2009.11.04

【清張生誕100周年】松本清張記念館に行く

社会派ミステリーファンのツマの勧めにより、昨日、一緒に松本清張記念館に行った。2009年は清張生誕100年の年なので、タイムリー。

Seichomemorial
(「松本清張記念館図録」(同記念館売店にて\1,500で販売)表紙より)

小生は、清張の本を読んだ記憶が乏しいのだが、ドラマや映画はいくつか見ているつもり。丹波哲郎・加藤剛主演の「砂の器」(1974年、松竹)とか、桃井かおり主演の「疑惑」(1982年、富士映画・松竹)とか、斉藤由貴主演の「ゼロの焦点」(1995年、NHK)とか、ビートたけし主演の「点と線」(2007年、テレビ朝日)とか。多分他にもあるはず。

42歳のとき「西郷札」でデビューし、遅咲きと言われながら、1992年に82歳で病死するまで、40年間全力疾走した。晩年も最前線で執筆を続けた凄い人である。

この記念館の売り物は、清張の自宅の一部を移設して再現した、書庫・書斎である:
Seichomemorialbookshelf
(「松本清張記念館図録」42~43ページより)
すっごい量の書籍である。清張に匹敵するだろうと思われるのは、司馬遼太郎(故人)と立花隆と井上ひさしの3人だろうか?

清張作品の凄いところは現在でも読み次がれ、映画・ドラマが製作されていること。清張の著書はいずれも膨大な文献調査と取材を下敷きにして書かれたと言われているが、そのような作業から抽出されたエッセンスが含まれているので、著書は本質的には古くならないのだろうと思われる。

著作や原稿、遺品や年表、さらに松本清張記念館オリジナルのドキュメンタリー「日本の黒い霧―遙かな照射」(80分)を見たりして、結局3時間あまり滞在した。小生、様々な美術館や博物館に行ったことがあるが、こんなに長時間滞在したことは無い。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2009.10.29

夢中対面(ゆめであえたら)

先日早朝、夢を見た。

先年死んだ筈の飼い犬が居て、小生に「『新聞』と『お新聞』の違いは何? 『仕事』と『お仕事』の違いは何?」等と質問したのである。

死んだ筈の犬が居て、しかも人語を解するあたり、今振り返れば、夢ならではの不条理さを感じる。しかし、夢を見ている最中あるいは夢から覚めた直後は、犬の子供っぽい質問に微笑ましさを感じ、また、もはや会えない筈の犬に会えて懐かしさを覚えたことは紛れも無い事実である。

さて、その前夜、小生は吉田真樹著『再発見 日本の哲学 平田篤胤―霊魂のゆくえ』(講談社)の「夢中対面」の件(くだり)を読んでいた。

平田篤胤――霊魂のゆくえ (再発見 日本の哲学)平田篤胤――霊魂のゆくえ (再発見 日本の哲学)

講談社 2009-01-30
売り上げランキング : 264213

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

平田篤胤本居宣長の死後の弟子である。篤胤は宣長の著作を読むことを通じて宣長を敬慕していたものの、既に宣長はこの世には居なかった。ところが、篤胤は28歳のとき、夢の中で宣長に対面し、弟子入りを許された。これを「夢中対面」と言う。

「夢中対面」に関しては宣長の弟子たちから批判が寄せられたようである。『平田篤胤―霊魂のゆくえ』によると、弟子の一人、城戸千楯は「私の夢の中に本居宣長先生がお出でになり、平田篤胤氏を弟子にしたことをおっしゃるまでは、私は平田氏を先生の弟子とは思わない」と痛烈に批判している。近代合理性の視点から見れば千楯の批判は御もっともである。

しかし、篤胤にとっては夢は真実である。夢を信じる心は古代人の心性であり、篤胤はこの古代の心性を備えていた。近代合理性を備えた知識人である、宣長の弟子たちから見れば篤胤は時代錯誤的である。

しかし『平田篤胤―霊魂のゆくえ』は篤胤の「夢を信じる心性」をこのように擁護する:

それがいかに時代錯誤的に見えようとも、死者への思いを馳せたり、恋において狂おしいほど相手を思うということは、ごくありふれたことのようにも思える。<中略>(その)思いが叶えられる場所は夢であるほかない。夢はおのれの場所であるだけでなく、神・仏・思い人の場所でもある。だからこそ、夢を見る者・見させる者が相互に乗り入れ、両者が出会うことを可能にする「あやしき」辺境世界として夢はある。篤胤はそのような夢を信じた。篤胤は近世庶民と同じ、夢を信じる心性をもっていたのである。(同書55ページ)

夢と言うのは「睡眠時に脳が情報を保存するか否か取捨選択している際に知覚される現象」である、というのが有力な説のようである。近代合理性を備えたつもりの小生にとってはこの説は正しいものであると思われる。しかし、飼い犬との夢中対面を果たした小生としては、夢を信じる古代の心性を捨てがたくも思うのである。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2009.10.24

昭和のホテル

仕事(セミナー講師:資料はこれ。)で五井という所に来たわけで…。

東京から特急「さざなみ」に乗り、一路五井駅へ。
そして、駅そばの「五井キャピタルホテル」に泊まったのだが、「リコホテル」以来の昭和テイストのホテルだった。

ベッドの上空にはテレビが浮遊していた:
昭和のホテル
まあ、寝ながらテレビを見なさいという親切設計だと思っておく。

インターネットを完備しているという話だったが、テレビの横にインターネット接続用の「同軸ケーブル」が…。つまりケーブルテレビ経由のネット接続というわけですね:
昭和のホテル
持ってきたパソコンをこれに繋ぐためには、フロントでモデムを借りねばならん。個数限定だったが、無事ゲットした。貸し出し名簿をみたら、小生の前に借りた人は数日前に1人いるだけだった。ここでインターネット接続をたくらむ出張客はほとんどいないのかも。

チェックインした後は近所の「らーめん亭ちよだ」でラーメン食べながらハイボールをあおったことであるよ。
昭和のホテル
まるで、東陽片岡の世界(吉田類の世界ではない)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.10.16

【マンションはいかが?】今度は「プレサンスコーポレーション」

2007年8月の「日本ワークス」様、2008年1月の「日本インベスト」様、2008年6月の「ネスト」様、2008年7月の「明和住販」様、2008年9月の「ニッショー」様(本名「日商エステム」様)に続き、今度は「プレサンスコーポレーション」様からのお電話攻撃に遭った。06-6920-63**という電話番号表示が出たから、大阪市内ですな?

これからも資産運用にはマンション経営が一番です(笑)。

っていうかそんな資産無いんで。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

【BNPパリバ】またやらかしたのかい?

うちのブログの過去記事「BNPパリバに嵌められたアーバンコーポ」へのアクセスが急上昇しているので何事かと思ったら、こんどはソフトバンク株の取引で「作為的相場形成」とやらをやらかしたらしい:
BNPパリバ、株不正取引の疑い 値動き調整 金融庁処分へ」(FujiSankei Business i., 2009年10月16日)

「作為的相場形成」とは本来の株の売り買いの関係(需給関係)とは無関係に、作為的に相場を形成することである。例えば、保有株を高値に吊り上げるために、高値で大量の買い注文を出す、とか。

今回、BNPパリバがやらかしたのは、(1)ソフトバンク株の取引でパリバが損をしそう->(2)取引終了間際に高値で大量の買い注文->(3)取引成立せず。翌日持ち越し->(4)翌日、損失が出ない価格で取引、という内容であるそうな。

そうそう。先日のアーバンとの取引に関しては行政処分が出ているのだが(「【BNPパリバ】行政処分でました」)、そのときの報告にも虚偽記載があるとか。「企業に道徳を求めるのは滑稽」(アンドレ・コント=スポンヴィル)なのだなあと改めて思う。

今後どう展開するのか見守るだけだが、とりあえず、過去記事へのリンクを並べておく。

それはそうと、グラントウキョウノースタワーのBNPパリバの専用バルコニー、すごいよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.10.15

美人考古学者カーラの文明めぐり

Discovery Channelの番組を見たのだが、原題"Out of Egypt"がなんで「美人考古学者カーラの文明めぐり」になるんだ、と突っ込んでみた。映画"Out of Africa"が「愛と哀しみの果て」になっていたのを思い出したことであるよ。あと、ツマが「美人の基準は国によって違うんだね」と突っ込んでいたのも面白かった。

