2024.09.30

唐沢俊一氏逝去の報

熱心なファンとはとても言えないが,唐沢俊一氏のトリビアルなネタは大好きで,著作を何冊か持っている。

その唐沢氏が先日亡くなったそうだ:

唐沢俊一さんが心臓発作のため死去、66歳「トリビアの泉」「と学会」 漫画家の実弟が公表「20年以上絶縁状態」

実弟で漫画家の唐沢なをき氏とは20年以上にもわたる絶縁状態だったことはこの記事で知った。

2007年8月に同氏の「盗用疑惑」が話題になってからは,同氏の著書はあまり見かけなくなり,情報発信も激減した。

盗用疑惑についてはだいぶ前に情報をまとめたことがあるので,ご参考まで:

唐沢俊一氏が盗用?」(2007年8月1日)

旧twitter現Xでの投稿は最近まで盛んに行ってたものの,批判的・冷笑的な投稿ばかりであまり面白くなかった。

「人を傷つけない笑い」が支持を集める時代,唐沢氏のスタイルは旧twitter現Xにはふさわしいかもしれないが,その外の世界には通用しなくなってきたのではなかろうか。

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2024.09.20

紀蔚然『台北プライベートアイ』を読む

紀蔚然『台北プライベートアイ』(船山むつみ訳,文春文庫)が面白い――と高野秀行がXに書いていた。

よく行く宮脇書店には見当たらなかったが,明林堂書店で見つけたので購入。

台湾気分を味わおうと思って,中華航空の機内で読みふけった。面白かった。

 

主人公は呉誠(ウー・チェン)と言う。大学で英語や演劇を教えていたのだが,公私の人間関係が破綻したことをきっかけに退職。臥龍街(ウォロンジェ)に引っ越し,私立探偵(Private eye)を始めることになった。

攻撃的な発言をしてしまう癖があるというのは,他の探偵小説の主人公にもありそうな話だが,パニック障害をもっている主人公というのはこれまでになかったように思う。

呉誠が髭もじゃの容貌だということに気が付いたのは,この小説の半ば,第十一章に入り,呉誠が連続殺人事件の容疑者として逮捕されてからだった。

髭もじゃでサファリハットの男,呉誠とはどんな容貌か? この疑問は著者の写真を見たらすぐに氷解した(紀蔚然 - 傑出校友 - 輔仁大學公共事務室 (fju.edu.tw))。

 

推理自体はそれほど複雑なものではない。台北の人々の暮らしの描写や主人公・呉誠の考察が読みどころである。

例えば,台湾人の運転の荒さ,クラクションの使い方についての考察:

「台湾人は研究開発を重ねて,クラクションの強さと長さでさまざまな情報を伝える手段を編み出してきた。礼儀正しい「多謝<ドーシャ>(ありがとう)」,「歹勢 <パイセ>(すみませんね)」から,警告のための「気をつけろ」,「目を覚ませ」,挑発を意味する「度胸があるなら,やってみやがれ」,「絶対無理」,「道路はおまえのもんじゃねえ」,驚きを表す「おいおい」,「こんちくしょう」,「ふざけんな」,それから,もちろん,怒髪天を衝く「XXXX!さっさと行きやがれ!」がある。」(『台北プライベートアイ』104ページ)

このすぐ後には台北の街並みに関する考察が続く:

「あくまでも実用的な台湾人は,そもそも美しいか,美しくないかを理解する気もない。どんな物であれ,暮らしを立てるための論理で有機的に繁殖させてしまうので,台湾の風景はなんともいわれぬ独特の情緒を醸し出し,その醜さには親しみをともなう一種の特殊な美が生まれている」(『台北プライベートアイ』105ページ)

主人公が自らの酒癖の悪さについて述べた部分:

「酒の度胸というのには二種類ある。一つは酒を飲む度胸のことであり,もう一つは何度もアルコールに浸されることによって膨れ上がった度胸のことである。おれはその両方に特別に恵まれており,これまで何度となく,酒を飲んでは失言し,他人をめちゃくちゃに攻撃した。」(『台北プライベートアイ』165ページ)

 

教養と深い洞察力を持ち合わせているものの,パニック障害を抱え,失言・暴言癖を持つ主人公・呉誠が,果たして初めて依頼された事件を解決することができるのか,また,殺人の容疑を晴らすことができるのか,さらにまた,近所づきあいはどうなるのか,そして恋愛関係は進展するのか,最後まで目の離させない探偵小説である。

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2024.08.29

「エルガイム」TV放送から40年

そういえば,今年は「エルガイム」TV放送から40年の年だ。

10年前にこんな記事を書いたのを思い出した:

