2025.11.24

張藝謀(チャン・イーモウ)&鞏俐(コン・リー)の『紅夢』と『菊豆』を観た

この連休,張藝謀(チャン・イーモウ)監督の初期作品,『紅夢』と『菊豆』をアマゾン・プライム・ビデオで立て続けに観た。

どちらも鞏俐(コン・リー)が主演である。そしてもどちらもヒロインが不幸になる。

 

まず『紅夢』(1991年)だがこれは1920年代のお話。

コン・リー演じる19歳の女学生・頌連(スーリェン)は父に先立たれ,素封家の第四夫人となる。

夫人毎に「院」という部屋が与えられており,旦那が夜,訪問することにした部屋には紅い提灯が灯される。旦那が尋ねることにした部屋は,夕方に執事長から発表される。例えば,第四夫人の部屋に行くことになると,「四院点灯(スーインティエントウ)」と執事長が大声で発表する。

旦那の寵愛を巡って,夫人たちの暗闘があったり,女中でありながら旦那と関係のある雁児(イェンアル)は頌連に意地悪をしたり,という日常が繰り返される。

それはそれで均衡がとれていたのだが,あるときから,頌連の行動によって均衡が崩れ,死者がでるようになる。救いようのない1920年代のお話である。

コン・リーはかつて「中国の山口百恵」と称された。今ならば河合優実に例えるべきか?『紅夢』出演時のコン・リーは26歳で,今の河合優実は24歳なので,だいたい近い年ごろ。身長はコン・リーが168cm,河合優実が166cmで,これも近い。どちらも暗い表情が魅力的である。

雁児を演じた孔琳(コン・リン)は『紅夢』出演時,22歳。その後,様々な映画やドラマに出演する大物俳優に出世。身長は170cmでコン・リーよりも若干高いぐらいだったが,映画の中ではあまりそんな感じがしなかった。

この映画の舞台となっている大邸宅は灰色で調度品も茶色だったり地味である。その中で灯る赤い提灯の色は強烈。

 

 

つぎに『菊豆』(1990年)。これも1920年代の話。

コン・リー演じる菊豆(チュイトウ)は染物屋のジジイ楊金山によって金で買われて新妻になる。ジジイは菊豆に毎晩,性的虐待を加えている。前にも2名の妻がいたそうだが,それらも虐待のせいで死んだらしい。

ジジイには天青(ティエンチン)という甥がいる。染物屋の仕事を手伝わされている。40歳にもなるが未婚。ジジイがケチで結婚を許さないので。

こんな状況下で菊豆と天青が良い仲にならないわけがない。やがて二人には子供が生まれる。ジジイはこの子供を自分の子供だと思って,天白(ティエンバイ)と名付ける。菊豆と天青の間の秘密は守られるであろうか…守られるわけがない。菊豆と天青の運命は二転三転し,やがて悲劇が訪れる。

天青とイチャついているときの菊豆は伝統的な下着,肚兜(ドゥドウ)姿で色っぽい。このときコン・リー25歳。

この映画でも村の建物はモノトーン。それに対して染物の黄色や赤は強烈なコントラストとなっている。『紅夢』と同じく,色彩美を楽しむのも良し。

| | コメント (0)

2025.07.09

陳舜臣『孔雀の道』読了

孔雀の道

この物語は昭和43年,梅の蕾がようやく膨らみかけた頃に始まる。

昭和16年,神戸に生まれ,14歳まで日本で育った英日混血児ローズ・ギルモアは,13年ぶりに故郷の地を踏む。

英語教師として女子大学に赴任するためだが,本当の目的は,戦中にスパイ容疑で捕まった英国人の父と戦後直後に火災で死んだ日本人の母の謎を解くためだった。

ローズの手伝いをするのは,インド帰りの三十歳そこそこの男性,中垣照道。ローズが渡日する際に乗っていた客船ウーチャン号の同乗者で,日本への船旅の間に知り合った。聡明でしっかりしたローズと好対照で頼りない感じの宗教家だが,ローズを精神的に支え続ける。

神戸,小諸,金沢,広島と日本各地を巡りながら,ローズと中垣はローズの母の謎に迫る。そして見えてきたのは戦前・戦中の諜報活動,ギルモア夫妻の愛憎劇。

20250614_231548

主人公たちは推理ゲームの駒ではなく,ちゃんと生きている。悩みながら前進していくところが良い。一種の青春小説ですな,これは。

日本推理作家協会賞受賞作というだけある。

陳舜臣は歴史作家として知られるが,昭和物もうまい。

| | コメント (0)

