2018.06.17

『ポリアーキー』拾遺

ロバート・ダールは著書『ポリアーキー』(高畠通敏・前田脩訳,岩波文庫,2014年10月)の中で,

「私の意見は,抑圧体制からポリーアーキ―への変化は,望ましい場合が多いということである」(46~47ページ)

と述べつつも,変化は一方向ではないことについても言明している:

「私は,抑圧体制からポリアーキーへの変化が,歴史的必然であると仮定してないことを,はっきりさせておきたい。 (中略) ある歴史的発展法則によって,社会は必然的に,抑圧体制から,公的異議申立てのできる体制へと変化すると考えるのは,愚かというべきだろう。その逆方向への変化についても同様である。現代の民族国家はこの両方向への動きをみせてきている。」(47~48ページ)

ポリーアーキ―から抑圧体制へと変化する具体例として,本書第8章では,アルゼンチンの事例が取り上げられている。

1853年から1930年の間,アルゼンチンは国民の多くが公的異議申立ての機会を利用できるような体制,つまりポリアーキーを整備していった。しかし,制度としてはポリアーキーの体を成していたものの,ポリアーキーに対する信念を欠いていた。すなわち,

「アルゼンチンは,ポリアーキーの諸制度の正統性について,強い信念を少しも発達させてこなかった。その結果,ポリアーキーの体制が重大な困難に直面した時,それは独裁によって,簡単に一掃されてしまった。」(210ページ)

ダールは,ポリアーキーにとって有利な条件を,歴史的展開,社会経済的秩序,平等と不平等,下位文化的多元性,外国権力の支配といった指標(独立関数)によって分析してきたが,アルゼンチンにおけるポリアーキーの失敗は,これらの指標(独立変数)に加えて,「信念」というものがいかに重要であるか,ということを示す好例である。ダールは本書の少なからぬ部分,およそ100ページを割いて「政治活動家の信念」について論じている。

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2018.06.16

ダール『ポリアーキー』を読む

本棚に放置されていたロバート・ダール『ポリアーキー』(高畠通敏・前田脩訳,岩波文庫,2014年10月)を読んだ。

ダールの偉いところは,民主主義という定義が多様で測り難い概念に代えて,ポリアーキーという測定可能な概念を設定したところにある。

ダールは政治参加(Participation)=包括性(選挙への参加の権利のひろがり)と公的異議申し立て(Opposition)=自由化(政治競争を許容する度合い)という2つの軸を設定し,その両方が満たされる極限としてポリアーキーを定義した。

Polyarchy_2

一般に民主的だと言われている国々は,このポリアーキーに属している。

かつて存在した,貴族のみあるいは男性のみが参政権を持った議会政治などは,政治競争が存在するものの,包括性を欠いており,上図で言えば競争的寡頭体制に分類される。

現存する社会主義体制の多くは,国民全員が参政権を持つという点では包括的であるが,異議を唱えにくいということで,包括的抑圧体制に分類される。

このようにポリアーキー概念を設定したうえで,ポリアーキー(あるいはその対極としての抑圧体制)はどのような条件で成立するのか,という議論を展開するのが本書である。また,本書では抑圧体制をポリアーキーへと変化させるにはどのような手だてが必要になるのか,ということも最終章で議論している。

ダールはポリアーキーが成立しやすい条件を次の7つの指標(独立変数)によって説明している:

  1. 歴史的展開
  2. 社会経済的秩序
  3. 社会経済発展段階
  4. 平等と不平等
  5. 下位文化的多元性
  6. 外国権力の支配
  7. 政治活動家の信念

ダールはこれら一つ一つの指標について一章ずつを割いて詳細に検討を行っている。

例えば,社会経済発展段階という指標では,一人当たりGDPの高低がポリアーキー成立のし易さに影響する。また,下位文化的多元性という指標では,地域的あるいは文化的対立が激しくない方がポリアーキー成立に有利である。

これは当たり前のようであるが,政治活動家の信念についていえば,政治活動家がポリアーキーの正当性について信念を持たなければ,ポリアーキーは成立しにくくなる。

ダールは学者として控えめで冷静な態度をとっており,これらの指標(独立変数)がポリアーキーの成立に影響を与えることを実証的に示しつつも,影響を与えることがそのまま成立を確約するわけではないことを随所で述べている。また,どの指標(独立変数)がポリアーキーの成立に強く影響を与えるのか,という重みづけに関しても留保している。