女性を取り上げるときは「美人○○」、男性を取り上げるときは「エリート○○」、「イケメン○○」とタイトルをつけるのは日本のテレビ・新聞の常道。

小生のDiscovery ChannelやHistory Channelのお気に入り番組は探検家&考古学者のジョシュ・バーンスタインが出るシリーズである。最新の研究結果を交えてアトランティス文明やノアの箱舟を探求していて面白かった。

「美人考古学者カーラの文明めぐり」もその類かと思っていたが、ジョシュのように個別案件を深く追求する話ではなく、複数の古代文明の共通点を見出すというシリーズのようだ。ジョシュの番組が縦糸(経)ならば、カーラの番組は横糸(緯)である。経緯が相そろって古代文明の話はより面白くなる。

今回は第1回目で世界に散在する「ピラミッド」の話。ピラミッドはエジプトだけでなく、マヤ、アステカにもあるし、インドやカンボジアの寺院はまるでピラミッドのように尖っている。このように複数の古代文明で尖った巨大建造物が作られた背景には古代人の精神の共通性が有るのでは?というのが今回の話の中核部分である。

今後、「信仰」、「墓」、「ミイラ」と続くらしい。毎週水曜日が楽しみである。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009.09.30

保阪正康『本土決戦幻想 オリンピック作戦編』

これは今までに無かったタイプの昭和史もしくは太平洋戦争史の本である。

歴史にifは禁物だというが、もし太平洋戦争が8月15日で終わらなかったら日本はどうなっていたのか、そういうかなりの確率で「起こりえた」歴史を「検証」しようとする意欲的な内容の本である。

本土決戦幻想 オリンピック作戦編   昭和史の大河を往く第七集本土決戦幻想 オリンピック作戦編 昭和史の大河を往く第七集

毎日新聞社 2009-06-19
売り上げランキング : 120977

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

著者は資料を渉猟するばかりでなく、当時の情報参謀や航空隊長からの証言を集め、また知覧、鹿屋、万世等の南九州の特攻隊基地、長野県の松代大本営などを訪ね歩くことによって、本土決戦がどのように進展しただろうかということを推理している。

この本を読む限り、昭和天皇の聖断による終戦は非常に危ういものだったということがわかる。よく知られているように、御前会議ではポツダム宣言受諾派と本土決戦派は3対3に分かれていたし、聖断が下った後も、大本営参謀や陸軍省軍事課の本土決戦派中堅幕僚によるクーデター未遂事件が起こっている。

8月15日に終戦を迎えなかった場合、事態はどのように進展していたか。著者の導き出した結論はこうである:

  1. 鈴木貫太郎内閣が倒れ、新しい軍事主導内閣が樹立される
  2. ソ連の北海道侵攻、そして制圧という事態になっていく。日本が朝鮮半島のような分断国家になっていた可能性は高い
  3. 国内で講和待望派、和平派の動きが活発化して騒乱状態になる。一方で本土決戦を主導する軍事指導者は一億総特攻を呼号し、アメリカ軍への体当たり攻撃の訓練が日常的につづけられることになる
  4. 国民の生活環境は疲弊し、とくに食料不足が著しく国民の厭戦意識は高まる
(本書228ページより)

そして、これらの経緯を経た後、昭和20年11月1日、アメリカ軍による南九州上陸作戦、「オリンピック作戦」が始まる。すなわち、クリューガー大将指揮下の米第6軍が宮崎沿岸、志布志湾、吹上浜の3箇所から上陸を開始する。これに対して日本側は特攻作戦により抵抗。しかし同月末には都濃~川内ライン以南が米軍によって制圧され、占領下に置かれる。そして、南九州各地にはB29の基地が整備され、日本の残りの地域、とくに首都圏への爆撃が続けられる・・・。

こうした本土決戦のプロセスの中で、日本人は肉体的のみならず精神的にも荒廃していったであろうことを著者は予想している。

実際には8月15日に日本は終戦を迎える。しかし、そこに至るまで敗北を認めず、自分たちの願望を現実にすりかえるロジックを展開していった軍事指導者たちに対し著者は怒りをぶつけている。その一方で、愚劣な指導者のためではなく、この国と人々のために特攻していった若者に対して涙している。特攻作戦に関するエピソードの中でわずかに救いがあるとすれば、特攻作戦に一貫して反対を続けた航空隊長(美濃部正氏)が実際にいたということであろうか。

