2017.11.19

ジム・トンプソン・ハウスに行った

シルク王ジム・トンプソンの邸宅を訪れようという気が起こったのは,「失踪」の二字によるものだった。

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ジム・トンプソン・ハウスはバンコクの公共交通機関で行きやすいところにある。

まず,「スカイトレイン」ことBTSで,アソークからサイアム経由でナショナル・スタジアムに向かう。

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ナショナル・スタジアムに到着すると,観光客がぞろぞろとジム・トンプソン・ハウスに向かうので,それを追っていく。すると,すぐに到着する。

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↑美しいタイシルク。

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↑ジム・トンプソンが設計し,作り上げた邸宅。中は撮影禁止。

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↑ジム・トンプソンが集めた中国の陶器。火鉢のようなもの。これは家の外にあるので撮影OK。

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↑これも撮影OK。ここに置かれているのはイミテーションかもしれないが,7~8世紀ドヴァラヴァティ派の仏像。

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↑ジム・トンプソンは屋敷の設計に取り掛かっていた頃,庭園のことを「ジャングル」と呼んでいた。都会にありながら,ジャングルを思わせる邸宅。それがジム・トンプソンの理想だったのだろう。


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1906年3月,米デラウエア州に生まれたジム・トンプソンは第二次世界大戦終了直前,対日作戦のため,OSSの諜報員としてインドシナ半島に派遣された。任地のタイに魅了されたジムは永住を決意。衰退していたタイのシルク産業を復興し,巨万の富を得た。

1967年3月,休暇で訪れていたマレーシアのキャメロン・ハイランドで失踪。大規模な捜索にもかかわらず,その後の足取りは杳としてつかめないままである。

彼が残した邸宅は今や私設美術館として開放され,バンコク有数の観光スポットとなっている。


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マレーシアのジャングルに消えたシルク王ジム・トンプソン。この事件は松本清張にも影響を与え,推理小説『熱い絹』を執筆させるきっかけとなった。

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バンコクにおります

所用のため,チェンマイからクルンテープ(バンコク)へ。

空港から都内へは"AIRPORT RAIL LINK"を使ってみた。

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スワンナプーム空港からパヤタイまで45バーツ。

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↑こういうトークンを使って乗車する。

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大都会ですなー。

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2017.11.18

まだチェンマイにおります

チェンマイをうろうろしているわけである。

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↑すごい店構え。アクセサリーショップらしい。となりはゴールドショップ。

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↑ここ,BEER LABでは世界各国のビールが飲める。タイ産のビールはあまり無い。フレンチフライズを肴に,オーストラリアやベルギーのIPAを飲んだ。

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↑ムエタイの興行。白人(ファラン)の観衆が多かった。

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2017.11.17

チェンマイにおります

現在,所用のため,チェンマイにおります。

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↑黄昏のスワンナプーム空港

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↑チェンマイ空港の国際線ターミナルに到着

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↑チェンマイ大学の学生たち。

タイの大学には制服があるのはご存知のことと思う。
女学生に関しては高校生のようだ。スカート丈がバラバラ。ラオスのように伝統の巻きスカート(シン)にしたら統一感が出ると思うのだが,余計なお世話か。

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↑会議の休憩時間に供されたお菓子。

この菓子は豆粒程度の大きさ。豆の餡を固めて,周りをゼリーか寒天でコーティングしたもの。フルーツを模した形をしている。色どりが美しい。淡い甘みでおいしい。

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2017.11.15

千田稔『伊勢神宮―東アジアのアマテラス』を読む

インドネシア出張の帰路,千田稔『伊勢神宮―東アジアのアマテラス』を読んでいた。

本ブログではこれまでにアマテラスにフォーカスした本として

の2書を紹介してきた。

前者・筑紫申真版『アマテラスの誕生』は「アマテラスはもともと男神(蛇神)だったのであり,太陽神そのもの(アマテル)→太陽神をまつる女(オオヒルメノムチ)→天皇家の祖先神(アマテラス)と変転していったのだ」という「アマテラスの神格三転説」を唱えており,非常に刺激的な本だった。地方神アマテラスが皇祖神に昇格する過程を「壬申の乱における神助」説と「持統女帝=アマテラスのモデル」説とを用いて明確に提示しているところが特徴的である。

後者・溝口睦子版『アマテラスの誕生』は「タカミムスヒ=太陽神」説や,天智・天武両朝における皇祖神の交代説,すなわち「外来神タカミムスヒから土着神アマテラスへの交代」説を唱えておりこれも刺激的な内容だった。しかしながら天武天皇がアマテラスを重視した理由についてはあいまいな記述で,この点では筑紫申真版に及ばない。

