2023.11.08

データ主導時代に抗して

3年ほど前の『學士會会報』に掲載された照井伸彦先生の「マーケティングにおけるビッグデータの活かし方」(『學士會会報』No.944,2020,pp.13 - 17)を読んだ。

ビッグデータの威力を認めつつも,データ至上主義に流れがちな実業界とアカデミアに警告を鳴らすような内容だった。

要約すれば:

――ビッグデータを扱う人々は,データ主導の「帰納-発見」アプローチに偏りがちで,中には

  • 「量」が「質」を凌駕する
  • 「検索」と「相関」ですべてが予測できる
  • 「理由」ではなく「答え」があれば十分

と考える人々も登場している。

これは,従来の科学の共通認識である,分析対象を理解するための理論として構造(モデル)や変数間の因果関係が大事という考え方の軽視,換言すれば,理論主導の「仮説-演繹-検証」アプローチの軽視につながる。

学問にせよ,実務にせよ,両アプローチでバランスよく問題に取り組まなくてはならない――

という内容だった。

これを読んで思い出したのが,グレゴリー・ベイトソン。

ベイトソンは『精神の生態学へ』の序章「精神と秩序の科学」でこんなことを言っている:

「科学の発展は圧倒的に帰納的なプロセスであり,またそうであるべきだと信じている研究者が,特に行動科学の領域に多く見られるようだ」

帰納的なプロセスというのは,先の「データ主導の『帰納―発見』アプローチ」にあたる。

観察された事実から理論を構成するのは別に悪いことではないのだが,こればかりやっていると,適用範囲の小さい無数の理論ばかりになって,全体を見通せる理論を構成できなくなる,という事態に陥る。

(ちなみに科学における理論は,一定の期間,検証され支持されてきた仮説にすぎない。いずれの理論も,研究が進めば別の理論へと置き換えられる可能性を有している。)

ベイトソンは適用範囲の小さい無数の理論のことを,「いまだ検証中の『仮説』」,「『研究促進的』概念」と呼んでいる。

「研究促進的」概念を,多くのデータによって検証し,改善していけば,いずれ「基底の知」と言うべき根本の理論に到達するというのが研究者たちの考え方であるが,実際はどうか? 無数の「研究促進的」概念だらけになっているではないか,とベイトソンは指摘する。

「精神と秩序の科学」が書かれたのは1971年。それから半世紀経ってビッグデータの時代が訪れ,「帰納性偏重」の度合いはさらに強まっているのではないか。

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2023.10.31

ケストナー『一杯の珈琲から』(小松太郎訳)を読む

帰路の途上,車の中でエフエム山口・大和良子司会の「COZINESS」を聞いていたところ,古い歌「一杯のコーヒーから」が流れてきた。

これを聞きながら,

――そういえば,本棚に未読のまま放置していた『一杯の珈琲から』(ケストナー)があった――

と思い出し,ついに読む決意をした。

エーリヒ・ケストナーによる日記体のユーモア恋愛小説である。

「一杯の珈琲から」という邦題は,訳者の小松太郎によるものである。原題は"Der Kleine Grenzverkehr"で直訳すれば,「小さい国境往来」となる。

主人公ゲオルク(ドイツ人)は夏休みを音楽の都ザルツブルク(オーストリア)で過ごす計画を立てる。しかし,現金の国外持ち出し制限で,ひと月10マルクしかオーストリアに持ち出すことができない。そこで,歌劇をオーストリアのザルツブルクで楽しみ,宿泊をザルツブルクの隣,ドイツのライヘンハル(バート・ライヒェンハル,Bad Reichenhall)で済ませるということを考える。つまり,朝晩国境を往復して歌劇祭を楽しもうという魂胆。原題はこれに由来している。

ちなみに為替管理局からマルクの国外持ち出し許可が出なかったため,ザルツブルクではゲオルクはほぼ無一文。昼ご飯はライヘンハルから持ち込み,コーヒーはいつも友人のカールにおごってもらっている。

