよなあ:「『鉛玩具』製造の中国人工場経営者が自殺」

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そういえば,あの人どうなったんだっけ?の巻

一時期、賞賛されていた人が、一転、犯罪などに関わったとして世間から事実上消されてしまうことがある。

下の人たちはその一例である。

伊藤芳郎弁護士: オウム真理教関連の事件に関わって有名になった人である。テレビで毎日のように見かけていたのだが、「女子アナデートおねだり事件」とやらでマスメディアから追放。なんでも職権を乱用して戸籍謄本等を不正に取得したという。

中坊公平: 弁護士。豊田商事事件で破産管財人を務め、「悪から金を取り返」した偉い人。また、整理回収機構の社長に就任し、不良債権の回収に大活躍。と思ったら立場の弱い中小企業相手に対して過酷な債権回収をしていたようである。また、破綻した朝日住建の債権回収時に明治生命と横浜銀行を騙して15億円を略取した件で東京地検特捜部から詐欺罪で告発された。弁護士廃業と引き換えに情状酌量->不起訴。

『中坊公平・私の事件簿』(集英社新書) がBOOKOFFの105円コーナーにズラーッと並んでいるのを見ると「やれやれ」というような気になる。今も新刊本屋で売っているんだろうか?これは「罪を憎んで本を憎まず」ということで。

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事件が起きると情報が抹消されるの巻

先日,阪大准教授(48)が強制わいせつで逮捕されたわけだが,ものすごい勢いでこの人の情報が抹消されている.

もちろん,報道内容(実名=山本敏久や住所=大阪府箕面市小野原東3丁目まできっちりと出ている.報道って怖いわ~)が抹消されているわけではなく,(元)所属先などでの研究業績などの情報が抹消されているのである.

研究者(企業人除く)というのはほとんど公人みたいなもので,所属先の研究機関のウェブページやJST(独立行政法人 科学技術振興機構)の研究開発支援総合ディレクトリ(ReaD)で,学歴,職歴,研究業績,時によっては写真までが曝されているのである.それが常態なのだが,こういう事件が発生するとサーッとデータが抹消されるわけである.そんな人居ませんでした,みたいな扱いになる.阪大もJSTも素早く対応している.

でも,Googleっていうのは恐ろしいもので,キャッシュに情報が残っていたりするのでした.

この人,2005年3月に「日本原子力学会論文賞」を受賞している訳だが,こういうのも抹消されるのであろうか?また,日本原子力学会英文論文誌がウェブ上で公開されているのだが,これもどうなるのだろうか?小生的には「罪を憎んで業績を憎まず」という感じなのだが.

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2008.01.28

水立方

今年は北京オリンピックの年である。

北京は大気汚染がひどく、マラソンなんかやったら選手生命にかかわるとか、「鳥の巣」と呼ばれているスタジアムの完成は間に合うのか?とか、さまざまな懸念が駆け巡っている。

そんな中、水泳競技場が間近というニュースが流れた:「北京五輪水泳会場「水立方」で照明テスト」(asahi.com、2008年01月27日)

この競技場、「水立方」(ウォーターキューブ)と呼ばれ、泡状の外観をもつ、奇抜なデザインの建物である。WIRED VISIONで建設過程が紹介されているが、なかなかすごい構造だ:北京オリンピックの『水立方』:「建設過程を写真ギャラリーでご紹介」(WIRED VISION、2008年1月24日)

構造の元となっているのは「体積の等しい多面体で空間を分割するとき、最も効率的な多面体は何か?」という物理学の問題だという。そして、その解は1994年になって得られた「体積は同じだが形状の異なる2種類の多面体を使えばいい」というものだった。その構造はWeaire-Phelan structureと呼ばれる。

しかし、この競技場、外観はすでにおととし完成している:「国家水泳センター「水立方」、美しい外周部分が完成」(人民網日文版、2006年11月6日)

いったい何にそんなに時間がかかったんだろう?電気工事か?プールの水漏れ防止か?

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2008.01.24

ナルトビエイを食べろ!

隣の山陽小野田市で、ナルトビエイをナントカ食べ物にしようという努力が続けられている:ナルトビエイ食材普及へ調理・試食会(宇部日報2008年1月24日)

このエイ、漁民から見るとけしからんエイで、アサリを食い荒らしているのだという。もともと瀬戸内海や周防灘にはいなかったのに、温暖化の影響か、この周辺の海に現れては、大量のアサリをすくい上げて食べているのだそうだ。で、宇部や小野田周辺の漁民によってナルトビエイ退治が始まったというわけである。

ブラックバスと同じで、いわゆる「害魚」を食用にするのは結構大変なのだが、頑張っていただきましょう。そのうち、うちの近所のスーパーに並ぶのだろうか?