「第一次世界大戦から100年,「エルガイム」TV放送から30年」

その記事でも触れたが,富野作品の中で「エルガイム」が一番残酷なエンディングではないか,という説があった。「重戦機エルガイム考察」というブログ記事だったが,今はすでに無くなっている。10年経過して歳歳年年人不同(さいさいねんねん ひとおなじからず)といった心境である。

「エルガイム」最終話「ドリーマーズ アゲン」は,全員死亡のようなエンディングにはならず,主要人物たちが勝利し生き残るという結果になっている。しかし,主人公ダバ・マイロードは故郷に戻り,精神崩壊したクワサン・オリビーの介護に従事予定。ダバを愛するアムとレッシィはダバと一緒になることはできない。また,被爆した(?)キャオとリリスは皆と別れて遠いところに旅立つ。

某氏曰く「パーティの終わり」。まさにその通りで,生き残った者たちは老い病みやすい体を引きずって百億の昼と千億の夜(そんなに長くない!)を生きていかなければならないのである。

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2024.08.23

『ワープする宇宙』|松岡正剛に導かれて読んだ本

宇宙論は趣味レベルで好きだが,宇宙論に関する本は専門書から一般書まで非常に多く,どの本を読むのか決めかねる。

選書にあたっては,誰かの導きがあるとありがたい。

リサ・ランドールの『ワープする宇宙』(NHK出版)を手にしたきっかけは,松岡正剛の導きによるものだ。

Lisa

我々が住むこの宇宙は,上下・左右・前後を示す空間の3次元に時間を加えた4次元でできているというのが従来の考え方だが,その他にも余剰の次元がある,という説が提案されている。リサ・ランドールはその説を提唱している科学者の一人である。

本書のあらすじはAIたちに任せることとして,老生の手元にあるこの本の見開きには松岡正剛の添え書きとサインがある。

Lisamats

宇宙論は空気が澄み切った冬の夜にふさわしいのかもしれない。

セイゴオの訃報は21日に耳にした。巨星墜つ。

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2024.07.24

『馮道』読んだ

礪波護『馮道』 (法蔵館文庫) を読んだ。

やはり中国史は面白い。

馮道とは,唐滅亡から宋誕生に至る混乱期に活躍した政治家である。

その人柄と有能さを買われ,「五朝八姓十一君」,つまり,後唐・後晋・遼・後漢・後周の5つの王朝の11人の皇帝に仕えた。

中国では古くから「忠臣は二君に仕えず」(史記)という考え方がある。ある君主に仕えた後は,新しい君主には仕えないのが忠義というものである,という考え方である。馮道の死後に成立した宋王朝以降は,とくにこの考え方が強まっていく。

この「忠臣は二君に仕えず」という考え方からすれば,11人もの皇帝に仕えた馮道は,不忠の極みである。

だが,王朝の交代が激しい乱世の中では,馮道の姿勢は不忠とは言えない,というのが本書の主張である。

馮道は君主に忠誠を誓っているのではなく,国,もっと言えば国を形成する民衆に忠誠を誓っているのである。

本書にはこう書かれている:

「戦火にさらされながら,軍閥から搾取されつづけ,生きた心地もないその日暮らしの生活を送っている大多数の庶民の苦痛を,すこしでも軽減してやることを,精いっぱいの仕事とするより他はない。これは馮道が体験から得た人生哲学であった」

君ではなく国に忠であることが馮道の生きる指針である。

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2024.07.11

Azureの勉強をする本

いつまでもクラウドサービスから目を背け続けるわけにはいかないので,Microsoft Azureの勉強を始めた。

まずは,ただで勉強ができるMicrosoft Learnをやってみたのだが,英文直訳風の文章と,単に英単語をカタカナに直しただけの用語だらけなので,いきなり挫折。

デジタルネイティブな世代の方々であればMicrosoft Learnの方が良いのだろうが,当方,昭和生まれの紙ベース人間なので,本を読んで学修する方針に転換。

いろいろな書籍がある中で,挫折せずに読み通せたのがこれ,

新井 慎太朗著『1週間でMicrosoft Azure資格の基礎が学べる本』(インプレス)

である。

一日あたり20~30ページずつ読んで,1週間で読み終えるという仕組み。

とにかく一日1時間確保できれば,飽きたり挫折することなく1週間で最低限の知識を身に付けることができる。

1日分終わったところで知識整理のための問題が7~9問出てくる。これを解くことで,やり遂げた気持ちになる。

 

小生の場合,6日目に2日分を読んだので,この本を6日で終えることができた。

そして7日目にMicrosoft Learnに戻ってみたところ,あら不思議,すいすいと説明文を読むことができ,確認問題も解け,バッジやトロフィーをもらうことができた。