 

ある日ちょっとした事件が起きる。

8月21日,ゲオルクがいつものようにザルツブルクでコーヒーを嗜んでいたところ,カールが現れない。ゲオルクがコーヒー代の支払いに窮していたところ,助けてくれたのが,オーストリア人のお嬢さん,コンスタンツェ。某伯爵の宮殿で働いているという。

ゲオルクはコンスタンツェに夢中になり,交際が始まる。邦題はこれに由来。

8月24日にはゲオルクはコンスタンツェの部屋に泊まり,8月25日には結婚を申し込む。なんというスピード展開。

ところが,コンスタンツェには(読者にはバレバレだが,ゲオルクが気づかない)秘密があった……

 

娯楽小説の向上を目指したケストラーらしく,残忍さや猥雑さが全く無い小説である。子供向けかというと,ピルスナーやシャンパンなど飲酒の楽しさは子供にはわからないはずなので,やはり大人向けの小説である。

原著は1938年にスイスで出版されたが,同じ年の3月にアンシュルス(ドイツによるオーストリア併合)があって,本書で描かれた国境往来というものがなくなった。

そして,同じ年,ナチス政権下のドイツで禁書扱いとなり,それは敗戦まで続いた。

お気楽な内容にもかかわらず,歴史に翻弄された小説である。

 

ちなみに老生が持っているのは真鍋博によるカバー画のもの(1986年5月23日付け第16版)。

初版が1975年3月。11年あまりで16版も刷られているということは人気の高い小説だといえるだろう。

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2023.10.28

Copilotにあらすじを書いてもらう

人工知能にはアイディア出しを手伝ってもらったり,企画内容の壁打ちの相手をしてもらうのが良いといわれている。

ということで歴史改変SFのアイディアを出してもらうことにした。以下はそのやり取りと感想。

老生:
プロイセン王国がドイツを統一できなかったという設定のSFのあらすじを考えてください。


Copilot:

プロイセン王国がドイツを統一できなかったという設定のSFのあらすじは以下のようになります。

西暦1871年、プロイセン王国はフランスとの戦争に敗れ、ドイツの統一を断念する。その後、プロイセンはオーストリアやロシアとの同盟を模索するが、いずれも失敗に終わる。一方、フランスはドイツの分裂を利用して勢力を拡大し、ヨーロッパの覇権を握る。プロイセンは孤立無援の状態に陥り、内部では革命運動が高まる。やがて、プロイセンはフランスによる侵略を受けるが、それをきっかけに反乱が勃発する。プロイセンの民衆は自由と民主主義を求めて立ち上がり、フランスとの戦闘を繰り広げる。この戦争は長期化し、ヨーロッパ全土に波及する。プロイセンは果たしてドイツを統一できるのか?フランスはヨーロッパの覇者として君臨できるのか?歴史が変わった世界で繰り広げられる壮大なSFストーリーである。


これは読んでみたい!

ここで,
「Change the setting to Japan」
という選択肢を選んでみると…


Copilot:

日本が統一できなかったという設定のSFのあらすじは以下のようになります。

西暦1600年、関ヶ原の戦いで徳川家康は石田三成に敗れ、日本の統一を断念する。その後、徳川は東北地方に逃れ、仙台藩を立てる。一方、石田は天下人として権力を握るが、各地の大名たちは彼に反発し、反乱を起こす。石田は豊臣秀吉の遺児・秀頼を擁立して権威を保とうとするが、秀頼は石田に従わず、自らの意思で政治を行う。石田と秀頼の対立は深まり、やがて戦火に発展する。日本は再び戦国時代に戻り、各地で争いが続く。徳川は果たして日本を統一できるのか?石田は天下人として君臨できるのか?秀頼は豊臣家の再興を果たせるのか?歴史が変わった世界で繰り広げられる壮大なSFストーリーである。