さて,今回読んだ,千田稔『伊勢神宮―東アジアのアマテラス』は,アマテラスの原像を探ることから始まり,古代・中世・近世・近現代におけるアマテラスおよび伊勢神宮の位置づけの変遷について論じている。

上述の筑紫・溝口両氏が追ってきた「アマテラスの誕生」過程を扱っているのは本書第1章「アマテラスの旅路」と第2章「中国思想と神宮」である。

第1章「アマテラスの旅路」では,アマテラスの祖型がアマテル系神社に祀られている海洋民の神・ホアカリノミコトである可能性,そしてホアカリノミコトの起源は中国の江南の地にありそうだという可能性などが述べられている。

また,第2章「中国思想と神宮」では,古代の都と伊勢神宮との位置関係に道教の神仙思想の影響が見られること,アマテラスと西王母は「織女」というキーワードで結び付くことなど,アマテラスおよび伊勢神宮に道教の強い影響が見られることが述べられている。

これらの章で強調されているのは,アマテラスならびに伊勢神宮は東アジア世界で孤立した存在ではないということである。日本神話の源流を考えるときに,よく取り上げられるのが,朝鮮半島を経由した北方系神話,黒潮に乗って島伝いに到来した南方系神話であるが,中国大陸からの直接の影響も忘れてはならない。

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2017.11.14

勝手に直虎:氏真が本能寺の変の引き金を引くと思うね(妄想)

チラシの裏に書くべきことを,ここにメモしておく。

おんな城主直虎』第45回の終わり頃,太守様こと氏真が急に覚醒した。これに刺激を受けて,今後のドラマの展開を勝手に予測した:

  • 氏真が本能寺の変の引き金を引く
  • 龍雲丸が伊賀越えをサポートする


◆   ◆   ◆


はじめの「氏真が本能寺の変の引き金を引く」について。

第46回以降,氏真は,今川一門の血を引く築山殿と信康を死に追いやった信長に対して復讐の念を抱く筈。そして,ある機会をとらえて,明智光秀に信長を討たせるのではないか,というのが老生第1番目の妄想である。

もちろん,今川氏真が明智光秀を裏で操るようなことは不可能。だが,信長に対する不満で爆発寸前になっている光秀が,氏真の一言で,クーデターを決意する,ということはあるかも。

氏真と光秀が出会う機会はあるのか,という疑問があると思うが,氏真はしばしば京を訪れ,歌や連歌や蹴鞠などの文化活動に励んでいる。光秀も教養人として名高い。都の近辺で連歌の席があれば,高名な二人が出会う機会はあるかも。

さて,光秀が謀反を決意したのは天正10(1582)年5月28日,愛宕山・西坊威徳院での連歌会,通称「愛宕百韻」の席でのことであった――というのが,よくある俗説である。この席に氏真が混じっていたとすれば? そして連歌,もしくは席上での雑談によって,光秀を刺激したとすれば……。

氏真は1614年まで生き残る人物である。駿河を失った後もこのドラマでは準レギュラーのようにぴょこぴょこ出続ける。このドラマが,戦国の人々,それも敗れ去った人々のしぶとさを一つのテーマとしているのであれば,最後の最後まで氏真は出続けるだろう。そして,何か大仕事をなすのではなかろうか,ということで考えたのが上述の妄想である。


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つぎの「龍雲丸が伊賀越えをサポートする」について。

『おんな城主直虎』第38回で龍雲丸はおとわ(直虎)と別れ,堺に移った。そのままであれば,本能寺の変の頃も龍雲丸は堺で商売を営んでいたことだろう。

さて,本能寺の変の際,家康一行(井伊直政含む)は堺を遊覧中であった。窮地に陥った一行は三河を目指して伊賀越えを行うわけだが,このとき,山賊やならず者の間にネットワークを築いている龍雲丸が手助けをする可能性はありそうだ。

ついでながら,本能寺の変の翌々月,天正10(1582)年8月,直虎は死去する(参照)。家康と直政を無事に領国に送り届けた後,龍雲丸が直虎の最後を看取ったとすれば,まさしくドラマの如き大団円。これが老生二番目の妄想。


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『おんな城主直虎』を担当する森下佳子の脚本は,伏線だらけでさらに伏線が意外な形で回収される。素晴らしい職人芸。

だとすれば,氏真,龍雲丸といった強烈なキャラクターたちが最終回に向けてこのまま捨て置かれたままなどということがあろうか?