終戦を迎えることができたのは昭和天皇と鈴木貫太郎の姿勢が一貫してぶれなかったためである。著者は言う:

わたしたちの国が、いかにして最終的に国が崩壊することを避けたかを知ることこそ、あの戦争から学ぶ最大の歴史的教訓といっていい(中略)。日本は軍事的敗北から、かすかに残っていた「政治の知恵」によって辛うじて亡国から救われたのだ。
(本書228ページ)

オリンピック作戦による南九州占領後も日本が降伏しなかったら・・・。そのことに関しては続編の『コロネット作戦編』を参照。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.09.29

【ビジュアルブログ検索エンジン】Blogopolisによる検索結果その2

Blogopolisというブログ検索エンジンがひそかに話題であるという話を先日書いた(参照)。この検索エンジンでは、様々なブログを2次元の地図として表示してくれる。

で、再び、本ブログがどこに位置するのかを再度調べた結果、今度はホリエモン(松田誠司)氏の隣ではなく、小説家の原田宗典先生の隣に引っ越していた:「はらだしき村 | 原田宗典 公式サイト

Blogopolis20090929

「はらだしき村」って、「新しき村」のもじり。武者小路実篤を知っている人ならこのシャレ理解できるでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

あなたにとってのIT史上10大事件とは?

TechRepublic.comというサイトで、Jack Wallenという人が「全員が同意することは無いと思うが」という前置きをしつつ、コンピュータ史の概観をつかむべく、「IT10大事件」をまとめている:
Jack Wallen, The 10 biggest moments in IT history, TechRepublic, September 17th, 2009

Jack Wallenは次の10の出来事を挙げている:


  • 1959: the development of COBOL
  • 1969: the development of the ARPANET
  • 1970: the creation of UNIX
  • 1979: the first "clamshell" laptop
  • 1991: the beginning of Linus Torvalds's work on Linux
  • 1995: the advent of Windows 95
  • 1990s: The 90s dot-com bubble
  • 1996: Steve Joves rejoining Apple
  • 1999: the creation of Napster
  • 2000: the start of Wikipedia

詳しくは、原文、あるいはZDNet Japanの日本語訳記事「IT史上の重大事件--トップ10」を読んでいただくとして、やはり少し違和感を感じる。

<なぜにCOBOLが>
最初にCOBOLが思いっきり出ているが、これはおそらく商用という立場から見た結果だろう。技術者の立場からすれば、FORTRANだし、1980年代にホビーとしてパソコンを楽しんだ人々からすれば、BASICだろう。特定の言語を取り上げる限り、ここは異論続出だと思う。

<Napster???>
P2Pファイル共有という仕組みは凄いのかもしれないけど、小生は全く利用していないので、ピンと来ない。ITをガンガン駆使する(言っている意味不明)人にとっては不可欠なのかもしれん。"Torrents now make up nearly one-third of all data traffic"って本当か?そりゃ凄い。

<その他>
マック(日本初上陸のMacintosh->DynaMacを見たとき、小生は衝撃を受けた。未来のパソコンが来たと思った。当時は100万円近い値段だったような気がする。)やNetscapeの登場は取り上げなくていいのかい?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.09.24

【ビジュアルブログ検索エンジン】Blogopolisを使うと、小生のブログがホリエモンのブログの隣に位置する件

最近、"Blogopolis"というブログ検索エンジンがひそかに話題である。これは、様々なブログを二次元クラスタリング(分類)し、立体地図として表示するサービスである。

で、小生も本ブログが地図上のどこらへんに位置づけられるのか、Blogopolisで検索してみた。結果がこれ↓である:

Blogopolis

いつも雑多な記事を書いているので、まわりのブログも雑多な内容のブログのようである。

で、注目するべきは本ブログ「椅子は硬いほうがいい」の右隣の巨大ビル(?):「松田誠司のビジネスショット(六本木で働いていた元社長のブログゴルフ編)」。

これ、調べてみたら数あるホリエモン氏のブログの一つらしい。袖触れ合うも他生の縁?

| | コメント (0) | トラックバック (1)

«これがカマゲッチョだ