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2008.01.23

内容はいいのに、翻訳が駄目

せっかくの内容なのに、翻訳が悪くて・・・、と思うのがこの本である:

論文の技法 (講談社学術文庫)論文の技法 (講談社学術文庫)
ハワード・S. ベッカー パメラ リチャーズ Howard S. Becker

講談社 1996-09
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内容は面白い。論文執筆者の心理分析や研究者の世界に関する社会学的な考察があり、単なる論文執筆マニュアルに終わっていない。いくつかの興味深い考察を、要約して紹介すると以下の通り:

○学生が論文を執筆するときに、ずいぶんと畏まった非日常的な文章を書いてしまう理由: 学生は研究者社会の一員として認められる証しとして非日常的な言語を使いたいのである

○なぜ論文を書き始められないのか: 一回かぎりの草稿で済ませよう、あるいは最初から完成版を目指そうという心理が働いているから

このように、研究者から見ると面白い話題が取り上げられているものの、翻訳の文体のせいで読むのがしんどい。

しんどい文章の例を示す:

若い研究者は、時間がどんどんすり抜けていってしまうのに気づくでしょうし、自分が書かなければならない著作物がどのくらいあるかが学部学生時代よりもはっきりしたものでなく、それをこなしていない自分に気づくでしょう。(52ページ)

しかし、私たちはしばしば、論理的でなくともまったく理性的に、筆者は明らかにこの分野のことを(ベーグル製造者組合のプレジデントを含めて)知っているという理由から、あるいは、私たちが尊敬する一般的な文化的洗練さをもつという理由から、ある議論を受け入れるでしょう。(82ページ)

一読して理解できる人いる?

翻訳は駄目だが、それを乗り越えれば優れた内容に触れることができる本である。

とはいえ、誰かもう一度翻訳してくれないかな。

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リーマン辞典面白いな

asahi.comで掲載している「リーマン辞典」、読者の投稿も含めて、結構面白い。
今回は「気配リーマン」だった。

これまでのリーマンは:


  • おしゃべリーマン
  • 空回リーマン
  • 里帰リーマン
  • ごますリーマン
  • さぼリーマン
  • お祭リーマン

小生はどれだったかなー?

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南方熊楠の品格

今月の「ユリイカ」の特集は「南方熊楠(みなかたくまぐす)」。一般に、博物学者、粘菌学者として知られている人物である。

ユリイカ 2008年1月号 特集=南方熊楠
ユリイカ 2008年1月号 特集=南方熊楠
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さもこの人のことをよく知っているかのように語る小生だが、この人が書いた本を読んだのは一回だけ。これ:

南方熊楠文集 1 (1)
南方熊楠文集 1 (1)南方 熊楠 岩村 忍

平凡社 1979-04
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この本、今、売っているんだかいないんだか知らないが。

そして、熊楠の生涯については、水木しげるが書いたこの漫画を読んだ程度である(表紙の写真が無くて残念):

猫楠―南方熊楠の生涯 (角川文庫ソフィア)
猫楠―南方熊楠の生涯 (角川文庫ソフィア)水木 しげる

おすすめ平均
stars水木ワールドに棲む熊楠
stars奔放に生きる
stars幸福であったかどうかは、棺桶に足を突っ込むまでわからない
stars怪人(南方)×怪人(水木)=本書
starsマンガ表現と史実が融合した、すばらしい伝記

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語学堪能、博覧強記、家庭は持ったものの、生涯定職に就かず、市井の(和歌山県田辺の)研究者として生きた人として知られる。

酒豪でエキセントリックな行動が多かったため(ほとんど裸の状態で生活していたり、気に入らない奴にはゲロを浴びせる等)、変人扱いされているが、その一方で海外では"Nature"や"Notes & Queries"などの英文誌に論文を寄せ、国内では粘菌などの研究で実績を上げ、また柳田國男らと交流しながら民俗学の形成に貢献するなど、アカデミズムに大きな足跡を残している。また、「神社合祀令」による、いわゆる「鎮守の森」の伐採に反対する運動を展開するなど、自然保護運動の先駆けとしても知られている。

さて、「ユリイカ」の南方熊楠特集号で面白かったのは、奥西峻介「掻巻から覘く 柳田国男の訪問」礫川全次「南方熊楠の魅力について」である。いずれのエッセイも熊楠と柳田国男の対比によって熊楠の品格と度量を浮かび上がらせている。

上述したように、熊楠はエキセントリックな行動で知られているのだが、これらのエッセイを見る限り、熊楠はビクトリア朝の素養を身につけた品格のある人物であるのに対して、柳田は粗野で狭量な人物であるように感じられる。