家康が東北地方に逃れて仙台藩を立てるというのはいかがなものか。伊達がいるでしょうが。あと上杉とぶつかるはず。という意見を加えるともっと良くなるはず。

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2023.10.17

Microsoft Copilotとのやり取りの例

久々の投稿。

忙しいのと,X (旧twitter)の投稿がお手軽なのとが重なり合って,ブログの更新が滞っております。

今回はAIの活用の話。

ウィリアム・ギブスンの『モナリザ・オーヴァドライブ』というSFがある。

主人公である久美子の記憶容量ってどのくらいだっけ?と思ったので,GoogleやBingで適当に調べたけれど,埒が明かない。

そこで,Microsoftの"Copilot"に聞いてみた。

老生:


「ウィリアム・ギブスンの小説『モナリザ・オーヴァドライブ』に出てくる久美子の記憶容量はどのくらいのサイズですか?」
Copilotのお答え:




こんにちは、これはBingです。ご質問ありがとうございます。😊

ウィリアム・ギブスンの小説『モナリザ・オーヴァドライブ』に出てくる久美子というキャラクターは、脳に埋め込まれた記憶チップを使って、他人の記憶をコピーしたり、自分の記憶を売ったりしています。小説では、久美子の記憶容量は明確には示されていませんが、いくつかのヒントから推測することができます。

まず、小説の中で久美子が自分の記憶を売る際に、1メガバイトあたり100ドルの値段がつけられていることがわかります1。また、久美子が最初に記憶チップを手に入れたときに、その容量は「十分なものだった」と言われています2。さらに、小説の後半で久美子がボビー・ニューマークというハッカーの記憶をコピーする場面では、その記憶が「数百メガバイト」であることが示されています3

これらの情報から、久美子の記憶容量は少なくとも数百メガバイト以上であることが推測できます。しかし、小説の舞台は21世紀後半であり、当時の技術水準や市場価値を考えると、数百メガバイト程度ではあまりにも少なすぎるように思われます。実際、小説の中では「テラバイト」や「ペタバイト」という単位も登場しており、記憶チップの容量もそれに比例して大きくなっている可能性が高いです。

したがって、久美子の記憶容量は数百メガバイトから数テラバイトの範囲であると推測することができます。ただし、これはあくまで小説に登場するヒントや推論に基づいた仮説であり、正確な答えは作者であるウィリアム・ギブスンにしかわかりません。

参考文献:

1: ウィリアム・ギブスン, 黒丸 尚 (翻訳), 『モナリザ・オーヴァドライヴ』, 早川書房, 1989, p. 342

2: 同上, p. 332

3: 同上, p. 2343

4: 同上, p. 1214

5: 同上, p. 2355.

今や1TB(テラバイト)のUSBスティックメモリーが売られている時代なので隔世の感がある。

だが,記憶容量なんかよりも世界観が大事。

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2023.06.17

『アンデス、ふたりぼっち』を観てきた

先日,YCAMで『アンデス、ふたりぼっち』を見てきた。

標高5000メートルの高地に暮らす老夫婦の話。

美しくも荒涼たる景色の中で,アイマラ人の老夫婦はリャマと犬と羊数匹とともに暮らしている。

街に出稼ぎに行った息子はもう何年も帰ってこない。

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ペルーの小津映画とも称されているらしいが,自然が過酷過ぎて終末的世界観。どちらかというとタル・ベーラ『ニーチェの馬』を思い起こさせる。

近隣の村までマッチを買いに行こうとするだけで大変な旅になる。自然と調和して生きようとすれば,体力勝負。

 

年取ってからこういう映画をみると,自らの行く末を考えながら見てしまう。

 

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2023.06.07

嘘歴史(その2)

バルカナイザー(Balkanizer)

統一ならず(2)

『フォン・シェーンハウゼン伯の華麗なる戦争』という奇妙な書物が,ウィーンの読書人の間で話題を呼んでいた。1863年12月のことであった。

内容は,架空の王国・オストラントが,宰相フォン・シェーンハウゼン伯の指導の下,ドイツ諸邦をまとめ上げ,ヨーロッパに一大帝国を築き上げるというものだった。

ナショナリズムを鼓舞するために書かれたような内容だった。対スカンジナビア,対オーストリア,対フランスと,オストラント率いるドイツ連邦は対外戦争に連勝,ついにはドイツ帝国成立に至る。