2025.01.06

小池正就『中国のデジタルイノベーション』を読む

この正月,ツマの実家に行ったのだが,移動中の車中や機上で読んでいたのが,これ。

小池正就『中国のデジタルイノベーション』(岩波新書,2022年)

である。

著者は衆議院議員を務めたこともある研究者というかコンサルタントというか,いくつもの肩書がある人で,中国の清華大学で客員研究員を務めていた経歴を持つ。

本書が出版されたのは,コロナ禍の影響がまだ残る2022年。生成AIブームの前なので,内容は若干古いが,今なお驀進する中国社会のデジタル化の背景というか土壌を知るには丁度良い新書である。

中国のデジタル化とかイノベーションというと,どうも政府あるいは共産党主導というイメージが強い。それは間違いではないが,実は民間が自主的に進めてきた部分も大きい,というのが本書では力説されている。

その顕著な例と言えるのが,ブロックチェーンである。ブロックチェーンの応用ビジネスと言えば,暗号資産(暗号通貨)がまず頭に浮かぶが,中国では2021年に暗号通貨関連業務が全面的に禁止となった。では,中国ではもうブロックチェーンは根絶されたのか?と言うとそうではない。食品やブランド品の通販・流通プロセスにおいて,産地や生産者の偽装を防ぐための手段として利用されているのである。著者が「上に政策あれば,下に対策あり」という中国のことわざを引いて説明しているように,政府の規制があっても,便利な技術,とくにデジタル技術は,どんどん利用するというマインドが中国社会にはある。

 

本書では「イノベーション」という言葉があらゆるところに登場するが,この言葉を正しく使っているので安心した。

「イノベーション」を「技術革新」のことだと思っている人がまだまだ大勢いるが,著者はシュムペーターの定義を正しく踏まえて,「新しい組み合わせによる新しい価値の創造」(p. 19)と言っている。

「インベンション(発明)と混合されがちだが,イノベーションは必ずしも新たな発明や技術革新が求められるものではなく,それらを実際に適用および活用し新たな価値を広げることを示している」(『中国のデジタルイノベーション』p. 19)

この定義を踏まえれば,デジタルイノベーションにおいて大事なのは,デジタル技術そのものではなく,デジタル技術を活用する社会経済環境であるということがわかる。

本書の冒頭「はじめに」で,著者はこう語る:

「現代日本における中国のデジタルイノベーションに関する議論も,表面的かつ部分的なアウトプットだけに焦点を当てた傾向が気になるところである。確かに日本にない物珍しさや利便性を確かに伝えたいという感覚は理解できるものの,SNS投稿と同程度の表面的な情報を基に「日本でも」と企業や政府が総力を挙げてみても,等しく普及するかは難しい。アウトプットとしての成果物を生み出した体制や国民性,社会基盤等の土壌を理解せずして同じ花を咲かせることは困難である」(『中国のデジタルイノベーション』p. ix - x)

同じ主張は最終章「日本にも「プラス」とできるか」でも繰り返される。

著者はアバナシー・クラークのイノベーションの分類に基づいて,日本が今後目指すべきイノベーションの姿を「創設型イノベーション」および「隙間開発型イノベーション」としている。なぜなら,これらのイノベーションは新たな市場価値を生み出し,経済成長を促すからである。ただし,技術革新と市場開発が両立する「創設型イノベーション」はめったに起きるものではない。実際,中国で進むデジタルイノベーションを見ると,それは主として「隙間開発型イノベーション」であることがわかる。既存の様々なビジネスで生じる問題をデジタル技術で解決し,市場拡大につなげているからである。もし中国に倣うとすれば,とりあえずは「隙間開発型イノベーション」を目指すことが日本にとっては重要であろう。

そして「創設型イノベーション」または「隙間開発型イノベーション」を実現しようとすれば,必要なのは何か。著者は次のように語る:

「創設型イノベーションや隙間開発型イノベーションが市場の創出に達するために重要なのは,国内であろうが海外であろうが,「その市場での生活習慣や商習慣はどうなっているのか,その中での課題は何か,潜在的に評価されそうな価値は何か,受け入れられるために必要な体制は」といった,観察眼や嗅覚に基づく市場と技術双方への深い理解である」(『中国のデジタルイノベーション』p. 142)