熊楠の品格と度量に関しては、ちゃんと「ユリイカ」を読んでもらう事にして、柳田国男のダメダメな部分についてちょっとだけ触れよう


  • 1911年3月19日、熊楠が自分と同じ研究(山男についての研究)を進めていると知り、早く本を出版したいから資料(材料)のみ提供してくれ、と虫のいい手紙を送る
  • 1913年12月30日、初対面にもかかわらず、いきなり熊楠を訪ねた
  • 1926年5月22日、中山太郎が編集した論文集『南方随筆』の跋文(あとがき)に、熊楠と自分にとって不名誉になる箇所があるとして、熊楠を煽る

こうした柳田の問題行動に対して、熊楠はいずれの場合も「大人の対応」をしている。熊楠との対比によって、民俗学の巨人である柳田がお猪口のごとき人物のように見えるから面白い。

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2008.01.22

岡山550 ひ6291

NHKがお間抜けな事件を引き起こした:またまたまたNHK…今度は無断ナンバープレート、取り付けた車は知らずに走り去る(ZAKZAK 2008/01/21)

こういう事件である:


  • 1月20日、NHKのスタッフが千葉県南房総市内でドラマのロケ
  • 駐車場にとめてあった車3台に小道具の紙製ナンバープレートを所有者に無断で張りつけ
  • 紙製ナンバープレートを回収する前に、一台が走り去ってしまった

走り去った車の紙製ナンバープレートのナンバーが「岡山550 ひ6291」

千葉県でロケをしていたものの、岡山が舞台のドラマなので、岡山ナンバーに取り替えていたのである。その後、所有者は気づいたのだろうか?

先日のNHKのインサイダー取引事件は、報道関係としてあるまじき行為なんだけど、今度の事件はなんと言ったらよいかわからん。

ちなみに撮影目的なので、NHKは法的には責任を問われないそうである。

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2008.01.21

日本インベスト

昨年の夏ごろに、「日本ワークス」様からのお電話攻撃に遭ったわけだが(この記事参照)、昨日、晩にダラーっとしていたら、今度は「日本インベスト」様からのお電話攻撃に遭った。やはり、この時代、マンションに投資しないといけないらしい。

ああ、そうですか。遠慮しておきます。

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プノンペン唯一の象

続、プノンペンの話。

プノンペンにはワット・プノン(「丘の寺」の意味)という公園(のようなもの)がある。これである:
Dscn1165s

プノンペン市民にとっては憩いの場。カンボジア人はただで入れるが、外国人は1ドル取られる。

ワット・プノンには毎日、プノンペン唯一の象さんが出勤してくるのだそうだが、前回(9月末~10月初め)は見ることができなかった。今回、ようやく写真に収めることができたのでご紹介する:
Zohsans

誰も相手していないのがさびしい。

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2008.01.18

はなっこりー

はなっこりー
ほぼ山口県内のみで流通する野菜、はなっこりーである。

ブロッコリーと中国野菜サイシンの合の子。

調理法であるが、沸騰した湯で1分煮るだけ。味付けは自由。

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2008.01.16

カンボジア1400万人が泣いた!

そういう名作「バッタンバンの花」をご紹介する。

Cambodia0000
モニュメント・ブックスのプノンペン空港支店で購入した現地の作家Em Satya氏による"Flower of Battambang"(「バッタンバンの花」)である。売価2ドル。

Cambodia0002
大金持ちの娘、Phalla(左)と貧しいが有能な若者Sotha(右)はお互いに惹かれあっているのでありました。

Cambodia0001
しかし、Phallaを狙う悪いやつ、Davit(上方、真ん中の男)は二人の仲を引き裂こうと企みます。

Cambodia
そしてある日、チンピラに二人を襲わせます。誘拐されかけるPhalla、殴られてのびているSotha。

その直後、PhallaはDavitによって救出されます(ヤラセ)。そして二人は急接近し、双方の親も公認の仲に。

Cambodia0003
で、結局だまされていたとも知らずPhallaはDavitと結婚することに。Davitは前祝として悪い女と一夜を過ごします。

Cambodia0004
Sothaはどうなったかというと、Phallaの友達、Huochの手当てを受けます。Huochと付き合うかというと、SothaはPhallaへの愛を貫きます。

この後、回復したSothaはシクロ(自転車タクシー)のバイトを始めたり、旅に出たりします。いったいSothaはPhallaと結ばれるのでしょうか?その答えは運命の女神の手の中に、そして、Phallaの心の奥に秘められています。

続きを読みたい人はプノンペンのモニュメント・ブックスまで2ドルを握り締めて走れ!

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どうやって紙を3つ折りにするの?