小説の末尾,フランスに圧勝した後,ベルサイユ宮殿鏡の間でドイツ帝国の成立が宣言される描写などは,荒唐無形の極みである。しかし,ウィーンの人々の間で話題になったのはそこではなく,小説の前半部分に描かれた,オストラントがオーストリアとの戦争に踏み切るプロセスであった。

某年某月,オストラントはオーストリアを誘ってスカンジナビアに侵攻し,勝利。オストラントはスカンジナビアから得た広大な領土を独占し,二年後,オーストリアと戦端を開く。フォン・シェーンハウゼンの巧みな外交と戦争指導の情景が,この英雄の心理描写とともに簡潔だが精密に記述されていた。

オストラントはプロイセンを,フォン・シェーンハウゼン伯はビスマルクを擬したものであろうという推測はウィーンの人々にとって容易なことだった。

オーストリアをドイツ諸邦から切り離そうという小ドイツ主義にプロイセンの民意が傾きつつある中,この奇妙な書物はオーストリアの要人たちのプロイセンに対する不信感をさらに募らせていった。


◆   ◆   ◆


「この本はいったいどこの誰が書いたのだ? そもそもどうやって検閲を潜り抜けたのだ?」

ビスマルクは『フォン・シェーンハウゼン伯の華麗なる戦争』を手にしながら怒っていた。

1863年12月7日,ドイツ連邦議会が連邦軍のホルシュタイン進駐を決定したところまではビスマルクの計画通りだった。つぎは,デンマークへの宣戦布告だった。連邦軍で攻め込むのも良し,プロイセンとオーストリアの二カ国だけで攻め込むのもさらに良し。

そんな重要な局面で,奇妙な書物がヨーロッパ各国に出回り,各国の指導者たちはプロイセンへの不信感を強めていた。

ビスマルクの前にはヴィルヘルム・シュティーバーが立っていた。ナポレオンにとってのジョゼフ・フーシェ。ビスマルクにとってのヴィルヘルム・シュティーバー。彼が率いる諜報網をもってしても,『フォン・シェーンハウゼン伯の華麗なる戦争』にまつわる数々の謎は解けないままだった。

「しばしの猶予を」

シュティーバーはビスマルクに願い出た。だが,多少の時間をかけたところで,執筆した者,印刷した者,意図,その他もろもろの疑問は明らかにはならないだろう。手掛かりが少なすぎる。

この奇妙な書物は,出回っている部数こそわずかであったが,一部を抜粋した手紙などが貴族,軍人,学者,商人などさまざまな人々の間でやり取りされており,この書物について語ることが一大ブームとなっていた。

「いや,もはや猶予は無い。卿の優れた能力は,来たるべきデンマークとの戦いに向けられるべきものだ」

デンマークという言葉を聞いた瞬間,シュティーバーには閃くものがあった。

「閣下,"Cui bono?"という言葉があります」

「ラテン語か。ああ,誰が利益を得るのか,ということだな」

「誰が得するのか? この本によって諸国の我が国に対する不信をあおることで得するのは・・・」

「デンマーク」

「そう。デンマークが仕組んだのではないでしょうか?」

少なくともこの奇妙な書物が出回ることになった背景だけはつかめた,と二人は思った。

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2023.06.04

嘘歴史(その1)

バルカナイザー(Balkanizer)

統一ならず(1)

1873年3月15日,岩倉具視,大久保利通,木戸孝允,伊藤博文ら,いわゆる岩倉使節団がビスマルクの公邸を訪問した。夕食に招かれたのである。

近代化を始めたばかりの国の指導者たちを前に,ビスマルクは語った。

「アジアと欧州,遠く離れてはいるが,貴国と我が国は同じ境遇にある。」

ベルリンに留学中の青木周蔵が通訳を務めた。

「ドイツの統一は成らなかったものの,小国であったプロイセンはここまで成長し,列強にも一目置かれる存在となった。貴国も日本列島の統一は成らなかったものの,革命を経て新しい国家を作り始めたと聞く。」