ダールが10章で述べたように,本書にまとめられた内容はあくまでも出発点である。これから議論を深めていくべきであるという点で,本書は開かれた書である。

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2018.06.14

なんで,過去記事の「『オルグ学入門』を読む」が人気記事になっているかというと

先日の東海道新幹線無差別殺傷事件の容疑者の本棚に『オルグ学入門』があったかららしい。

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村田 宏雄

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2011年に広島市の丸善ジュンク堂で平積みになっていたのを購入した。そして内容を解説した記事を2013年6月11日から18日まで,4回に分けて書いたわけである。今になってこれらの古記事が注目されるとは。

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2018.06.13

紀田順一郎『読書の整理学』再読

うちの本棚を眺めていて,たまたま目についた紀田順一郎『読書の整理学』(朝日文庫)を手に取った。

「情報化社会に対応した・・・(中略)・・・”最新読書技術辞典”」と裏表紙に書いてあるのだが,朝日文庫版の書版は1986年。三十余年前の内容なので,隔世の感がある。

何を以て隔世の感があると言うか。それは,情報収集の中心が活字情報ではなくなってきたということに尽きる。

本書が書かれた当時は,情報収集の中心は書籍,雑誌,新聞など活字メディアだった。今は何でもネット。

読書という行為は今もなお健在だと思うが,読書と情報収集の分離が著しくなったのが現在だと思う。

かつては,情報収集のプロセスとして,

読書→ノート→カード化→整理

という一連の作業が行われていた。つまり読書を起点として個人的にデータベースを作成する(実際にカード化などしなくても,頭の中にデータベースを構築することもある)ことが情報収集の中核を担っていたのだが,今では,すでに出来合いのデータベース(狭義のデータベースだけでなく,googleやwikipediaも含む)を利用することが情報収集術となっている。つまり能動的情報収集から受動的情報収集へと変わってきている。

読書自体は,というと情報収集の中心から外れ,楽しみとしての読書へと,いわば純化路線をたどりつつあるように思う。「創造的な読書活動」の強迫観念から離れることができてよかったのかもしれない。


◆   ◆   ◆


隔世の感,と言ったが,そう思ったもう一つの理由は,著者の蔵書家人生が今,終焉を迎えつつある,ということにある。

老境に達し,家庭の問題から莫大な蔵書を手放さざるを得なくなった事情が近著『蔵書一代』に記されている。

実は『読書の整理学』にも「蔵書の一代性」ということが記されている:

「蔵書という「群」全体は,一人の読書家の比類のない人格と精神遍歴の総体である。したがってこれを本来の意味において継承しうる者は厳密には存在しない。もっとも近い血縁の者ですら,これを継ぐことはできない。」(『読書の整理学』,233ページ)

「蔵書一代は,感傷ではなく,一つの諦観,悟りである」(『読書の整理学』,234ページ)とまだ働き盛りだった著者は述べていたが,本当に手放さざるを得なくなった時,著者はどう思い,どう行動したのか。それは『蔵書一代』に克明に記されている。

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2018.06.08

One of the don'ts in the Southeastern Asia: 傲岸不遜なクールジャパン

東南アジア全域,つまり中進国だけでなく,後発途上国でも,ショッピングモールに大型テレビをはじめとした家電品が満ち溢れている。衣類に関しても,ファストファッションからハイブランドまで充実している。人々の購買意欲はとても高い。経済的に多少無理でもカードを作って,買い物に勤しんでいる。

だが,その中で日本企業の商品のプレゼンスはとても弱い。原因はよくわかっているのだが,小生が語るよりも,この記事が問題の本質を余すところなく示している:

海外で見た酷すぎるクールジャパンの実態~マレーシア編~」(by 古谷経衡,2018年6月7日)
"その根底には,日本の文化や産品は世界一素晴らしく,幾ら高くとも現地人は買うに違いない,という傲慢と無知が存在するのでは無いか。"

もちろん,傲岸不遜とは程遠く,現地で受け入れられる商品もある。ユニクロなんかはその好例で,この記事でも取り上げられている。


マーケティングの基本は顧客志向。それを忘れたら結果は明らかである。

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2018.06.06

ラオ文字を学ぶ

ラオスにはかれこれ9年9回にわたって出稼ぎに行っているのだが,あいさつ程度しかラオ語ができない。

ここで一念発起してラオス語(ラオ語)を学ぶことにした。ネパール語も勉強し始めたところだというのに。


まずはラオ文字を覚える。

ラオ文字の子音字は27個ある。ヒンディー語やネパール語で使うデーヴァナーガリー文字の場合,子音字は33個だったから,少しばかりは楽である:

Lao01_2

あと,一筆書きで書けるところが良い。

しかし,似た字があって老生のような初学者はちょっと混乱する。

bとp,rとh,nyとyが似ている。

Lao02_2

あと2文字ずつある,phとfも互いに似ていてちょっと混乱する。fの方がしっぽが少し長いが。

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2018.06.05

千野隆司『塩の道―-おれは一万石(2)』を読む

何度も書いているが,うちのツマのご先祖は加賀藩主前田利常公に仕え,禄高10,950石を拝領していた重臣,小幡宮内長次(おばたくないながつぐ)だった(参考記事:「加賀藩・小幡宮内家の近世」)。なので,千野隆司『おれは一万石』(双葉文庫)には過剰に親近感を持つわけである。

おれは一万石』はすでに読み終えたが,その続き,『塩の道-おれは一万石(2)』を今頃になって読んでいる。


前作は天明6(1786)年,老中田沼意次が失脚しそうな不穏な雰囲気の頃の話だったが,本作は同年の晩秋から話が始まる。

主人公は,下総高岡藩井上家に婿入りした井上正紀(まさのり)17歳。

前作では高岡藩小浮村の洪水を食い止めるべく2000本の杭を調達したり,農民と一緒に普請に参加したりと大活躍だった。小藩のトップは自ら最前線に出ないとだめなのである。

本作では凶作に見舞われた藩の財政を立て直すべく,財源探しをするというのが最大のミッション。国元の家老ら抵抗勢力と論戦したり,二つ年上の姉さん女房・京に気を遣ったり,セブンティーンなのにいろいろ忙しい正紀である。


◆   ◆   ◆


さて,老生の手元には古地図資料出版による復刻版の「大日本行程大絵図」(天保14年卯5月御免,安政4年巳5月刻成)がある。この地図で高岡藩の位置を確かめてみると・・・

Edotakaoka

右の中ほど,白い点線で囲ったところに,「井上筑後守殿 高岡 1万石 江戸より19里」とある。

江戸からは遠いような近いような微妙なところ。

正紀は普段は江戸・下谷広小路の井上家上屋敷に住んでいる。これまた古地図資料出版による復刻版の大江戸絵図(明和八年辛卯)で確認すると…

Edotakaoka2

あったあった。左端中ほどからやや下,点線で囲ったところに「井上筑後守」とある。義父の井上正国は従五位下・筑後守だった。

ということで,古地図に照らしながら『おれは一万石』シリーズを読むと面白さが倍増。

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2018.06.04

統計実務の好著が出た:朝野煕彦『入門 多変量解析の実際』

統計実務の好著がちくま学芸文庫に入った:

朝野煕彦『入門 多変量解析の実際』(ちくま学芸文庫,2018年5月)

以前,同じくちくま学芸文庫に入っていた,林知己夫の『調査の科学』を紹介したことがある(参照)が,ちくま学芸文庫は統計学をはじめ,こういう数学の背景にある思想を伝える名著を出してくれるので,とても助かる。


◆   ◆   ◆


この本はもともとは講談社から2000年に発刊されていた。それから幾星霜,いまやデータサイエンス全盛期である。統計実務とでもいおうか,多変量解析のような分析手法を使いこなすことが文系理系関係なく多くの人に求められている。

分析自体はRのほか,SASやSPSSのような統計プログラム・パッケージが自動的に行ってくれる。問題は分析の目的や分析後の解釈の部分である。そういった「思想」に関わる部分をしっかり教えてくれる本が必要である。そういう意味で,『入門 多変量解析の実際』のような本は貴重。

これまで,Rをさんざん駆使して重回帰分析だのクラスター分析だのをやってきたわけだが,こういう本を読むと,自分のやってきたことの意味を再確認することができる。それだけではなく,今まで勘違いしてきたこと,知らなかったことも判明する。


◆   ◆   ◆


理工系書籍で知られる,朝倉書店からは朝野煕彦先生ほか監修の「シリーズ マーケティング・エンジニアリング」が出ている。R使いのみならず,統計実務に関わっている人たちにはお勧め:

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