A4の紙に印刷した手紙などを封筒に入れるとき、3つ折にするべきところを、今まで4つ折にしてごまかしてきたものだが、いいテクニックを知った。

A4用紙を手軽に三つ折りする方法(IT media)

つまり、A4だけでなく、同じ大きさの紙がもう一枚あれば、この3つ折の方法は可能だというわけである。

よし、明日から使っちゃろう。

なお、大量に3つ折にする場合には、「卓上型A4専用内三つ折り機「折り姫」」(理想科学工業、2万4800円)を使ったほうがよさそうである。一枚一枚折るのはしんどいしね。

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2008.01.15

プノンペンで飯を食う(MALIS)

カンボジアに来たんだからクメール料理を食べなくてはいけない。

で、行ったのがTOPAZの系列店、MALISである。ここはクメール宮廷料理が出る。前回出張時の写真と今回の写真との組み合わせで紹介する。

Dscn1362s
これは店の外観。門の前には目隠しが立っている。

Dscn1360s
門をくぐるとジャヤバルマン7世の像が出迎えてくれる。

Dscn1358s
2階から見た店の中庭の様子

Dscn1357s
これが2階の様子である。高級感あふれる色調である。

Dscn1470s
ウェイトレスのお姉さん。逆光になってしまった。

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食前に出てきたもの。ピクルスとマンゴージュースと言っていたが、レッドキャベツの浅漬けと竜眼(プラエ・ミエン)のジュースなのでは?

で、大失敗だったのが、食べるのに一生懸命になって、肝心のクメール宮廷料理を撮影し忘れたことである。おいしかったことだけは報告しておきたい。

Dscn1474s
デザートは撮った。またもやプリンのフルーツ添えである。フルーツはパイナップル、スイカ、ドラゴンフルーツである。どうでもいいけど、ドラゴンフルーツはサボテン(サンカクサボテン)の実である。

MALISの住所はここ:
MALIS Restaurant
136, Street 41, Norodom Boulevard
Phnom Penh, Cambodia

前の記事のTOPAZもMALISも「地球の歩き方」には載ってませんな。

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プノンペンで飯を食う(TOPAZ)

プノンペンではいいところでご飯を食べてばかりだった(北京菜館でギョーザという例外もあるが)。

今回ご紹介するのは、フランス料理のTOPAZである。オシャレ・レストランである。実は前回(9月末~10月初め)にも行った。

Dscn1415s
これが外観。高級感が漂っている。

さて、中で食べたご飯をご紹介しよう。
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これは「プチ・パテなんとか」という料理。名前を忘れてしまった。パテのパイ包みである。

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これは完全に名前を忘れた。さいころステーキだと思ってください。ポテトもさいころになっています。非常においしかった。

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デザートである。多分、クレマなんとかと言うのだが、要するにプリンのフルーツ添えである。小生がフランス料理を記述すると品が無くていかん。

あとはワインも飲んだし、うまいバケット(フランスパン)も食べた。やはり旧フランス植民地だった経緯もあって、フランス料理に関しては水準が高いと思う。20ドルぐらいでゆったり食事ができた。このTOPAZ、日本に出店していてもおかしくない。

TOPAZの住所はここ:
#182 Norodom Boulevard
Sangkat Tonle Bassac
Khan Chamkamorn
Phnom Penh, Cambodia

小生は行っていないが、プノンペン在住のエコノミストの方が、こういうオシャレなビストロを紹介している:ビストロ「アトモスフィア」

プノンペンは首都だけあって(かつては「東洋のパリ」と評されていただけあって)オシャレな料理屋も結構あるんですよ。

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カンボジアのテレビ、CTN

カンボジアから帰国いたしました。

時差は2時間しかないものの、プノンペン->バンコク->福岡という経路で帰ると、バンコクを夜中の1時に飛び立って、朝の8時に福岡に着くことになり、実質5時間以下しか機内での睡眠時間を確保できないので、もうフラフラである。しかもプノンペン30度、福岡7度で20度以上の温度差があるし・・・。

今回の出張ではずっとプノンペン市内にいたので、珍しいところにはほとんど行かなかった。まあ、町の様子などを見たり、レストランを回ったりした程度。それでも面白いものを見聞したので、少しずつご紹介する次第である。今回はカンボジアのテレビ番組。

なんか、CTNというチャンネルで"Super boys and girls 2008"とかいう若い子向けの番組をやっていたので、画面を写してみた。

言葉がぜんぜんわからないのだが、おそらく、カンボジア中からオーディションで集めたイケメンやおねえちゃんにいろいろチャレンジさせたりする番組らしい。

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これはカンボジアのイケメンである。新庄的なものを感じる。

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Super girlsたち。日本の皆さんが予想しているよりは垢抜けているのではないだろうか?違う?