「お気づきであろうが,列強に伍していくためには,まず,産業を興し,軍事力を強化することが必要である。列強は貴国に対して国際法に基づく法整備云々を要求しているようであるが,国際法などというものは,国力,とくに軍事力があって初めて遵守されるものである。貴国も我が国と同じように産業の振興,軍事力の強化に力を注ぐべきであろう。」

「もちろん,国力の増強というのは平坦な道ではない。われわれは周辺諸国とのせめぎ合いの中で幾度も辛酸をなめてきた。貴国もこれから我が国と同じような苦しい経験を重ねることだろう。」

「だが,いかなる困難があろうとも,それを乗り越え,列強に軽んじられぬ存在となっていただきたい。その時,我が国は貴国を友邦として迎えるであろう。」

イギリス,フランス,オーストリアといった大国からの圧力に抗し,幾多の敗戦からも立ち直り,いまや欧州における強国の一つとなったプロイセン王国。その歴史を体現する宰相の率直な発言は,日本列島の西半分を擁する「日本国」の指導者たちに強い感銘を与えた。

 

◆  ◆  ◆


「プロイセンを手本にせんにゃいけん,ちゅうことについては,岩倉公も大久保さんもみな同じ思いじゃろうが・・・」

夕食会を終え,ホテルに戻った木戸孝允は自分の部屋に伊藤博文を招き,二人でビスマルクの言葉の真意を読み取ろうとしていた。

「プロイセンは手放しで我が国を友邦として認めるわけではない,ちゅうことじゃね」

「それはわしも思いました。列強に伍する国になってから友達になろう,ということですい」

「・・・ちゅうことは,蝦夷地問題は当分お預けじゃろう」

統一戦争,後に戊辰戦争と呼ばれる戦いの中,日本国新政府と対立していた奥羽越列藩同盟は,武器と引き換えにプロイセンに蝦夷地を提供した。本格的な植民は始まっていないものの,蝦夷地開発の権利はプロイセンにある。プロイセンはこの件を機に,東日本を領有する「日本共和国」とも通じている。

「共和国の連中が来ても同じことを言うんじゃろうか?」

「言うんでしょうね。」

「さすが列強諸国を敵に回して引けを取らんかった宰相。食えん爺さんじゃね」

「そこもまた手本にせんにゃいけんことですい」

伊藤は笑いながら言った。まず所作から真似しよう,葉巻をくゆらすところなんか恰好いいな,と思った。伊藤は後に自らを「日本のビスマルク」と称するようになる。

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2023.06.01

『カフェから時代は創られる』読了

あれやこれやの合間に読んだので,ひと月ほどかかったが,飯田美樹『カフェから時代は創られる』読了。

ステファン・ツヴァイク,ボーヴォワール,藤田,ヘミングウェイなどなど様々な「天才」たちの証言を交えながら,創造的な活動を生み出す場としてのカフェの効能について語っている。

参考文献が多いだけでなく,パリのカフェに通い,サロンやカフェを運営した著者自身の体験に裏付けられていて説得力がある。なによりも熱量がある。

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とても面白かったことをいくつか挙げておく:

  • カフェの店主の役割(第5章より): 例えば芸術や文学など,カフェに通う若者が議論し追及している物事に対しては直接介入しない。何者かになろうとしている若者を人間として応援する。
  • インスピレーションの場(第6章より): カフェに来ている様々な客の会話の重なり合い。これはノイズのようでもあるが,インスピレーションの源泉でもある。何事かを生み出そうとする人々にはノイズをインスピレーションの源泉に変える偶発力が必要である。

クリエイティビティについて書かれた本は多いが,この本は面白いし別格。

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