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2017.11.13

【太守様,徳川に力をお貸し下さい】氏真ぼったま,輝く

『おんな城主直虎 第45回』は激アツでございました。

信康自刃事件の始まりを描いた回で,信長の言い掛かりによって,徳川家が窮地に陥るのだが,最後の最後になって,家康から,われらが太守様,今川氏真への救援要請の密書が届く。

それまでナイト・サッカー 蹴鞠に打ち興じていた氏真ぼったまが今川一門の血を引く築山殿と信康の窮地を救うため,立ち上がるところで,この回終了。

こんなカッコいい氏真は大河史上どころか,映画・テレビ・小説・漫画その他芸能史上初の快挙である。

Twitterでも大盛り上がりだ。例えば,これ:

演じているのが尾上松也だが,これまでの回も含めて,氏真役ははまり役だと思う。他のメディアで松也見ると,「太守様だ」と思うぐらい。

凡庸に見えた人が,輝く瞬間がある。

フォークナー『サンクチュアリ』の弁護士ホレス・ベンボウしかり,田中芳樹『銀河英雄伝説5 風雲篇』の自由惑星同盟国防委員長ウォルター・アイランズしかり(参照)。

今回,この列に『おんな城主直虎』の氏真公が加わった。

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時枝誠記(ときえだ・もとき)『国語学史』を読む

時枝誠記(ときえだ・もとき)の『国語学史』(岩波文庫)は言うまでもなく,国語の研究史の本である。だが,本題に入る前の序説が予想外に面白かった。

国語学とはこういうコトをする学問だ,というような天下り式の説明があるのではなく,国語研究者が持つべき認識と姿勢が述べられているからだ。

そもそも国語とは何か。これは国語研究者が常に考えなくてはならない究極の問題である。

本書では一応,「国語」の定義が示されている:

私は国語という名称を,日本語的性格を持った言語を意味するものと考えたい。(19頁)

そしてまた,誤った「国語」の定義や研究の方向についても注意を喚起している:

従来,しばしば国語を定義する場合に,国家の観念あるいは民族の観念をもって基礎づけようとした。そして,それがあたかも国語研究の正しい方向を示すものであるかのごとくいわれたことがあるが,それは誤りである。(21頁)

このように国語の定義が示されたからには,国語研究者はその定義の下で粛々と研究活動を展開すればよいのだろうか。

いや,そんなことはない。長くなるが重要な一節を引用しよう:

私は国語学の対象を規定するのに,国家や民族の観念を排除し,純粋に言語的特質に基づいて,国語,すなわち日本語的性格を持った言語であるとした。ところが,日本語的性格ということは国語学の究極において見出されるものであって,最初からこれが明らかにされているのならば,もはや国語研究の必要も消滅してしまうことになる。そこで,国語を他の何か明らかなもの,すなわち国家とか民族とかによって規定しようとする立場が現れてくるわけである。しかしながらこの立場は,あたかも「魚は水に住むものである」という定義に等しく,対象を外部的原理によって規定することであって,対象それ自体の持つ原理によるものではない。そこで必要な態度はともかくも対象として与えられた無規定な日本語を,それ自体の内に具有する原理,すなわち日本語的性格なるものを明らかにしつつ,対象を輪郭づけて行くことである。(25頁)

つまり国語研究者の仕事は国語の持つ日本語的性格とは何かということを明らかにする作業なのである。この研究作業において何が必要か時枝はこう述べている:

そこで必要なことは,最初に対象の本質をしっかり見通すことである。もちろん,この見通しは対象についての省察が進展すると同時に訂正せらるべき性質のものであるかも知れないが,その故にかかる見通しが不必要であるということは出来ない。国語学はむしろかかる対象の本質観の不断の改訂によって,次第にその目標に到達することが出来るのである。(28頁)

まず研究対象に対するイメージを描くこと。そして,研究を進めるにしたがって,そのイメージを修正し続けること。そうすることによって,研究対象を明らかにできるわけである。

結局のところ,国語学の任務とは何か。時枝はこう述べている:

国語学の任務は,国語の事実を適切に整理し,体系化するところにあるのではなくして,国語の発見ということが根本の任務であり,少なくともそれが他の科学的操作に先行するものでなければならないと思うのである。(29頁)

「国語の発見」,これこそが国語学の任務であるというのは実に名言で,他の学問分野でも通用しそうな言い回しである。

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