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これは司会者たちである。左のお姉さんはプノンペンのチノパンと呼ばれているに違いない。

Dscn1451s
プノンペンのチノパンがなんかレポートしている。うしろは工場見学をするSuper Boys and Girlsたちである。

と、いうことで、カンボジアというとずいぶん遅れているように考える日本人が多いと思うのだが、経済も着実に発展し、テレビの世界もこのようにきらびやかになってきているのである。

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2008.01.05

カンボジアに行きやす

明日、1月6日から1月12日まで、「また」カンボジアに出張します。

実家から帰って早々に、旅行支度でヘロヘロ。日本は冬ですが、むこうは乾季とはいえ夏のような気温。行きと帰りとで着替えなくてはいけないので、服の枚数が増えて面倒。

贅沢な話かもしれませんが、一年間に何回も海外出張をすると飽きてきます。さて、今回はどうなることやら。

Dscn1123

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日本思想の中の廣松渉

小林敏明『廣松渉―近代の超克』(講談社)の最後の一章、第三章「日本思想の中の廣松渉」を読み終えた。以下はそれに対するノート。

廣松渉にとってマルクス主義は「近代」をまるごと超越する思想である。そうすると、戦時中に京都学派日本浪漫派文学界グループなどが主導していた「近代の超克」という考え方との違い、また、「戦後民主主義良識派知識人」(丸山真男や加藤周一ら)の「近代主義」との違いを明らかにする必要が生じる。これを論じたのが、廣松渉『<近代の超克>論 昭和思想史への一断層』(朝日出版社・エピステーメー叢書、1980年)である。

廣松渉が論じる以前の状況としてはこういう状況があった:


  • 「近代の超克」派(京都学派、日本浪漫派、文学界グループ)は、第二次世界大戦に西洋VS東洋という対立構図を見出した

  • そして、いま(第二次大戦中)こそ、西洋の近代思想=人間主義、個人主義、機械主義、合理主義、自然科学主義、自由主義、民主主義、資本主義、帝国主義、西洋中心主義を乗り越え、東洋的な思想を確立するべきときであると考えた

  • しかし、戦後、「戦後民主主義良識派知識人」、例えば加藤周一によって、「近代の超克」という考え方は、「戦争への加担」という観点から激しく批判された

  • また、「良識派知識人」たちは「近代の超克」という思想そのものが西洋由来だとも批判して、「近代の超克」派の言説の矛盾を指摘した

  • 例えば、加藤周一は「京都学派は生活と体験と伝統をはなれた外来の論理のなんにでも適用できる便利さを積極的に利用してたちまち『世界史の哲学』をでっちあげた。およそ京都学派の『世界史の哲学』ほど、日本の知識人に多かれ少なかれ伴わざるをえなかった思想の外来性を、極端に誇張して戯画化してみせているものはない」と批判した

廣松は「近代の超克」派、とくに京都学派が近代思想を超克するものとして提示した「哲学的人間学」を「一種のロマン的な揺り戻し、そのかぎりでの新装版人間主義を対置したものに過ぎない」(廣松渉『<近代の超克>論』248ページ)と批判している。さらにまた、「哲学的人間主義は(中略)『近代知の地平(=パラダイム)』に包摂される代物であり、到底『近代の超克』を哲学的に基礎づけ得る態のものではあり得ない」(廣松渉『<近代の超克>論』249ページ)とも批判している。

廣松は、同時に「良識派知識人」たちをも批判している。「近代の超克ということが(中略)西洋だけの課題ではなく世界史的な課題であるとすれば、問題の提起がどこでおこなわれたかということは副次的な事柄にすぎない筈である」(廣松渉『<近代の超克>論』206ページ)

このように廣松は京都学派と良識派知識人の両者を批判してはいるが、小林敏明氏の見解によれば廣松の立場は次のような点で京都学派に近い。

  • 良識派知識人にとっては、「近代」という枠組み=テクノロジーの発展、大衆の勃興、アジア民族の覚醒(丸山真男説)は与えられた条件であって、その中で改良を加えていくことが正しい道である
  • これに対して、京都学派および廣松にとっては「近代」という枠組みはイデオロギーの産物、すなわち変えることのできるものである
  • 言い換えれば、、京都学派と廣松は、「近代をひとつのパラダイムととらえ、それの乗り越えを図る思考様式」(小林敏明『廣松渉―近代の超克』、135ページ)、すなわち「ヘーゲル主義」(小林敏明)を共有している

廣松にとって京都学派は「近代の超克」という同じ問題に対して立ち向かった先輩なのである。「往時における『近代の超克』論が対自化した論件とモチーフは今日にあっても依然として生きている」「前車の轍に墜ちることなく当の課題に如何に応えていくか、これはまさしく遺された案件として対自化されねばならない」(廣松渉『<近代の超克>論』250ページ)

小生は十数年前に廣松渉の『<近代の超克>論』を読んだが、そのときはちんぷんかんぷんだった。今回、『廣松渉―近代の超克』を読むことによって、ようやく、廣松渉の主張とその位置づけがわかった。

こんなにも真摯に近代と向かい合った思想家がいるだろうかというのが、小林敏明氏の廣松渉に対する評価であり、賛辞である。

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2008.01.03

餅による窒息事故

あけましておめでとうございます(もう1月3日!)

