主観的宇宙論
以前、三傑の一人としてグレッグ・イーガンの名前を挙げていたものの、今までこの作家について書いていなかった。
ここ数日、中国の大連に出張していた。その間にグレッグ・イーガン(山岸真 訳)『ディアスポラ』(ハヤカワ文庫)を読み終えた。これを機会に、この作家について書きたいと思う。
今までに日本語に翻訳され、刊行されているグレッグ・イーガンの作品のうち、長編は以下の4作である:
- 『宇宙消失』(創元SF文庫、1999年) 原題:Quarantine (1992)
- 『順列都市』(ハヤカワ文庫、1999年) 原題:Permutation City (1994)
- 『万物理論』(創元SF文庫、2004年) 原題:Distress (1995)
- 『ディアスポラ』(ハヤカワ文庫、2005年) 原題:Diaspora (1997)
最初の三つの作品は、著者自身によって「主観的宇宙論もの」と呼ばれている。ものすごく単純に言えば、認識によって世界(宇宙)が決定される、という考え方がこれら三作の底流に流れている。その考え方は「我認識す。ゆれに世界あり」と言い換えてもいいだろう。主観的宇宙論といっても素朴なものではなく、量子論やコンピュータ・サイエンスの成果を踏まえた上での考え方である。
『宇宙消失』では、2034年に冥王星軌道の倍の半径を持つ暗黒の球面によって太陽系が覆われ、太陽系が宇宙から遮断される。地球側から見れば、宇宙が消失した状態になってしまう。この状況は、人間が宇宙を観測することによって、宇宙の多様な存在の仕方が一意に決定されることを恐れたエイリアンによって引き起こされたものであると推定されている。
『順列都市』では、コンピュータ上にダウンロード(アップロード?)された人格が、世界をどのように認識しているかということが、重要な話題となっている。この認識の仕方は「塵理論」と呼ばれ、永遠に存在し続けられる方法(ハードウェアに依存しない:コンピュータが壊れても死なない)に結びついている。
『万物理論』では、全ての物理法則の根底にある第一原理、すなわち万物理論は一人の人間(基石<キー・ストーン>)によって体現され、この人間が認識を持つことによって宇宙(全空間、全時間、全存在)が発芽する、という考え方、「人間宇宙論」が登場する。この考え方(つまり宇宙の存亡)を巡る争いが、この作品の展開の重要な要素となっている。一人の人間の認識で世界が生じるのなら、その世界はひどく孤独なんじゃないのか、という疑問が生じるが、その疑問に対する答えが、この作品の最後に示される。
このように、『宇宙消失』、『順列都市』、『万物理論』の三作は、主観と宇宙の関係が主題である。それだけでも非常に深い話になるのに、『ディアスポラ』では、主観的宇宙論はもはや当たり前として、さらに先に進んでいることが特徴である。その話はまた場所を改めて書くことにしよう。
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