そしてこうした行為を支えるのが,

「「今その価値がないのであれば創ってしまおう」という起業家精神と,彼らの挑戦と失敗を受け入れる社会の風潮である」(『中国のデジタルイノベーション』p. 142)

と著者は続ける。

起業家精神と失敗に対する寛容性。これらを備えているのはアメリカ社会であり,中国社会である。日本もビジネスの土壌をそのように変えることができるのかどうか。著者はその変化を促すために日々奮闘している。で,老生はというと,老生はもういい年齢なので,あとは若い人たちに期待する。

| | コメント (0)

2024.09.30

唐沢俊一氏逝去の報

熱心なファンとはとても言えないが,唐沢俊一氏のトリビアルなネタは大好きで,著作を何冊か持っている。

その唐沢氏が先日亡くなったそうだ:

唐沢俊一さんが心臓発作のため死去、66歳「トリビアの泉」「と学会」 漫画家の実弟が公表「20年以上絶縁状態」

実弟で漫画家の唐沢なをき氏とは20年以上にもわたる絶縁状態だったことはこの記事で知った。

2007年8月に同氏の「盗用疑惑」が話題になってからは,同氏の著書はあまり見かけなくなり,情報発信も激減した。

盗用疑惑についてはだいぶ前に情報をまとめたことがあるので,ご参考まで:

唐沢俊一氏が盗用?」(2007年8月1日)

旧twitter現Xでの投稿は最近まで盛んに行ってたものの,批判的・冷笑的な投稿ばかりであまり面白くなかった。

「人を傷つけない笑い」が支持を集める時代,唐沢氏のスタイルは旧twitter現Xにはふさわしいかもしれないが,その外の世界には通用しなくなってきたのではなかろうか。

| | コメント (0)

2024.09.20

紀蔚然『台北プライベートアイ』を読む

紀蔚然『台北プライベートアイ』(船山むつみ訳,文春文庫)が面白い――と高野秀行がXに書いていた。

よく行く宮脇書店には見当たらなかったが,明林堂書店で見つけたので購入。

台湾気分を味わおうと思って,中華航空の機内で読みふけった。面白かった。

 

主人公は呉誠(ウー・チェン)と言う。大学で英語や演劇を教えていたのだが,公私の人間関係が破綻したことをきっかけに退職。臥龍街(ウォロンジェ)に引っ越し,私立探偵(Private eye)を始めることになった。

攻撃的な発言をしてしまう癖があるというのは,他の探偵小説の主人公にもありそうな話だが,パニック障害をもっている主人公というのはこれまでになかったように思う。

呉誠が髭もじゃの容貌だということに気が付いたのは,この小説の半ば,第十一章に入り,呉誠が連続殺人事件の容疑者として逮捕されてからだった。

髭もじゃでサファリハットの男,呉誠とはどんな容貌か? この疑問は著者の写真を見たらすぐに氷解した(紀蔚然 - 傑出校友 - 輔仁大學公共事務室 (fju.edu.tw))。

 

推理自体はそれほど複雑なものではない。台北の人々の暮らしの描写や主人公・呉誠の考察が読みどころである。

例えば,台湾人の運転の荒さ,クラクションの使い方についての考察:

「台湾人は研究開発を重ねて,クラクションの強さと長さでさまざまな情報を伝える手段を編み出してきた。礼儀正しい「多謝<ドーシャ>(ありがとう)」,「歹勢 <パイセ>(すみませんね)」から,警告のための「気をつけろ」,「目を覚ませ」,挑発を意味する「度胸があるなら,やってみやがれ」,「絶対無理」,「道路はおまえのもんじゃねえ」,驚きを表す「おいおい」,「こんちくしょう」,「ふざけんな」,それから,もちろん,怒髪天を衝く「XXXX!さっさと行きやがれ!」がある。」(『台北プライベートアイ』104ページ)

このすぐ後には台北の街並みに関する考察が続く:

「あくまでも実用的な台湾人は,そもそも美しいか,美しくないかを理解する気もない。どんな物であれ,暮らしを立てるための論理で有機的に繁殖させてしまうので,台湾の風景はなんともいわれぬ独特の情緒を醸し出し,その醜さには親しみをともなう一種の特殊な美が生まれている」(『台北プライベートアイ』105ページ)

主人公が自らの酒癖の悪さについて述べた部分:

「酒の度胸というのには二種類ある。一つは酒を飲む度胸のことであり,もう一つは何度もアルコールに浸されることによって膨れ上がった度胸のことである。おれはその両方に特別に恵まれており,これまで何度となく,酒を飲んでは失言し,他人をめちゃくちゃに攻撃した。」(『台北プライベートアイ』165ページ)

 

教養と深い洞察力を持ち合わせているものの,パニック障害を抱え,失言・暴言癖を持つ主人公・呉誠が,果たして初めて依頼された事件を解決することができるのか,また,殺人の容疑を晴らすことができるのか,さらにまた,近所づきあいはどうなるのか,そして恋愛関係は進展するのか,最後まで目の離させない探偵小説である。

| | コメント (0)

2024.08.29

「エルガイム」TV放送から40年

そういえば,今年は「エルガイム」TV放送から40年の年だ。

10年前にこんな記事を書いたのを思い出した:

「第一次世界大戦から100年,「エルガイム」TV放送から30年」

その記事でも触れたが,富野作品の中で「エルガイム」が一番残酷なエンディングではないか,という説があった。「重戦機エルガイム考察」というブログ記事だったが,今はすでに無くなっている。10年経過して歳歳年年人不同(さいさいねんねん ひとおなじからず)といった心境である。

「エルガイム」最終話「ドリーマーズ アゲン」は,全員死亡のようなエンディングにはならず,主要人物たちが勝利し生き残るという結果になっている。しかし,主人公ダバ・マイロードは故郷に戻り,精神崩壊したクワサン・オリビーの介護に従事予定。ダバを愛するアムとレッシィはダバと一緒になることはできない。また,被爆した(?)キャオとリリスは皆と別れて遠いところに旅立つ。

某氏曰く「パーティの終わり」。まさにその通りで,生き残った者たちは老い病みやすい体を引きずって百億の昼と千億の夜(そんなに長くない!)を生きていかなければならないのである。

| | コメント (0)

2024.08.23

『ワープする宇宙』|松岡正剛に導かれて読んだ本

宇宙論は趣味レベルで好きだが,宇宙論に関する本は専門書から一般書まで非常に多く,どの本を読むのか決めかねる。

選書にあたっては,誰かの導きがあるとありがたい。

リサ・ランドールの『ワープする宇宙』(NHK出版)を手にしたきっかけは,松岡正剛の導きによるものだ。

Lisa

我々が住むこの宇宙は,上下・左右・前後を示す空間の3次元に時間を加えた4次元でできているというのが従来の考え方だが,その他にも余剰の次元がある,という説が提案されている。リサ・ランドールはその説を提唱している科学者の一人である。

本書のあらすじはAIたちに任せることとして,老生の手元にあるこの本の見開きには松岡正剛の添え書きとサインがある。

Lisamats

宇宙論は空気が澄み切った冬の夜にふさわしいのかもしれない。

セイゴオの訃報は21日に耳にした。巨星墜つ。

| | コメント (0)

2024.07.24

『馮道』読んだ

礪波護『馮道』 (法蔵館文庫) を読んだ。

やはり中国史は面白い。

馮道とは,唐滅亡から宋誕生に至る混乱期に活躍した政治家である。

その人柄と有能さを買われ,「五朝八姓十一君」,つまり,後唐・後晋・遼・後漢・後周の5つの王朝の11人の皇帝に仕えた。

中国では古くから「忠臣は二君に仕えず」(史記)という考え方がある。ある君主に仕えた後は,新しい君主には仕えないのが忠義というものである,という考え方である。馮道の死後に成立した宋王朝以降は,とくにこの考え方が強まっていく。

この「忠臣は二君に仕えず」という考え方からすれば,11人もの皇帝に仕えた馮道は,不忠の極みである。

だが,王朝の交代が激しい乱世の中では,馮道の姿勢は不忠とは言えない,というのが本書の主張である。

馮道は君主に忠誠を誓っているのではなく,国,もっと言えば国を形成する民衆に忠誠を誓っているのである。

本書にはこう書かれている:

「戦火にさらされながら,軍閥から搾取されつづけ,生きた心地もないその日暮らしの生活を送っている大多数の庶民の苦痛を,すこしでも軽減してやることを,精いっぱいの仕事とするより他はない。これは馮道が体験から得た人生哲学であった」

君ではなく国に忠であることが馮道の生きる指針である。

| | コメント (0)

«Azureの勉強をする本