この時期になるとどうしても発生するのが「餅による窒息事故」である。官公庁もこのことに気づいており、東京消防庁などはキャンペーンを展開している:
「窒息事故に気をつけて」

このキャンペーン記事によると、東京消防庁の管轄内では平成18年の年末~平成19年の年始にかけて、餅による窒息事故で26人が救急車で搬送されたとのことである。
その内訳は、


  • 20代 8%

  • 50代 4%

  • 60代 19%

  • 70代 46%

  • 80代 19%

  • 90代 4%


ということで、60代以降がほとんどを占めているということである。
しかも、死亡、重篤、重症に分類される急患が12人であり、搬送された人の約半数の約半数はアウトになっているか、かなりヤバイ状態ということである。

全国の死亡者数の中に占める、「餅による窒息死」の割合はどうかというと、小職の簡単な調査では正確にはわからない。
しかし、厚生労働省の『平成18年人口動態統計月報年計(概数)の概況』によると、平成18年の不慮の窒息による死亡者数は9101人で、全死亡者数の0.8%を占めている。大げさに言えば、死因の約1%は不慮の窒息によるわけである。

船橋市のウェブページ「市民とともに考える救急医療シンポジウム2006 家族で知ろう 転ばぬ先の予防医学~高齢者救急~」のデータによると窒息事故の際に詰まらせたものの24%は餅であることがわかる。これは船橋のデータだが、仮に全国でも同じ状況だとすると、0.8×0.24=0.2%、死因の0.2%は餅による窒息ということになる。

まあ、少ないといえば少ないが、500人に1人は最後には餅で命を落とすことになるわけである。餅にはよく気をつけましょう。

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2008.01.02

『高学歴ワーキングプア』の情報補足

先日、『高学歴ワーキングプア』(光文社新書)を読んだ。今日の記事はその内容を捕捉する情報を書いておこうと思う。

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文部科学省が公表している『平成18年度学校基本調査(確定値)』を基に、博士課程修了者の就職率を計算してみるとこのようになった:

平成18年3月の
博士課程修了者数:15,973人
就職者数:9,149人
就職率:57.3%

『高学歴ワーキングプア』(光文社新書)に記されていた数字と少し違うが、同書出版後に調査がまとまり数字が確定したのではないかと思われる。

性別、出身校別、分野別で就職率を計算すると次のとおりである。

       修了者   就職者   就職率
(性別)
男子合計 11,702   7,049    60.2%
女子合計 4,271    2,100    49.2%

(出身校別)
国立男子 8,528    5,208    61.1%
国立女子 2,901    1,439    49.6%
公立男子 592     373     63.0%
公立女子 226     119     52.7%
私立男子 2,582    1,468    56.9%
私立女子 1,144    542     47.4%

(分野別)
人文科学 1298    367     28.3%
社会科学 1302    529     40.6%
理学    1522    730     48.0%
工学    3679    2181    59.3%
農学    1056    545     51.6%
保健    4920    3741    76.0%
商船    0       0
家政    58      28     48.3%
教育    334     163     48.8%
芸術    140     20      14.3%
その他   1664    845     50.8%

全体の就職率57.3%を基準とし、これ以下の就職率のところにアンダーラインを引いてみた。

明らかに


  • 女子不利

  • 私学不利

  • 文系不利(工学、医学など「実学系」有利)


ということが言える。

このような現状を変えることも大事であるが、そういう努力と同時に、博士課程に進もうかと思っている学生は、統計学的観点から、分野や大学の選択を考えることも必要であろうと思う。

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世界の共同主観的存在構造

物象化論によって商品を検討すると、商品は、基本性能、耐久性、信頼性、適合性、サービス性、審美性などの基準で判定される「使用価値」を担うだけでなく、感性品質のような社会関係にもとづく抽象的な価値をも担っている。

使用価値はいわば人間感覚で理解できる「感性的」なものであり、抽象的な価値は人間感覚を超えた「超感性的」なものである。商品に限らず、社会的な存在はすべてこのような「感性的超感性的」、廣松渉用語でいえば、「レアール・イデアール」な二重の性質を持っていると考えられる。

このような二重性を認識論にまで推し進めたのが廣松渉独自の「世界の共同主観的存在構造」である。

たとえば、今、小生に聞こえた音は猫の鳴き声として聞こえたとする。このとき、音は純粋な音波として聞こえているだけでなく、猫の鳴き声という意味を帯びている。つまり我々が認識するものは単純な現象(所与=データ)そのものではなく、すでに何らかの意味を帯びているわけである。これを現象(フェノメノン)の二重性、あるいは対象面の二重性という。

また、小生が今、聞いた音を猫の鳴き声として認識していたとしても、ひょっとしたらそれは、赤ん坊の泣き声かもしれない。なぜ、猫の鳴き声として判断し、赤ん坊の泣き声として判断しないのだろうか?これは、世間一般のほかの人が聞いても猫の鳴き声だろうとして判断しているのである。つまり、小生は世間様の一員として、世間様に成り代わって判断しているのである。つまり小生が小生以上の何者かとして判断を行っているのである。これを認識側の二重性、あるいは主体面の二重性という。