慣れって大事。そして慣れるためには何でもよいので優しい解説本を読み切ることが大事。高校や大学の受験と同じです。

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2024.05.23

『<学知史>から近現代を問い直す』所収の「オカルト史研究」を読む

有志舎からこの春に刊行された『<学知史>から近現代を問い直す』を読んでいる。

「学知史」という言葉は聞きなれない言葉だが,人文科学諸分野(歴史学とか思想史とか)の学説史・研究史を横断的に研究する方法論(リサーチ・メソドロジー)である。とは言っても形成途上の方法論なので,スタイルは固まっていない。

本書には大正期から最近までの様々な分野の研究の歴史をまとめた論文が収められている。

例えば斎藤英喜「『日本ファシズム』と天皇霊・ミコトモチ論―丸山真男,橋川文三,そして折口信夫―」とか山下久夫「『文献学者宣長』像をめぐる国学の学知史―芳賀矢一・村岡典嗣・西郷信綱・子安宣邦・百川敬仁―」とか。

学説史・研究史というのは研究者ありきなので,具体的な研究者名がサブタイトルに登場する。やはり人は人のことを知るのが好きなんですよ。

さて,面白そうな論文がひしめき合っている中,最も目を引いたのが,

栗田英彦「ポスト全共闘の学知としてのオカルト史研究―武田崇元から吉永進一へ―」

である。

最近「オカルト2.0」なんか読んだから「オカルト」に過剰反応する。

この論文,出だしの一文が良い:

「近年,オカルト(オカリティズム・エソテリシズム)史研究が国内外で脚光を浴びている。」(『<学知史>から近現代を問い直す』280ページ)

まさしくそんな気がする。

以降,オカルト史(エソテリシズム史)研究の日本代表として吉永進一を取り上げ,その研究の変遷,アプローチ手法のみならず,ニューウェーブSF読書経験やオカルト体験についても概説してくれる。要するにこの論文はほぼ吉永進一の評伝となっている。

栗田氏は吉永進一の発言を踏まえて,その研究姿勢を次のようにまとめている:

「つまり,アカデミズムのエティックな概念で対象化することで安全な立場に立つ,つまり「客体として取り出して整理する」というのではなく,「自己に戻って」自分の問題として捉えることを重視する。その意味で「オカルト」とは実体的領域を示す客観的概念というよりは,むしろその実体性や客観性を掘り崩して,自分の問題として考えるための方法論的な概念として用いられていることがわかる。」(『<学知史>から近現代を問い直す』295ページ)

そういえば,先日読んだ「オカルト2.0」の著者もオカルトを研究対象としつつも,自分の問題として捉えていた。オカルト史研究の典型的な研究姿勢なのだろう。

竹内裕=武田崇元=有賀龍太からの影響のほか,浅田彰や安彦良和にも少し触れられていたりして,オカルト史研究というのは,在野とアカデミズムの境目の無い,学際的な領域なのだなぁと感心した。

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2024.05.22

トマス・リード『人間の知的能力に関する試論』を読む

昨年から時折,トマス・リードの『人間の知的能力に関する試論』(上下 戸田剛文訳 岩波文庫)を読んでいるのだが,トマス・リードの正直さには感心する。

何が正直かというと,わからないものはわからないと述べていることが正直だというのである。

例えば,あなたにAさんという友達がいるとして,あなたがAさんについて何を知っているかというと,Aさんの属性(背が高いとか低いとか,性格が明るいとか暗いとか,勉強ができるとかできないとか)しか知らないでしょう,本質はわからないでしょう,ということをリードは述べている。

今の例では人物を取り上げたが,物でも現象でもおなじことで,リードは『人間の知的能力に関する試論』の中で,あらゆる対象について

属性は明確にわかるけど,本質はわからない

ということを述べている。

具体的には第5巻第2章「一般概念について」の中でこういうことを述べている:

「われわれがあらゆる個体について持っている,あるいは得ることができるすべての判明な知識は,その属性の知識である。というのも,われわれは,どのような個体の本質も知らないからだ。それは人間の機能の届く範囲を超えているように思える」(下巻141ページ)

もちろん,背が高いとか低いとか,性格が明るいとか暗いとか,勉強ができるとかできないとかいった属性はAさんという主体なしには存在できない。赤い色は,赤い色をした自動車とか服とか具体的な主体がなければ存在できない。

だが,主体の本質となるとわからない。お手上げである。

「自然は,われわれに,思考することと推論することは主体なしには存在できない属性だと教えてくれる。しかし,その主体について,われわれが作ることのできる最良の思念も,そのような属性の主体だということ以上のことをほとんど含意していないだろう」(下巻143ページ)

今では,「複雑系」のように「全体は部分の合計よりも大きな何かである」という考え方がある。しかし,実際にわれわれが主体に関して語ることができるのは,属性の総和が関の山で,本質については想像以上のことを語ることはできない。

トマス・リードはスコットランド常識(コモン・センス)学派の代表格である。彼の著書には常識学派という通称に違わぬ考え方が示されている。

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