対象面、主体面それぞれの二重性で成り立っている構造を、「世界の共同主観的存在構造」という。廣松渉の言葉を引用すれば、「所与がそれ以上の或るものとして、『誰か』としての或る者に対して」存在するという構造である。

対象と主体のそれぞれが二重性を持っているので2×2=4、つまり、認識は4つの足を持っているというわけである。これを四肢構造と呼ぶ。

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物象化論

「物象化論」は「疎外論」に対する批判として1960年代後半に廣松渉が打ち出した思想である。

「疎外」とは次のようなことである:

近代以降、人間は自ら生み出した社会システムに主導権を奪われ、その歯車に成り下がっている。これを疎外という。今こそ、失われた人間性を取り戻さなくてはならない。

廣松渉は「主体性を持った人間がある」という前提に問題があると見た。そして、マルクスの原典を研究することにより、まず、社会的な関係があって、その結果として人間というものがあるという考え方を示した。まず関係があって(関係の第一次性)、その関係が物として現れる(物象(ぶっしょう)化)ことを「物象化」という。

廣松渉はこの「物象化」の考え方をあらゆる場面に適用し、「物象化論」というものを打ち立てた。まったく無関係でありながら、同じ時期にフランスを中心として発達した「構造主義」の考え方と類似しているところが面白い。

物象化論を労働の価値に当てはめると、次のようなことになる:

労働の価値を図る尺度(たとえば時間単価)があって、それにもとづいて労働の対価が払われるのではなく、社会関係によって労働の価値が決定される

小林敏明『廣松渉―近代の超克』から例を引用しよう:
一人の人間が汗水たらして作った米を売って得た金額と、別の人間がわずか数分の電話取引で得た株売買の利益との間に、なぜあんなに理不尽なまでに極端な差が生ずるのかを考えてみればよい。「価値」がけっして単純な人間の労働量などで決まっているわけではないことが一目瞭然のはずである。(84ページ)

物象化論をブランド品にあてはめてみるとこんな感じだろうか:
ブランド品はなぜ高いのか?同等の素材でできており、同等の機能を持つ商品があったとしても、ブランド品と同じ値段で売れるとは限らない。それは、消費者の側に、ブランド品をブランド品であるという理由で尊ぶ風潮があるからである。つまり売り手と買い手、さらに買い手同士の間の社会的な関係が、ブランド品の価格に反映されるわけである。ブランド品は社会関係が物象化したものである。

経営学では商品の品質には、基本性能、耐久性、信頼性、(法規に対する)適合性などの「当たり前品質」のほかに、サービス性、審美性、感性品質などの「魅力的品質」があるとされている。「感性品質」は難しい概念であるが、具体的にいえば、その商品を持っていることによって社会的に賞賛されるなどの性質のことである。上述の物象化論に照らしてみれば、この「感性品質」こそが社会関係を反映した部分ということになるだろう。

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廣松渉の思想

この本の第二章「マルクス主義の地平」を読み終えた:

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廣松渉の用語では、「地平」というのは世界観や思想の枠組み=パラダイムにあたる。以下は第二章に関するノートである。

廣松渉にとって、マルクス主義の考え方は単に資本主義を批判したものにとどまらず、近代的世界観そのものを超越するものだった(だから、マルクス主義VS資本主義という枠組みで物事を捉える教条的マルクス主義は、廣松渉にとって当然ながら批判対象であった)。

マルクス・エンゲルスの原典の精読と独自解釈によって、廣松渉は近代的世界観を超える重要概念を導出した。以下はその主なものである:

これらの内容については別記事にて述べる。

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2008.01.01

研究開発従事者の性質

研究開発関係者の性質を明らかにし、それをもとに、創造性の強化と実社会への貢献に結びつける仕組みを考えることは小生の研究テーマのひとつである。

三崎秀央『研究開発従事者のマネジメント』(中央経済社)は、経営学の本でありながら、戦略、組織、プロセス(経営者にとっては有意義なのだろうが、研究開発従事者出身の小生としては美談や枠組みだけの話は面白くない)よりも研究者個人に主眼を置いた研究結果が記述されており、小生にとっても有益な本だった。

この本ではローカル志向とコスモポリタン志向という研究開発従事者が持つ2つの性質が述べられている。これらはもともとはGouldner(Cosmopolitans and locals, Administrative Science Quarterly, 2, (1957) pp. 281 - 306, (1958) pp. 444 - 480)が唱えた概念である:


  • ローカル志向: ローカル志向というのは研究開発従事者が所属している組織を重視することで、本書では所属する企業を重視すること(企業に対するロイヤルティ)である。
  • コスモポリタン志向: コスモポリタン志向とは、研究開発従事者が所属している職業団体を重視することで、本書では学協会を重視すること(学協会に対するロイヤルティ)である。

本書では、程度の差はあれ、研究開発従事者はこの2つの志向を持っている(二重のロイヤルティ)ことを因子分析によって示し、これらの性質が研究開発従事者の行動にどのように作用するのかを明らかにしようとしている。

小生自身もローカル志向とコスモポリタン志向という2つの志向を持っていることを自覚しているし、周りの研究者を見ていてもそれがあることが理解できる。たとえば、企業の研究者は企業での昇進を望むとともに、学会で評価されることを望んでいる。これは大学でも同じことで、大学教員の多くは大学内での地位確立とともに学会の委員就任の両方を望んでいる。ただし、どちらの志向が強いのかあるいは両方とも同時に強い/弱いのかということについては研究開発従事者ごとに異なる。

さて、この本を読んで思った疑問としては、研究開発者がロイヤルティを示す対象は所属企業と学協会の2つだけなのだろうかということ。ロイヤルティの対象としては所属企業全体とともに所属部門、学協会とともに研究開発従事者の出身研究室(大学)なども挙げられるのではないかと思う。二重どころではない、多重のロイヤルティというものがあるのではないだろうか?

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大学院重点化の陰で

これは非常に売れている本である。小生も読んでみた:
水月昭道『高学歴ワーキングプア』(光文社新書)

博士の学位をとりながら、就職できない者が多く存在するという問題。この問題に真正面から取り組んだ書籍はこれが初めてかもしれない(記事としては、かつて「アエラ」で取り上げられたことがある)。

センセーショナルな話題としては次のようなことが取り上げられている:


  • 平成18年の博士課程修了者は15966人であるのに対し、死亡・不詳者が1471人(9.2%)、就職者が9147人(57%)
  • 非常勤とコンビニで月収15万円の生活を過ごしている博士課程修了者がいる
  • 旧帝大などの植民地と化している他の大学院。その大学院の修了者が母校の教員になる可能性はほぼゼロ。

このような状況を生み出したのは、大学進学者の絶対数が減少する中で、大学院設置という手で教員数の維持(既得権の維持)を図った大学指導者層のせいであると同書は断罪する。

フリーター博士や無職博士たちは、個人の努力が足りずにそうなったわけではなく、博士が政策的に大量に生産された結果、教員市場が完全崩壊をきたしたことで生み出されてしまった(168ページ)

高学歴ワーキングプアたちは、大学市場全体の成長後退期と無謀にもそれに抗おうとした既得権維持の目論見の間に生じた歪みの狭間に生み落とされた、因果な落とし子だったのである(168ページ)

本書の中ほどまでは気持ちが暗くなるような話ばかりが続いているが、終わりに近づくにしたがって、今後の大学院教育に関する提案が述べられているのが救いである。主な提言は以下のとおり:

  • 研究者育成大学院から社会人大学院への転換
  • 博士課程に進む者は研究者になることにこだわらないこと
  • 利他精神に基づき、学生を大事にすること

最初の「研究者育成大学院から社会人大学院への転換」とは以下のようなことである。

著者は教育・研究者を育成するという従来の大学院教育はすでに破綻がはじまっており、今後は生涯教育の一環としての大学院教育を行うべきであろうと提案している。

大学院は論理的な思考を鍛える訓練の場である。これは、学部から上がってきた学生にとっても、社会人にとっても同じ意義を有している。今後は欧米に見習い、一度、社会に出た人が、それまでに獲得した知識を整理し、論理的に思考する訓練を行う場として機能すればよいのである。

次の「研究者になることにこだわらないこと」とは、フリーター博士、無職博士、これから博士課程に進む者たちに向けた提言である。博士課程で学んだことを全て捨ててしまうことではない。大学院で思考訓練を積んだことは、研究者にならずともほかの分野でも役に立つことである。また、期限を区切って自分のやりたいことに集中するということは、悔いの無い人生を送る上でも重要なことである。

最後の「利他精神に基づき、学生を大事にすること」とは、大学法人の運営者に向けた提言である。これは学校に大事にされたという経験をもつ学生たちが、出身校に愛着を持ち、やがては学校を支える基盤となることを言っている。現在、大学閥よりも高校閥が重視される現状があるらしい。これは、大学は学生たちを大事にしていないのではないかという問いかけである。これからの大学は単に学生を確保することのみに専念するのではなく、たとえ時間と労力がかかろうとも、学生を大事に育成することに尽力するべきであろう。

本書の内容を見る限りでは、取材された範囲はおそらく文系や文系に近い性質を持つ大学院だろうと思われる。理系大学院出身で企業を経て大学教員になった小生としては違和感を抱く部分も含まれるが、全体的には賛同できる内容だった。

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